エベの物語①

 今となっては遥か昔のことですが、事のはじまりは、聖なる農婦ジャンヌの生地オルレアンをしろしめすルイ様が、華やかなりしパリのヴェルサイユに戴冠あそばされた頃のことでございましょう。


 わたくしの村には神父様おひとりのいらっしゃる小さな教会があるきりでしたが、皆信心深く、折々に祈りを捧げ、畑を耕し、羊の毛を紡ぎ、川の水を汲み、牛の子を屠り、天の恵み、地の糧に、深いありがたみの心を込めて、その身を養っていたのでございます。


 子供たちは……そこには当時わたくしも含まれておりました……健やかに育ち、畑を耕し、野山を走り、魚を捕らえ、歌うたい、日を暮らしておりました。


 学校もつい数年前にできましたが、することといえば多少の手習いと歴史に足し算引き算、ついでに掛け算と割り算といったものでした。


 歴史であれば神父様が教えてくださり、数を数えるのは家の仕事のほうがよりむつかしい計算になるようなありさまでしたから、子供たちは面白くなく、大人たちもあまり学校に通わせたがりませんでした。



 ある日、村長の息子のジャン、子供らの顔役でもある少年が、神父様からこんな話を聞いたと、皆に話しました。


 海の向こう、遥か彼方に、大司祭ジャンの治める国がある。


 そこには、救い主から発したあらゆる教えがまとめられた大図書館があり、あらゆる教えを学び、信じることが許されている。


 救い主に捧げるための宴に供される一万の豚、二万の牛が一晩のうちに平らげられても、次の晩には同じだけの家畜を用意できる。


 アーサー王に仕えた吟遊詩人や華やかな恋愛をうたった宮廷詩人、古代の響きを伝える弾琴歌人の、それぞれに異なる歌声が、ひとえに神の輝きを讃える。


 一年をつうじて暖かく、雪や嵐もなく、鼠や流行り病や地虫もいない。


 きれいな円い形をした首都の石畳はどれも正確な真四角で、鏡のようにつねに磨かれている。


 それも誰かが毎朝磨いているのではなく、塵が落ちるたびに石畳がひとりでにこれを消し去り、自らをきれいにするのだという。


 そのようなことができるのは、天の上にお住いの父なる神の御力に他ならない。


 大司祭ジャンは父なる神を称えるあらゆる教えを集め、これを広めるために、南の島に大なる都を作られた。


 そこに行けば、救い主を崇め、彼をまねぶことを求める者は、だれであれ暖かく迎え入れられるだろう……



 ジャンがこんなことを言ったのは収穫が終わり、日に日に寒くなっていく秋口のことでした。


 幼い弟が季節外れの風邪をこじらせて亡くなったすぐ後のことでした。


 皆にかわいがられていたペーターの、生りかけのりんごのような小さな冷たい手を、今でも覚えております。


 小さな子供の亡くなるのは、決して珍しいことではありませんでした。


 ペーターはわたくしの弟と妹が亡くなった時のことを覚えています。


 その時わたくしはまだ物心ついて間もない頃でしたので、はっきりとした記憶もございませんが。


 青年になるまで子が育つのは、それだけで少なからず喜ばしいことでした。


 しかしそれは、同じ子を失うということでのわたくしの村の者の悲しみが、豊かな大司祭ジャンの国の者の悲しみよりも小さいということではありますまい。村のジャンも。



 大司祭というのは何だ、と誰かが聴きました。


 神父さまの上の、上の、上の、上の、上の、上の人だ。とジャンが答えました。


 その国にはどうやったら行けるんだ、と誰かが聴きました。


 今、川に船が来ている。とジャンが答えました。

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