第13話
角を持たなければ溢れてしまう。
公民館の中にあった自販機で購入したパックジュースを手に、階段を上がって二階の窓から外を見た。
挿し込み口へストローを当て、薄い保護膜を破って奥へ。
先端を咥えて軽く吸い上げると、オレンジジュースの味がした。
柑橘系の爽やかな味わいが口の中の苦味を薄めてくれる。
ただジュースとして作られたものだからか、濃厚な果汁の甘味が今あるものさえ押し流してしまいそうな気がして、すぐに口を離してしまった。
藤堂と加賀谷、アキト先輩と、電話をしてきたあの女も――――今は一階で待機して貰っている。
選ぶべき手段ははっきりしているのに、この急場でこんなにも無駄な時間の浪費をしている。
急ぐべきだ。
今すぐ状況が動かないのだとしても、貴重な準備時間は刻一刻と失われていくのだから。
胸の内に焦げ付くような想いを抱えたまま、今だけは無視して窓を開けた。
風が吹き込んでくる。
春の風だ。
なのに少し冷たくて、湿った梅雨の匂いが混じっている。
思えばもうじき四月が終わるんだ。
五月になれば雨も増える。
雨は嫌いだ。
山に囲まれたスィヴェールでは、豪雨の際には大規模な水害が発生する。
浸水、土砂滑り、決壊した堰から大量の水が溢れ、人を呑み込み蹂躙する。
水害の後は疫病だ。悪い事は連鎖して、悪化した治安をどうにかしようと兵を派遣すれば、現地との摩擦で最悪反乱が起きる。ああしろ、こうしろ、これだけはやるな、こうなったらああ動け。そんな、外から見れば当たり前で、現場に居れば選び難い判断を即座に伝える手段はなかった。現代では原子力潜水艦を一つの国家と呼ぶそうだが、電話の無い時代では一度派遣された軍や地方の領地なども、言ってしまえば一つの国家だ。現状を把握するのは砂に埋もれた砂金を探し出すようなもので、力ある側は如何様にもそれを捻じ曲げられる。
だから紫陽花が好きだなんて文官の書いた嘘だ。
俺は花よりも、父上と兄上と過ごしたあの山小屋のような日々が好きなんだ。
大切な人の近くで、苦労もあるけれどごく普通の生き方なんてものがしてみたかった。
オレンジジュースは甘い。
春の残り香はほんの僅か。
もうじき嫌いな梅雨が来る。
見ているのに、景色が何ら頭に入ってこなかった。
別に状況を確認したいんじゃない。むしろ潜伏しておきながら顔を晒すなんて、襲ってくれと言っているようなものだ。
二人は覚悟した。
俺が二人にどのような気持ちを抱いていようと、覚悟の前で言葉を重ねるのは言い訳を得る為の手段でしかない。
問い掛けによって言質を受け取り、心を軽くして献上されるままに我が物顔をするのは嫌だった。
返す言葉は二つに一つ。
いや、その前にもう一つあったか。
「君の名前を聞いてもいいか」
階段を上がってくる少女。
黒猫の助けを借りて、ゆっくりと顔を覗かせる。
事の発端となったのは、彼女からの求め。
誤魔化しであろうと、続けられる筈だった平穏を壊したのは、あの一声からだった。
「君は、イーリス=ヴァン=クロノハル――――ではないのだろう?」
俺の問い掛けに少女は、夢の終わりを知ったみたいに儚く笑った。
それこそ梅雨に咲く紫陽花のように。
※ ※ ※
人の性根は目に宿る。
俺がどこまで行ってもアーヴェンそのものではないように、彼女もまた誰かそのものではないのだとしても、藤堂達が俺の中にアーヴェンを見い出したように、やはり滲み出るものがあるのだろう。
アーヴェン=リラ=スィヴェールが最期に見ていたのはイーリス=ヴァン=クロノハルの目だ。
俺を死の瞬間まで繋ぎ止めたあの目は、今でもはっきりと思い出せる。
彼女はイーリスではない。
けれどイーリスと交わした筈の手紙の内容を知っている。
「やっぱり、分かっちゃいますよね」
そうして笑った少女は仮面を外す。
精一杯にそうと振舞おうとしていたようだけど、彼女とイーリスはあまりに違い過ぎた。
階段を登り切った彼女はゆっくりと歩み寄り、大きな三角帽子を外し、胸元へ当てて礼をしてみせた。
美しい所作。ただの高校生では到底叶わないような、幼い頃から幾度と無く叩き込まれてきただろうことが分かる洗練さが見て取れる。足を捻挫している筈だろうに、それでも支え無くやってみせたのは、彼女が持つ前世からの矜持なのだろうか。
