第16話


 相手は戦いの素人だ。

 藤堂はそう言っていた。


 異能者との戦いを経ては居るが、自らが獲得した力を理に落とし込めていないということだろう。

 経験を積めば多少の技術は身に付く。

 だが理となれば長い時間が必要だ。


 剣術というのは学問の一種である。


 対する状況への効果的な返し方、未知への対処、初手のとり方で如何に主導権を握るか、心身の鍛え方や呼吸、戦いへの心構え一つ取ってもそう。

 数世代掛けて試行錯誤し、伝え、訓練し、試し、自らと同様に進化し続ける誰かの上を目指して磨き続ける。

 いずれ流派の個性とも呼ぶべき術理の格子が完成し、先鋭化されていく。


 ケースバイケース、なんて言葉を叩き伏せる、全ての状況でこれが正解だったと決めて掛かるような剛腕、などと言うのは流石に暴論か。


 だが知るか知らないかで動きは決定的に変わる。


『踏み込みが雑だな! それでは敵にどこへ攻撃しますと宣言しているようなものだ!』


 飛び掛かる狼男の攻撃を難なく回避し、藤堂の面打ちが決まる。

 どころか引き遅れた相手の手首を二度も打ちつけ、苦し紛れに振り回した腕を静かに下がって避けるとすかさず小手打ち。これは回避されるも、弾かれたように仰け反る狼男は攻撃を継続出来ない。


『戻しが遅い! 攻撃とは自らを突出させる行為だ! 肉体を武器とする貴様は私よりも遥かに高いリスクを負っているのを忘れるな!』


 勢い任せに前へ出れば足元を払って転倒させ、追撃には容赦の無い蹴りが飛ぶ。

 俺も多少はウィリアムに訓練を受けた記憶を持つから分かるが、素人はとにかく上半身が先行するから、足元への攻撃でよく転ぶ。

 戦う上で重要なのは武器を振り回すことではなく、足運びと重心だ。


『派手な攻撃にばかり意識が向く。貴様のそれは砂上で大砲を放つに等しい。素早く、単調でありながらも敵を的確に崩す攻撃を覚えろ! 術理を弁えた相手に対し、大振りから始まる攻撃など何時間やっても当たらんぞ!』


 狼男の膂力は凄まじいものである筈だ。

 擬似ダイラタンシー現象が推測通りだとしても、常人と同じ力であるとは思わない。


 おそらく、腕や肩などを捕まれれば藤堂に逃げ出す手段はない。


『剣道ではまず基礎体力を付ける以外に、素人にはひたすら打ち込みを経験させる。その逆も然り。それはな、人間の持つ生理的な反射行動を矯正する為だ。他者へ攻撃を加えること、他者から攻撃を加えられること、それに対して過剰に反応して必要以上の動作を取れば、経験者からは容易く手玉に取られる。貴様はそれさえ出来ていない』


 目潰し、フェイント、構えた竹刀の先端に視線を捕まえ誘導する。

 なまじ目が良く、機敏故に一つ一つへ反応出来てしまうから、一度釣ってしまえば抜け出すのも難しい。

 サッカーやバスケで左右に振り回した挙句股下にボールを通して抜き去るのとやっていることは同じか。


 実際に目元を突いたとて、狼男を倒せるかは微妙なのに。

 それでも効果は出ている。


 は、人間なのだろう。


 人間としての生理を拭いきれていない。

 生理を削ぎ落とす訓練を受けていない。


『私が選ぶ立ち位置、貴様との距離、それに対する理解も無い。今の貴様は目の前にニンジンを吊るされた馬も同然だな』

『っっるせェ奴だ!! テメエこそ俺を倒してみやがれ!!』


 怒声交じりの攻撃はしかし、ボクシングのジャブに似て短く早い。


 藤堂はかろうじて回避している。

 戻し手を返しての掴みを避けるには姿勢を崩す必用があった。


『っはァ……!!』

『ほぉ……っ』


 学んでいる。


 やはりただの猪武者じゃないか。

 敵わないのは恥辱だろう。目の前で罵られ、それを受け入れるのは困難である筈だ。だがやってきた。


 小さく詰めてのローキック、が上手く行かず踏みつけるようになった。

 下がる藤堂。今までのように足元を崩せない。攻撃する脚に重心が引き摺られているのではなく、上体をしっかり前へ動かした結果の失敗だからだ。歩幅を合わせるようにして狼男が詰めてくる。呼吸が乱れる。息が落ちる。更に踏み込み、攻撃が――――来るより早く目元を狙った払いが狼男を襲い、思わず仰け反って距離が出来る。


