第40話 いたいのいたいの飛んでいけ

 家に帰ったのは十時過ぎで、案の定、姉貴はイノシシみてぇに鼻息荒くしてキレてきた。けど、オレの方は心にさざ波一つ起こらなくて、黙ってまっすぐ自室へ向かい、ピシャンとドア閉めた。電気つければ、目に馴染んだ部屋が、なぜか他人行儀に見えた。

 深く息ついてベッドの縁に腰かける。少し、人心地がついた。落ち着くと、頭が動き始め、脳裏にぼんやり今日の出来事が浮かんでくる。畔川ん家行ったこと、斗歩に話したこと、斗歩が話してくれたこと、ハーフグリーンのカード――。急に気持ちが波打ってきた。嬉しくて、悲しくて、悔しくて、あったけぇ。いろんな感情が大きくうねりながら胸ン中グルグルした。

 オレは胸に手ぇ当て、体前に折り曲げた。自分の内側で波打つ気持ち全部、ちゃんと受け止めたかった。


「すげぇ。本当に、まだ売ってんだな」

「まだっつうか、中古だけどな」

 オレが平坦な声で返しても、斗歩の目は恐竜に夢中ンなるガキみてぇに(実際似たようなモンだが)輝いたまんまだ。

 オレらの前の棚には、ズラリと歴代戦隊ヒーローのグッズが並んでた。フィギュアやカード、シール、缶バッジ、まぁ、いろいろ。そん中には『半分戦隊ハーフマン』のちっせぇフィギュアもあった。

 昨夜、『半分戦隊ハーフマン』のグッズがどっかで売ってねぇか、調べに調べた。もう製造されちゃいねぇだろうから、普通のおもちゃ売り場じゃ、手に入るわけがねぇ。それで中古品売ってるエンタメ系のリユースショップをあたった。在庫検索はネットじゃできねぇから、口コミ情報漁り、古い戦隊グッズが豊富な店見つけてやって来たってわけだ。電車で一時間かかったが、ンなこた構わなかった。『半分戦隊ハーフマン』のグッズがありゃ、それでいい。けど、もしなかったら……。電車に揺られてる間、ずっとそこが引っかかってたが、来店してみりゃ、数は少ねぇもののちゃんと目当てのグッズも置いてあり、体から力が抜けるくらいほっとした。

「あ」

 斗歩が屈んで棚の下の方にある手のひらサイズのフィギュアを摘み上げた。半分デブ、半分細マッチョの謎すぎるヒーロー、ハーフグリーンだ。

 こっち向くと、下がった目尻に明るい色が差してた。

「これ、買うよ」

「いくらだ?」

 オレがスマホ取り出しながら訊くと、斗歩はフィギュアをひっくり返した。

「お、五千円だな」

「高ッ!」

 思わず声が出ちまった。いや、五千円くらい出してやって全然いいが、このちゃちな作りのちっせぇ古い、しかも汚れたフィギュアは五千円じゃねぇだろ。だが、斗歩の野郎には驚いた気配すらねぇ。

