第7話 「澤上斗歩は高橋智也のことが好きです!」
その日の夜は、なかなか寝付けなかった。いろんな斗歩の言葉が、次々頭によみがえってはリフレインしてた。さらに悪いことに、しばらくするとあいつの顔まで――ぐっと下げた眉まで見えてきた。そんでその面は、小学生ン時のあいつを彷彿とさせた。あの頃の斗歩はいつも不機嫌そうで、でもよく見ると、ちょっとの間も休まらないって感じの恐怖みてぇなモンを、常にその目に宿してた。今はオレがあの顔させたんだと思うと、もうどうしようもなくムシャクシャした。
あぁぁぁぁあ――って頭掻きむしって、もだもだした思いを声にすっと、
「うるっさいわッ!」
クソでけぇ声で怒鳴りつけられた。
「夜中に喚くな! あたし、明日早ぇんだよ!」
姉貴だ。隣の部屋で寝てるはずの。到底、女とは思えない太くて汚ぇ口調にイライラした。つい、返す語気も強まっちまう。
「うるせぇんだよ! どうせラインでくだらねぇやりとりしてたんだろ。寝不足人のせいにすんじゃ――」
続きはドンッて音に遮られた。薄い壁と空気がジィンと震えた。
「うるせぇのは、そっちだろが。これ以上、あたしの睡眠妨げたら、マジでシバくよ」
「てめぇで突っかかってきといて、何言ってやがる」
「ああ?」
語尾を乱暴に上げた声が返ってきた。どこのヤンキーだよ。脅し方が女じゃねぇんだよ。オレは息ついて頭から布団かぶった。
「もういい。オレぁ寝る。一人で騒いでろよ」
「騒いでたのはお前だろ!」
姉貴の文句が布団越しにくぐもって聞こえた。どうでもいい。一人でキレて、喚いて、寝坊して、キモい上司にドヤされてこい。そう思って、目ぇ閉じた。
朝、スニーカーに足突っ込んで玄関ドアを開けっと、陽光が目ぇ突き刺すくらいに鋭く照りつけてきた。薄目で見上げれば、ところどころ雲の浮かんだ青空から、日射しが帯びみてぇに何本にもなって伸びてる。オレの心境に全く配慮しねぇ空の陽気さに、めちゃくちゃ腹立った。
クソ、って口ん中で言って歩きだすと、視界の隅にカーポートが映る。いつもは車の横に姉貴の原チャが置いてあんだが、この日はなかった。つーことは、と気がつく。姉貴は遅刻しそうだからって、電車じゃなく慌てて原チャで出かけたってことだ。いい気味だと思うとちょっと気持ちが晴れて、口角上がった。
道すがら、オレはずっと考えてた。何考えてたかってのは、よく分かんねぇ。けど、ずっと、ぐるぐる、ぐるぐる、いろんなこと思い浮かべて消してを繰り返してた。前日の斗歩の顔とか、ガキの頃の斗歩の様子とか、斗歩と一緒に走った日のこととか、手に感じた斗歩の体温とか。そうしてても、十数日でしっかり学校までの道筋覚えた足は、自動でどんどん進んでった。浮かんでくるくだらねぇ考え事以外は、何一つ意識してなかった。オレの目はいろんな景色を捉えてたけど、頭には全く入って来てなかったし、音なんか、それこそちっとも気にならなかった。
「たーかーはーしっ!」
呼ばれてたことに気がついたのは、間近で、とんでもなくでけぇ声出されたからだ。びっくりして振り返れば、ニヤニヤしたジャージ女がいた。
「あんた、何回呼んでも気づかないんだから。昨日のことで浮かれてんじゃないの?」
「あ?」
ムカついて眉間に力が入った。でも、ジャージ女のヘラヘラ顔は崩れねぇ。
「だって、あんた、あの後図書室行って澤上連れ出したんでしょ? その後、視聴覚室に入ってくあんたら見た人もいるしさぁ」
そこで、声がさらに熱っぽくなった。
「で、その後は? もしかして、ポッキーゲームのリベンジでチューしたの?」
「は?」
って応えた次の時に、ようやく理解が追いついてきた。チュー? チューしたか? 斗歩と? キスしたかどうか?
