第3話


 続け様に登校シーンから始まるというのも味気ないと思うのだが、日常とはありきたりな場面の連続だ。

 強い刺激を求め過ぎず、平たく穏やかな時間を望むのであれば、繰り返しの中に飽きを感じない心が必要となる。あるいは適度に飽きと付き合う心か。


「ねえ、ホントに説明とかしなくていいの?」

「必要ありません。先輩方は先輩方の事情に基づいて邁進されるといい。俺には俺の事情があります」


 なのだが、偶然なのか待ち伏せなのか、初日からの出会いで分かるように通学路の被っていた俺は例の二人に絡まれているのだった。

 中央に川の流れる公園の最中、桜並木の下を三人で歩いている。


「まいしん? どういう意味?」

「応援しているとでも思って下さい」

「そう。ありがとね」


 にひーと笑うハルナ先輩の後ろで、アキト先輩が眠そうな目でこちらの様子を伺っている。

 年齢的には一つ上でしか無い筈の彼は、気の抜けた表情をしているのに妙な貫禄がある。隙が無い、と言い換えた方が正しいだろうか。


「でもさ、昨日襲われた時に、式神を通じて相手に顔を見られたと思うんだよね。暗かったから分かってないかもだけど、危なくない? 狙われたりとかするかもだよ?」

「状況から察するに俺は巻き込まれただけでしょう。どこかで観察される程度は考えられますが、無害な一般人と分かれば無闇に暗闘が露見するような襲撃は避けると思われます」


 むしろ、この二人の関係者と思われる方が危ないだろう。

 式神とやらを操っているのが陰陽師よろしく烏帽子を被った某だとして、ああして巨大な妖狐一匹を軽く仕留められているのであれば、戦力的に攻めあぐねているか、威力偵察を行っている状態だ。戦力の小出しなど愚策。相手が愚かであることを期待するよりは、賢者であるとして何らかの意図を考慮しておくべきだろう。


「相手が絡め手を良しとする者であった場合、あまり関わりを持つと人質に取られる等の危険が増えます。なので、俺としてはありきたりな高校生としての行動を続けたいのですが」