 藤堂が小さく笑った。


『実戦でものを試していると、つい前のめりになるものだ』


『あァ……、他のこたァ忘れてたなァ』


 目潰しはもう通じないかも知れない。

 分かっていて使わざるを得なかったか。


 思っていた以上に呑み込みが早い。


 加えて言葉と言葉の合間に生じる僅かな違和感、余裕ぶって見せているが、藤堂に蓄積した負傷は相当な筈だ。

 弾き飛ばされ倒れた彼女の姿はまだ頭の中をチラついている。


『アンタぁ、そういうの、なんだ……剣術ってのやってんのか』


『家があちらの山で剣道を教えていてな。興味があるなら尋ねてくるといい』


『あァ……けどまあ、今は訓練じゃねえ』


 狼男が一歩を踏み出す。

 上か、下か、意識の差を読み取って前進を阻もうとした藤堂が、


『少し頭も冷めてきた。要するに崩れなきゃいい。そういうことだろう……?』


 大きく下がる。


 なんだ?


 また一歩。いや、攻撃を仕掛けてくる様子はない。ひたすら前へ。ゆっくりと、散歩でもするように歩いて距離を詰める。


『異能を持たねえアンタは俺様を倒せるだけの攻撃手段がねえ。だから俺はアンタに勢いや力を利用されないようゆっくり接近して、力任せにねじ伏せる』


 存外に柔軟であると、初めて会った時にも思ったのだったか。

 確かに藤堂が狼男を倒せる効果的な手段は無いのかも知れない。

 強い力で押せば強い力で反発する。

 擬似ダイラタンシー現象を元に思考するなら、結局相手へ痛打を浴びせるには、相手の抵抗力増減の均衡点を突破するだけの攻撃力が必要だ。

 首元や内臓への打撃も奴を行動不能には出来なかった。


 コンクリートの塊を貫く衝撃を受けて尚も立ち上がった、その耐久性を一番に考慮すべきだったのかも知れない。


『実戦にレギュレーションなんてねえんだよ。好みの勝ち方じゃあねえが、こっちも虚仮にされたままって訳にもいかねえからよ』


『なら、そろそろ決着を付けるか』


 すっと、藤堂が竹刀を構えた。


 駄目だ。狼男はもう竹刀を怖がっていない。目潰しを狙っても頭突きで応じてきそうなほど、今の彼は腹を括っている。

 俺の思考を余所に、狼男は脚を止めた。


 風が吹き抜けて木の葉を揺らす。


 不意に空を見上げてみたが、天使の姿は見えないまま。


 耳へ取り付けたインカムから声が来る。


『あァそうか。歩いていって掴もうたって、流石にそれじゃあ捕まってくれねえよな。結局どこかで速度を上げて届かせるしかねえ。そんで、あー、相対速度? そいつが上がればアンタの攻撃だってそれなりに痛ぇかも知れない。っは! せめて獲物が木刀か真剣なら良かったろうけどな、そんな玩具じゃ痛くも痒くもねえぜ?』