「古くて珍しいからじゃないか?」

「需要のねぇもんに高値はつかねぇんだよ」

「じゃあ、需要があるんだな」

 ある訳ねぇだろ、こんなクソキモいモンに。出かけた言葉を喉の奥に押し込む。

「まぁ、いい。買ってやる」

 斗歩が目ぇ丸くする。

「いや、いいよ。自分で買う」

「買ってやるっつってんだろ。これは、」

 出かけた単語が小っ恥ずかしくて、声が小さくなった。プレゼントだ。

「オレ、誕生日、まだ先だぞ?」

「ンなこた知ってる。オレが買ってやりてぇンだから、おとなしくもらっとけ」

「なんで急に買いたくなったんだ?」

 しつけぇな……。どんどん熱くなってくる顔を背けた。

「恋人にプレゼント買うのに、理由なんかいらねぇだろ」

 隣の気配が緊張したのが分かった。そっと窺えば、斗歩は首の後ろに手ぇ当てて俯いてる。少し見える耳が赤くなってた。

「そういうもんか?」

「そういうもんだ」

 照れたのが自分一人じゃなかったことに気分良くなって、斗歩の頭をポンポン叩いた。

「とにかく、買ってやる」

 斗歩は顔上げてこっち見た。

「じゃあ、オレもなんか買うよ」

「あ? いらねぇよ。こんなとこで欲しいモンなんかねぇし」

「オレが買ってやりたいんだよ」

 わざわざオレの言葉なぞってきやがった。自分で言った手前反論もできねぇ。けど、マジで欲しい物なんか……と考えかけて、思い浮かんじまった。今、オレが、欲しいモン。

 深く息吸って、吐く。さざ波だった心が、ちょっと鎮まった。斗歩を見る目に力込める。

「何も買わなくていいからよ、オレが本当に欲しいモン、くれるか?」

 まん丸くなった目が見つめ返してくる。何の話か全く思い当たらねぇって面だ。オレは斗歩の服掴むと、「こっち来い」つって店の奥まで引っ張ってった。

「たかは――」

 し、の一音は、重ねられたオレの口ン中に消えた。斗歩の息の熱さが口内に広がってく。オレもオレの熱を斗歩に届けたくて、舌つき入れた。綺麗に並んだ歯をなぞり、口内をつつき回す。斗歩の唾液を舐め取ると、オレの唾液は滴った。それから、斗歩の舌探そうと、自分の舌動かした時、強い力で体引き離された。見れば、斗歩は肩で息してオレを睨んでた。

「お前、場所考えろよ」

「考えたから奥まで来たんだろ」

「欲しいものって、これか? キスしたかったのか?」

「違う」

 そっと、斗歩の体を掴んだ。

「お前が嫌ならやらねぇ。でも、もし大丈夫なんだったら――」

 高橋。遮ろうとして出たんだろう声を、オレは無視した。

「――オレはヤリてぇ。お前のこと、マジで好きなんだよ。お前とヤレるんだったら、オレが――下でも、構わねぇ。お前とだったら、オレはいいよ。だから、」

「高橋」

 ひときわ強い声だった。続く言葉飲み込んだオレに、斗歩はゆっくり話した。

「お前が嫌な訳じゃないよ。でも、無理なんだ。ごめん」

「なんでだよ?」

 優しく撫でるような、それでいて切実さが滲んだような、初めて聞く自分の声だった。頬の筋肉が強ばって、情けねぇ面ンなってんのが分かった。それでも、オレは斗歩へまっすぐ向けた目をそらさなかった。

「オレ、」

 斗歩が小さな声で言う。セックスすんの、怖い。

「は?」

 前に聞いた言葉と真逆の反応で、瞬時にその意味が捉えらんなかった。斗歩は首の後ろ手で押え、俯いて話した。

「なんでか分かんねぇけど、怖くなった。それに、どっちかっつうと、挿れる方が、怖い」

「お前、挿れられんのは嫌だっつってただろ」

 斗歩はさらに深く下向いた。首に当てた手をやたら動かして。

「聞いた時は、挿れられんのとか、マジで無理だって思ったんだ。でも、現実感なかったし、お前と話した時は別にセックスとか今の自分には遠い話って感じてた。でも、あの日――お前らが家で騒いでた日、追い返して一人ンなってから、ちょっと考えたんだ。想像、してみた。そしたら、急に、めちゃくちゃ怖くなった。挿れるのも挿れられんのも怖かったけど、挿れる方が怖かった。お前らが見てたアレ、女の人がめちゃくちゃ辛そうで。怖くて、怖すぎて――」

 勃たなくなった。

「オレのせいで勃たなくなった!?」

「高橋……!」

 斗歩は、ほとんど息みてぇな、けど焦りまくった声出した。

「デカい声で言わないでくれ、頼むから」

 ああ、わりぃ。衝撃が収まってきて、オレは静かに返したが、それでも驚いてることに変わりはねぇ。とにかく、整理しようと、今 初めて知った色々なことを頭で順に辿ってみた。斗歩は、初めはセックスについて何とも思ってなかった。けど、オレが「ヤるぞ」って持ちかけて、そのことリアルに想像してみたら、急に怖くなった。オレはその日、中学ん頃の取り巻き連中呼んで、斗歩ん家でエロビ見てた。それに斗歩はキレて、オレたち追い返した後――勃たなくなった。その次の日は――