「――――いやぁ、お前はどう見ててもありきたりな高校生には見えないよ」


 アキト先輩から声が掛かって脚が止まる。

 少しして動き出した上で、彼は欠伸をしつつ続けた。


「ぁ、ふわぁ……係わりたくないってんならそれでいいだろ、ハルナ。コイツなら何かあっても自分でなんとかする」

「ん~、でも巻き込んじゃったんだし、何も無いよう守る義務とか、あるかなって」

「そうならない様に無関係で居るって言ってるんだ。まあ、困ったら連絡してくれれば駆けつける。それくらいが落とし所だろ」


 妥当な所だ。

 俺は携帯を取り出して二人と連絡先を交換すると、早速デコレーションたっぷりなハルナ先輩からのメールを受け取り、仕舞いこんだ。


 おそらくは最初から見定めていただろう結果へ扱ぎ付けたアキト先輩は、昨日と同じように背中を見せながら手を振り、


「近頃この町で昨日みたいなことがちらほら起きてる。大体、一年くらい前からだな。だからお前も気を付けろ」

「先輩は、いえ、アキト先輩の力は見ていませんが、ハルナ先輩のアレは、その一年前に身に付けたものなんですか?」


 アキト先輩は歩を緩めたが、答えるかどうか悩んだ様子だった。

 代わりにハルナ先輩が嬉しそうに応じる。


「私達は十年くらい前ね。昨日みたいなことは、アキトも言ってた通りこの一年で起き始めたんだけど」


「そうですか。ありがとうございます」


 言って歩を緩めると、ハルナ先輩が手を振って駆けていった。

 追いついたアキト先輩からまた頭を小突かれて、抗議の声を上げつつ歩いていく。


 一年前と、十年前。


 十年前は知らないが、一年前という時期には心当たりがある。

 が前世の記憶を取り戻したのがちょうどその頃だ。


 記憶の再生と力の発現。種別は異なるが、共通しているのはこの三次元世界では法則性の見い出されていない現象という点だ。


 同時に発生しているという街中での暗闘。


 どう見るべきか。

 無関係であるとは訴えたものの、ああして目撃した以上は完全なる無関係とも言い難い。


 先輩らはあの妖狐を式神と呼んだ。

 そして式神を操る者がおり、その目を通して俺を見ていた、とも。

 ハルナ先輩は暗くて見えなかったかもと言っていたが、安心要素を探して楽観視するのは危険か。


 未だにあの襲撃の理由は判明していない。


 妖狐は生物的ではあったものの、操られていたという点で動物的な理由で俺を襲ったという可能性は消える。いや、生理的な反応を見せていたのだから、排除してしまうのは安易か。


 目撃者を排除するにしても、先輩らの戦いを目にしたのでもなしに、広場で検証行為を繰り返していただけの俺を特別に排除する理由があるとも思えなかった。


 これも検証不足か。

 仮説を打ちたてようにも、検証結果が俺一人分では相手が襲撃を仕掛ける対象の法則性は見い出せない。

 せめてコレまでの事を聞いていれば良かったかとも考えたが、今取れる最善は距離を取ること。事件直後というのは重要だ。相手の判断が定まりきっていない今こそが無関係を主張するのに好都合。一応、で仕掛けてくるような者であれば後手に回ってしまうものの、そこは自力で時間を稼ぎ、先輩方へ助力を願うとしよう。


 やれることは限られている。

 無闇に危険へ首を突っ込んで相手の戦力が先輩らを上回っていた場合、状況の主導権を握ることは難しくなる。

 少なくとも未だに、俺はあの二人のような力を持っていない、正しく一般人であるのだから。


 すっかり距離の出来た先輩らの後に続いて、俺も学校へ向かう角を曲がる。

 その際、なんとなく昨日を思い出して背後を伺った。

 居ない。

 まあ、そんなものだ。



 そうして曲がった角の先で、金髪ボブカットの少女が俺を待ち構えていた。



 昨日は手にしていた本は無い。

 彼女の目は、明らかに俺を捉えていた。



    ※   ※   ※


 唾を呑み込む。


 少女は、ゆっくりと歩を踏み出して俺へ接近してくる。


 偶然? 違う。人違い? 違う。

 俺を狙い、俺を待ち、こうして向き合っている。

 幾つもの思考が駆け巡る中、一つだけ好機を見い出すことは出来た。

 こうして向き合っている以上、相手がどのような者であれ、対話が可能であるということだ。


 そんな俺をじっくりと観察していただろう少女は、あまりにも淫靡に笑い、唇を舌で舐めて湿らせた。

「ねえ君」

 声音は甘く、蕩けるように耳の奥へ侵入してきた。

「あの二人とはどういう関係?」

 連絡すべきか、思い、携帯を取り出そうと制服のポケットへ伸ばした腕を少女は的確に掴んできた。

 バニラエッセンスを思わせる香りが鼻腔を満たし、押し付けられた身から離れようと一歩下がれば、空いた股の間に膝を入れて押し込んでくる。

 気付けば曲がり角の壁へ押し付けられている。

 固いブロック塀と少女の身体に挟まれて、顎元から漂ってくる吐息に異様な危機感を覚えた。


「ふふっ」


 少女は嗤い、まるで触れ合わせることそのものが目的とでも言うように身を寄せ、俺の脚をさすり、首元へ鼻先を埋めてきた。


「なんなんだお前は」

「何って、先に私の質問に答えて欲しいんだけど」


 答えないともっと凄い事をするぞと、脚に触れていた手が尻に回ってきた。

 まるで物語に見る淫魔。男の性質をコレでもかというほど的確に刺激し、操り、手玉に取ってくる。

 吐息が、身体が、首元に触れる髪の感触が、押し付けられる胸と、股に触れるか触れないかの位置で揺れる膝とが、あまりにもこちらを誘惑してきた。


 おいしいシチュエーション? 違う、あまりにも怖過ぎる。俺は彼女など知らないし、今問われた内容も決して看過出来るようなものではない。最悪、このボブカットの少女が例の妖狐を操っていた可能性すらあるのだ。