 藤堂は静かに立つ。


 ちょっと剣道を知っている者なら誰でも分かる、正眼に構えて狼男を待っている。


『最速、いや最短。強くやる必用はねえ……小突いて崩せりゃこっちの勝ち。学ばせてもらった事ァしっかり活かしてやらせて貰うぜ』


『引きはしっかり。交叉の後に悪あがきを貰うかも知れない。あるいは新手の攻撃か。決着の瞬間こそが最も怖い』


 狼男が、その大きな口を裂けんばかりに開いて笑う。

 笑い声まで暴力じみて大きな奴だ。


 そして、


『やっぱり戦いってのは面白ェ!! 俺様ァもっともっともっと強くなるぜ! アンタはその足掛かりだ!』

『踏み外さない様に精々気を付けろ』

『上等ォ……!!』


 最後の交叉が始まる。


    ※   ※   ※


 狼男は大地を震わせるほどの咆哮を放ち、地面を踏みつけた。

 アスファルトが蜘蛛の巣状に亀裂を奔らせたかと思えば、地中で暴れまわった力がそこから吹き出るようにして隆起し、粉塵を、瓦礫を巻き上げる。


 相変わらずデタラメな力だ。

 しかも力の巡りをある程度操作しているような様子すらある。


 ただ力任せに暴れまわるだけの異能ではないということか。


『行くぜオルァアア!!』


 初手はやはり、瓦礫を蹴り付けての牽制。


 だが弱い。


 放物線を描いてふわりと飛んだ瓦礫は目晦まし。


 真っ向からの力はこれまで幾度も回避され、時に利用されてきた。

 あくまで牽制は牽制と割り切って、次へ繋げることこそが寛容。


 なら何が狙いだ。


 牽制? 目晦まし? 違う。


『ほォら喰らいやがれェ……!!』


 ゆっくり飛ばした瓦礫へ追いついて、狼男は右拳で打ち抜いた。

 暴風が巻き起こり、庭木がへし折れんばかりに煽られる。


 藤堂もこれには堪らず横っ飛びに回避した。


 姿勢を維持する余裕はない。

 ただ速度だけを求めての回避を選ぶしかなかったという時点で、続く攻撃への不利が確定した。


 着地姿勢を迎撃に向けたものにしようと踏ん張った藤堂の脚が、はっきりと崩れた。

 負傷は、疲労は、確実に蓄積している。


 だがインカムに漏れた、痛みを堪える僅かな吐息、それを敗北の理由とは思わない。 


「勝て」


 衝動的に声が出る。

 インカムのスイッチを入れることすら忘れていた。


 それでも。


 他の全てを忘れても言わずには居られない。


「勝てッ、藤堂!!」


 返事は来ない。けれども、


『決まりだァアアア!!』


 すっ、と藤堂は姿勢を正す。

 回避の後の、屈んで崩れた姿勢から、まずはと脚を折り畳んで正座する。

 偏った重心も、曲がった背筋も、正座は綺麗に整えてくれる。

 無理に立ち上がることを藤堂は選ばなかった。

 崩されたならば、最初から。

 誰でも出来る当たり前を。


 たとえ目の前に暴力の化身が迫っていようと変わらない。

 不意を打たれて少なからず動揺があっただろうに。


 続く動きは、この戦いの最初に見たものと同じだった。

 剣道の試合で選手二人が向かい合い、竹刀を構えて腰を上げるあの動き。



 その一瞬、現実の音が消え去り、朝日を帯びた道場で静かに立ち上がる藤堂を幻視した。



 決着と言うのなら、彼女が己に出来ることを全うした時点でついていた。


 藤堂が踏み込む。

 竹刀を正眼に構え、相手を、迫る暴力を真っ直ぐ見据えたまま、おそらくは何千何万回と繰り返してきた当たり前の一撃。


 突き。


 相手の喉元を狙った美しい攻撃は寸分違わず突き刺さり、重心の遥か上を貫かれた狼男は脚を投げ出すみたいに転倒して――――掛かる力に耐え切れず竹刀が中頃から砕け散った。


『不覚……』


 まるでそれが最大の失態であるかのように、藤堂は悔しげに呟いた。


    ※   ※   ※


 「突きってのは中学までの大会じゃ使用禁止にされてるくらいでさ」


 現地へ向かう道中、剣道経験者らしいアキト先輩が教えてくれた。


「段持ちの突きなんてまともに受ければ、喉がイカれることだってある。竹刀は打撃するには弱い印象あるけど、竹の頑丈さと柔軟性をもろに生かして放った突きってのはかなり痛い。数日痛みや変調が続くし、後遺症を抱えたって話もあるな」


 とはいえその打撃も、防具が無ければ未経験者が想像しているよりずっと痛いらしい。

 確かに痛みも無いなら着ける意味もないか。


 剣道では相手を負傷させることが試合の目的ではないから、藤堂が言っていたように素早く当てて素早く引くのが基本だそうだ。それでも真剣であったなら、刃先が触れただけで腱を断ち切られて戦闘不能に陥るんだとか。


「藤堂先輩、やるねぇ。戦闘中やたらと相手に教えてたのも、煽ったりしたのも、全部突きの威力を最大限発揮させる為の状況作りだ。侮ってたのが申し訳ないくらいだよ。それに最後の立て直し、俺だったら慌ててもう一度回避してたろうなぁ……あれは痺れるわ」