「私はイーリス姫に付けられていた侍女。名をオリヴィア=レイ=ルーツェンガルドと申します」
俺の手紙は文官に書かせていた。
代筆など珍しくも無い時代だ。
彼女がイーリスの侍女であったのなら、確かに手紙の草案を作る程度のことは任されるか。当然、返事を読む機会もあっただろう。
「いや待て、ルーツェンガルド? 確か」
「はい。新興国家クロノハルが最初に攻め滅ぼした国の名です。私はそこの生き残り。ずっと幼い頃の話ですけど」
国を滅ぼされ、その娘の侍女として。
元より大陸を荒らし回っていたクロノハルに慈悲や恩情を期待する方が間違いだろうが、だとしても酷い話だ。
「ご安心下さい。先程も申しましたが、幼い頃の話です。イーリス姫に対する恨みはありません。色々と手を焼かされてはきましたし、姉妹のようにとはいきませんでしたが、アーヴェン様とのご結婚は心より祝福していましたから」
そしてイーリスの侍女として共に式場へ入っていたオリヴィアは、あの爆発に巻き込まれて死亡した。
最初に話してくれた、彼女がこちらで記憶を蘇らせてからの日々を思い出す。
縋るものなく、記憶に翻弄されながら足掻いてきたのだろう。
アーヴェンの面影を俺に見て、接触を図ってきたのも頷ける。
「今の」
言えば、
「今の君の名を、聞かせてくれるか」
そうして彼女は空想の物語を聞かせるように色褪せた声で自分の名を告げた。
「
遠く街中を突き抜ける線路の方から、甲高い音を立てて電車が走り抜けていった。
※ ※ ※
霧島 夏帆。
彼女は自らの名を仮初めと呼んだ。
まるで今のこの世界こそが幻であるかのように。
自らをイーリスと誤解させるような言動で俺を誘導し、またここに至って一度も彼女はここでの俺の名を呼ぼうとはしない。使い魔を使って俺の周辺を調べていたのなら当然名前くらいは聞き及んでいる筈なのに。
彼女は最初から、アーヴェン、とそう一貫して呼んでいた。
「……君は、こちらの世界で自らを繋ぎ止められるような存在に出会えなかったのか」
脳裏に去っていった両親が浮かんでくる。
前世の記憶を持つというのは、異なる世界の価値感を知るというのは、それだけで凄まじい異質さを帯びる。
藤堂や加賀谷は適応しているようにも見えるが、背景がどうなっているかは不明だ。
逃げ出した背を掴み、組み伏せて金を寄越せと法と倫理を振り翳した俺へ、あの二人が向けた目は忘れられそうに無い。当たり前の景色の中に、明らかな異常を見つけた時のような、不気味で気色の悪いモノを見る目。
脅威への怯えだけならまだよかった。
関係の薄かった義母はただ脅えた。
だが父は、明らかに俺の中にある異物を捉え、怒りを見せた。
彼の中にあっただろう、一之瀬 仁を浸食して、喰らい尽くして成り代わった化け物……自ら捨てておいて尚も残っていた息子への情がそうさせた、確かな怒り。
「あぁ」
乾いた声が来る。
「アーヴェン様は、妹君が居るんですものね」
言って自らの手を見、その指先からこぼれて行ったものを確かめるように握り込んで、
「……私がこの世界で確かに感じられるものなんて何一つありませんでした。幼い頃から家族は揃って私を不気味がって、学校ではいつでも一人ぼっち。家に帰ればリビングを避けて自室に戻って、冷たくて乾いた菓子パンを食べて眠るだけ。お風呂に入るのだって夜中にこっそり。まるで、私自身すら私を、存在してはいけないものみたいに扱ってきましたよ」
「仲間は。力を合わせて戦った者が居るんだろう?」
「あの子達は結局、私と同じものを持っているんじゃなかった。前世の記憶なんてどうでもいいじゃない、なんて、あの鮮烈で瑞々しい記憶を無かった事に出来るなんて、持っていないから言えることですよね」
俺の中にアーヴェンを見い出し、見破ってきた少女は呟く。
全てが言葉通りではないのだろう。
同じではないとはいえ、超常の力を共有出来る数少ない友人であった筈だ。
それでも彼女、霧島 夏帆にとって前世の記憶は重過ぎた。
「助けて貰いました。頼りにもしています。前世の話を打ち明けられる数少ない相手でした。でもやっぱり、どこか埋め切れない溝をずっと感じていました」
