第9話 嬉しいような、懐かしむような、切ないような、なくなりかけた幸せを見つめるような

 夕方の赤い陽がベランダの窓から差し込んでる。それと一緒んなって入ってくる空気が冷たくて、オレはベッドへ仰向けた体起こし、声尖らせた。

「てめぇ、なんで窓側にベッド置いてんだよ?」

「あー、元々壁側にあったんだけど、そっちに寄せといた方が部屋広く使えっから」

 呑気な調子で言いながら、台所にいた斗歩がこっちにやってきた。オレは、はぁって息ついた。

「冬んなって、凍死しろ」

「しないよ」

「比喩だっての。死ぬほど寒い思いしたくなかったら他ンとこ移せ」

 斗歩は折り畳み式のちっせぇテーブルに、菓子の入った器を載っけた。

「お前が寒いんなら、移すよ」

「オレの話じゃねぇんだよ」

 つってベッドから立ち上がって菓子引っ掴んだ。かじると外側のカリッとした歯触りに続けて、中のジューシーな甘さとナッツ系の香ばしさが来て、つい頬が緩んじまった。

「うまいか?」

 菓子の甘さに心が解れかかったと見抜かれた気がして、返す口調が強くなった。

「あめぇ」

「そっか」

 斗歩は素っ気ない声で言って、自分でも焼き菓子を手に取る。

「オレは結構、これ好きなんだ」

 ふーんっつって、オレはちっせぇ口で菓子かじる斗歩見つめた。こいつは、いっつもこんな狭ぇ部屋、ちっせぇテーブルで菓子食ったりしてんのかな。一人っきりで。


 あの校舎裏での一件の後、オレらはよくつるむようんなった。一緒に授業サボったのが良かったのかもしんねぇ。二人で何話すでもなくブラブラ歩いて、何となく、お互いがお互いの隣にいる空気に慣れた。すぐ横に他人の体温があって、それでも、さして相手のこと気にする必要がねぇって雰囲気が、心地良かった。一人でいる時と大差ねぇのに、一人でいる時よりちゃんとあったけぇ感じがして、落ち着いた。

 何日かすっと、斗歩にオレん家来ねぇかって、誘われた。

 無理やりキスしてきた男相手に、いい度胸だな、行ってやる。そういう好戦的な気持ちに駆られたが、すぐにそれはしぼんでった。「二人きり」じゃねぇ可能性に、めちゃくちゃ身構えた。

 クラスメイトん家とはいえ、その家族は赤の他人。まして「里親」とか言われたら、気まずいに決まってる。けど、斗歩はケロリと「平気だよ」なんて抜かしてきた。聞けば、奴の里親ん家は県外にあるらしく、高校に入ってから学校の近くに下宿してるって話だった。行くとマジで一人暮らししてやがって、マジで羨ましくなった。薄い壁一枚挟んで凶暴メスゴリラと暮らさなきゃなんねぇオレからしたら、とんでもねぇ贅沢だ。

 けど、斗歩の部屋があんまり狭くて、あんまり静かで、あんまり薄暗くて、あんまり生活の温度感じらんなくて、考えちまった。こいつを一人で置いといちゃ、いけねぇんじゃねぇかって。もう、斗歩の警戒心の薄さ、強引にキスしてきた相手を平気で家に入れる舐めっぷり、に対する負けん気なんて、どっか行っちまってた。

 それで、オレはしょっちゅう斗歩の家に出入りするようんなった。ガキの頃のいろいろで気持ち塞いじまってる時、傍に誰もいねぇのは斗歩が危ねぇ。オレ以外の他人が傍にいんのは――オレが危ねぇ。


 視線の先へ意識向ける。斗歩の横顔は焼き菓子頬張ってモゴモゴやってても、大きく崩れたりしねぇ。しねぇけど、でもいつものすました表情で片頬だけ膨らませてるこいつ見てると、何つーか、ちょっとむず痒くなってくる。

 オレは目ぇそらし、うっかり感じちまった恥ずかしさみてぇなモン引っ込めようと、話振ってみた。

「この菓子、どうしたんだよ? 結構、イイやつじゃねぇのか?」

「姉さんと兄さんが持ってきてくれたんだ」

「は?」

 思わず、菓子口に放り込もうとしてた手ぇ止めてた。オレの疑問察したらしく、斗歩は口角を雰囲気程度に上げて、説明した。

「今、上にきょうだい、二人いてさ。引越し祝いにって、持ってきてくれたやつなんだ」

 オレの方向いてた目が、伏せられる。斗歩は菓子つまみ上げ、それ相手に話すみてぇに続けた。

「前に姉さんが会社の人からお土産に貰ってきたんだ。そん時、オレの食いつき良かったからって、わざわざ遠くまで買いに行ってくれたんだってさ。ありがたいよな」

「あー、そうかよ」

 言いながら、スティック状の菓子丸々一本口に入れてモゴモゴやった。斗歩へ意識向ければ、遠くを眺めるような細めた目で菓子を見つめるばっか。好物だってんなら、食えっての。

