第14話
藤堂は狼男との問答を一切挟まなかった。
彼女の役目は交渉人ではない。
彼女は武。
私達に残された、唯一と言っていい純然と動かすことの出来る武力だ。
現れた狼男へ竹刀を片手に淡々と近寄っていく。
『ッハ! 次から次へと湧いてきやがる。テメエはどれだ? 天使か? 狐か? 生身っぽいし刀野郎の仲間って所か?』
藤堂が無線機とは別に付けている集音マイクが狼男の声を拾う。
応じる声は無い。
敵が迫っている。
交叉の一瞬で全てが決まる中で呼吸を乱すのは愚か者のすることだ。
そんなことを言って私に剣や弓を教えてくれたのはウィリアムだった。
「ここまで来て言うのもなんだが、勝てるのかねぇ。何の力もないんだろ?」
戦いが始まるというのに、相変わらずどこか気の抜けた様子で話すのはアキト先輩だ。
彼は忍び込んだ民家の縁側に腰掛け、瞳の奥だけは妙に深い色を湛えたまま生垣の向こうを眺めている。
「そう聞いています」
隣で望遠鏡を覗き込んでいる加賀谷を見る。
彼女も同様だ。
一之瀬 仁がそうであったように、前世での記憶を持ちこそすれ、特殊な力に目覚めてはいない。
魔女、霧島 夏帆の言によれば、力を抽出していない、となるか。
「ですが、作戦目標に狼男を据える際、アイツは勝てると言いました。意気込みや決意で勝敗を語ることを私は許可していません。確信が無ければ勝てるとは言わない」
「ふぅん」
と、彼の視線が加賀谷へ向いた。
彼女は会話に構わず望遠鏡を各所へ向けている。
様子を伺っている者が居るか、予めピックアップした観戦向けの場所を随時確認している状況だ。
加えてもう片手で携帯をひたすら操作し、何かを書き留めていっている。
「彼女に何か不安でも?」
反応が微妙だったので問い掛けてみると、アキト先輩はもじゃもじゃ頭を掻いて、やや言い難そうに、
「藤堂先輩んトコの道場、俺も昔通ってたんだよ。この辺のクソガキは大抵一度は行かされる。でまあ、そこで何度か相手してもらったことはあるんだけど……」
「ほう?」
先を促す。
語られた内容は、なるほどと思うものだった。
「ガキの頃だったし、今でも続けてるんだから大丈夫だとは思ったけど、あの人結構、運動音痴だったんだよな」
「ならば見届けましょう」
言葉を選んだのも分かった。
アキト先輩を基準にしているから、ではなく、当初の藤堂は本当に運動が苦手だったのだろう。
それでなくとも女の身だ。
単純な筋力の違いは、差が開けば開くほどに技量を圧殺する。なんの力も無く、かつてアキト先輩に劣っていた身で、どれだけ対抗出来るのかと心配しているのだろう。負傷を押して付いてきたのは、いざとなれば自分が出て行くことも考えてか。
「彼女は勝てると言い、私は任せると決めました。後はもう、現場に託すのみです」
仮に確信が誤りで、惨敗を喫するのだとしても。
私は藤堂の勝敗に己が命運を預けたのだから。
再び藤堂に取り付けた集音マイクが声を拾う。
『そうかい。口も効けねえ奴らばっかりだなァおい。ま~それならそれで、遠慮無くぶっ飛ばすだけだぜッ!!』
狼男が足を踏み鳴らし、アスファルトが砕けて地面が揺れた。
遠吠えの後、暴力の化身と成った男がゆるりと立つ藤堂へと肉薄する。
どうなる。
見守る私の横顔を、望遠鏡から目を離した加賀谷が、じっと見詰めていた。
※ ※ ※
戦いの初手は狼男の蹴り飛ばした瓦礫の回避から始まった。
私と会った時にもやっていたことだ。
彼の戦いにおける定石なのかも知れないな。
藤堂は竹刀を正眼に構え、無数に撒き散らされた瓦礫の内、己に被害を与え得るものを正確に読み取って対応した。
静かに一歩を下がり、大きな瓦礫を屈んで回避。竹刀の先端は相手へ向けたまま、続く小さな瓦礫から軸線を逸らしつつ更に後退。屈んだままの動きに無駄はなく、迫る敵を前にゆっくりと立ち上がる。剣道の試合などで見る、開始前の動きそのままだった。
『ダァルアアア……!!』
狼男が飛び掛かる。