 加えて打ち出された瓦礫の回避をしっかり距離を開けるよう後方寄りに飛んでいたそうだ。

 ほんの一歩か二歩、一秒も無いような差だが、その間一つで小手・面と二つの打撃を行った藤堂を俺も見ている。


「最後の突きも見事だった。竹刀が真っ直ぐ砕けてたのが良い証拠だ。相手の重心、進行方向に対して真っ直ぐ突きを繰り出してなきゃあ、へし折れてただろうし、そうなると威力は激減してた。突きに必用なのは腕力より動作の正確さなんだよ。体重を一点に集中させて乗せられるから、子どもだって大人を悶絶させられる」


 アキト先輩が愉しそうで何よりだが、そろそろ現地へ到着だ。


 なんとなく、格闘技とかスポーツとか一緒に観たらずっと解説してくれそうだなとか思いつつ、


「加賀谷」

「はい――――皆さん、無線機のチャンネルを一へ変更して下さい」


 細道を出て、通りへ顔を出す。

 まず、すぐ足元の地面がひび割れていて、戦いの凄まじさに呑まれそうになった。


 公園側は逃げ出した時のまま、街路樹なんてまともに立っている方が珍しい。

 道路は迫撃砲でも打ち込まれたのかってくらい穴だらけだし、藤堂はよくこんな場所で道場さながらの立ち回りが出来たものだ。


「王子」


 その彼女が、破損した竹刀を手に立っていた。

 足元には泡を吹いて倒れている狼男が居る。

 ぴくぴく震えているが辛うじて意識はあるらしい。

 警戒を解いていないのはその為か。


 いや、新手の可能性もあったんだったか。


 つい上空へ目をやり、晴れやかな空を確認した後、俺は決着の場へ歩いていく。


 アキト先輩は背後に残り、やや遅れて加賀谷が続く。

 まるでそこがお立ち台であるかのように藤堂が身を引き、俺を場の中央へ導いた。


 ここからだ。


 加賀谷と、藤堂が状況を整えてくれた。

 ここから、本当の戦いが始まる。


 マイクのスイッチを入れて、


「我々は、箕ノ原市みのはらし調停委員会。この地域における異能者の紛争及び犯罪行為を取り締まり、それらを解決することを目的に行動している組織である」


 無線機を通し、宣言する。

 加賀谷は先だって霧島の使い魔などを使い、この近辺の目立つ場所に俺達が使用していたのと同種の無線機をばら撒いている。

 中継機などの設置は無いから半径は精々二百メートル程だが、今の戦いを観戦していた者ならば傍受可能な位置に居る筈だ。


「繰り返す。我々は箕ノ原市調停委員会。この地域における異能者の紛争及び犯罪行為を取り締まり、それらを解決することを目的に行動している組織である――――我々は、現時刻を以って、本日この地にて発生した異能者による紛争の終結を宣言する。繰り返す――――」


 さあ。


 さあ、応じて来い。


    ※   ※   ※


 「我々は、本日発生した紛争に複数の組織が関与していることを察知している。我々がこれまで関わりを持ってこなかった組織が存在することも」


 嘘も言い張れば真実となる。

 ほんの数時間前に思いついたことを、あたかもずっと昔から行っていたことであるかのように言ってみせる。


 歴史というのは重要だ。


 調停者を名乗るのなら、積み重ねた時間は重石となって状況を抑え付ける。

 信用なくして調停など成り立たない。なら嘘は危険だと思うだろうが、この場合はバランスを気を付ければ良い。

 優先すべきは、今ここで起きている紛争を終結させること。


「箕ノ原市調停委員会は、今日この場に集った異能者へ、話し合いの場を設ける用意がある。貴方がたにそれぞれ目的があることは承知している。だがこの惨状、これを明日も、そのまた明日も積み上げていきたいと思っている者がそう多く無いと私は信じる」