 あのハルナ先輩が津波の如き水量を操り、果ては生物の額に長槍を突き入れて命を奪っていた以上、見た目の印象など脅威判定の参考にならない。

 単純な身体能力に於いてもそう。槍で巨大生物の分厚い額の骨を貫くのは容易ではないのだから。


 沈黙の時を愉しむように、少女は掴んでいた俺の腕から指を滑らせこちらの指に絡めつつ、親指で手の平を撫で付けてくる。逃げようとしても吸い付くように追いかけてきて絡め取られる。


 なんなんだ。

 口にした疑問を再び思考して、ふと気付いた。


 ツインテールの少女、相原 宇佐美が角の向こうからやってきて、俺を見て、胸元で甘えていると見えなくも無い小柄な少女を見て、顔を真っ赤にして口をわなわなと震わせていたのだ。


「待て」

「ぴぃっ!?」

「待て誤解だ! 曲解をする前に話を聞いて欲しいっ! これは俺の望みではない。むしろ突然の出来事で困惑しているくらいだ。だからそう…………ちょっとこっちへ来て――――」

「結構ですぅっ!!」


 助けて欲しい、と続けようとしたのだが、それを聞くより早く相原は兎の如く身を縮めたかと思えば、あっという間に逃げていってしまった。


「ぁぁぁぁぁぁあああ……っっ、だから話を聞いてくれとぉぉ………………!!」


 あまりの事態に絶望して力が抜けると、少女はやや苦笑いしながら身を離してくれた。


「あー、もしかして今の、彼女? ごめんね?」


 先ほどまでの様子があっさり消え失せ、あまりにもあんまりな言葉を掛けてくるから、ついこちらの気も緩んでしまった。


「ただのクラスメイトです。ただ、初日から妙に誤解されているので、一度じっくり話す機会を持ちたいと思っているんですが」

「そっかそっか。はははっ、じゃあ今のでもっと誤解されちゃったかな?」

「大体貴女は何なのですか。あの二人に何か特別な興味でも持っているんですか?」


「んー、特別と言えば特別な興味だけど、あぁ君のとは違って色恋とかは別でね?」


 俺も色恋とは別なのですが、と言いたかったが少し面倒になって諦めた。


 軽く息を落とし、改めて少女と向き合う。

 見るからに華やかさのある印象だ。ボブカットの金髪で、地毛のように美しく染め上げられている。

 顔立ちはやや幼く、そんな自分を十分に生かすべく可愛らしい小物を制服の各所に仕込んでいた。けれど先ほど見せた雰囲気は明らかに淫魔の類で、もしかするとこの少女も例の式神ではなかろうかと疑ってしまうほどだ。

