エベの物語⑩

 天の高みは尽きず、星星は青く輝き、首位なる太陽はここでも遍くわたくしどもを照らしてあられます。



 天は天の神のいます館、地の神の錬鉄にもまして鮮やかな緋色の、日の光を浴びれば金色に輝く《雲の鋼》で織り上げられた館が、その最果てに至るまで続いております。


 回廊を西へ行き、東へ向かい、階段を上へ昇り、下へ降ろうと、いずれの先にも緋色の波止場に続き、金色の鋼で織られた舟が待っているのです。


 天の魂は無辺の館にて天の神と対面し、次なる命の宿る処を言い渡され、命ぜられた舟に乗って旅立つのでございます。



 天の神によって命じられる、いまひとたびの魂の肉への宿りは、それをいつ命じられるかということもやはり天の神の御心にしたがって定められます。


 ですから、陰府で地の魄を濯いで召し上げられた天の魂は、天の神に喚ばわれ次の生を承る時機までの間を、この天の館で過ごすこととなるのでございます。



 地の魄を濯がれ、純粋な天の魂のみで召し上げられたわたくしどもは、前世で味わったものを覚えてはいても、前世において自分が誰であったかということは不思議と忘れているものでございます。


 この世、つまりは地の上なる生においては、生命を支えているのはもっぱら地の神より賜った肉であり、地の魄でございます。


 それらを陰府にて救い主の手により濯ぎ落した魂は、かつての肉と魄の記憶を神神に委ねて、ただひとり魂に刻印された事柄をのみ携えているのでございます。



 何にまれ異数なる事柄というものは、思いもよらぬ時機に現れるものでございます。


 七色に輝く石造りの柱廊に、硝子の水差しに薔薇の香りの水を注いで、召命を待ついまひとりの魂と語らっていたときのこと。柱廊の東の方角から別の魂が歩いて来、わたくしどもの卓の空いていた椅子に腰かけ、あなたがたのお名前は何と仰いますの、と問うのです。


 エレナ・バラバと名乗る女でございました。いいえ、女というのはその魂の、おそらく前生でしょうが、あるいは来生かもしれません。少なくとも魂には肉の体の性別というものはありませんので。しかしバラバは自らがエレナという女であることをはっきりと記憶しているのでした。


 バラバは前生で自分が見聞きしたことをわたくしどもに話して聞かせてくださいました。


 どこまでも螺旋状に積み上がる尖塔。


 ひとりでに空を駆け軍勢を焼き尽くす円形の都市。


 エルサレムの遥か東方に興亡を繰り返す七つの大陸。


 この館のごとき輝ける金属器を振るい地中海の半分を支配した大帝国。


 ……バラバの見聞はひとつまえの生命にとどまらず、天の神が彼女の魂を造られてからわたくしどもに語ったそのときに至るまで、全ての過去生に及んでいるかのようでございました。


 このように、神神はときおり自ら造り出した魂魄たましいと世界の理が営む常の流れを堰き止めることで、己が限りなき権能を示されるのでございましょう。



 バラバも、また語らっていた魂も、いつしか天の神に召されて次なる生へと船出し、それからわたくしもまた神の前に立つことと相成ったのでした。


 太陽のふたまわりほど(天の太陽は決して沈まず。頭上を過ぎっては足許を渡り、異なる角度からつねに館を照らしているのでございます)階段を昇り、扉のひとつを開けると、柱廊の最も大きな柱でさえ指の先ほどにも満たないような、目も眩むほど巨大な手、腕、そして総身が、灼けつくような光を放ってあられます。


 天の神はわたくしに問われました。


 ――あなたは千の騎馬、万の戦車を率いる、大帝国の帝王となることを望むか。


 いいえ。


 ――あなたは生贄の心臓を刳り抜き主人たる神に捧げる高塔の神官となることを望むか。


 いいえ。


 ――あなたは元老院と兵士と民衆の全てから喝采を受ける類い稀なる僭主となることを望むか。


 いいえ。


 ――あなたは何を望むか。


 わたくしの望みは、誤った仕方で葬り弔った死者を悼み、正しい笛の音を届けることでございます。


 ――そのためには九度生まれ、九度死なねばならぬ。あなたは、次の生でただちに王侯となることも望めるにもかかわらず、正しい弔いのために、九度生まれ、九度死ぬことを望むか。


 はい。




 そしてわたくしは九度生まれ、九度死に、十度目の生においてふたたびプロヴァンスに生れ育ち、波間を越えて金曜島イラ・ディヴェンドレに至り、地に埋められた死者を前に笛を奏で、シムウンは歌を歌い、彼らを正しく弔うための最初の供養をつとめたのでございます。


 それは金曜島が真に大司祭ジャンの島に並ぶ楽土になるための一歩であり、コナクリのジブリルが授けた歌と調べは、地の神の遣いがエベに授けた善悪の知識の果実なのでございました。


 シムウンはアダムを、わたくしマリアはエベを名乗り、日と星の巡りにしたがって一年に一度笛を奏で、歌を歌います。


 アンナ、ジャン、マルタンがむなしくなったときも、油を以て弔うと共に、この笛と歌とを捧げました。


 なんとなれば、ガブリエルであるジブリルとその同胞は、神神への信において、またこの島に宿ることにおいて、わたくしどもの先達であるがゆえなのでございます。

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