第9話 政府の犬①
若き男女が暴れた書庫のその後、白を基調とした本棚や廊下は黒炎によってねじ曲げられ、血塗られた本が散乱する地獄の光景が広がっていた。
そこへ駆けつけた白兵団数人とホオズキという名の騎士団長は、かつて部下だった者の遺体を見下ろし、腕に取り付けられた連絡用マギア端末を回収。そこに残されていた肉声記録の再生ボタンに指をかける。
〔 うグh…… ホオズキ様、今まで、本当にありがとうございました。俺、もっとあなたの下で―― 〕
すると途中で音声記録を中断。遺体の手に握られていた転移用魔導書だけを回収しては、ただ淡々とマギア端末を足で踏みつけ破壊したのだった。
「ホオズキ様、なぜ途中で再生を止めたのですか」
「回収品を預ける趣旨は伝わった」
「城の備品と、重要情報をなぜ独断で放棄したのかと聞いているのです。二度目の違反、次はありませんよ」
「お前らは本当に優秀だ。忠実に掟に沿い躊躇なく、そうやって上官に矛を向ける。状況報告を蔑ろにし、無様に散っていったこいつらのような“負け犬”とは違う」
「……ははは、犬ですか? あの毛玉の――」
その時、ホオズキは腰に携えた大剣を抜刀するまでもなく、ただ冷静に振り返り、自身に向けられていた槍先をへし折って――
「これで三度目の違反だ。共に目を瞑るか、忠義に従うか。選ぶがいい。付き合うぞ」
場にいた部下たちを震え上がらせるのだった。
______________
次の日の夕方、 私は魔女ロエナのツリーハウスにて魔女ロエナと昨日の出来事について談笑をしていた。
「あーっはっはっは! “王の子アピール”炸裂ならず、青年に助けられて気絶したと」
「笑い事じゃないって‼」
「それでも忘れずに本置いてきてくれたんだね。えらいえらい」
「また他人事みたいに言って……」
「だって他人事だもん。で、さっきのラブラブ展開の続き聞きたいな!」
「名乗られて、なんか罵倒されて、どっか行った。終わり。で多分、今頃は森に……」
熱く夢を語る姿、外の世界の
理由はいくらでも思いついた。
狭き世界に逃げ場はないから、引き留めたとしてもどうせ殺される。なら夢に賭けさせてあげる方が優しさだと思ったから引き留めなかった。
そんな後付けの言い訳が今になって湧き出てくる。
私は青年を殺してしまったのか。
それとも彼を救ったのか。
それは本当に、正しい優しさだったのか。
真実は今や国の外。
……これって、普通の人は恐ろしくなって泣きだしてしまったりするのだろうか。
「まぁでも、そのマキくんって子、王様を暗殺するとか言い出さなくてよかったね~」
「うん、そうだね~」
実際そのつもりでやってきたっぽいけどね。言い忘れてたけど。
それよりも、この首輪のせいで主従関係が維持されたまま次のおつかいを強制されてはたまったものではない。
この魔女は隙あらば豊満バックハグからのうなじ嗅ぎ、からの頭ナデナデに、いやらしい指先を首輪に這わせ、すんごい良い匂いを漂わせながら耳を
溢れんばかりの母性の暴力か、それとも別の何かの押し付けか、私はされるがまま身体をよじりビクつかせては喘ぎを我慢するばかり。
この女、顔が良いだけで何されても許されると思っている!!!
