第28話 ヤるヤラれる論争の始まり
しくじった。完全に、やっちまった。
帰宅してすぐ自室に籠ったオレは、頭抱えてた。どう考えてもやらかした。斗歩を昔の辛い記憶から解放してやろうと思ってたのに、逆に思いっきり暗い過去へ突き落とすようなこと、言っちまった。ちくしょう、と思って目ぇ閉じれば、小一時間前に見た斗歩の顔が浮かんできた。目ぇカッと開いてんのに、眉は八の字に歪んでる。薄く開いた口を気持ち噛み殺すみてぇにギュッと引き結ぶ。そういうあいつの表情が、瞼に焼き込まれたのかと思うほど鮮明に見えてきた。そんで、声も聞こえてきた。
入院してた。
「おばあちゃん」は体調悪かったのか? それで、あいつの傍にいれないうちに、あんなことんなっちまったのか? なら、その後は? 「あの事件」があった後、おばあちゃんはどうしたんだ?
昔あったことと今の状況。グチャグチャに絡まり合ってたそれらン中の一本を辿るみてぇに、考えた。もし入院が一時的なモンだったら、たぶんあいつは里親んとこには行ってねぇ。施設かなんかに入ったとしても、「おばあちゃん」が退院するまでの間ってことになんだろう。父親がダメでも祖母が保護者になれんだから。そうなってねぇのは、「おばあちゃん」が入院しっぱなしだったか、死んじまったかって考えんのが妥当だ。
けど、と別の考えが浮かんだ。
もし「おばあちゃん」が「あいつ」と――斗歩の虐待親父と離れて暮らせねぇ状況だったら、どうなんだ? 高齢で持病かなんかがあるってんなら、そういう可能性も捨てきれねぇ。生きてて退院もしてるが、斗歩を手放すしかなかったってことも、有り得んのかもしれねぇ。
一つ例外が思い浮かぶと、次から次へと別の考えが湧き出てくる。オレは頭振って勝手な想像を払いのけた。嫌な気持ちが突き上げてきたからだ。
これじゃあ、あの頃の、野次馬根性丸出しのクソどもと、変わらねぇ。
六年生の夏、運動会直後から急に学校へ来なくなった斗歩がそのまま転校しちまうと、学校の大人どもは口を揃えて「家庭の事情」って説明した。けど、斗歩ん家の前にパトカーが何台もやって来たとか、親父が逮捕されたとかで、すぐに噂が広まった。
友矢斗歩って奴いたじゃん? あいつ、父親に虐待されて、半殺しの目にあったらしいよ。
学校の奴らは、事実と妄想をごちゃごちゃにして、卒業までずっと、斗歩のことを話題にした。「いつも怪我してたし、きっと毎日殴られてたんだろうな」とか、「飯も食わしてもらってなかったのかな」とか。ひでぇ奴は、こんなことさえ言い出した。
あいつん家、母親いないから、親父はあいつを「使ってた」んだぜ、きっと。
暗に示された「使ってた」の意味を、みんなが理解してた。
しょっちゅう「使われてた」のに、あんな普通の顔して学校来てたんだよな。カワイソーだなー。
かわいそう、と言いつつ、その声には笑いの含みがあった。他のみんなもそうだ。虐待されていたという元同級生に対して、奴らは容赦なく、あけすけに残酷な好奇心を向けた。クソだ。マジでクソだ。勝手な想像で人が抱えてるモン小突き回しやがって。
オレは噂話を黙って聴きながら、ぐっと拳を握り込んでた。オレが見たものは奴らが話してたようなモンじゃなかった。事実かどうかは目撃したオレですら分からねぇ。全くの憶測でしかねぇ。憶測でしかねぇのに、平気でそれを事実に置き換えて話してやがる。悪意もなくヘラヘラ笑ってこんな話ができる奴らを、軽蔑した。
けど、その時のオレは腹の底からせり上がってくる怒りを抑えつけることしかできなかった。自分の中の何がそうしたのかは、今でも分からねぇ。とにかく、オレは辛い目にあってた斗歩が、そのことで笑いのネタにされてんのを、ただ聞いてるしかできなかった。
うどん屋で「おばあちゃん」の話して以降も、斗歩に気にした素振りはなかった。でも、オレの心は鉛飲み込んだみてぇに重くて、翌週の月曜ンなるとすぐ、斗歩呼び出した。
「こないだのことだけどよ」
斗歩は、きょとんとしてた。まるで心当たりがないって言いたげな様子に拍子抜けしながらも、オレは続けた。
「てめぇのばあちゃんのことで、余計なこと言っただろ。悪かった」
斗歩はさらに目ぇ見張った。けど、瞬きの間に瞼が緩んだ。
「いいよ。もっともな疑問だし。つか、気にしてくれてたんだな。ありがとな」
「気にしてねぇ」
ぶわっと顔面が熱くなり、目ぇ逸らしてぶっきらぼうに返した。
つーかさ、と斗歩のもともと静かな口調が、さらに抑え気味になる。
「こんなとこ連れてくっから、またキスされんのかと思って、緊張した」
胸が大きく打った。耳がジンジンして真っ赤んなっちまったのが自分で分かったが、そういう恥ずかしさよりも、斗歩の表情見てぇって気持ちのが強かった。顔上げて窺えば、奴は手で口押さえ、俯いてた。髪の隙間から見える耳が赤くなってた。