 狼男は日本語を話していた。

 人間である彼もまた、この平和な国の出身者である筈だ。

 魔女の力を持つ霧島もまた日本人。


 培ってきた気質というのは簡単には変化しない。


 紛争地帯出身ならいざ知らず、この日本で激情に拠らず、大義だの目的だのの為に殺人を犯せる人間がどれだけ居るだろうか。


 勿論、異能という強大過ぎる力を得たことで過剰に高揚し、あるいは全能感に酔って凶行に及ぶ者も居るだろう。


「っ、が、ぁ……っっ」


 狼男が身を起こしてきた。

 回復の早い奴だ。


 だが喉元を抑える彼に藤堂が手を差し伸べれば、奴はバツが悪そうにしながらも手を取り、立ち上がった。

 突きを受けた際に脳でも揺れたか、かなりふらついている様子だが。


「我々は箕ノ原市調停委員会。この地域のおける異能者の――――」


 何度でも繰り返す。

 組織の名前は執拗なほど。


 例えこの場で応じてこなかったとしても、後で思い返した時、名前だけは意識へ残る様に。


「テメェ……、くそっ、ごほっ、が、っっはぁ……!」


「そうだな。まずは貴方に問うべきか」


 加賀谷が集音マイクを狼男へ向けるのを待って、


「貴方はこの戦いの発端と見られているが、まだ戦闘を続ける意思があるのか?」


「ンだコラッ、お前一般人だとか言ってやガッ、ごほっ、ごほっ、くそ!」


 因みに加賀谷は素早くマイクのスイッチを切っていた。

 リアルタイム編集は骨が折れるものだ。


「君には役割がある筈だ。それを教えてくれとは言わない。ただ、これ以上の紛争を引き起こす前に一度、話し合いの場を設けたいと考えている」

「話し合いだァ……!? っざけんな! 俺様がそんなかったるい事やるかよ!」

「だが君の仲間はどうだ? 近くに居るのなら呼びかけてみるといい。代表者との対談は望む所だ」


 狼男は鼻先を怒らせて悪態をつく。


 加賀谷を見ると首を振っているから、おそらくは近くに居ないのだろう。


 宣言中の対応については予めフローチャートを組んでいるのだが、どうしたものか。

 ばら撒いた無線機からは未だ応答は無く、狼男に決定権は無さそうだ。

 サクラを使うにしても一つくらいは外部からの応答が欲しい。


 粘るか、俺が次の言葉を引き出そうとしていると、加賀屋がゆっくりと前へ歩み出てきた。

 明らかに見られていることを意識した、華やかを感じさせる歩み。


 視線が合った。

 頷く。


 政治的な難題を抉じ開けるのは宰相の仕事だ。


 彼女は無線機のマイクに口元を寄せて言う。


「会議への参加者には、礼金として現金十万円を進呈致します」


「十万!?」


 狼男が食いついた。

 好き勝手暴れていただけのガキ共なら尚更、現実的な利益は耳を傾けるに足る。


「えぇ。無関係な人まで送り込まれても困りますから、一組織につき三名までとさせて頂きますが。それに、少々勘違いされているようですから捕捉致しますと、当箕ノ原市調停委員会は強引な停戦条約の締結や、不可侵条約などを強要は致しませんし、議題の肝はそこではありません。ただ今までに無いほど多くの異能者が集まっている現状、この状況を共有できる人達と面識を持てればと考えています」


 つまり。


「話し合いに参加したからといって、何かに合意する必要はありませんし、ましてや決定権を持った誰かである必要もありません。懇親会のようなものと思って頂いても結構です。ただ、礼金は一組織三名までですから、そこは早い者勝ちですね」


 悪戯っぽく言って、加賀谷はポーチから帯で結んだ現金を取り出し、狼男へ差し出した。


「はい、どうぞ」


「お、俺は別に参加するなんて言ってねえ!」

「そう仰らず。貴方とお話出来ればと」

「だから強引に渡してくるんじゃねえって!?」


 ふむ。


 藤堂。


「私もそれには参加する。先程の話の続きには興味があるだろう?」


「…………まぁな」

「はいどうぞ」


 動きが止まった隙を突いて加賀谷が十万を握らせた。


「あっテメ!?」


「どの道渡すものですから。他の人が自分もちゃんと貰えるんだって安心出来る様、持っていてください。どうしても受け取れないのなら、話し合いの席で返して頂いてもいいですよ?」


 なんとなく詐欺師のやり口を思い浮かべないでもないんだが、目的達成の為ならば仕方無い。

 さっきから見ていると、どうにも狼男は加賀谷が苦手らしい。

 彼女は平気でボディタッチとかしてくるからな、耐性の低い男だと返って反発される危険もある。


 藤堂には引き続き狼男を篭絡してもらうとして。


「……し、仕方ねぇな。俺ぁちゃんと返すからな。賄賂とか受け取らねえんだよっ」

「はい。お待ちしています」


 俺は改めてマイクのスイッチを入れて呼び掛けた。


「さて、これで一名の参加が決定した。他に興味がある者は、無線機を通してでも構わない、参加表明をして欲しい」


 程無くして声が来る。

 アキト先輩だ。


不動ふどう 彰人あきとだ。この地域でしばらく前から式神使い、って勝手に呼んでるが、巨大な化け狐と戦闘を繰り返してきた。俺も話し合いは望む所でな、参加を宣言するぜ』