「そろそろっ…… 帰ってもいいですか‼」
「太陽の匂い。どこはかとなくドレア様の面影を感じる」
「返答になってませんけど‼」
「うーん。吸い付くしたいこの若さ」
ダメだ。まるで話が通じていない。
マキ青年の方がマシに思えてくる。
「次のおつかい、何にしようかなぁ」
「もう……」
すると突然、魔女は何かを思い出したかのように私をソファに置いて、気怠そうに薬品実験セットを展開。
黒釜で沸かした湯に粉末を入れ、出来上がった赤茶色の液体をティーカップに注ぎ、それを私に手渡した。
「飲んで」
「なんですかこれ」
「報酬よ。いらないならいいわ」
そう言われると飲みたくなる。
それは命を懸けて得た対価とは思いたくはない、なんとも安っぽく渋みの強い、風味だけが美味しい一杯の紅茶であった。
その後も魔女は書類を宙にビュンビュン飛ばしながら別の実験を再開したので、私は不満げにソファに寝っ転がり紅茶でお手玉でもして遊んでいた。
「君はお水に好かれてるんだね」
「そうみたい。ねぇロエナさん、呪文ってコツがあるの?」
「もしかして呪文を知ったの?」
「それが無かったら死んでたよ~。あいにく失敗したけど」
「なんて呪文?」
「
魔女の手が一瞬固まった。
「……幸運ね。発音が少しでも違えば四肢が吹き飛んでたかもね」
「げぇっ⁉」
すると魔女は丸形のステンドグラス窓のくぼみに寝そべり、ほぼ下着に近いラフスタイルでタバコをふかし、突然難しそうな知識を語り始める。
「魔導書には、先人の知恵や経験、血肉と魂、色んな偉人の人生が詰まっている。数千年の経験を縮小し誰でも扱えるようにこの世界の魔法概念にアーカイブされている」
「わぁ…… トネリコ先生みたいな授業始まった」
「目に見えないデータバンクに呪文が蓄積されていくようなものだよ。それを、おかしな文言と魔力のハッピーセットと引き換えに、魔法現象を取り出すような感じ」
「つまり……?」
「“
魔女は呪文を使用。彼女の頭部からつま先にかけて魔法がかかり、美しき姿はシワシワのおばあさんへと姿を変え、再び元に戻るのであった。
思わず紅茶を床にこぼしてしまった。性欲まみれのおばあちゃんに襲われていた私の気持ちとは……
「大丈夫~? 目死んでるよー。元気ー?」
「お、おばば……」
「私はまだばあさんには程遠いから安心して。あとさっきのは忘れて。かっこいい必殺技みたいな文言を叫ぶと、ドーン。伝わった?」
「と、とても」
伝わった。
「他には呪文はあるんですか?」
「アタシはただの魔法薬販売事業者だよ? おつかいのご褒美は終わり。ちなみに、そのデラクレムという呪文は渦巻く水流を放つ攻撃魔法の一種だ。内なる怒りを爆発させる時に真の力を発揮するはずだから、“ムカつくやつ”が目の前にいたら試しに打ってみると上手くいくかもね」
水である以上は殺傷能力はなさそうだ。
思い切りキレてる時にでも試してみよう。
「この世界において魔導書は人の命より重い。それが政府に奪われている今は特にね。命を賭して呪文を得たあなたならわかるはず。その言葉は大事になさい」
魔女は言い、私の頭を優しく撫でおろした。
はじめてのご褒美にしては少々豪華すぎたかもしれない
書庫でゴミのように散らかっていた魔導書ひとつひとつに、そこまでの価値があるとは思いもしなかった。
にしても、この薬屋は本当に魔法に詳しいようだ。
その時、魔女はタバコを握り絞め、その火種を大きな炎へと増幅させた。
炎は部屋全体を燃やしかけるほどの勢いで燃え広がっていく――
「対して、呪文を使わない魔法は、形を一から自由に
炎は花束へ、バチバチと鳴る電気ははばたく蝶へと変化。花弁や触覚などひとつひとつまで繊細に織り込まれた芸術として昇華したそれは、ただ仄かに暖かかい。
「もし私の記憶が戻ったり、今回みたいに良いご奉仕ができたら、またその都度ご褒美をあげる。それまではご主人様に従うこと。忘れないでね」
魔女は自身の首元を指で撫でおろしてみせた。
こちらとしては、学校では教えてくれない特別授業を懇切丁寧に教えてくれたことは、大いに喜ばしい収穫となっていた。
その裏で、胸の奥がざわつく感覚を覚えていた。
好意や、優しさが、距離感が、純粋なものに近づくほど不快なこの感じ。
記憶が戻れば、普通に仲良くなってしまうのが嫌なこの感じ。
そう思うと、この首輪が急に煩わしくなった。
続く
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