早い。が、
「駆け込みながら石蹴りしてやがったんだ、踏み込み前の姿勢が出鱈目過ぎる」
「ほう……?」
解説が入った。
素人目にそこまで観察していなかった私だが、藤堂が瓦礫を回避しつつも常に竹刀の先端を迫る狼男へ向けていたのは分かった。
基本に忠実で、とても綺麗な動きだ。
そして、
「抜き胴」
言葉通りの打撃があり、竹刀特有の小気味良い音が団地の壁に反射する。
身を浮かした上での大振り攻撃を、脇下を潜り抜けつつの胴狙い。身体の軸を揺らさずすれ違った藤堂は紙芝居の人形みたいにくるりと反転し、着地したばかりの背中を先端で小突いて転倒させた。
冗談みたいに狼男が吹っ飛ばされ、二転、三転と転がった後に四つんばいで向き直り、うなり声をあげる。
『ンだクソだりぃ動きしやがって……!! なんも効いてねえぞ!!』
再びの跳躍。
高い。
馬鹿みたいに飛び上がって落下しながら振り下ろしてくる拳は、俺から見ても回避が余裕だろうと判断出来る。
「駄目だ。離れないと」
言われてから気付いた。
狼男の狙いは直接打撃ではなく、回避させた上でアルファルトを砕いての礫。
短絡的に見えて、やはり考えているし、中距離戦での意識が強い。
藤堂は竹刀を正眼に構えたままで、今から逃げても打撃点から近過ぎる。至近距離からの礫を回避するのはおそらく、不可能だろう。
だから何か狙いがあるのだろうと納得出来た。
「へぇ……っ」
動いた。
もしや拳を受け止めるのかとも思えるような待ちを貫いた藤堂は、僅か半歩の踏み込みで身を回しつつ、落下してきた狼男の懐へ潜り込むと、振り下ろそうとしていた拳の袖口を掴み、柔道の背負い投げさながらに地面へ叩き付けたのだ。
『が、ッ……!?』
「やるぅ」
口笛と共に称賛と感心の声が踊る。
アキト先輩が結構ノリノリだ。
「ふむ。解説を」
「叩き付ける際、掴み手とは逆の手でしっかり相手の胸骨を押して肺を潰しに掛かってた。あそこの道場は実戦さながらにが売り文句だったけど、本気で殺しに掛かってるような手口だな。試合で使ったら一発退場、下手すりゃ協会除名で公式試合への参加資格を奪われる」
そもそも剣道で投げ技が良いのかどうかという話は置いておこう。
掴み掛かりながらも武器をしっかり保持している辺り、確かに実戦的だと思わなくもない。特殊な握り方でもあるんだろうか。
投げ終わった藤堂は素早く一歩の距離を取り、素早く狼男の足側へ回り込む。
立ち上がる時、正面に居るか背後に立つかはきっと大きい。
『……っ、っ、て、っ! め、ぇ……ッ!』
加えて身を起こそうとした狼男が手を付いてよろけた。
四つん這いになり、ついた右手が崩れて肘を打つ。
察するに、叩き付けられた際に後頭部も強打したか。受身も取れていなかったようだしな。
如何に狼男が強固であろうと、衝撃は内部へ響くし頭を揺らせば脳震盪を引き起こす。肺を潰していたこともあって、内蔵へ少なからずダメージが入っている筈だ。なにか不思議パワーで耐久性が向上しているのだとしても、生物であるなら生理から離れることは不可能だ。
当然、藤堂は容赦しなかった。
よろけた相手の動きへ重ねるようにしてわき腹を足蹴にし、払い除けに振るわれた手に竹刀の先端を掴ませると、外側へ捻るようにして掴み手を外し、崩れる狼男の首を狙って膝を落とす。喉の奥で蛙が潰れたような呻き声がして、流石に少々眉を寄せた。
実戦というのならそのまま首を掻き切ってしまうのだろうが、生憎と彼女が持っているのは竹刀だ。
殺傷力はおろか、音こそ小気味良いが打撃に際して威力が落ちるような構造をしている。
加えて言えば相手は生身の人間ではなく狼男だ。
「ッ、ざけやがってぇえええええ――――!!」
咄嗟にイヤホンを外した。
マイクを通すまでも無い、周囲へ轟音を響かせる獣の咆哮。
生垣越しでも強烈な衝撃が身体を打ちつけ、舞い上がった木の葉が僅かに視界を塞ぐ。
反射的に指先で摘み取り、ほんの少しだけ表面を眺めた後にその向こうへ目をやった。