 名前は言わずとも良いと伝えてあったのだが。


 しかし、彼が明確に己を示したことで、話し合いの信用度は補強される。


 続けて、


『私達は、魔女の集い。私もそのお茶会に参加させて頂きます』


 霧島からの通信が入る。


 これで三組。

 状況を最初から全て把握していた者ならば、未だ天使や雷といった脅威が顔を出していないと分かるだろう。

 補強には十分だが、せめて後一つが二つ、参加宣言が欲しい。


 しばし待ってみたが、残念ながら反応は無い。


 間を持たせ過ぎて場の熱が冷めれば印象悪化は免れない。

 ここまでか。


 俺が締めの言葉と具体的な話し合いの日時を伝えようとした時、不意にノイズが奔った。


 暗い、空っぽの洞窟から響くような声で。



『――――貴様らは、潰す』



 女の、声だった。


 応じるべきか、いや、応じてはいけない。箕ノ原市調停委員会は紛争や犯罪行為の解決に取り組んでいる。敵対宣言を受けたからといって真っ向から応じては、戦いのイメージが強くなってしまう。迂闊に話し合いを呼び掛けてもいけない。更なる過激な発言を引き出しかねないからだ。

 今の発言を無かったことにして先へ進め、押し流す。反撃など持っての他だ。


「ンだテメエ!! ツラ出しやがれぶっ殺すぞ!!」


 見れば藤堂が無線機を狼男へ渡していた。

 加賀谷は集音マイクを切っているが、そもそものマイクが手元に渡っているのでどうしようもない。

 元々そうする予定だったから、彼の性格を考慮して変更を伝えなかった俺や加賀谷の失敗なのだが、視線の集まった藤堂がちょっと慌ててわたわたしている。


「いいか! 俺ぁ喧嘩売ってきた奴は全部ぶっ飛ばしてきた! 面と向かって宣言することも出来ねえ腰抜けと――――」


「はーい! 狼さん、今ちょっと思ったんですけどぉ、二の腕の筋肉すごくなーい? めちゃくちゃ鍛えてるんですねーっ」


 加賀谷が強引に話を止めに行ったがもう遅い。

 正確には彼は参加者であって委員会の人間ではないのだが、おかげで話し合いの参加者とそれに敵対する相手が居ると印象付けてしまった。


 まあ仕方無い。


 敵対宣言もフローチャートには織り込み済みだ。

 問題は先の通信の直前に、別の通信が入りかけていたことだ。


 潰すと宣言した女。その直前、誰かの声が、聞こえた気がした。


 可能性はある。

 ならば今は良しとしよう。

 敵の存在は内の結束を固くすると言うし、悪いことばかりではない。


 未だに狼男が叫んでいるから集音マイクは使えない。

 少し離れて宣言を続けようとしたら、吠えるワンコを藤堂へ押し付けた加賀谷が駆け寄ってきた。


「どうした」

「続きは私が」

「? そうか」


 疑問に思ったが、彼女なら今の状況を修正する術があるのかもしれない。


 予定通りなら二週間後に話し合いを行い、大方の方針を決めてしまうつもりだ。

 こういうのは最初が全て。決定などしないと言っているが、それとなく話を持っていくくらいは政治の基本的なスキルだからな。現状では素性もはっきりしないだろう箕ノ原市調停委員会も、行動を起こし始めれば情報はどことなりとも転がり出す。利益になると思わせれば、後からでも参加希望者は出てくるものだ。