 身長は俺よりずっと小さい。至近で向き合えば顎元に頭頂部がくるだろう。先ほどは、足元を崩されていたからもう少し近かったが。


「それで」


 少女は横髪を耳に掛けながら改めて俺と向き合い、そして、


「さっきの質問の答え、教え、て……欲しい…………んだけど………………………………」


 言葉の途中で呆けたように止まり、口も半開きのままじっと俺の目を見詰めてきた。

 おそらくだが、さっきまでの彼女は俺を見ていなかった。

 意識の上でもそう。実際に見ていたのも、顔というよりは身体だったような気がする。淫魔だからな。


 その、未だ名も知らぬ少女その一は一度ぶるっと身を震わせて、視線を彷徨わせ始めた。


「あれ? んー……あれ?」


 忽ち頬が朱色に染まっていく。

 そして、目尻から雫が、流れ落ちた。


「なん、でだろ。あはは……ごめん、ちょっと待ってくれる? あれぇ? なんだろ私、どうして、泣いて……」


 事ここに至って、俺は現状を検証すべきと感じていた。

 たった一度ならばともかく、顔を見られて妙な反応をされるのは二度目だ。

 共に面識は無く、名も知れぬ関係。

 なのに相手は初対面の人間に対するものとは到底思えないような反応を見せる。


 強く衝撃を受けたような、驚き、戸惑い、困惑しながらも何かを掴むようにして俺を見る。


 その理由はなんだ?


「はぁぁ……っ! よしっ、ごめんね。お待たせ」


 少女は、尚も目を潤ませ頬を薄く染めながら俺を見て、眩しそうに目を細める。

 今、彼女の中で何が起きている?

 落ち着いたということは、何らかの結論か仮定が生まれた筈だ。


 最早当初の怪しさに困惑しているべき状況では無い。


「いえ。それで、いきなりどうしたんですか?」


 問い掛けに少女は笑った。


 口端を広げ、広げ、目は再び捕食対象を見定めた肉食獣の如く瞳孔を開かせ、けれど不思議と男を誘惑して止まない、甘さと幼さを孕んだ表情で以って、告げた。



「うん。どうやら私ね、君に一目惚れしちゃったみたいなの。付き合って下さい」



 なんかこう、思っていたのとはまるで違う言葉で以って。


「え?」

「好き」

「お断りします」

「でも好き」

「怖いです」

「恋のスリルはスパイスよ」


 逃げる俺を、名も知らぬ少女は全力疾走で追い掛けて来た。

 相原よ、俺に力を。

 脱兎の如き逃げ足を求めて今日も俺は通学路を駆け抜ける。


    ※   ※   ※


 駄目だった。

 逃げ切れなかった。

 男らしく女らしくなどと言うつもりはないが、それでも男として連日女子相手に運動能力で負け続けるというのは屈辱でしかない。

 己に特殊な力が使えるかという検証よりもまず、ランニングなどで身体を鍛えるべきか。

 結構本気で逃げたのに、背後からぴゅーんと追いつかれてからはすっかり腕を抱きこまれてしまっている。恐るべきことに力任せな手段へ移ろうとしても、しっかり間接や力点を抑えられているせいか外せないのだ。


「先輩、離れてくれませんか」

「えー? やーだ」


 既に学校近く。

 同じ制服を着た学友らからの目が痛い。


 新年度とはいえ二年や三年なら男女で登校しているのも珍しくない筈なんだが、ここまで堂々とくっついている者などそうは居ない。

 いや俺の意思ではない。逃げられないだけなのだ。


 まあ俺とて無策ではない。

 昨日の相原から学んだ通り、どうしても別れて動きを止める場所がある。靴箱だ。この少女がどれだけ俺と行動を共にしたがったとして、靴の履き替え時はそれぞれの靴箱へ向かうしかない。彼女もそれは分かっているだろうから、急いで履き替え、俺の元へやってくる可能性は高い。だが俺は、靴を掴むだけ掴んで靴下で一気に教室へ駆け込むつもりだ。履き替え時間の短縮。上履きを後で仕舞いに戻る必要は出るが最も成功率の高そうな手に思える。