今日ここに彼女の仲間は居ない。
それが答えなんだろう。
何か別の理由があったのかも知れないが、俺への接触があまりに個人的なものであったことからも、思っていたほど協調した動きは取っていないのか。
「アーヴェン様。貴方と交わした手紙の数々は、私にとってとても幸福で、眩しい記憶の一つです」
その言葉に鈍痛を得た。
文面を考えていたのは文官だ。
などと言うことの残酷さを思えば、言える筈もなかった。
少なくとも清書の為に目は通し、認めた上で送っていたのだから。イーリスと会う時には暗記もしている。
「私にとってこの世界は死後に訪れた夢のようなもの」
霧で月を覆い隠し、少女は言った。
紫陽花から雫がこぼれ落ちるような声で。
「ですから、私は今から敵方に投降します。元より私が撒いた種。最期に貴方と会えただけでも、今日まで生き残ってきた意味があります」
今を話していた時よりもずっと確かな表情で彼女は言い、俺を見て少し笑った。
俺はどんな顔をしていたのだろうか。
霧の中に立つ少女は、笑みすら覆い隠して背を向けようとしている。
「貴方の家や妹君のことを仲間には話していません。信じていただけるかは分かりませんけど、例え敵から拷問を受けても吐くつもりはありませんから、どうかご安心を――――」
腕を取っていた。
止まった言葉の続きは要らない。
霧に覆い隠されてしまうのなら、自ら歩み寄っていけばいい。
所詮、霧は霧だ。行く手を阻むものではない。踏み出しさえすれば手は届く。先の見えない不安があるというだけで。
俺は更に一歩を寄せて、背中に手をやって、彼女をベンチへ導き座らせた。
「捻挫を甘く見るな。酷いものになると三ヶ月以上掛かることもあるんだぞ」
あまりに予想外な言葉だったからか、
落とした帽子を拾い、脇に置いてやって反対側へ腰掛けると、黒猫が膝の上に乗ってきた。
「ぁ、カゲロウ」
「案外人懐っこいんだな」
「いえ、私以外に懐くなんて」
「居るじゃないか」
艶やかな毛皮を撫でてやる。
影となって物騒なものを振り回すようだが、こうしていると普通の猫と変わらない。
「ここに居る」
頭を掻いていると、首を捻って指先の匂いを嗅いできた。
猫的にこういうの、どういう意味があるんだろうな。
「でも」
「君がこの世界を否定したくなる気持ちは、少しくらいは分かるつもりだ」
俺だってコハルが居なければ完全にアーヴェンとなっていたかも知れない。
一之瀬 仁を繋ぎ止めてくれたのは、間違い無くあの子だ。
最初から得られた俺と、長い時間を孤独に過ごしたのだろう霧島とを一緒には出来ないが、彼女にだって繋ぎ止めるものはある。
小さな繋がりに過ぎないのだとしても、確かに霧島 夏帆という少女が生きた証は存在する。
「それに、現実的な話をすると、君一人が投降した所で事態が収まるとは思えない」
敵は次から次へと現れるし、殆どが口を開いてもくれない。
彼女は自分が狙われたのだからと自己犠牲を選ぼうとしているが、その後も率先して攫おうとする動きは無かった。
全容の見えない状況ではあるものの、霧島 夏帆という個人を目的に動いているとは言い難い。
「ごめんなさい……私が不用意に巻き込んでしまったから」
「いや。きっと、何も知らないまま過ごすよりは良かったんだと思うよ。少なくとも、俺が手紙を交わしていた本当の相手と、こうして話すことが出来ている」
撫でる手が気に入らなくなったのか、黒猫が俺の指を噛んで膝上から降りてしまった。
痛みはないが、ちょっとだけ残念だ。
やがて黒猫が階下へ降りようとせがむまで、俺達は思い出話に華を咲かせた。
降りていく霧島に手を貸してやるべきだったんだろうが、少し考えたいと言って二階に残った。
黒猫が居るなら、まあ問題はないだろう。
開けっ放しだった窓へ近寄り、無駄と思いつつも携帯を外気に晒す。
「コハル」
画面を見る。
通信障害は続いていた。
もしこの電話が通じたのなら、何かが変わっていたのだろうか。
それでも今、あの子の声を聞くことは叶わない。
「ごめんな」
届かない謝罪を呟いて、一之瀬
※ ※ ※