 そこで、気がついた。

「てめぇ、もしかして体調崩して学校休んだのって、それが原因か?」

 斗歩は下唇噛んで頷いた。

 完全に誤解してた。ばあちゃんの件が原因だとばっか思ってた。けど、思い返してみりゃ、こいつの口から何が原因であの日具合悪くなったかは、聞いてなかった。斗歩が答えたのは、「金曜日に体調崩す理由」だけだ。まぁ、オレらがそれ訊いたんだから、当然なんだが。

「ばあちゃんの件じゃなかったのかよ……」

「いや、それもある。両方だ」

 なるほど。ダブルコンボだった訳か。

「ばあちゃんのことで疲れてる時に、エロい想像してんじゃねぇよ」

「しょうがないだろ。お前らがオレの部屋でAV見てたんだから。セックスすんぞって言われたその日に、あの状況見たんだぞ。それに……」

 急に声が低まった。

「好きな奴があんなモン見て抜いてたって思ったら、嫌でも想像ししちまうだろ」

 言いにくそうな口調と赤くなった顔見て、途端に心ン中でブワリと溢れ出した。あったかくて、柔らかくて、優しいモンが。初めてだった。こいつから、自発的に「好きだ」って言葉聞いたのは。オレは斗歩の腕引き寄せ、もう一度、抱きしめた。素直に胸へ顔うずめた斗歩は、けど、声の調子硬くして、言う。

「お前、オレの話、聞いてたか? オレ、怖いって――」

「ハグくらい平気だろ」

 それに、と声を深める。

「お前が挿れる方が怖いのは、人を傷つけんのが怖いからだろ。痛い思いさせちまわねぇか、苦しめちまわないか、それが怖ぇんだよ。でもよ、相手はオレだぞ?」

 オレは斗歩を掴んだまま、腕伸ばした。困ったみてぇに眉下げた顔を、まっすぐ見る。

「オレはそんなヤワじゃねぇんだよ。だから大丈夫だ」

 斗歩の目尻が少し下がった。視線が斜め下を向く。

「でも、やっぱオレは怖いよ。それに、勃たないんだから、ヤリようないだろ。もしヤるんだったら、下の方が――」

「ダメだ」

 調子強めて、遮った。

「最終的にお前が下ってのは、大賛成だ。でもな、お前は、その『怖ぇ』って気持ち克服しなきゃダメだ。それはよ、昔の傷が治ってねぇってことなんだからよ」

 そうだ。小六ン時にオレが見たあの傷は、治っちゃいねぇんだ。見た目には何ともねぇようだし、本人も平気だと思い込んでそうだけど、心ン中では治りきってねぇ。だから、ちゃんと治してやんなきゃなんねぇんだ。