 周囲から誤解を受けることはもうコストとして受け入れるしかない。

 高校生活は始まったばかり、解いていく時間はたっぷりあるのだ。


 と、校門前で人だかりが出来ていた。


「あー、また手荷物検査やってるんだ」

「ほう」


 新年度早々とは随分と気合の入った学校だ。

 何事も最初が肝心とも言うし、これだけ厳しくされるのだからとこなれて来てからの一年生を牽制する意図もあるだろう。


 数名の、風紀委員と書かれた腕章を付けた生徒達と、初老の教師がそれぞれ簡単にではあるが鞄の中身を確認している。


 その中に昨日も見た女性徒の姿があるのを見て取った。

 生徒会長、と呼ばれていた人物だ。

 初日に加えて今日も生徒活動の監督だろうか、随分と熱心な人なんだな。


 未だ名も知らぬ少女その二は、腕時計を確認し、手鏡を取り出しては前髪を弄って周囲を気にしている。

 かなり落ち着いた印象があっただけにあのような余裕の無さそうな行動は意外だった。


「何見てるの……あー」


 あー、の声が低い。


「美人だよね、あの人」


 あの人、の声に棘がある。


「まあ、そうですね」

「生徒会長、なのは知ってるか。昨日の始業式でも偉そうに演説してたんだし」


 そうなのか。生憎と始業式は生徒指導質で筋肉質な教師相手に和気藹々と談笑していた為に、彼女のそれが偉そうであったかは分からない。


 しかし始業式に生徒会長とはいえ一生徒が演説とは、随分と変わった学校だな。

 一之瀬 仁としての経験を掘り起こすに、生徒会というのはあくまで教師の補助であり、演説といえばおふざけの選挙演説くらい。生徒主導の文化祭などはともかくとして、学校主導の行事で壇上に立つなどそうあることではない。


「いいトコのお嬢様なの。んんっ、駄目駄目、あんなのと関わると地方集落のどろっどろした風習に巻き込まれて気が付けば村八分になっちゃうんだから」


 それは是非とも遠慮願いたいが、ここは集落ではなく町だ。

 噂に聞く首都ほどの人口密度はないだろうにしても、住宅地は多いし商業施設も多分にある。

 発達して外部からの人間が増えれば地方の風習などは持続しないものだ。


 少なくとも言えるのは、その一がその二を良く思っていないという事実のみ。


 昨日のこともあるし離れた経路を選ぶかと歩を進めていたら、彷徨っていた彼女が俺を捉え、花開いたように明るくなり、すぐ隣へ視線が滑った途端に目が細まった。なんかもう、二・三人は殺ってそうな感じのレベルで。


「あらぁ生ぇ徒会長ぉ~。サボってないで生徒の人権侵害に勤しんでいればいかがかしら?」


 スタスタと寄ってきた彼女に、金髪ボブカット少女が嫌味を投げる。

 名前を聞いておくべきだったかとも思うのだが、聞けば興味を持たれたと思って面倒だと無視してきた案件だ。


 現状からの脱却が可能かどうかの検証はとりあえず放り投げつつ、俺は昨日とは打って変わって剣呑な表情の生徒会長を見る。


「手荷物検査は生徒の同意の上で行われている。また、学校側は所有する土地内への持ち込み禁止物品を指定する法的な権利を所有している。風紀委員の活動を悪し様に評する前に、自分の行いを少しは改めたらどうだ」

「キャー怖ーい。ねえ助けてぇ。この人ぉ、私のことをずぅっと目の仇にして苛めてくるのぉ」


 生徒会長はその一の言動には反応しなかった。

 変わりに、というよりも、本来の目的といった様子で俺へ視線を向ける。


 また少し揺れた、強い動揺を孕んだ瞳で。


 彼女はまず息を吸い、竹を割ったような心地良い声音で言う。


「君が心から望んで彼女と居るのであれば、私の言葉などは余計であるだろうが――――」「余計余計~、馬に蹴られて肥溜めに落ちればいいわ」「――――だろうが、まだ彼女をよく知らないのであれば聞いておけ」「この人こうやって人の悪口言って回ってるの。私何もしてないのに悪者にされちゃうっ」「この女は去年一年だけで二十を越えるトラブルを起こしている。原因については敢えて言及しない。今の状況で私の口から聞くより、別の者から聞いた方が納得出来るだろうからな。以上だ」「さっさと帰れー」


