第15話 誰にでも言えないことがある

 クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ――。

 その日の学校では、頭ん中でずっと悪態ついて過ごした。放課後んなると、斗歩ともメガネやデブとも顔合わせたくなくて、さっさとスクバ担いで廊下に出た。

「たーかーはーしっ」

「あ?」

 後ろから来た声に、振り返りもせず声荒げっと、高い声はさらに楽しげになった。

「あんた、今日、やけに機嫌悪そうじゃん? 澤上となんかあった?」

 腹の底の気持ちが、いっそう重くなる。オレはボソリと呟いた。死ね。

「あれぇ? 元気ないじゃん。らしくないぞ。相談なら、いくらでも乗ったげるけど?」

 うるせぇんだよ、とオレが返した時、また後方から呼びかけられた。低いイケボに。

「高橋」

 ドッと胸が鳴り、気がつくと振り返ってた。斗歩はジャージ女の方向いて、ちょっといい? っつった。

「どーぞ、どーぞ! あたしなんか気にせずに!」

 いつも高ぇテンションをもっと上げて、ジャージ女が斗歩に道譲る。オレに近寄ってきたその顔には、もう怒りの気配はなかった。

「今日、木曜だけどさ、バイトのシフト変わって、オレ、休みなんだ」

「そーかよ」

「うどん食いたい」

「勝手に食え」

「誘ってんだけど」

 オレは顔逸らした。返事が見つかんなかったんじゃない。ただ、それを表す言葉が上手く作れなかった。それに、ついゆるんじまった口元に、気づかれたくもなかった。

 斗歩のため息が聞こえた。

「とりあえず、六時くらいにお前ん家、行くよ。もし出れるようなら準備しといてくれ」

 言いきらねぇうちに、斗歩はオレの横を通って先へ歩いてった。


 家に帰ってから、落ち着かなくてなんにも手につかなかった。五時半を回った頃には時間が気になって、五分おきに時計見ちまったし、十分前からは窓の外何度も確認せずにいらんなかった。みっともねぇって思ったが、学校にいる間中感じてた、自分に対する「クソ」って気持ちは、すっかり消えてた。

 何十回目かに窓へ目ぇ向けた時、斗歩の姿が見えた。

 途端に体中の細胞が目覚めたみてぇんなった。オレは財布とスマホをそれぞれ尻ポケットとパーカーんポケットに突っ込むと、足早に階段降りて外へ出た。


 二人並んで歩いたうどん屋までの道のり、オレらはほとんど無言だった。空気の流れがぎこちない気がした。斗歩の方も同じか確かめたくて、そっと窺うと、白紙みてぇな感情読み取れねぇ顔が目に入った。

「おい」

「ん?」

 耐えかねて、あと数分で着くだろう頃に声かけた。

「なんか話があんじゃねぇのか?」

「ああ」

 斗歩はゆっくり話しだした。

「謝りたくてさ。今日、オレ、感じ悪かったし」

「別に、てめぇは悪くねぇだろ」

 オレが後ろから頭小突くと、斗歩は前へ傾いたその頭を上げもしねぇで応える。

「お前に悪気がなかったのは、分かってんだ。お前、田井に限らず誰にでもああいう態度だから。田井のこと、特別嫌ってるわけじゃないんだろ?」

「あ?」

 オレが語尾上げて返して、やっと斗歩は顔をこっちへ向けた。

「嫌いなわけじゃ、ないだろ?」

 念押すように言われて、思いがけず、ああって答えてた。

 斗歩は、また前へ視線戻した。

「良かった。あんま他人のこと話しちゃだめだけどさ、田井は中学ン頃とか、友だち関係で苦労してるらしいんだ。あいつ、そういう顔しないから、分かりづらいけど。だから、深い意味はなくても、キモイだのなんだの、言わないでやってほしいんだ」

