1925年4月9日・跋文
書き落したことは多くある。
エベであるマリアは多くを語った。
南仏
何度目かの生における、《インディアスの破壊》を論じる司祭の義に心酔し、彼を補佐するとともに新大陸への宣教に努力したドミニコ会士の物語。
あるいはまた空爆下に子供たちを救助し、日々の糧を得るすべを教えて生きたファティマの物語。
あるいは五度目の生において再会したエレナ・バラバの……エベのことも、天での出会いのことも忘れ、恩寵に依らぬ独力での魂の進化を説くが、しかし天の神の
別の生における、異民族王朝下の中国に生れ、天の神の告げ報せを信じて諸国を渡り戦った女侠の物語。
日が暮れようとしていた。
幕屋を出ると、マグダレナの幕屋の前に、息子を生んだマリア、二児の母のアビゲイルと兄のジャコブ、その妻のアンドレ、助祭ナオミの妹のルイザとエマ、弟のパウル、若衆たちが集まり、私を待っていた。
みな既に泥を落としていた。
春を迎える祭の前の夕べに、西の浜辺に大人たちが集まるのだという。
ナオミが甕の水で私の股を洗い、みなで西へ、沈む夕日へ向かって歩いた。
波の彼方に没しかかる日は白く、その輝きは熟した
砂浜に櫓があった。
司祭マグダレナは鸚鵡の羽で編まれた冠を載せ、
櫓にエベが上り、マグダレナに合わせて笛を吹いた。その色は哀しかった。ときおり鬱勃と節が持ち上がっては下がる、その動きだけで人影が身を捩り、
地鳴りのように低く、シムウンとアブラムが声を合わせて唱するのは、誰もその意味を知らないジブリルの挽歌だった。
二百五十八人の弔いは、人の一生を懸けても終わるものではない。
こにせとにせはずんばいさねばまっが。
おごじょとおなごはさねば
少年と女が交わった。男と少女が交わった。
私はマリアと、アビゲイルと、ルイザと、エマと、マールタと、テレザと交わった。
男と女が交わった。少年と少女が交わった。肉は豊かだった。神神の賜る島だった。
そんまいと言う女に従い、砂の上に転がったまま、私は砂浜の影を見た。
西から東へ、背後の森へ伸びる、砂の上でまぐわう者の影を見た。
櫓の影を見た。
夕日を帯びた浜に暗がりが架かっていた。
暗がりが湧き立ち、淡く浮かび上がる影が砂浜に蟠って、しかし
跋文
以上が旅行鞄から発見されたジャン・アルジャンの手記の日本語訳の全文である。
4月7日から数えて3日後、つまり1925年4月10日に行われた
付言しておけば、手記が記されている手帳にはページの破損や焼失、あるいは上から塗り潰したりしたような痕はまったく見られなかった。
9日までの記録も、些細な書き損じ以外は横線の消去や塗り潰しもなく、落丁もない。記録は無事にとられつづけ、1925年4月9日のそれを最後にぱたりと途切れている。
日記あるいは記録とは、事柄が起ってから、それらを記憶ないし走り書きし、後から振り返ったり清書したりして成立するものである。4月9日までの出来事が無事にジャン・アルジャンの手帳に記録され、翌10日のそれが存在しないことは、記録の客体ではなくその主体に何らかの変化が生じたことを暗示している。
ディヴェンドレ あるいは 大西洋の陰府 再生 @reincarnationCCQU
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