 合間合間にやたらと茶々入れされていたのに、何一つ動じる事無く言い切って生徒会長は去っていった。

 なんというか、内容についての評価よりも振り返る時の所作があまりにも綺麗で感心した。

 王宮でもあそこまで芯の入った動きが出来る者は数えるほどしか居なかったものだ。

 良家の娘だという話だし、あの年齢であそこまでの動きが出来るという時点で、彼女が厳しい躾に耐え、応じていける人物なのが分かった。


「先輩」

「なぁに?」

「トラブルって何があったんですか」


 返答次第で彼女への評価が下せる。

 第一、生徒会長は気遣ってくれたが俺自身不信感の強い相手で、望んで居る訳でもないのだから、言動などから多少の客観的判断は出来ている。


 彼女は一度何かを言い掛けたが、んー、と悩んだように首を傾げてから、まっすぐ俺の目を見て言った。


「愛を探しているの。いっぱいの愛。だから、どうしても折り合いが付かなくてトラブルになるのよね」


 嘘は無い。

 多少隠した部分はあっても、正直に答えてくれた。


「先輩」

「うん」

「俺に愛はありません。離れてもらっても良いですか」


 言うと、彼女は小さく息を落としてから、あっさりと身を離してくれた。


「残念。でもまあ、今の内は、ってことで」


 唇に指をやり、見せ付けるように軽く舐めてから肩に掛けていた学生鞄のベルトを掴む。


「また会いましょう。怖い生徒会長からも睨まれているし、ね」


 言われて視線を向ければ、離れた所から件の人物がこちらを見ていた。

 隙と見てこっそり離れていこうとする彼女へ問い掛ける。


「どうして俺に興味を持ったんですか」


 視界の外に居る彼女は今、どんな表情をしているだろうか。


「人の性根は目に宿る。始めて君を見た時、とても大切な人に似ている気がしたの」

「それは貴女の求める愛の対象ですか」

「いいえ」


 足音がする。


「情はあった。愛というならそうとも呼べたけど、こんなちっぽけな感情とは比べられないくらいに尊くて、もう二度と手に入らない感情なのよ」


 去っていった。

 桜を孕んだ春風は心地良くて、だからこそ身の内の寒さを感じてしまう。

 彼女の見せた僅かな悲しさと寂しさに、安易に踏み込んでしまった自分の無礼を戒めよう。


 そして、


 手荷物検査を避けて逆走を始めた少女の反対側から寄ってくる人物を見て、俺はついついため息を落とした。


「一応聞いていいでしょうか」

「おう。お前が何を聞きたいのか興味あるな」


 アキト先輩は産毛の生えた顎元をさすりながら、俺を品評するみたいに問うてくる。


「彼女は昨日見たアレの原因だったりしますか」


「分からないな。しょっちゅう見られてる感じはあるんだが、どうにも直接話すのは避けられてるみたいでさ。で、本題は?」


 そっと人だかりから外れ、小声で問う。


「貴方は、スィヴェールという言葉に覚えはありますか」

「いや。全く知らん」


 嘘は無かった。

 間に違和感は無く、声に揺らぎは聞き取れない。

 予め身構えていた可能性は残るものの、一応はそう判断し、彼を信用することにした。


「ではさっきの方について分かっていることを教えてください」


「無関係で居るんじゃないのか? いやいいか。名前は加賀屋かがや 芽衣めい。学年は俺と同じ二年で、クラスはA。成績は二年でトップ。だから教師もあまり強く出られないそうなんだが、まあ色々と問題起こす奴だからな」