頭ん中で言葉にした途端、唇に柔らかな感触がよみがえってきた。あったけぇ温度と、少し湿った感じ。唇同士が触れ合ったことで、自分の唇の柔らかさまで分かってしまった、あの数秒間。ムカつきやら悔しさやら不甲斐なさやら自己嫌悪やらで意識の外にあったが、改めて思い返すと、なんだか――すごかった。つーか、なんであんなことしたんだか、全然分かんねぇ……。
顔面に熱が駆け上ってきて、つい口に手ぇ当ててうつむいた。
「その反応はやったな! ちょっと! やるじゃん! 話聞かせてよ!」
「なんでてめぇに話すんだよ!」
声が喉でひっくり返って、もう耳まで熱くなっちまった。
なぜかジャージ女の頬も赤くなってた。オレの前へ回り両手広げる。
「脈アリだって教えたのも、居場所教えたのも、あたし。教えなきゃ、ここどかないよ」
「頼んでねぇんだよ! 勝手に教えてきたくせに何抜かしてやがる。つか、邪魔すんな。話すこともねぇ。あいつは……」
途中で言葉が詰まった。あいつは、オレのこと、何とも思っちゃいなかった。たったそれだけのことを、声にするのがしんどかった。
一回目ぇ閉じて深呼吸し、波打った気持ちを平たくした。
「お前が期待してるようなことは、何にも――」
「高橋」
背中から、静かなイケボで呼びかけられた。なんつーか、吐息混じりの、しっとりした低い声だ。すぐに誰か分かって、心臓が縮んだ。つか、このタイミングで来んじゃねぇ。
「気安く話しかけんな」
オレが見向きもせずに言うと、ジャージ女が声ひそめ「ちょっと」って、肘で小突いてきた。
「チャンスじゃん。話しなよ」
うるせぇって気持ちを、奥歯で噛み込んだ。チャンスでもなんでもねぇ。こいつがオレに馴れ馴れしく話しかけてくんのは、オレに対して特別なモン感じちゃいねぇからだ。あんなことがあって、こっちはどんな顔したらいいか分かんねぇくらい、気まずくなってんのに。
オレは大きく息吐き出し、斗歩の方向いた。うつむいてはいたが、しっかり腹は決めてた。言ってやる。興味もねぇのに構ってくんじゃねぇって。迷惑だって。敵を迎えうつみてぇに気持ち奮い立たせて顔上げ、斗歩の目ぇまっすぐ見る――と、途端に舌の上に載りかかってた言葉が消えた。
斗歩の野郎、瞳の輪郭分かるくらい目ぇ見張ってやがった。
「ごめん、一人じゃなかったんだ」
斗歩の言葉聞いて、やっと気づいた。奴の目にはオレの背中に隠れてジャージ女が見えてなかったんだ。
斗歩は瞼伏せると「いいや、何でもない」つって、オレたちを追い越してった。ズボンのポケットに手ぇ突っ込んだ後ろ姿は、すぐに他の生徒の中へ紛れてった。
「ね! 今の顔、見た?」
「あ?」
オレが声尖らせても、ジャージ女はあけすけな好奇心を隠しもしなかった。
「澤上、ちょっと悲しそうな顔、してなかった? 元気ない感じっていうか。これ、あれじゃん。好きな相手にカノジョがいるって思って傷付いちゃった系じゃない?」
「違ぇだろ」
だいたい、てめぇがカノジョとか冗談がキツすぎる。
「違くないって! あの顔は失恋顔! つまり、澤上斗歩は高橋智也のことが好きです!」
「なんでそうなんだよ」
顔伏せチッと舌打ちして、歩を学校へ向けた。ズンズン後ろに流れてく粗いアスファルトの道が、遠くに見える。オレの頭ん中は目に映る物なんかじゃなく、さっきの斗歩の顔で一杯んなってた。
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