第17話
「――――それでは、ご連絡をお待ちしております」
加賀谷が締めの言葉を添えて、表向き今回の紛争は終結を迎えた。
結局あれから追加の参加表明は無く、同時に敵対宣言も無かった。
潰すと言ってきた相手がすぐにでも仕掛けてくることも考慮していたものの、襲撃の様子はない。
残った狼男とアキト先輩に目をやり、俺は無言で背を向けて歩き始めた。
追従してくる藤堂と加賀谷に言葉を放る。
「どういうつもりか、説明はしてくれるんだろうな」
不機嫌さが滲み出た失態すらどうでも良い。
俺では主導権を握れないと考えたのならそれでも構わなかった。
問題は、大一番で俺に説明も無く大方針を変更したことだ。
敵対宣言に対する状況改善を目的にしているとは思えない。
ならば、俺が最初に示した命令に背いたということだ。
「納得出来るものでなければ、今後貴様らを重用することは無い。主人の意思に反する両腕など害でしかないぞ」
最悪、会議は俺一人で乗り切る覚悟で言った。
全ては言葉通りだ。
俺は所詮、藤堂のような武力を持たず、加賀谷のような政治力も持たない。
ましてや今は王族という象徴としての価値さえ無い一般人だ。
何も出来ない者が組織の中心足り得るのは、進むべき方針を定めることが出来るからだ。
それさえ無視されたのなら、俺は傀儡でしかない。
権威を持たないことを考慮すれば、いざとなった時のスケープゴート、囮として使い潰されるだけ。
だからこそ、二人が俺の方針に従うのは絶対条件となる。
十分に離れたことを確認して、俺は足を止めた。
靴底が割れたアスファルトを踏んで不快な音を立てる。
風の巻き上げた砂埃が目元を掠めて目を伏せる。
振り返って、二人と向き直った。
跪いてなどいなかった。
それが答えか。
だが、加賀谷が先ず口を開く。
「主導権などくれてやりましょう。異能社会の統治など、やりたい者に放り投げれば良いのです」
藤堂が、
「貴方はアーヴェン=リラ=スィヴェールではないのでしょう?」
言った。
『俺の名は…………一之瀬 仁。最早この身は、スィヴェールの王族ではない』
そう、言った。
他でもないこの二人に。
俺の中にかつての主君を見い出して、再びの忠誠を捧げたいと申し出た、あの場で。
私ではなく。
王になどなりたくない。
ただ一人の民として、小さな幸せを抱いて生きていきたいと。
そう言った。
加賀谷は笑う。
戦いの最中でも感じた、周囲に忌避されるばかりだったエリクザラートとは決定的に違う、人に愛を伝えることの出来る表情で。
「これから政治的な暗闘が多く発生するでしょう。会議を乗っ取ろうとする動きも当然ある。私達は、秩序を欠いた異能者達に、一定の法を示すことで後の統治政策へ大きく貢献出来ます。どこの誰に主導権を渡すかは見極めていく必用があるでしょうけど、そこは私が上手くやりましょう」
藤堂もまた、どこか力の抜けた様子で笑う。
一度はスィヴェールで得た穏やかさを、その民の血に塗れ、凝固したような表情を浮かべるようになったウィリアムとは違う、まっすぐに立つ己を見せ付けるように。
「我らは共に、貴方が本当に望んでいたことを成し遂げるべく集い、死力を賭して挑んだのです。未だ不安はありましょう。妹君の安全など、万全とは言えぬことも承知しております。ですが必ず守り抜くとお約束致します。元々私の家は、この地域の治安維持に強い影響力を持ちますから」
俺はどんな顔をしていたのだろう。
すっかり剥がれた王子の仮面もどこかへ置き忘れたまま、無力で妹一人守れないと嘆いていたただの高校生が、実の親にすら捨てられた紛い物が、不意にとてつもなく大きくて深い――――愛情に包まれていたことを知った。
藤堂も、加賀谷も、俺の、一之瀬 仁としての幸せを望んでくれている。
その為にこそ、己の日常を捨ててでも駆けつけ、まさしく命懸けで戦ってくれたのだと。
山奥で父や兄と過ごした一ヶ月のように、あたたかで、胸を割くような衝撃を伴ってじわりと何かが滲み出る。
あぁ。
「俺は……」
これでもずっと頑張って来たのだ。
保護者が居なくなり、大金ではあれど成長し切るには到底足りない手切れ金を抱え、コハルという大切な妹だけが残った。
どうにかしなければと焦った。俺のせいだ。順風に行く筈だった再婚に亀裂を入れたのは、間違い無く俺の中にアーヴェンの記憶が流れ込んだからだ。