 生徒会長も第三者から聞けと言っていたな。


「問題とは?」


「んー、輝かしい高校生活に胸躍らせる新入生に言う事でもないと思うんだが、まあお前なら平気か」


 アキト先輩の中で俺がどんな人物像になっているのかは知らないが、今重視すべきは目先の情報だ。


「身も蓋も無い言い方をするなら、男女教師も構わず誘いまくってるクソビッチ、って所か」

「本当に身も蓋も無いですね。しかもビッチ、ですか」

「おう。俺も一年の時に誘われた」

「乗ったんですか」

「いや、怖いだろあの女」

「怖いですね。というか、男女教師構わずですか」

「去年だけで三人ほど突然余所へ飛ばされてたな」

「女もイケるんですね」

「そこはお前、おいしいだろうが」

「怖いのに?」

「別腹だ」

「別腹ですか」


 頭をコンと小突かれて、堂々と校門脇の壁を跳び越える先輩を見送る。

 声は、壁の向こうから投げ込まれた。


「じゃあな、無関係な後輩くん。困ったらいつでも連絡してこい」


 彼を信用しよう。

 思いながらも、アーヴィン=リラ=スィヴェールの思考が冷徹に判断を続け、今の会話を分解し始めた。


    ※   ※   ※


 シャーペンが紙を擦る音が周囲から続き、椅子に腰掛けていた教師が教室内の様子を伺っては教科書へ視線を戻す。

 黒板にはチョークで授業内容の要約が記載されており、今は皆してノートへ書き写しを行っている状態だ。


 カチリ、と芯を伸ばしてから、また上蓋を押して芯を戻す。


 書き写しは終了している。

 教師が書いている側から追従していたから、書き写せと言われた時点でほぼ終了していた。

 クラスの半数近くが似たような状況で、もう半分はのんびり屋なのか、新生活早々にやる気が無いだけなのか、ともあれ教師も温度差などは織り込み済みで、ゆるりと構えている様子だ。


 俺は、ノートの隅に書いた一文へ目をやり、さっと丸を描いて囲う。


 『およそ十年前……能力の開花

  およそ一年前……事件の発生』


 無関係でありたいと願いつつ思考を続けるのは危険を回避しなければいけないからだ。

 一応は通学中や学校内で問題が発生した事は無い。俺の、認識する限りでは。しかし誰もが当たり前に通信機器を持ち、ネット上で情報をやり取りできる今の世の中、あのような事件が発生しておきながら何一つ予兆となる証言が出ないということはありえない。昨日帰宅してから携帯で町内の噂話を漁ってみたが、ありきたりな都市伝説しか見つけることは出来なかった。