反撃が始まっていた。
組み伏せられながらも浮いた手で地面を叩き、衝撃で藤堂を振り払った狼男は、砕けた瓦礫を出鱈目に投じて距離を取る。離されては拙いと思ったのだろう、距離を詰める藤堂だったが、投げ付けられた瓦礫を受け止める形になり、踏み込みの足が止まる。
大きく、息を入れ替える音が耳を撫でた。
突然の遭遇から相手を警戒していただけの獣が、目の前の対象を殺すと定めた時のような静かな呻き。
威嚇するのではなく、己を整え、敵を観察する。
すぐには動かなかった。
前傾しつつ藤堂を注視し、だらりと下げた両手は指の感覚を確かめるように握っては開いてを繰り返す。
「解説のアキト先輩」
「警戒されたんだ。相手からすりゃ、ここまで自分をボコる奴がなんの力も無いなんて考えられない。さっき受けた痛みやらは、何か特殊な力が絡んでいる筈だ、ってな。だから迂闊に踏み込むのを止めた。出方を待ってるんだ。仕留めに掛かってくるのは、力をある程度把握してからになるな」
「状況としては拙いと考えて良いのでしょうか」
「凌げば、あるいは」
よろしくはないか。
藤堂に力はない。
そして武器は竹刀一本。
アウトレンジから一方的に投石を受け続ければ勝ち目は無い。
追いつこうにも、ただの追いかけっこになれば明らかに狼男が勝るだろう。
勝ちを狙うのであれば、どうにかして接近戦へ持ち込まなければならない。
さて、どうする?
※ ※ ※
ウィリアム=バクスターの経歴は中々に凄惨なものだ。
元は中原北部の紛争地帯出身で、幼くして家族を失い、傭兵団の下っ端として生きてきたという。
成長してからは様々な戦いの場へ出向き、徐々に名声を獲得していった。
若かった頃のスィヴェール王、私の父が友好国に援軍として参加した戦いで彼を見初め、騎士にと引き立てた話は有名なものだった。
ウィルにとって父は恩人であり、守るべき主君であり、良き友人でもあった筈だ。
同時に彼はスィヴェール国内の誰よりも戦いの、敗北した側が受ける悲惨さを知っていた。
勝敗など構うものかと、矜持と誇りを胸に徹底抗戦を訴えるスィヴェール貴族達。民もまた故郷を差し出すことを忌避し、抗うことを望んでいた。
父は、人間でしかない王は、そういった人々の願いを受け入れて戦いを選び、スィヴェールは不思議な一体感に包まれてもいたのを覚えている。
きっと、戦うことで得られるもの、守れたものもあったのだろう。
『私はいずれ地獄に落ちるでしょうな』
戦いの中で生きてきた彼は、けれど王に准じて戦うことを選ばなかった。
『スィヴェールは良い国です。私はこの国に来てから初めて平穏というものを知りました。こんな流れ者にすらとても良くしてくれる』
恩に背き、人の道を外れ、外道として生きる。
大勢の望みに逆らって権力を握るということは、多くの反乱を呼び込むということだ。
彼の剣は、守りたかった大勢の血に濡れ、その数百倍、数千倍の命を救ったと――――アーヴェン=リラ=スィヴェールは決定した。
クロノハルの侵略は分かり易い。
抵抗すれば男達は皆殺し。生き残った女達と子どもは奴隷へ落とされ、戦いを率いた者には凄惨な死と、残った死体にすら目を覆うような恥辱を与える。
逆に自ら下るのであれば権力の保持と安寧が約束される。定期的な貢物は必要だし、主要都市を取り上げられたり、傀儡国家として生きることを強要されることもあるが、国土の全てを焼き払われるよりはずっとマシだろう。
辺境で弱兵ばかりなスィヴェールに勝ち目など最初から無かった。
天然の要害も、守る側の腰が引けていれば効果は薄い。
ましてやクロノハルの軍は精強で、ほんの一部を差し向けるだけでスィヴェールの兵力を呑み込むに余りある。
『奪う側に立ってきたからこそ分かるのです。勝者とは、敗者を喰らう獣の名です。気紛れを起こすこともあるでしょう。許し、認め、時に称えて手を取ることもあるかもしれません。自らの矜持を以って友人のように扱うこともあるかもしれません。しかしそれは勝者の一存でいつでも取り上げられる。人であろうとする者は、獣によって食い荒らされるのです』