腹の底からムラムラしたモンがせり上がってきた。オレは斗歩へ迫って、体を壁へ押し当てた。目ぇパチパチするその顔へ顔寄せる、と、見計らったかのように「キーンコーン」って予鈴が鳴った。
チッ。心ん中で舌打ちし、斗歩の耳元でささやく。
「後で覚えてろよ」
朝っぱらから、そそられた。いつもは服の下、体の底の底にある性欲が急に上ってきて、行き場なく全身さまよってる感じだった。
この日の始まりは、自責で一杯だったはずだ。なのに、斗歩のたった一言と、赤くなった顔見ただけで、いっぺんにエロい気分が取って代わった。
だいたい、オレは斗歩と両思いだって分かってからは、ずっとどこかで考えてた。斗歩とヤるってことを。他に気になることがあり過ぎて、意識向けることは少なかった。それに、万が一、億が一、小学生の頃の噂話が本当だったら――あの虐待クソ親父が斗歩をレイプしてたとしたら、あいつにはそういうことすんのはキツイかもしんねぇって気持ちが、ブレーキかけてもいた。それでも、胸ン中には常に「いつか斗歩とヤりてぇ」って思いはあった。それが心のド真ん中に浮上してきて、オレは腹括った。あいつが「おばあちゃん」のことも、過去にあった色々も、全部忘れちまえるように、そんなことに囚われねぇでオレだけ見てられるように、ヤッちまおうって。グチャグチャ考えても、しょうがねぇ。キツそうだったら、やめりゃいい。そもそも、決めてたじゃねぇか。あいつが嫌なこと全部忘れられるくらい心浸せるモンに、オレがなってやるって。そうすんだよ。そう、してやるんだ。
「おい、今日、バイトから帰ってきたら、ヤるぞ」
夕方、斗歩の部屋で二人ダラダラ過ごしてる時に、オレは口を切った。斗歩が首傾げる。
「何をだ?」
「セックスに決まってんだろ」
こっち向いたまんまの目には、驚きも羞恥も気配ほどにも差さなかった。
「なんでだ?」
なんでだ??
頭ん中で、斗歩の言葉繰り返した。驚きや不満や苛立ちや疑問を、ありったけ込めて。なんでだって、逆になんでその反応なんだよ? 付き合ってりゃ、いつかそういうことになるって思いそうなモンじゃねぇか? だいたい、朝はキスされるかと思ったっつって真っ赤んなってた奴が、なんでセックスって単語目の前に叩きつけられて平気な面してやがる。
「てめぇ、キスにはめちゃくちゃ動揺するくせに、なんでセックスするっつってもケロッとしてんだよ?」
「ああ、そういや、そうだな」
斗歩は、うーんと考えるように顎に手ぇ当てた。
「現実感、ないからかな。オレ、セックスなんかしたことないし」
ドクッと大きく心臓が脈打った。
「したこと、ねぇのか?」
斗歩は、また目ぇ丸くした。
「ないよ。つーか、あると思ってたのか? お前ン中のオレのイメージ、すごいんだな」
「別にすごかねぇ」
安心して、声からも力が抜けてた。
ふぅー、と深く息をつき、斗歩の顔をまっすぐに見た。
「じゃあ、てめぇにとっては、オレが初めてってことになんだな」
ゆっくり手ぇ伸ばし、白くて滑らかな頬に触れる。
「あんあん鳴くくらいかわいがってやるよ」
意識的に口の端持ち上げ、挑発してやった。けど、斗歩は眉一つ動かさねぇ。
「でも、やるんだったら準備とか、あんだろ? オレ、男同士のやり方とか、よく分かんないし」
「あ? ビビってんのか?」
「ああ、多少はビビるが、それより正直何をどうやったらいいか、全然分かんねぇ。だいたい、今日はこれからバイトがあるし」
舌打ちしてぇ気分ンなった。自分でケロリと「ビビる」って言えるくらい、こいつはビビってねぇ。緊張してねぇ。それが癪だった。
オレは斗歩の頬に当てた手を奴の首の後ろへ持っていき、ぐっと引き寄せた。ゴツンと軽い音立てて、額と額がぶつかる。
「舐めてんのか? てめぇ」
「舐めてないよ。なんでこの話の流れで、そうなる?」
「相ッ変わらず鈍いな、てめぇは」
オレはちょっと顔動かし、一瞬触れるくらいの短いキスして、斗歩を引き離した。目の前で、赤くなった顔が下を向く。マジでキスには照れんだよな、こいつ。
「こんな軽いお子様なキスでドギマギしてんじゃあ、ヤッたらえらいことになりそうだな」
斗歩が伏せてた目ぇこっち向けた。その眉間は、やっと険しくなった。
「お前、そうやって人煽んの、やめろ」
「煽ってねぇよ。事実言っただけだ」
ゆっくり、片方の口角上げた。
「それに準備なんて心配いらねぇんだよ。オレが調べてるし、ゴムも持ってる」
斗歩が目ぇ見張った。
「ゴムって……それ、サイズとかあんだろ? オレのサイズと違――」
「てめぇ、まさか自分が入れる側だと思ってんのか?」
斗歩は、全く予期してなかった言葉聞いたとばかりに、目ぇまん丸くした。
「え? 違うのか?」
* * *
『まだ早いよ』
たった一言で、どっちが挿れるのかって話に幕下ろされちまった。
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