 斗歩の声は深くて、柔らかかった。優しい雰囲気に少し心がザワついた。

「てめぇ、なんでそんなに、あのメガネのこと気にかけてんだよ?」

 斗歩の口角が穏やかに上がる。

「いい奴なんだ。辛いことあってもそういう顔全然しなくて、偉いなと思う」

 心のザワザワした感じが、余計に強まった。斗歩がメガネを気遣ったり褒めたりする度に、よく分かんねぇ苦しさが胸ン中でグルグルした。


 ガラガラガラガラ。

 和食屋らしく古めかしい引き戸。開けるとすぐ、あったけぇ小麦の匂いが来た。空っぽの胃に染み入るような香りに、自分の腹がずいぶん減ってたんだなと気がつく。

 適当な席に座って注文済ませた。女の店員が、やたら斗歩に視線送っててムカついたが、斗歩の方は全く女を気にした素振り見せなかった。オレは心ん中で笑ってやった。ざまぁ。

「借りたCD、聴いた」

 はっと見れば、斗歩はテーブルに視線張りつけてて、そのまま続けた。

「こないだのと、違うの貸してくれたんだな。良かったよ」

「どこが?」

 斗歩は考え込むみてぇに、少し黙った。

「……だんだん迫ってきて、暴かれる」

「それは前に聞いた」

 オレが言うと、デカい手がちっせぇ口抑えた。目は、やっぱテーブルに向けられてた。

「暴かれるようなこと抱えてる奴って、案外いるんだなってのも、思った」

「あ?」

 説明しにくいんだけど、と斗歩はゆっくり話す。

「人って、それぞれ他人に言えないこと抱えて生きてんだなっていうかさ。そういうの、他の奴も同じなんだなって。歌になるくらいだし」

 人に言えないこと抱えて生きてるってのは、分かる気がした。オレだって、他人に持ち上げられてムカついてた根っこには、劣等感があったなんて、誰にも知られたかねぇ。

 そういう気持ちの深い部分に、バンプの曲が切り込んでくんのは、確かだ。でも、それを他人に重ねて考えるなんて発想、オレにはなかったから、ちょっと面食らった。

「お前は?」

 急に訊かれて、心臓が小さく跳ねた。見れば、斗歩はやっとこっちへ顔向けてた。頬には穏やかな雰囲気がある。

「なんでバンプの曲、好きなんだ?」

「好きなモンは好きなんだよ」

 オレは言って、顔背けた。お前、人に訊いといて、なんだよ。ため息混じりの声には、けど、不満の色はなかった。

「お待たせしましたぁ」

 甘えた感じに間延びした声の後、うどんの載った盆が斗歩の前に置かれた。店員は、やっぱ斗歩の方見てばっかいたが、当の本人はうどんに釘付け。ざまぁ。

「てめぇ、そんなにうどん好きかよ」

「ここの、うまいだろ」

 先食うぞ、つってパキッと箸割った斗歩を見て、オレの口角もひとりでに上がってた。

 その後、オレの分のうどんもすぐに運ばれてきて、二人で特に何喋るでもなくうどん食い、勘定済ませて外へ出た。

 ちっと寒かった。早めに梅雨に入りかけてんのか、ここんとこ天気が悪くて気温も低めだ。うっすら白くなった息を目で追いかけて空見上げれば、やけにまるい月があった。

「これ、スーパームーンってやつだな」

 オレが言うと、え? と声が返ってくる。

「月が近づいてデカく見えるっていう?」

「ああ、騒ぐほどデカくもねぇな」

 大きさは、言われてみればちょっとデカい、くらいのモンだった。けど、梅雨時とは思えねぇくらい冴えに冴えた月は眩しいくらいだった。端にうっすらかかった雲が、黄色く色付いてた。

「ん。でも、綺麗だな」

 呟くみてぇに言った斗歩へ目ぇやる。街灯に照らされ、その整った横顔へ光の縁どりができてた。目もてらてら輝いて見える。綺麗だな、という、さっきの斗歩の言葉が頭に浮かんだ。

「どうした?」

 斗歩が急に、こっち向いた。ドッと心臓が打ったと同時に、口が勝手に動いた。

「何でもねぇよ。こっち見んな」

「わ――」

 るい、と言い切る前に、斗歩は言葉を飲み込んだ。そうして前へ向き直り、行くか、と歩を踏み出す。


 月が綺麗、なんて今まで一ミリも感じたことはなかった。けど、月を見上げる斗歩がなんだか嬉しそうで、オレは家へ帰ると、すぐにベランダへ行ってスマホ構えてた。パシャリという音が静かな闇に響いた。送ってやろうとラインを開く。が、急に恥ずかしくなって、その手は止まった。

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