第27話 センシティブなとこ

 養護のババアから斗歩が手当受けてる間、オレはベッドに腰掛けてスマホ見てた。いや、見てるフリしてた。目ぇ向けながらも、全くそこに映ってるモンは頭に入ってこなくて、全神経を斗歩とババアの会話に集中させてた。

「切れたところ、消毒するからね」

「はい」

「しみる?」

「平気です」

 少し間ぁ置いて、またババアの声がする。

「頬のところ、骨に異常はないみたいね。でも、後から顔の痣が濃くなってくるかもしれないし、とにかく冷やしておきなさいね」

「はい」

「氷水作るから、今はそれで冷やしといて」

 パタパタという足音の後、水の出る音がした。斗歩の様子が気になって見てみれば、一人で座ったまま、少し顔を俯けて待ってる。しばらくすると氷水の入ったゴム製袋を持ったババアが戻ってきた。斗歩はそれを受け取って頬に宛てがうと、立ち上がった。

「待たせたな」

「ンな待ってねぇよ」

「お前は見てもらわなくていいのか?」

「だから、言っただろ。オレは怪我してねぇって」

「じゃあ、何しに来たんだ?」

 つい気持ちと体が固くなった。訊こうと思って用意していた言葉が、急に重くなった気がした。

「てめぇ、アレ、どういう意味だ?」

「アレ?」

 首傾げた斗歩見て、オレは深く息吸った。

「『こういうの、もう大丈夫』つってただろ。ありゃ、どういうことだ?」

 殴られても、平気ってことなのか? それなら、なんで平気なんだ? 言葉にならなかった疑問が頭の中でグルグル回った。

 斗歩は少し瞼開いて、ああ、つった。

「兄さんがさ、ボクシングやってるんだ」

「は??」

 いきなり話が明後日の方へ飛んでった。

「オレの話聞いてたか? てめぇの兄貴の話なんかしてねぇぞ?」

「いや、関係あんだよ」

 斗歩は大きく息をついて、続けた。オレ、今の家に引き取られてからも、周りの視線とか嫌で、大きい声とか背の高い奴とか、ちょっと怖かったんだ。もう中学に上がってたから、周りにデカい奴も少なくなくてさ。その頃、オレはチビだったし。そしたらさ、兄さんが「一緒にボクシングやろう」って、誘ってくれた。

「周りの奴に負けねぇようにってことか?」

「んー、そういうのとはちょっと違うんだ」

 斗歩は少し高くなった声を、また低めて続けた。オレも、最初はお前みたいに思ったんだ。だから、言った。暴力振るいたい訳じゃないんだって。そしたら、兄さんはさ、そうじゃないって、暴力で対抗しろって言ってんじゃないって。ただ、自分が強くなったら自信がついて、周りなんか怖くなくなるんだって、そんで堂々としてられるようになったら、周りの態度も変わってくるって、そう話してくれた。変なことで文句つけたり、バカにしたりする奴は絶対少なくなるってさ。

「兄さん自身が、小学生の頃いじめられてて、それでボクシング始めたんだって。最初は負けないようにってつもりだったみたいなんだけど、だんだん自信がついて、いじめっ子のことなんて怖くなくなってって、堂々としてられるようになったんだって。そうしたら、みんな兄さんのことバカにしたりするの、やめたんだってよ。暴力で仕返ししたことは一度もなかったけど、いじめはなくなったって」

 斗歩は、何もない空中へ目を向けて、少し笑った。

「それでなんでも解決できる訳じゃないと思うよ。でも、少なくともオレは、兄さんと一緒にボクシングやりだしてからは、周りの奴のこと、怖いって思わなくなったんだ。それで、大丈夫になった」

 そこで、視線が下がる。

「強くなったらなったで、不安なこともあんだけどな」

 不安なこと。

 また、気になる言葉が零れ出てきたが、斗歩の目に、あの、嬉しげな切なげな色が映って見えて、尋ねることができなかった。

 頬に宛てがわれた氷水が、ガラガラ音を立てた。


 あの金髪野郎共から受けた暴力が、斗歩には全く堪えてねぇって分かって、良かった。ほっとした。けど、それとは別に斗歩を不安にさせることがあんだって新事実は、オレの気持ちを揺さぶってた。前よりも斗歩のことが気になって、一人にしときたくねぇって思いが、いっそう強くなった。だから、ずんと重い気持ちのまんま、それでもいつも通りに二人並んで帰ったし、斗歩ん家に長々居座った。くだらねぇ会話しながら。

「てめぇ、身長、いくつだ?」

「え? 百七十八だけど」

 オレより五センチも高ぇのかよ。そう思って、返す声が尖った。

「ムカつくな」

「お前より高いからか?」

 どストレートに言われると余計に腹立つって、なんでこいつは分からねぇんだ?