階段を降りた先で加賀谷と藤堂が跪いていた。
俺は二人の間を通り抜け、
「行くぞ」
「はい」
「喜んで」
後ろに続く姿を確認はしない。
カツン――――無味無臭の床を踏みつけにして歩んでいく。
民から奪い上げた税を使い、このような無難を選ぶような政治を
ありきたりで、好かれず嫌われない、そんな、唾棄すべき平伏などではなく。
己が望みを刃に変えて、支配する者の心臓へ突き立てる様な、そんな方法しか知らぬ身で。
「加賀谷」
「はい」
「アキト先輩から現状は確認したな」
「はい」
「今回の件に関与した個人及び集団の過半数をこちらへ引き込み、停戦交渉の場を設けたい。第一目標は戦闘行動の停止、そしてそれの永続化。第二目標は抑止力の確保。続く流れは貴様が采配しろ」
「承知致しました」
「藤堂」
「はっ」
「アキト先輩から敵の情報を聞いておけ。俺では戦闘に口出し出来ん」
「御意」
歩く。
沈み行く船を支え、持ち直す為には加賀谷と藤堂の力が必要だ。
例え二人が得る筈だった平穏な日々を奪うことになろうとも、例え、二人が望んだ結果であったとしても、私が己の目的の為に利用するという事実は変わらない。
人事を尽くせ。
天命など蹴り飛ばす。
理解が及ばないというだけで、結果は常に過去現在の要因こそが生み出している。
望むのならば、行動で以って掴み取れ。
その先でこちらを見上げるアキト先輩と、三角帽子を被り直した霧島が待っていた。
彼女は何かを納得した様子で、アキト先輩は困惑しつつも、どこか悔やむようにして。
「いいのか」
と、いつか屋上で聞いたような言葉をくれた。
「はい」
応じた俺を見て、アキト先輩はまた少し、しょうがねえな、とでも言うように笑ったのだ。
※ ※ ※
そうして団地街へと戻ってきた。
相変わらず人の気配がしない。
加えて言えば、天使も狼男も妖狐も、姿は見えなかった。
私達が逃げた後に共倒れしてくれていればなによりだったのだが、生憎と様子を伺っていた加賀谷から天使側の撤退によって戦闘が終結したという話を聞いている。最後に残っていた狼男もしばらくして姿を消したのだとか。
アレらがどういう理由で現れたのか、戦いに介入してきた理由も、現状では憶測しか立てられない。
一見すると無目的にしか思えないものも、私達が知らないというだけで、戦闘というリスクを負うに足る理由がある筈。
まずはそれを知っていかなければならないだろう。
「覗き見するなら、高い所の方が良くないか?」
不法侵入した民家の軒で平然と横になるアキト先輩が言う。
あれから幾分回復したようで、歩くくらいなら問題無いと同行してくれている。
が、ああしているのを見ると強がっているだけなのかも知れない。
私の隣でこの家を選出してきた加賀谷が折りたたみの椅子へ座り、生垣の向こうを望遠鏡で覗きながら応じた。
「高所は陣地などで周辺を制圧しているか、脱出手段を確保している場合でなければ、退路を断たれた途端に全滅の危険がありますよ」
取り分け、団地やビルなどは昇降の場所が限られているので捕捉された時点で詰みかねない。
「この場で最も優先されるのは王子の安全を確保することです。貴方と私、二人居ればそれなりに時間を稼ぐくらいは出来るでしょう」
「言うけど、アンタも何の力も無いんだろ?」
「はい」
加賀谷も、藤堂も、記憶を取り戻したというだけで特殊な力の獲得には至っていない。
どちらもごく普通に生きてきた。
その人生を私は奪い取り、支配しようとしている。
「それでさ、無理に戦う必要はあるのか。交渉するんだろ? 前みたいな呼び掛けに切り替えても良いと思うんだが」
確認、というよりは雑談のような会話を続けたがるアキト先輩には私が応じた。
加賀谷には刻一刻と変化する状況の中で策を練って貰わなければならないからな。
「アキト先輩。先輩は、喧嘩をして一方的に殴り付けた相手から、さあ喧嘩は止めて話し合おう、こちらの要求はコレだ、なんて言われたらどうしますか」
「阿呆かと思ってもう一発くらいはくれてやるかもな」
「今の我々がソレです」
「成程」
暴力こそが平和を築く。
これは真理だ。
反論はあるだろう。
力に頼らずとも人は分かりあえる?
