エベの物語⑦

 堅く閉ざされた木箱がひとつありました。


 白い骨のなかに、全体を黒く塗られ、鎖で縛られた箱がひとつ載っているのでした。


 箱はよく見ると、全体が淡く七色に光る銀の線で彩られており、錠の付いた面にはこの銀の線を削ぎ落して上から金で十字架をあしらってあるようでありました。


 銀の線はあるところでは重なって波打ち、あるところでは鳥を描いており、その意匠は教会の彫刻や色硝子ともシムンの木彫りとも異なっておりました。


 ニッポン、東の果てにある島国で作られた箱らしいと、シムンは言いました。この箱ひとつ作るのに、小さな村が一年畑を耕して得られるだけの金銀が費やされている。



 その箱は、わたしたちにも、一目見ただけで手間をかけて作られたものだとわかりました。


 穴の中に無造作に投げ込まれたのではなく、亡骸を放り込んだその上から、亡骸を踏みつけにしながら、この箱を置いたのでしょう。


 封印されているこの箱の中に、この場所であまりにも酷いありさまでいる彼らについての手がかりが残されているかもしれません。箱を開けて、中を見ることが決まりました。




 箱を開けると中には分厚い紙が一枚入っていました。見慣れない形の字が並んでいます。アンナ、ジャン、マルタンが顔をつきあわせて紙に書いてある言葉を読み解いていきました。


   *


 1522年3月 日

 西経……北緯……


 サンタ・マルガレータ号船長…………………………は、アフリカより新大陸へ運送予定の奴隷258人によるサンタ・……号での叛乱を鎮圧。大人226人子供32人を処刑し、西経……北緯……の無人島に……とする。

 本件によって生じた損害は……


   *


 冒頭を読み取るだけで、わたしたちにとっては充分でした。

「本件……」以後は、この文章を書いた人々の損得勘定に関する事細かな覚え書きであり、ここに埋められた人々については何一つ書かれてはいないということでした。


 マルタンによれば、わたしたちがこの箱を掘り出した年は1833年、この文言が書かれたのは三百年近く前ということになります。


 シモンは涙を流しながら、骨の埋まった穴のふちに跪きました。

 彼の手には、白骨の山から取り出したあの木彫りがあり、いまひとつの手は骨へとのびて、どくろのひとつに触りました。それは小さな子供のどくろでした。


 死者の骸を傷付けないよう、土をやさしく掛けて、村の拡張は別の方角を選ぶことにしました。アンナが油を注ぎ、造霊主の良き来世への計らいを祈りました。




 その夜のことでございます。落ち着いていたシモンがまたもさめざめと涙を流しました。

 彼が言うには、自分は奴隷商人として同族を捕らえ、ヨーロッパ人に売りさばいてきた。

 大人も、子供も、女も捕らえた。みな船に載せられて海の向こうの農園に連れて行かれるのだ。

 ヨーロッパ人の子供も売りさばくことになり、フランスに向かった。

 マルタンを、ジャンを、マリア、おまえを、言葉巧みに騙したのだ。こんなにもかわいい子供たちを根こそぎにして、海に放り出した!


 それはシモンの懺悔、悔い改めでございました。わたしはシモンを赦しました。しかし、死者の赦しが得られたわけではありませんでした。


 熱を出して寝込む者が絶えなくなったのです。

 寝込んだ者はみな、歯を鳴らしては縮こまり、この南の島の空気の中で寒気に襲われて震えるのでした。


 産婆の子のグレタにも、医術に詳しいというマルタンにも、なぜこのようなことが起るのかはわからないのでした。


 それでも、掘り起こされた死者の魂を、わたしたちの誰もが、言葉にはしないまでも、つねに頭の片隅に思い浮かべているのでした。


 地に残った彼らの魂は、無人の島に自分たちをうずめ去った者共を憎み、報復の機会を伺っていたのでございましょう。


 わたしたちにとって彼らが等しく黒人ネグルであるのと同じく、彼らにとってはスペイン人もプロヴァンス人も等しく白人、北の国の白い肌の者共であってみれば。


 産まれた赤子たちはみなむなしくなってしまいました。かわいそうなジャンとジョゼフ。


 小さな子供から順に斃れていき、ジャンとアンナも、マルタンも斃れました。

 しまいにはわたくしどもだけが……マリアとシモンだけが残されたのでございます。




 ある夜、シモンは私の手を握って言いました。

 自分は欧風にシモンと名乗ってきたが、実は郷里では違う呼ばれ方をしていた。マリア、きみにその名で呼んでほしい。

 末期の頼みなのでした。

 シモンは郷里での自らの名前を繰り返しました。わたしもそれにあわせて彼の名を呼びました。

 喉の奥で閊えるような音に続けて、くぐもった声色が伸びていきます。シムウン、シムウン! その夜のうちに彼は息を引きとりました。




 日が昇り、日が暮れました。

 わたしもまた震えながら縮こまっており、かきいだくシムウンの腕は刻々と冷めていくのでした。


 救い主が陰府へ下り、古い死者を来世へと導いたように、死者の魂は天へ昇る前に一度陰府へ下ります。


 陰府の底で造物主に地のたましいを還してのち天へと昇り、そこで初めてわれわれの天の魂は来世へと踏み出す道を定められるのでございます。


 やがて私の息も途絶え、金曜島イラ・ディヴェンドレに流れ着いた三十人とそこで生まれた五人の魂は、暗い陰府へと下る道を進むのでございました。




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