戦わずして下ることで侮られることもあるだろう。
戦いで負ければ真っ先に民達が奪われる。
下れば、それをほんの少しだけ統治者に向けさせることが出来る。
結局どちらがマシかという話でしかない。
もしクロノハルが強硬なだけの侵略者であったなら、父や兄と共に轡を並べる道だってあったのかも知れない。
結果だけを見れば碌なものではなかったが、先の見えない霧の中を必死にもがいて進むしかなかったのだ。
今を生きるというのはそういうことだ。
『大義や正義で己を着飾ることを覚えてから、随分と穏やかな日々を過ごして来れました。ですが今、スィヴェールを救う唯一の道が穢れたものであるのなら、私こそが担うべきなのでしょう』
もしかしたら別の道だってあったのかも知れない。
それでも私達は血を流すことを選び、進んでいった。
結局人は問題の解決を望む時、培ってきた経験からしか選び取れない。
『ご安心下さい。元より卑属と嘲られ、人としてすら扱われていなかった我が血族、今更穢れた所で差など分かりますまい』
※ ※ ※
狼男が足元のアスファルトを砕いて蹴り飛ばす。
奴の定石。
接近する際に見せる牽制であり、隠れ蓑にも成り得る汎用の一手だ。
藤堂は最初にそうしてみせたように回避を選ぼうとしたが、すぐに諦めて膝を付くと竹刀を向けることすら放棄して両腕で頭部を庇った。瓦礫が散らばっていない。出鱈目に蹴り飛ばしていた今までとは違い、明らかに狙い済ました攻撃となっている。回避は不可能。だがしかし、あれでは。
「ウィル!!」
防ぐ腕ごと弾かれ、齢十七でしかない少女の身は容易く仰け反り、倒れた。
急激に寒気が登ってくる。
今の今まで己を満たしていた傲慢さや自負が熱と共に消えていくのが分かった。
ウィリアム=バクスターは確かに歴戦の戦士だった。屈強な肉体を持ち、アーヴェンなどは片手で相手取れてしまうような実力があった。
だが彼女は、藤堂は、高校三年生の少女でしかない。
なんだあの細い身体は。
確かに鍛えてあるのだろう。
経験を積み、技術を磨いて、新たな肉体なりに強くはなったのかもしれない。
「王子。移動します」
掴まれた腕を反射的に見て、その向こうで冷静そのものな表情を浮かべる加賀屋を見た。
エリクザラート=ゼイヴェルト。アーヴェンの右腕であり、頭脳そのものとも言える宰相は、けれどとても小柄で、顔付きには幼さが目立つ。
「王子っ」
僅かに浮かぶ焦りを見て、ようやく俺も気付いた。
思わず叫んでしまった。
居場所が知られる。
俺の失態だ。
「これ以上は無理そうだな」
縁側で立ち上がったアキト先輩の手が彷徨ってから止まる。
相棒の倭刀は稲妻を逸らした際に破壊され、現場に放置したままだ。
「アキト先輩、何を……」
「いやだってアレ、早目に看ないと拙いだろ。腕吹っ飛ばされてから額にこぶし大のが一つ直撃してたぞ」
「貴方は戦えないはずだ」
「嘘に決まってんだろ。楽できそうだから黙ってただけだよ」
それこそ嘘だ。
公民館で、そしてここで、貴方はずっと負傷した腕をどうにか動けるようにしようと苦心していた。
平気そうに立っては居るが、右半身は動かすだけで痛みがある筈だろう。
「まあなんだ。最初の最初を思えば、俺らがちんたらやってお前を巻き込んだのが原因だしな。別に死のうって訳じゃねえから、もう帰ってていいぜ」
『――――下らない、こと、を……言うな、ッ』
インカムから声が来る。
つい生垣の向こうへ目を向けると、その手前で加賀谷が手元の集音マイクのスイッチを入れていた。
「邪魔をしないで頂けますか、
加賀谷は俺の脇を通り抜けて縁側に立つアキト先輩を見上げる。
