《人を知る》ということ。強さと弱さ

[ここではidとEs、加え"自分"と"私"に関して少し語ろう……少々βの要素も交えて]

β;〈R(Es):U|↦id(i)

{《真っ直ぐに光を見つめる虚構は周囲の世界を歪める。では真実はどう動く?》}


 (ちゃんと自己分析評論っぽくなってるはずだから最後まで読んでくれるとうれしい)



《ありとあらゆる相反する社会的事象や全てに対する一過性の否定を持ち合わせて生きているような気がする。だからいかなる喜ばしいことがあろうと無意識は全ての可能性を考慮に入れて冷酷に観察を続けていて、それが常に、現在優位となった顕在的な部分に滲み出してきて常にえもいわれぬ不安感に包まれている。別な要素が歪に共存する存在である"私"は少なくとも"自分"にとって根源的にこういう生き物なのだろう……今はそう思っているのかもしれない。確証は全くないが……》




 これまで、というか幼い頃は、ストレスとかそこに起因する不安とか、そういった概念が自分の中に存在しない状態で生きていた。環境的な部分に起因する当たり前とは恐ろしい物で、たまに学校の家庭科の授業とかアンケート等に準ずるもので、ストレスとかそういったものに関することを多少なりとも学習していたのだが、当時は全くもってその"ストレス"というものを理解できなかった。

 "理解できなかった"とはその言葉の通りで、閉鎖的かつ世間一般とは乖離した幼少期の生育に相応しいとは考えづらい環境での生活により、皆の言うストレスというものが、一体どこからやってきて、それがどのような感情として自分の内に生じるのか、言葉として知ることはあっても、自分のもつ"歪んだ世界"によって長らく実態をつかむことができないでいた。

 だから当時は「痛いことや苦しいことは嫌だ」みたいな根源的な苦痛から逃避したいという感覚はあっても「当たり前だから仕方ない」という諦めに近いような感情しか生じず、上記の通り言葉として知っていることと自分の感情とのズレが原因で、一般に言われる"ストレス"と苦痛が結び付かない、自分のことと結びつけられないため、当時は「自分はストレスを感じたことがない、だから何も心配することはない」と本気で心の底から思っていた。

 いかにそれが常に死が隣に居るような場所でも、当者にとってそれが世界の全てであればそうなってしまう。これが当たり前の恐ろしいところなのだが……まあそれはそれとして、いかに閉鎖的な環境であっても(これは当者の気質というかリスクを鑑みない挑戦性や好奇心とかそういった情報への感受性にも依存するが)、現代であれば基本的に成長と共に精神的にも肉体的にも行動範囲が拡大するものであり、自分も例に漏れず(好奇心最優先な気質やリスクを理解していてもそれを簡単に享受してしまう順応性というか恐怖へのリミッターの複合的な異常も相まって)他者との関わりが増えたり外で過ごすことが多くなり、心身共に"外の世界"に触れるようになっていった。

 こうして外の世界を知ることは、自分、ひいては誰にとっても、生涯のその時点において革命的な経験になりやすく、価値観の刷新やその時点でのキャパシティからすると、無限にも等しい全く新規な情報が流れ込んでくるということになる。10代中期、いわゆる青年期に差し掛かろうとするタイミングに入って自分は初めてこの経験をした。

 そうして自分以外を取り巻いていた周囲の環境と自分との違いを体感すると共に、様々な情報を受容し、ヒエラルキーや種々のシチュエーションを経験し、社会に存在する概念に対する、いわゆる"判断の基準系"を制定する技能を身に付け、それに伴ってそれまでの価値観、いわば[自分の世界]から大きく外れた世界を新たに自身の中に構築するまでに至った。

 そして、他者と(まともに)関わるようになったことで"自己と他者間での比較"という概念、及び技能を身に付けてしまった。これは時と場合によっては良い結果をもたらすこともあるが、基本的には多くの悲劇を生む。ましてや、それまで全てが否定に包まれた世界で生きてきた自分にとっては最悪の出来事だった。

 ほとんどの生物(ここでは主に哺乳類を指す)は幼少期に置かれた環境から学ぶことで、例えば親の行動を真似るといった、見聞きした事象の模倣をしながら、周囲の環境に適応、新規学習を繰り返し成長していく。その学習から発生する行動は非常に根深く、変革や規範に迎合できずに生涯その個体の根本的な行動原理となることも少なくはない。