 創作物で語られるような、衆目を避ける手段があるのかもしれないが、そうなると俺が巻き込まれた理由の重みが変わって来てしまう。


 情報不足を自覚しながら、情報源から遠ざかっている今の矛盾をどう評価するべきか。


 電話で聞けばいい。

 それを避けたいと思っているのは、こうして無関係を主張しておけば危険の側から離れていってくれるだろうという、実に甘い判断だ。

 しかし、知識は時に判断を揺らす。

 知らざれば無関係で居られたものを、知ってしまえば手を出してしまう、というような行動もある。

 少なくとも明日にでも二人の死亡が報じられた場合、俺は葬式に顔を出さずには居られない。原因や、場所や、相手のことについても思考を飛ばすだろう。


 いかんな。

 こんな考えを持っている時点で巻き込まれているも同然だ。


 二人は無事だ。今日も明日も、どこかで暗闘を続けて、物語のように全てを解決してくれる。

 俺は一般人として何も知らぬまま二人の作った平和を謳歌しておけば良い。


 しかし、と。


 検証はしなければいけない。


 昨夜の行動が危険を引き込んだのであれば、しばらくは避けるべきであるという判断が最も妥当に思える。

 それでも、条件に不透明性があるとはいえ特異な能力は存在していた。

 感覚的な確率を語るのであれば、何も知らぬこの世界の人間よりも、前世で魔法に類する力を行使していた経験を知識で持つ俺は力を発現しやすい個体だと推測出来る。


 ノートに新しく一文を書き込む。


『条件が不明』


 それは途方も無く重い事実だ。


 なんとなれば今この瞬間に俺自身からただただ暴力的な力が撒き散らされる危険だってある。

 呼吸、視線、発音、集中、怒りや悲しみや、指先の動き、組んだ手の形、あるいはふっと意識を遠退かせるような、理性の減衰か。


 力は制御出来ることが絶対条件だ。


 制御不可能な力があるとして、時に有利を呼び込める都合の良いものであったとして、そんなものを嬉々として所有したまま放置しておける者は常軌を逸した狂人だ。もし人としての道徳と理性と常識があるのならば、すぐにでも山奥に潜んで制御に努めるべきだろう。可能ならば切除し、暴走する条件となる全ての要因を潰しておくべきか。


 ならば今、こうして日常に固執する俺は何なのか。


「……」


 吐息を呑み込んで時計を確認した。

 時間だ。


 チャイムが鳴り、本日最後の授業が終わった。


 担任教師がやってきてホームルームが行われ、明日にでも各種委員を決める旨が通達された。

 学業が終わる。

 日常の一つが消化され、また次の日常へと移行する。


 ふと、教室内で対角の席へ座る者へと目を向けた。

 相原は早くも仲良くなりつつあるらしいクラスメイトと話しており、どうにも周囲から可愛がられているらしい。

 俺の視線を感じ取ったからかは分からないが、ふとこちらを見てビクリとする。


 俺は目を逸らして鞄を持ち、教室の後ろを通って出て行く。


 彼女が脅えつつも不思議そうにしているのが分かる。


 しかし、今の俺は不発弾と変わらない。

 昨日までの行動が、今日また同じ結果を齎すとも限らない。

 極力心を動かさず、平坦に生き、目立つことは避ける。


 件の加賀谷先輩との関係について噂になってはいなかったから、彼女は誤解をしつつもゴシップを言って回ったりする人物ではないという事だ。ならばリスクを取って解決に動くより、現状を維持しつつリスクの方を取り除くべきだろう。


 日常を生きる為に。


「失礼する」


 けれど一度纏った異常は更なる異常を呼び寄せるのか。

 教室の後ろにある扉を潜る直前で俺は脚を止め、前の扉からやってきた人物を見る。

 まだ確定はしていない。

 が、やはり逃亡よりも向かい合うべきなのかも知れない。


「一之瀬 仁という者を探している。このクラスの筈だが、まだ残っているか?」


 特定し、捜索し、こんな早いタイミングで別学年の教室にまで顔を出している。

 逃げた所で捕捉されるのは時間の問題だ。


 まだクラスメイトの名前を全て覚えている訳ではないだろうから、多くは目線を彷徨わせるだけ。

 一人、相原だけは、何故か心配そうに、こちらを見ていた。


「ここに居ます。用件は別の場所で伺いたいのですが、それでよろしいでしょうか」


 廊下側から声を掛けると、彼女は、生徒会長は驚いてこちらを向き、すぐに顎を引いた。


「わ、わかった。生徒会室が空いている。そこで良いで、すか?」

「はい。場所が分からないので、案内していただいてもよろしいですか」

「あ、あぁ……大丈夫だ。問題無い。ついて、来い」


 何故か、妙に挙動不審な彼女の誘導に従って、俺は周囲の生徒からの視線を集めつつ、まだ知らぬ生徒会室へと向かっていった。


 というか生徒会長、非常に美しく芯の通った歩き方をすると思っていたのだが、何故かあちこちに何度もぶつかっていた。


 何故、何故、何故、か。

 親の情も、兄の情も裏切って切り捨てた俺に、赤の他人の心など理解出来る筈もないというのに。


 それでもまた、求めてしまうのか。


「あたっ…………、きゃっ、わっ、わ、わあ!?」


 とりあえず激しく緊張しているように見えるアレはどう判断するべきなんだろうか。




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