スポーツや芸術は国境を越える?
宇宙船地球号なんて話も聞いたことがあるな。
しかし武士道や騎士道が戦後の荒くれ者を抑える為に発展してきたように、倫理観や道徳は平和な中でこそ育まれる。
そして平和とは彼らの振るった暴力によって成り立っているのだから、俯瞰的に見るほどその論法は血に濡れている。
反論のある人間は、警察機構、公安が国から特権的に武装を許された、国の定めた法を守らせる暴力組織であることをまず否定したまえ。彼らの掲げる暴力性は時間とイメージ戦略とが希釈しているだけで、今も法を犯す者は力によって自由を奪われ、場合によっては命を奪われる。
正義であるか、悪であるかを語るのは論外だ。
公安を悪し様に見ることもまた同様に。
真理とは本質を見るものであり、感情論や政治主張を交えてはいけない。
少なくとも今、アキト先輩が言ってみせたように、既に災害時の暴徒さながら好き放題に力を行使する者が現れている場では、平和の訴えは倫理観という暴力を纏えない。最低でも一定以上の支持層を得なければ、力として振るうにはあまりにも脆弱だ。戦いが始まってしまっている場でもし平和論を訴えたいのであれば、凄惨な争いを起こしたり、戦闘を長期化させて厭戦感情を煽り立てる必要があるだろう。
もしくは強烈なインパクトを与えることで一時的にでも戦いへの意識を途切れさせ、共感を呼び込む訴えやパフォーマンスが出来れば、あるいは。
「説得、融和とは相手への迎合によって始まるものです。リスペクトと言い換えても良い」
先の戦い、言葉を発してきたのはたった一人だけ。
力任せに蹂躙し、己の価値観へ引きずり込むことを支配・征服と呼ぶ。
他を圧倒出来ていたのなら順当に話し合いへ持ち込むことも出来たが、不可能であれば手段は切り替えていけばいい。
「奴らが暴力を以って行動を起こすのなら、我らも暴力によって応じ、耳を傾ける程度の関心を向けさせなければなりません」
「だから、藤堂先輩か」
耳元からノイズが走る。
加賀谷が持ち込んだ無線機だ。
相変わらず通信障害は続いているが、駅前で買ってきたという玩具同然の無線機ならば通信が可能と分かったのだ。
咄嗟に耳元へ手をやる私達と違い、彼女はじっと望遠鏡を覗き、思考の海を泳ぐ。
『来ました』
「相手は」
僅かな間。
焦れる私とは違い、加賀谷は静かに状況を待った。
『狼男です』
出発前に加賀谷が言っていた通りだった。
争いのあった場で、何らかの武器を持った者が待ち構えていれば狼男が現れる。
ついアキト先輩を見ると、彼も感心したように加賀谷を見て、それから警戒の為だろう、身を起こして拳を握る。が、上手くいかなかったらしい。彼に応援を要請した身としての責を如何にして取るべきかと俯きかけた時、彼は俺を見て肩を竦めた。
やっぱ駄目だ、悪い――――そんなことでも言いたげに。
何度目かになる気持ちを抱いたまま頷き合い、視線を戻すと加賀谷がこちらを見ていた。
ただの少女にしか見えない姿だが、その瞳には一国を背負って差配してきた者の風格が宿っている。
「王子」
「あぁ」
私は無線機のスイッチを入れた。
私はこの作戦の立案者でも、実行者でもない。
最早成り行きを見守るだけで状況にとっての外野に過ぎない。
それでも望んだのはこの私。
指針を示し、挑むと決定し、号を発した。
例え拳を握るのが自分以外であったとしても、言わねばならないことがある。
「藤堂」
『はい』
たった一言。
「勝て」
命じた。
応じる言葉もまた、とても短く。
『御意』
戦いが始まる。
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