 オレは斗歩の肩掴む手に力込めた。

「ちゃんと治すぞ。怖くねぇって思えるように。他人のこと傷つけちまわねぇかって、ビビんなくても良くなるように。ばあちゃんの見舞いに、前向きに通えるように」

「それ、別にセックスじゃなくてもいいんじゃないか?」

「オレは早くヤリてぇっつっただろ。ヤレてお前もトラウマ克服できりゃ、一石二鳥じゃねぇか」

「めちゃくちゃ私欲が入ってんだな」

「あー、そうだよ。文句あっか?」

 斗歩は俯くと、フッと息を漏らした。笑いやがったな。

「いや、文句ないよ。オレのためだけじゃない方が気ぃ楽だし」

 ありがとな、つってレジへ歩を向けた斗歩の腕、掴む。

「じゃあ、帰ったら、早速ヤんぞ」

 緩やかだった瞼がパッと見開かれた。

「早くないか?」

「やるって決めたら、すぐ行動すんだよ。ひよっちまわねぇうちにな」

「でも、準備とか、いろいろあるんじゃねぇのか?」

「一回目で最後までいくかよ。今日は……触り合ったり見せ合ったり、そんくらいだ」

 斗歩はデケェ手で口を覆った。

「それはそれで恥ずいな」

「これからは毎日だから、覚悟しとけよ」

「毎日なのか?」

 高くなった声がおかしい。半分冗談で言ったんだが、本気ってことにしといた方が面白そうだ。

「おー、覚悟しとけよ」

「それ、挿れる側のセリフじゃないか?」

 冷めた言葉とは裏腹に、斗歩声には笑みの気配が滲んでた。

「まぁ、オレも頑張るよ。お前がそんな体張ってくれんだもんな」

「言っとくが、オレが下なのは期間限定だぞ。てめぇがトラウマ克服するまでの」

 斗歩が目ぇ丸くする。

「そうなのか?」

「たりめーだ。オレがヤラれっぱなしで満足すっかよ」

「じゃあ、かわりばんこだな」

 妙な素直さと『かわりばんこ』なんて幼い言葉に、息が詰まった。いとおしさみてぇなモンが胸に突き上げてくる。つい顔背けたが、斗歩はこっちの眩しい気持ちを察する能力が異様に低い。この会話の流れに全くそぐわない、斜め方向の話題、ぶん投げてきた。

「そういや、お前、田井と北島さんが付き合うことになったの、知ってるか?」

「は?」

 声が喉でひっくり返った。ムードや感情に不釣り合いな上に、全く予期してなかった情報が飛び出したからだ。

「なんでそうなんだよ?」

「北島さんに告白されたんだって」

「は!?」

 さっきより、さらに素っ頓狂な声が出ちまった。

「なんでだよ? 田井の方が惚れてたんじゃねぇのか?」

 北島も田井のこと、初めから好きだったのか? そう思ったが、斗歩の話は違った。

「オレもびっくりしたんだけど、ぶん殴られてたお前を助けに行った田井が、北島さんにはかっこよく見えたんだってさ。それと、お前ら、何か話したんだろ? いじめがどうとか、そんなようなこと。そん時に、田井が言ってたこと聞いて、北島さんは感動した? らしいぞ。学校行けなくなった頃の自分に、優しい言葉かけてもらえたみたいで、すごく嬉しかったんだってよ。何て言ったかは知らないけど」

 一体、何だ? 畔川のこと話した時、田井が言ってたこと。記憶の糸を辿って、一番初めに見つけたのは、まっすぐな眼差しでオレの背ぇ押した言葉だった。

『謝りに行ってあげてほしい。そうすれば、君にいじめられてたっていう彼の弟は、安心すると思う』

 そうだ。あいつのおかげで、オレは畔川に謝りに行こうって気になれたんだ。思い出すと、田井の恋が実ったことが嬉しくなった。あいつの優しさは、ちゃんと「優しさ」として受け取られたんだ。

 明日も、謝りに行こう。会えるまで、畔川にちゃんと謝れるまで、何度でも行こう。そう思うと、体の底に力がこもった。

「良かったな」

 オレが言うと、斗歩はきょとんとした。

「珍しいな」

「あ? 悪ぃか?」

 喧嘩腰に語尾上げて返しても、斗歩は怯みもしない。口の端を少し持ち上げ、

「悪くない。田井みたいないい奴のこと認めてもらえんの、嬉しいよな」

 ああって返し、今度はオレがレジへ歩を向ける。

「とにかく、買って帰んぞ」

「ああ」

 斗歩が後ろをついてくる。

 帰ったら、見せ合ったり、触り合ったり。キスしかしたことなかったオレらの、第二フェーズだ。手ぇ取り合ったりハグしたり、唇と唇重ねたりした時に感じた体温も心地良かったが、これからやろうとしてんのは、もっともっと深いとこにある熱を届け合う行為だ。斗歩の熱を感じられるし、オレの熱を届けられる。それに、斗歩の怖ぇって気持ちに、たぶん、オレは直接触れる。傷口触って、余計に痛くさせちまうかもしれねぇ。それでも、そういうのを「大丈夫だ」ってオレの気持ちで包んでやることも、きっとできる。完璧じゃなくていい。ただ、こいつの痛さの半分くらいは、和らげてやりてぇ。そういうこいつのヒーローに、オレはなりたい。

 会計済ませて、電車に乗る。疲れたのか座ってすぐ寝ちまった斗歩の手には、ハーフグリーンのフィギュアが握られてた。その上へ、オレは手ぇ重ね、そっと握る。ファーンって音鳴らして、電車はオレらを運んでった。

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オレはこいつの半分ヒーロー ぞぞ @Zooey

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