 そう思うと、急に斗歩の顔へ昔の面影が重なって見えた。今も童顔だが、それよりももっと「少年」って感じのあどけねぇ顔の輪郭と細い首した、ガキの頃の面が。すごく嬉しいような、懐かしむような、どことなく切ないような、なくなりかけた幸せを見つめるような、そんな感じの眼差しが頭ン中によみがえってきた。


 確か、十二月半ばの寒い日だった。オレは長袖のTシャツにウィンドブレーカーって薄着で、ピンと張り詰めた朝の空気を切って走ってた。学校の近くまで行くと、前にやたら分厚いセーターを着た野郎の背中が見えた。

「おい、斗歩くんよぉ! ずいぶんあったかそーなの着てんじゃねぇか!」

 ダッセぇセーターってニュアンス込めて言ったのもあって、冷てぇ敵意が返ってくるもんだと思ってた。けど、きょとんとして振り返った斗歩は、すぐ瞼をゆるめ、頬に嬉しそうな気配滲ませた。反面、目にはどっか寂しげな陰が過ぎった気がした。

「うん、おばあちゃんが作ってくれたんだ」

 ちょっとの間、オレは無意識にその顔を見つめてた。思いがけない表情に、言葉に、なんか、こう、胸ん中でポッと何かが灯った感じがした。

 あ? って自分の尻上がりんなった声が聞こえて、やっと我に返り口調荒らげた。

「はっ! ババアが作ったから、そんなダセェんだな!」

 それまで朗らかだった表情が、急に分厚い暗雲立ち込めたみてぇに険しくなった。

「お前、本当に性格悪いんだな」

 言いきらないうちから、斗歩は前向いて歩きだしてた。その背中を、オレはしばらく、じっと見てた。


 ガキの頃の後ろ姿を脳裏に浮かべながら、目の前の斗歩へ意識戻す。ようやく菓子かじり始めたその口は、やっぱ小さくて、そこだけはサイズ変わんねぇんだなと思った。

 そんで、頭によみがえってきた出来事と、現在を重ねてみた。

 今、斗歩の「おばあちゃん」はどこにいんだ? 小学生ン頃、こいつが唯一嬉しそうに話してた人。歳も歳だろうから、死んじまってても不思議じゃねぇが、そもそも、こいつは「おばあちゃん」に会えなくなってんじゃねぇか? よくは分かんねぇが、里親ンとこで世話になるってのは、そういうことだろう。聞いてみてぇ気もしたが、「おばあちゃん」のこと話してたのと同じような表情で今の家族から貰った菓子食ってる斗歩見てたら、疑問の言葉は全部喉の奥へ引っ込んじまった。

 仕方なく、オレは盛大に息ついて気持ち切り替えっと、頭ワシワシ掻き、違う話題投げた。

「てめぇ、今日もバイトあんだろ? 行かねぇのかよ?」

「え? もうそんな時間か?」

 斗歩はスマホ見た。

「あと十分くらいしたら出るよ」

 呑気に頬杖ついて、また菓子かじり始めた斗歩に、オレは聞いた。

「終わんの、何時だ?」

「ん? 遅そいぞ。十時まであるし、片付けとか支度も考えたら、出れんのは十一時くらいだと思う」

「じゃあ、その頃行く」

 斗歩は目ぇ丸くしてオレの方向いた。

「なんでだ?」

「飯食うぞ」

「え?」

 頬杖付いてた手ぇ机に置いて、斗歩は不思議そうに眉間寄せた。

「腹減んだろ。オレに合わせなくていいよ。つーか、家で用意されんじゃ――」

「オレがいいっつってんだから、いいんだよ」

 口調強めて遮ると、斗歩は首の後ろに手ぇ当てて顔逸らした。

「分かった」

 嫌そうな素振りに見えて、ムカついた。

「嫌なら嫌って言いやがれ、クソ野郎」

「嫌じゃないよ」

 斗歩は小テーブルへ視線貼り付けたまんま、応えてくる。

「ただ、なんでお前がそうやってオレに構ってくれるか、分かんないだけだ」

「ああ、そうかよ。構われて迷惑か」

「そんなこと言ってないだろ」

 斗歩は、肩上下させて大きく息吐いた。

「むしろ、お前が迷惑じゃないかなって。お前、昔っから面倒見良いから、無理してないかなって」

「あ? 迷惑なら自分から言わねぇっての。つか、オレがいつ、てめぇの世話焼いたんだよ?」

 言いながら、頭の隅を「あの時のこと」が掠めて首筋が寒くなった。こいつを連れて、あそこから逃げた時のこと。けど、返ってきたのは全然違う時の話だった。

「走り方、教えてくれただろ。初めて会った時」

 脳を揺さぶられるくらいの衝撃が来た。胸もドキドキし始める。それ抑えて、斗歩から目ぇ逸らした。

「別に、何も教えてねぇだろ。てめぇ、初めっから足速かったじゃねぇか」

「うん、でも嬉しかったんだ」

「あー、そうかよ」

 乱暴に言うと、オレは立ち上がって床に放ってたスクバ担いだ。

「とりあえず、迷惑でも何でもねぇ。クソな心配すんじゃねぇ。バイト終わったら行くからな」

「ああ、悪いな」

「悪くねぇっつってんだろ、死ね」

 背中向けて外出ると、閉まるドアに「死なないよ」って斗歩の返事が飲み込まれた。

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