「てめぇ、その口なんとかしねぇと、また妙なのに絡まれっぞ?」

 斗歩はきょとんと間の抜けた顔した。

「ンだよ、その顔はよォ」

「いや、お前に言われると思わないから」

「どういう意味だ?」

 オレは深く息ついた。

「まぁ、いい。それより、てめぇ趣味は見つかったのか?」

 一瞬見張った目が、ゆっくり緩んでく。そっと首が振られた。

「いや、なんにも。お前に貸してもらったバンプのアルバムも、好きだけど、なんか『オレ』ではない気がして」

 だろうな、と思った。斗歩の反応見る限り、感性にハマり込んだ感じはしなかったから。

「じゃあよ」

 オレは斗歩の方へ身ぃ乗り出し、奴の首の後ろへ手ぇ当てて引き寄せた。唇同士が触れ合う。斗歩の体温が伝わってきた。すぐ顔離すと、目ぇパチクリする顔じっと見つめて、言った。

「オレと一緒にいること趣味にしろよ」

 斗歩がガキみてぇに幼く見えるくらい、目ぇまん丸くした。

「そうしろ」

 念を押す。返事待った。

 しばらく、ずっと考えてた。斗歩が嫌な過去を忘れられるくらい、心を浸せるようなモン。セーターじゃダメだ。斗歩にとって、「セーター」は昔一緒にいた「おばあちゃん」の思い出で、きっとそれは、理不尽な暴力受けてた日々と数珠繋ぎになってる。だから、もっと別のモン見つけなきゃなんねぇ。で、どうしても見つかんねぇなら、オレがそれになってやりゃあいい。オレがずっと傍にいて、いろんな楽しいこととか、面白ぇモンとか、うまいモンとか教えてやって、昔の辛かった記憶を薄めてやりゃあいいんだ。それが、この日一日考えて出した、オレの答えだった。

 驚いた様子だった斗歩は、ゆっくり表情緩めてった。

「ありがとな」

「礼なんかいらねぇんだよ。そうするって言え」

 斗歩は少し目ぇ伏せた。

「お前、それでいいのか?」

「あ? いいに決まってんだろ。だいたい、オレら付き合ってんだろ? そんなん当たり前だっての」

「そっか」

「で?」

「で、って?」

「いや、てめぇ、一人でほくほくして終わりにしてんじゃねぇ。オレと一緒にいることが趣味、でいいんだろ?」

「ああ」

 ちゃんと斗歩の声で、斗歩の言葉でイエスの答え聞けた。ひとりでに口角上がってく。

「よし、今日はまたうどん食い行くぞ。前ンとこ」

「あ、じゃあ田井たちも誘うか? あいつ行きたがって――」

「ダメだ」

「なんでだ?」

「てめぇの趣味は『オレと一緒にいること』なんだよ。他の野郎はいらねぇ」

「お前、独占欲すごいな」

「うるせぇわ。行くのか行かねぇのか、どっちだ?」

「行く」

「田井は抜きだからな」

「分かった」

「八時にゃ出るぞ」

「分かった」

「分かったしか言えねぇのかよ」

「言える」

 オレは斗歩の頭小突いたが、苛立ちは気配ほどにも返ってこなかった。飯のこと考えたら、腹減ってきた。斗歩はそう言って立ち上がり、菓子でも食おうと思ったのか台所へ向かった。


 久々に食ったあの店のうどんは、やっぱりうまかった。斗歩に気ぃありそうなクソ店員もいなかったから、オレはなおのこと気分が良かった。二人とも、あっという間にどんぶり一杯平らげてた。オレが食うの速ぇのは当たり前だが、斗歩も負けねぇぐれぇのスピードで食いやがる。口ちっせぇ上に、オレよりずっと綺麗な食い方するくせに、ペースはやたら速ぇ。自分に合った食い方を分かってるって感じだ。速いっつーか、上手いのかもしれねぇ。食うのが、やたら上手い。一緒に物食って、何度か思ってきたことだったが、こん時は改めて感心した。

「てめぇ、食い方、上手いな」

「食い方?」

「ああ。速ぇが汚くねぇ」

 そう言ってオレがうどんの汁すすると、あー、って納得したような力の抜けた声が聞こえた。

「小さい頃、しつけられてたからな」

 くっ、と喉が詰まった。うどんの汁が変なとこに入って、慌てて水で流し込む。コップ置いて斗歩を見た。

「しつけられてたって、『あいつ』にか?」

 口にすっと、胸がえぐられた。斗歩の顔見んのが怖くなって、うつむく。ドッ、ドッ、ドッ、と耳の底が脈打った。

 けど、返ってきたのは、そよ風みてぇに軽い否定だった。

「いや、違うよ。おばあちゃんがな、行儀とかうるさい人で、小さい頃から『音立てて食べんな、みっともない』って、よく言われてたんだ」

「ばあちゃんって、厳しかったのか?」

 てっきり、優しいばっかの人だと思ってた。テレビとかでよく見る、泣いてしがみつく孫を揺すってなだめて、柔らかい言葉をかけてやるような、そういうイメージを勝手に作ってた。

「ああ、厳しかったし、ちょっと怖かった。けど、一緒にいると安心もした。おばあちゃんがいれば大丈夫だって思えた」

「じゃあ、なんであんなことになったんだよ?」

 思いがけず、低い、冷てぇ声が出た。反射的にしまったと思ったが、「なんでだ?」って怒りみてぇなデカい疑問が、それを飲み込んだ。オレは斗歩を正面に見た。

「おばあちゃんがいれば大丈夫? なら、てめぇがあんなひでぇ目にあってる時、ばあちゃんはどこにいた?」

 斗歩の見張った目に影が差した。いっぺんに表情が歪み、悲しさや困惑や切なさや悔しさが表れる。瞼伏せ、顔俯け、小さな声で応えた。

「入院してた」

「入院?」

 つい繰り返すと、斗歩は「ああ」つって水飲んだ。オレもグラスを手に取る。傾けるとカランと氷が鳴り、隣からはコトンとグラス置く音がした。

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