「状況が見えていないようですから言わせて頂きますと、天使と雷、その二つは明らかに貴方を狙っていました。詳細な理由は知れませんが、貴方が出て行くと現場が混乱してしまう可能性が極めて高い。折角他の勢力が静観を決め込んでいるんですから余計なことはしないで下さい」
「他って」
「居ますよ。少なくとも二組」
「!?」
加賀谷は戦いが始まる前からずっと周囲を探っていた。
この、一見すると潜伏に向かないだろうと思える民家から、おそらくは現場を見守るに向く場所を逐一確認していったのだろう。
「向こうに勘付かれたくないので黙っていましたが、二人組が団地の破損部分近くの部屋からずっと外を伺っています。もう一組は単独で、一つ奥の団地の屋上です――――覗かないで下さい。相手がどのような手段で索敵を行っているか不明ですので」
思わず飛びついて相手を確認しようとしたアキト先輩を制し、加賀谷は手にしていた望遠鏡や広げた道具類を収納していく。
「加賀谷」
「はい」
不安を隠しきれず、問い掛けた。
「藤堂は、勝てるか?」
「私に武人の力を推し量る能はありませんが」
共にアーヴェンへ、そして今また俺へ忠誠を捧げた臣下はそっと笑う。
エリクザラートらしからぬ、柔らかさを湛えた目で見て、
「意気込みや決意で結果を語るなと、そう命じられている以上、彼女も相応の勝機を見い出している筈。例え道筋が極めて困難なものであろうと、辿り着かんとする覚悟の程はあんな犬っころ風情では及びも付かないことでしょう」
執念。
かつて精神論を語って瓦解したこの国で、それでも掲げるに足ると彼女は言った。
座して待つ天命など俺は信じない。
先も見えない霧の中、人事を尽くして掴み取る。
そう。
人事を尽くすというのは、己を限界まで酷使して初めて口に出来ることなのだ。
「藤堂」
不安はある、浮かびあがった弱気は消えない、焦りで意味も無く動き出そうとしてしまう、覆い隠していた傲慢さは掻き消えて、纏い直すだけの時間がない。こんな言葉、どれだけの自分勝手を詰め込めば出てくるというのか。俺がそう願い、やりたいと決めて、委ねておきながら。
今出来ることを。
言った。
「いつまでいいようにさせている。駄犬一匹、さっさと始末してみせろ」
返す言葉の前に、ふわりと零れる笑みがあった。
ウィリアムには無かった、女らしさとも言えるようなやわらかさ。
通る声には竹を割ったような明朗快活さがありながらも、やはりどこかしなやかで、
『貴方が望むのならば、この身命を賭して叶えてみせましょう』
まるで、初めて恋を知った少女のように軽やかだった。
※ ※ ※
藤堂の戦いを見守りたかったが、俺が声を荒げてしまった為に他勢力から捕捉されてしまった危険がある。
加賀谷は素早く広げていた道具を回収していき、予め定めてあった経路の一つを示すと自ら先頭に立って移動を始めようとしていた。
多少手入れされた様子があるものの、やはり人の住んでいない家というのは歩行に向かない。
慣れた通学路を行くような足取りで後に続くアキト先輩は別としても、俺はどうしても足を引っ張ってしまいそうだった。
次の場所も近くの民家だ。大きく位置を変えるのではなく、少しズラしてやるだけで心理的な死角になるのだという。この場合、ゴーストタウン内での動く物体という、極めて発見されやすい状態を短時間で済ませる為の意図もあるのだろう。どちらにせよ他勢力が本気で周辺を浚えば被発見は免れない。
腰元に三つも無線機を差している加賀谷が、数歩進んだ所で足を止めた。
どういう配線になっているのかは分からないが、彼女の付けるインカムには、常時三つの無線機を通して音声が流れている筈だ。
耳元に指先を触れさせる動きにこちらも耳を澄ませる。
声は来ない。
藤堂の集音マイクから戦いの物音はするものの、後ろ備えの霧島からも通信はなかった。
「面白いことになってきましたよ」
そう加賀谷は笑い、春の草花をスカートで靡かせて、再び歩き出した。
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