ディヴェンドレ あるいは 大西洋の陰府

再生

DIVENDRE

序文・1925年4月5日~4月7日①

序文


 以下は、筆者が2023年7月6日にパリの蚤市で見つけた旅行鞄から発見された、生年1882年没年不詳のフランス人ジャン・アルジャンJean Argensの手記の日本語訳である。


 基本的にフランス語で書かれ、一部に方言が含まれるが、適宜訳し分けた。


 記事中に著者は南仏プロヴァンス出身とあるが、アルジャンArgensという姓は南仏ヴァール県の西部を流れる同名の河川に由来すると推測される。


 ヴァール県はプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の最南端に属し、アルビやトゥールーズが属するオクシタニー地域圏の東に位置する。



      *



1935年 4月5日 大西洋某所にて



 クルーザーが故障し漂流を始めたときは死を覚悟したが、潮目の流れに恵まれ、煌びやかな澄んだ水面に浮かぶ緑豊かな島に流れ着いた。


 狭い砂浜は白く、暗い森からは極彩色の鳥の種々の啼き声が遠く響いてくる。

 赤道からは遠く隔たっているので肌を焼く刺すような日射も無く、日が沈んでも凍えるほどではない。

 近くに真水の流れる沢も見つけることができた。

 名前はわからないが赤い拳大の果物があり、瑞々しさと噛み応えを兼ね備えている。


 クルーザーがそのまま風雨を凌ぐ家になるし、船内にはナイフや火かき棒……手頃な武器に、乾パンや缶詰、干し肉の蓄えもある。


 いざとなれば魚や獣を捕るか、アフリカの土民のように蟹でも喰らうことになるかもしれないが、すぐさま命の危険があるわけではない。


 ロビンソン・クルーソーにでもなった気分だ。あるいはここに文明を立ち上げられるかもしれぬ。




4月6日


 海岸の周囲の地形を見るべく散策。生憎と深い森が海岸から先の道を鎖すようにすっぽり囲い込んでいる。獣道らしきものも見当たらない。


 海岸は五百メートルほど続いて、片方は森に、もう片方は荒磯につながっている。ほとんど裸足のようなサンダルしか履かないままこの岩場を通るのは避けたかった。


 体力を温存したいので、ときおりふらふらと船を出て、水平線の彼方に船影が見えないか眺めて、やがて戻った。



 日没、船に帰りがけに、森の奥から故郷の童謡を聴いたような気がする。

 アルプスの麓のガリア、吟遊詩人の邦、日差しと涙色の海……


 人恋しさに空耳をしたに違いない。ラジオでも流れないラングドックの唄を私が歌っていたのは、もう四十年も前のことになる。祖父から教わった陽気な歌、下品な歌は……


 孤独、涙、涙。寝る。




4月7日


 人に出くわした。それも子供も青年も大人も老人も。全身に泥を塗った赤褐色のヨーロッパ人の群れ。


 笛を吹き、俗謡を歌い、異端説を奉じる、現代文明から隔絶された、しかしわれわれと同じガリアの種族の群れ。


 われわれと書いたがばかばかしいことで、私以外に「われわれ」はいない、この島の「われわれ」は「かれら」に他ならない。

 私は今かれらの村でこれを書いている。

 振り返るとこういうことがあった。


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