 この変革や新たな規範に迎合できないほどに無意識に染み付いてしまった行動原理というものが、社会的な生命にとっては非常に厄介なのである。私の場合は"全てに対する否定"が多分これに該当するのだが、それ単体ならよかったものの、これに加えて比較の概念、及び技能を、外界とのアプローチにおける非常に初期の段階で身につけてしまったために、外界(ここでの詳細な定義を述べると他者との干渉やあらゆる出来事における振る舞いといったものを、広義的に包括する自分の言動を含むほとんどの事象を指す)との接触に常に否定的な尺度を添えてしまう。さらに、この"全てに対する否定"に対し、定量的に釈明をしなければならないという半ば強迫観念にも等しい説明責任のようなものが無意識に発生、思考を支配するという、これまた非常に面倒なシステムが幼少期の環境が原因で構築されてしまっている。

 これらが複合的に作用することによって、あらゆる事象に対する一過性の否定的な思考を抱き、かつそれに基づいた尺度を問答無用で振りかざし、何かあれば、例えば1つでも反例があるとかどこか1カ所でも妥協できない部分があるとか、そういった状況において、強迫観念に駆られて勝手に定量化し釈明をしだすという、社会的に生きる上では非常に相性の悪い、最悪の思考プロセスが出来上がってしまっているという悲惨な状態なのである。

 さて、ここまでよくわからない自分語り、持論、自己の思考傾向や要素に対するネガティブな感情を長々と書き連ねてきたが、これのどこにタイトルの要素である人を知るということ、そして強さと弱さが含まれているのかと思う方もいるだろう。前者に関しては一応これまでの文章である程度示してきたし、内容に含んでいるつもりではあるが……後者に関して、結論はこれから書いていくのでそれを理解してもらえるとありがたい。それでは、ここからは前者の総括もかねて、人を知るということ、そして強さと弱さについて回収していくとしよう。

 ではまず、人を知るということについて、いわばどういうことなのかを簡単に示したいと思う。

 人を知ると聞いて、一般的にどのようなことが想起されるのか、自分にははっきり言って一般常識や社会通念のような知識といったものが大きく欠落しており、いわゆる世情に疎いもので広く共感されるようなものを提示することが難しいが、できる限りそうなるよう言葉を選んで書いてみようと思う。

 それは、おそらく自他の境界線を獲得し、相手の感情や価値観、背景を理解し、共感することを意味し、これにより他者との交流を通じてより自己の理解を深める、ひいては他者理解に付随したアイデンティティーの確立をすることであり、最終的かつ理想的な結果として、個人の成長や社会全体の調和にも寄与するようなことであると考える。

 最後に、強さと弱さについて、述べようと思う。

 上記の過程は理想論ではあるが、ここまで詳細な言語化、解釈はされずとも十分一般論に届き得るものであり、無意識のうちにヒトはこのようにして社会性を獲得していくものだと(少なくとも自分の観測範囲ではそう)考えられる。簡単に言うのであれば、ヒト同士の相互作用における緩衝作用の能動的振る舞いの学習である。

 これが社会的動物としてのヒトの強さ、すなわち特筆すべき能力であると同時に本懐でもあるのだろう。

 ここで登場した"強さ"という言葉だが、これは一般的な道筋を辿る生涯においては、個としての強さまでも補強するようなものになり得る。しかしながら上記のような過程を辿って生きてきた自分にとっては、その結果もたらされる社会性、判断の基準系の獲得という思考過程の大幅な改変、そして種々の要素のギャップと緩衝作用による能動的な行動抑制、これらの全てが自己を抑圧する複合因子として働き、極めて重大な"弱さ"となってしまうのであると考えられる。これらによって自分に起こったことを、簡潔に、そして実情として可視化された部分のみに焦点をあてて記述する。上記のような環境に適応し、自己完結的な世界、もとい特有の自己(及び能力の獲得、発現)を形成、発展させてきたが、社会性、他者依存的な判断の基準系の獲得によって自己の社会からの乖離を認識し、それによってそれまで世界の全てであった自己を、社会性によって強く抑圧するに至った。これはすなわち"自我の喪失"にも等しい自己判断の抑制を引き起こしたのである。

 結論としては、それまではこの自我そのものが自分の"強さ"であったが、社会性、及び他者依存的な判断の基準系の獲得、すなわち"人を知った"ことにより引き起こされた"自我の喪失"が、極めて重大な自分の"弱さ"を作りだしたということである。


 自分は、かつて有していた個としての"強さ"という複合的な性質を再び取り戻し、思考と探究の果てに自分を生きるべく、人を知り、身に付いてしまったこの"弱さ"から脱却したいと心の底から望んでいる。しかしながら私は、今はその全貌が掴めず、霞んだ輪郭をなぞろうとしている状態であるが、この社会性の獲得がいつの日か"強さ"として、私という個を規定する要素の一部、そして理解の道標となってくれることを強く望んでいる。

 この相反する思考が同時に局在しているということが、現状は自らにとって最も致命的な弱さなのだろう。

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