第3話 犬と猫が喧嘩した
かけっこで負けたあの日以降、斗歩が公園に現れることはなかった。毎日毎日、遊びに行く度に、あいついねぇかな、今日は来てねぇのかなってキョロキョロしたが、猫顔のチビはどこにも見当たらねぇ。一年が過ぎて小学生んなって、二年過ぎて学年上がって、三年過ぎて六時間授業が始まって――。だんだんに鮮明だった斗歩の記憶も悔しさも薄れ、そう言えばあんなことあったな、くらいんなってった。
予期せぬ再会は五年生の時だった。ちょうど、二学期のスタートする九月の初めにやって来た転校生の姿が、おぼろげだったガキの頃の記憶へ重なった。背が低くて、整った猫っぽい顔。口が小さくて、頬には五歳だった頃の丸みを少し残してたが、幅広の吊った目は真剣……つーか不機嫌そうで、その鋭さがあどけない雰囲気をごっそり消し去ってた。
友矢斗歩です。よろしくお願いします。
斗歩はみんなの前に立ち、いかにも声変わり途中って感じの掠れ声でボソボソ言った。それ以外は何にも言わねぇ。シンプル過ぎる自己紹介に教室がさざ波だった時、隣にいた担任が口開いた。得意な教科は? とか、好きなスポーツは? なんて訊いてたのを、ぼんやり覚えてる。斗歩の答えは全く記憶にないが、おそらく「ないです」とか「別に」とか、そんな言葉だったんだろう。当時の斗歩は、そういう奴だった。
今でもはっきり覚えてるのは、担任のババアが暴露した、余計すぎる情報だ。
「友矢くんのお家は、お母さんがいません。みんな、親切にしてあげてね」
みんなが「へぇ」と呑気な声を上げる中、斗歩は俯いて、少しだけ下唇を噛んでいた。
「おいおい、斗歩くんよぉ!」
休み時間が始まるなり、オレは斗歩に突っかかりに行った。
「お前、昔会ったメソメソ泣いてる雑魚いチビとそっくりなんだけど、違うか?」
机に突っ伏して寝てた斗歩は、重そうに頭持ち上げた。チラッとオレを見ると、すぐに目ぇ逸らす。
「さぁ」
「さぁ、じゃねぇよ。顔も名前も全く同じだぞ? 覚えてんだろ? 苗字も名前も『と』から始まってて気持悪ぃって、オレ、言ったよな? あの頃は目つき悪いくせにオドオドしてやがったけど、今はずいぶん感じも悪いンだなぁ。みっともなさ過ぎてキャラ変したのか?」
こっちをまともに見もしねぇことに心底ムカついてたオレは、煽りまくった。斗歩は、不愉快そうに眉しかめて、頬杖つきながら返してきた。
「お前、めんどくさい。話しかけんな」
体ん底から、真っ赤な気持ちが突き上げてきた。
「てめぇ、なんだよ、その態度は。バカにしてんのか?」
喧嘩腰に荒らげた声が教室に響いて、いつもつるんでるクラスメイトが寄ってきた。
「おい、高橋。転校生とケンカすんなって」
「うるせぇ」
オレは肩にかけられた手を払いのけ、斗歩の髪掴んで引っ張った。
「こっち向けよ、クソ野郎」
「ってぇな」
斗歩は低い声で言い、オレの手ぇ掴み返してきた。
「なんでいきなり突っかかってくんだよ? 昔、会ってたからって、何だってんだよ? オレ、お前に何もしてないだろ?」
しただろうが……。その言葉をぐっと飲み込んだ。一度、かけっこで負けた。そんな程度のことをオレの方だけ気にしてるなんて、口にできなかった。
「何もしてねぇのが悪ぃんだよ。昔、会った奴がクラスにいんのに挨拶もないとか、感じ悪いに決まってんだろ」
斗歩は深く息をついて、眉寄せたまま目ぇ閉じた。
「分かったよ。久しぶり。これでいいか?」
「あ? いいわけねぇだろ。めんどくせぇって思いっきり態度に出てんじゃねぇか」
再会後、初めてのやり取りは、そんな風だった。オレらの睨み合いを止めたのは担任で、オレは転校生をいきなりいじめたってことで、こっぴどく叱られた。一方の斗歩は担任やクラスの女子たちから「大丈夫?」だの「困ったことあったら相談して」だの、そんなチンケな慰めの言葉をかけられてた。
翌日、オレは胸くそ悪い気持ちで登校した。音が鳴るくらい乱暴に席へ座り、足を机に載っける。そうすっと、急に話しかけられた。声変わりの途中って感じの、掠れた声で。
「高橋、昨日、悪かった」
はっとなり、気づくとオレは椅子から足下ろして、真っ直ぐ声の方見てた。そんで、二度驚く羽目んなった。なぜかいきなり謝ってきた斗歩の顔は、前日にはなかった絆創膏がベタベタ貼り付けてあったからだ。片方の口角と頬、それに鼻の付け根辺りだったと思う。初めて会った時の、ガーゼと絆創膏だらけの、あの頃の面影がいっぺんに色濃くなった。
斗歩はちょっと横に目ぇ逸らすと、だから、と続けた。
「もう、あんまオレに突っかかんないでくれ。頼むから」
言い切ると、斗歩はオレの返事も待たずに背中向け、離れてった。
それから、オレと斗歩は冷戦期間に入った。五年生の残りの七ヶ月はほとんど話さなかったし、たまにオレが喧嘩売っても、そのだいたいが無視された。六年生んなってクラス離れると、顔合わせることもあんまなくなった。
けど、その年の五月、オレの斗歩に対する対抗心に再び火がつくことんなった。運動会で、二人ともリレーのアンカーに選ばれたって分かったんだ。オレは今度こそ絶対に負けねぇって決めて、すげぇ特訓した。一からフォームも直そうと、足速くなる方法を書いた本まで買った。その本通りに、三週間、毎日毎日走る練習して迎えた運動会本番。オレは斗歩よりも、コンマ一秒にも満たないだろう僅かの差で、先にゴールのテープを切った。
その日を境に、斗歩は学校に来なくなった。そして、そのまま転校していった。
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