1925年4月8日①・エベの物語⑤
1925年4月8日
来賓のためという幕屋で寝起きするようシムウンの遣いから定められて、私は7日の夜をシムウンらの傍の幕屋で過ごした。
日が昇らないうちに起こされた。
東の空が白んでいる。
鸚鵡や鶺鴒が飛ぶ熱帯雨林は村を包み込んでおり、幕屋よりはるかに高かった。
その上に空があった。
まだ暗いと文句を言いたくもなったが、エベであるマリアが呼んでいるという。
昨日に続いて村長の幕屋に招かれると、またもあの芋と水の朝食を頂く。
焼いた川魚も出る。
口から尾まで一本の串で貫かれている。
どうやって食べるのか。
シムウンを見て、背中からまるかじりするのを見よう見まねで真似した。
食事が終わると、エバがまた語り始めた。
*
昨日は懐かしいことどもをお話ししたおかげで、少しばかり口ぶりも若返っていたような心地がいたします。
それからこの島がどのように今の姿へと変わっていったのか、お話いたしましょう。
島の名前が決まると、マルタンの案内で船に入り、積み荷の中から島の暮らしに役立てられるものを探しました。
長い船旅のために乾パン、干し肉、干し葡萄、檸檬や種々の柑橘、それに
また森の木を切るために使える鉈や鋸、釣り竿に釣り糸に釣り針がありました。土を掘るためのスコップやショベルもありました。
マルタンはまた別のものを取り出してきました。褐色のガラス瓶に入った鼻を刺すような臭いの水、それを染み込ませるための丸い綿、綿をつまむための金属器。
役に立つ道具や食べ物が多くありましたが、船の中はやはり血が染み込んで、湿った恐ろしい臭いに満ちておりました。
南の島の日射しに晒すよりは、ひんやりとした暗い船の中に置いておく方が長持ちするだろうということで、食べ物はその場に置いておき、その日からしばらくの間わたしたちは島をめぐりました。
わたしたちの他に人はありませんでした。
造物主の恵みでございましょう、高い木の生えず、下草も乏しい開けた場所に巡りあいましたので、わたくしどもはそこをいっそう切り拓き、わたくしどもの村とすることにいたしました。
二十九人は昼は森を歩いて村を切り拓き、夜になると船へ戻り眠りました。甲板の下の五十の寝台のある船室へ行き、みな眠るのでございます。
神父様に代わり、聖書を読み、祈りを捧げる役目を受け持つ者が必要でした。
わたくしどもの村で一番年上のアンナは聖書をそらでとなえることができましたので、島に着いた次の次の日、はじめの
はじめの日曜日のアンナの説教は、今でも覚えております、彼女はマタイによる福音書の救い主の復活のくだりを諳んじました。
――さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアと他のマリアとが、墓を見に来た。
安息日には家にいなければならないので、マグダラのマリアたちは救い主の墓には行かなかった。
安息日が終わり、週が始まると、すぐにも彼女たちは救い主の墓所へと向かった、それほど深く救い主を愛していたからである。
この後、主の遣いが天より下り、墓石を取り除け、救い主はそこにはいないことを示す。
救い主は蘇り、肉を離れ、天へと去り、陰府に降り、そしてふたたび肉をまとう。
もし安息日にマグダラのマリアたちが家を出て、救い主の墓所を見に来たなら、主の遣いが天から下り、墓石を取り除けてみせることはなかっただろう。
また、安息日にマグダラのマリアたちが救い主の墓所を見に来たならば、彼女たちはただ死せる救い主の足に油を塗るだけだった。
安息日に休み、週の初めの日に墓所を見に来たために、マグダラのマリアは蘇りたる救い主のみ足を
安息日には人は休まなければならない。主の遣い、すなわち造霊主の恵みを失うからであり、同様に、地の報せ、すなわち造物主の恵みをも失うからである。
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