普遍と夢と虚構

夢は虚構、夢は実存、夢は過去の集積。夢とは組み換えられた記憶。夢とは真実。

積層、円転、恒常、瓦解、収束。

結局のところ、全ては連鎖する確率。確率で生き残り、確率で死ぬ。ただそれだけの話だ。

だから因果応報とか努力は報われるなんてことは何の意味もない。ただただ世界の蓋然性に従って生きるか死ぬか。ただそれだけだ。初めから懲罰とか、救いとか、そんな都合の良い因果なんてものはない。

社会では悪いことをすれば基本的に罰せられる。それと同じように、何か良いことをすれば救いが訪れるみたいな、報いのような価値観が強要される。でもこれは前者とは違って、いや、前者と相乗効果を発生させて空虚な希望のようなものを与える。目も当てられないくらいに残虐な機構だ。社会では何か功績があれば努力だ才能だと持て囃されて、それがさも当人だけの行動の結果みたいな言い方をされて、いつのまにかそれが当たり前となって、いつしかその驕り高ぶった勘違いが他者の排斥にまで至る。その功績とやらは努力でも何でもない、確率だ。確率。ただたまたまその事象が起こる確率を引き当てただけに過ぎない。努力や才能なんてものはその結果の中の1%にも満たない因子だ。そんな事実を、理由を考えることを放棄して、成功体験なんて言われるクソみたいな傲慢さばかり積み上げていって、しかもそれが当たり前になることで、例えば他の誰かが同じことをしたとして、その事象が起こらない確率を引いたら当人に原因をなすりつけられて、挙げ句失敗として非難される。結果として力なんてものは何の意味も成さないことがほとんどだ。にも関わらず、功績や成果とかそういったものでさえ、社会的な格差に強奪されることさえある。どれほどの偉業が、異常なまでの価値観の強要と社会構造によって、本来あるべき形態で日の目を浴びることなく、世界に薄められていっただろう。恐ろしくて想像することさえ憚られる。何度でも言う、あまりにも悲惨で傲慢だ。

だがその人間の行動が残虐とか傲慢とかは正直どうでもいい。正直なところ、そうやって敵を作り続けることで、自らを正当化し続けて、かろうじて自己同一性を、自らの生きる為の力を保っていた。だがこれは違う。その当たり前が悲惨な結果をもたらすということの残虐さが、それを受け入れた自分が許せないという話だ。

因果応報的社会通念なんてもの、そんな意味不明な当たり前が、社会的な圧力によって自らの価値観として深く刻まれてしまった。自分は社会に負けた。自らに、社会に、ただひたすら負け続けた。それが本当に憎くて堪らない。本当に許せない。死んでも死にきれない。

まあいい。

ただその刻まれた価値観が、霞のような希望となる。努力をすれば、理不尽に抗って動き続ければ、夢に向かって生き残り続ければ、いつか必ず救われる、いつかきっと報われる。そんな馬鹿馬鹿しい嘘を信じ込む。存在する訳がない、ただの希望的観測に隷属して、意味のない行為を正当化し続ける訳だ。

あまりにも悲劇的。あまりにも愚か。あまりにも盲目的。あまりにも空虚。存在しない、意味のない未来や希望に向かって、死ぬことも生きることも制御された状態で苦しみ続ける。

なぜ、いや、知ってはいた。ただ偽の自由がそれを信じさせなかった。そうでもないとあまりにも報われないと、ひたすら空虚な夢に、ただただ無意味に無意味を重ね続けることになる。

苦痛に抗う理由が欲しかった。

そう言う意味では、最初から最後まで論理的だった。

でも何も意味はないことも知っていた。

蓋然性に支配されて、たまたま生き残ったり、たまたま死んだりする。それだけだ。

理由もない。始まりも終わりもない。脳はそれを理解しつつも、心だけはそんな事実から、目を背けたかっただけだ。我ながらあまりにも稚い。

一体いつから、自らの主導権を奪おうと、無意味な行為を続けるこの心が芽生えたのだろう。

だが、もうそんなことどうだっていい。

助かりたいとかじゃあない。

救われたかった。報われたかった。あの日のように。ただそれだけ。

だから常々思う。何度言ったか分からない。これが最後の、自らの脳が紡いだ言葉。全て空虚な夢。

初めから何も無かった。それだけ。

これが自ら望んだこと。

少しだけ楽になりたい。

あの夜のように

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