コハルを守らなければ。あの子を、世界の理不尽から守り通し、立派に成長させて、それで初めて俺の罪は許される気がしていた。あの子と共に過ごす時間で安堵を得ていたのは本当だ。心から愛した。自分を慕ってくれる存在に誇らしさすら覚えていた。だからこそ、不安は常にあった。
俺は所詮ただの高校生だ。両親が失踪した時など中学生でしかなかった。
周囲から自動的に金と権威が湧き出てくる王族ではない。
この、金が無ければ満足に明日も買えない資本主義国家の中で、金を稼ぎ出せないというのは致命的なほどの弱点だった。
親戚や、大人達の作った機構、施設などに身を寄せることを避けたのは、本当は……負けそうになる己を奮い立たせる為だったのかも知れない。
一度身を委ねてしまえば、どこまでも流されて、やがて養子としてコハルと離れ離れになったとしても、仕方無いと諦めてしまったのかも知れない。
意地を張って、苦労を背負い込んで、自信げに振舞ってみせて。
自分の親を脅迫し、金を毟り取って。
そこに他の誰が正当性を認めようと、罪悪感は拭い切れなかった。
当然の事だと言われても、お腹の底が震えて止まらなくなるくらい辛かった。
打ち明けた友人が得体の知れないものを見るように責め立ててきたのを、あぁそうだよなと納得していた。
結果、コハルにまで縋って。
だから、ずっと、頑張って来たのだ。
俺は今どんな表情をしているのだろうか。
一つだけはっきり言えることがあるとすれば。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
ほっとした。
※ ※ ※
鍵を開けて引き戸をスライドさせる。
あれから事後処理を終えて、その後は二人に任せて俺は家へ帰ってきた。
帰ってきてから思うが、もし主導権を握り、異能社会の主導権を握っていたとして、俺はどこに帰るつもりだったんだろうな。
加賀谷は……身の危険を感じるから無いな。
藤堂の家は金持ちだと言うから、身を寄せていたかもしれない。
居候の権力者など恰好は付かないが、支援者の家へ逗留するのは歴史的にも珍しく無いか。
とりあえずアキト先輩の家で一日二日泊めて貰うのもありかな。
それから、世話になっている弁護士へ連絡して、コハルの身柄を施設へ預ける手続きをしてもらって…………。
「コハル」
靴を脱いで、部屋にあがる。
引き戸は閉めたが、鍵を掛けたかどうか思い出せない。
靴下越しに足が畳を踏んで、ベランダから吹き込んできた風がカーテンを揺らす。
真っ白で、下の方に可愛いお花が刺繍されているものだ。家へ引っ越してから、最初に買ったものがこれだった。コハルが気に入って、ちょっとお高めな値段に怖気付いて、けれど強がって購入した。
ふわりと広がったカーテンの下で、コハルが俺の鞄を抱いて寝息を立てていた。
コハル専用の鞄は、幼稚園で使うものだけだ。以前のものは両親を思い出してしまうからと、全て売り払ってしまっている。だから、本当は今日買い物に行く予定だったんだ。行けなくなったから、一人で近くの公園を探してみるって言っていたのに。迷子防止のアプリが入った携帯を、お守りみたいに握り締めて、俺の鞄を枕にしている。縫い目とか、持ち手とかに頬を押し付けてしまっているから、起きたら跡が面白いことになっているだろう。
「コハル」
手を付いて、膝を付いて。
息を落として。
寝息がして。
「ん~、兄ちゃん……」
寝言なんて聞いてみて。
「うん? 起きたのか?」
どうやら違うらしかった。
俺は身体を重くする疲れとか安堵とかに従って横になり、コハルへ手を伸ばした。
たまたまなのか、それともやっぱり起きているのか、伸ばした指先をコハルの手が捕まえた。
「んん……」
握手するみたいに振ってやる。
それから。
「ただいま」
これ以上顔の跡が深くなると可哀想だから、掴まれた指先が解けないように向かい合うコハルを反転させつつ、背中越しに抱き込んで、幼子の持つミルクみたいに甘い香りを胸一杯に吸い込んだ。
カーテンが頬を撫でる。
風が心地良かった。
温かな春の陽気を感じながら、たった一人の家族を抱いて。
「……今日は、疲れたよ」
「うん、おかえり」
やっぱり起きていたコハルと共に、休日の惰眠を謳歌することにした。
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