 最初は雰囲気だけでいい。

 無闇に争わない。

 基本は話し合いを前提にするべきだ。

 そういう空気を作ってしまえば、本格的な決定を下す時に強い追い風となる。


 二週間というのも俺達が主導権を握る為。

 この会議へ参加を望む者は、これから秘密裏に接触を図ってくるだろう。

 既に参加を宣言した者と意見をすり合わせ、裏で協力し、あわよくば乗っ取りを仕掛けてくることも十分考えられる。

 しかし二週間という時間は、無関係な組織が手を組むには短過ぎる。表面上そう振舞うことは出来てもお互いに不審が残り、些細な駆け引きが生じれば俺達にとっては隙となる。生じさせるような話題を持ち出すことだって難しくは無いしな。そして裏工作に頭が回るような者なら、逆風に気付いて様子見を選んで貰いやすい。何かを決定しなくても良いと明言している会議へ参加するだけで三十万も貰える訳だからな。


 一週間では早過ぎる。

 無理なスケジュールでは参加自体を諦めてしまう者も出る。

 だが二週間なら、日常の予定を空けるのにだって余裕がある。


 逆に一ヶ月では、先述した裏での接触に余裕を与えてしまう。

 信頼関係にどこまで影響するかは別としても、二週間ならちょっと先だが、一ヶ月は未来の意識が強くなる。

 今日のこの熱が思い出となるには十分で、己が儘に振舞いたい者達は今日見たことさえ忘れて暴れ出すだろう。


 科学的根拠でも示せれば一番なんだが、こればっかりは経験則だ。

 俺が提案し、加賀谷が承認した。


 同時に、だ。


 この期限は、繰り返しになるが――――俺達委員会が主導権を握る為のものだ。


 異能者による暗闘がどれほどの歴史を持つのかは未だに知れない。

 ここに集った組織に限らず、世界を巡ればもっともっと大勢居るのかも知れない。


 だが今、ここで、異能者による無法が行われていて、押し留めるような者の存在は確認されていない。


 法とはそれを布く国が国体を守る為のものだ。

 権利意識の強い環境だと忘れがちだが、そう偽装しているだけで決して国民の為のものではない。

 そして必用なのはそれを悪だ善だと論じることではなく、本質を理解した上で利用する事。


 今日この地域だけでどれだけの被害が撒き散らされただろうか。


 望まぬ戦いへ応じるべく、どれだけの苦労を重ねたことか。


 彼らを放置していては、今後も似たような事態は起こり続ける。


 法を知れというのだ。

 確かに法は国体を守るもので、国民の為のものではない。

 だが、国体が守られてこそ維持される平穏というのも、確かにある。

 平穏が保証されない社会は無法の蔓延る地獄となり、長い時間を掛けて培われてきた道徳心をあっという間に腐らせる。


 そうなる前に、俺がこの異能者共に法を布く。


 背けば裁きを、そして裁きを押し付けられるだけの武力を、何よりそれを承認する周囲の同調・支持、それこそが異能社会とでも呼ぶべき国体を維持していく。


 異能者は存在した。

 彼らはそれぞれの目的で以って行動し、現実に被害を撒き散らしている。


 必用なのは帳尻合わせの隠蔽工作ではなく、明確な法だ。


 だから。


「コハル」


 ごめんな。


 兄ちゃんは、コハルの兄ちゃんで居たかったけれど、もう、この現状を目の当たりにしてしまったから。

 放ってはおけない。


 現実に存在した異能。

 そして異能者同士の争いが、既に暗闘の枠へ収まり切らず日常の中へと姿を晒し始めている。

 先程の現金のように、異能者が異能を使って現実的な利益を求め始めれば確実に社会は荒れる。

 表の法はどこまで異能を裁けるだろうか。

 直接的な暴力であればまだいい。

 魔女の使い魔などを使って窃盗や覗き、殺害などに及べば異能者自身を裁くのはかなり難しい。

 ましてや天使や雷となれば、尚更に。


 表の法で異能者を縛ることは出来ない。

 だが、彼らもまた法治国家で生きてきた意識がある。

 ならば異能者の為の、裏の法を布くことで秩序を思い出させる。


 我々は法の中で我慢を重ね、道徳や倫理を育んできたことを。


 考えているほど容易ではない筈だ。

 それでも誰もが、そんな程度にすら思考が及ばず、放置しているのであれば、俺が出て行くしかないだろう。


 巻き込まれたからではなく、自分の意思で踏み込んでいく。


 異能者による社会に法を布き、それによって守られるだろう平穏の中でコハルが怖い思いをしないで生きていけるよう頑張るから。


 だから、これまでのような日常は送れなくなる。

 今回は奇跡的に察知されたのがアーヴェンへ好意的な者だっただけだ。


 その霧島だってどこまで信用していいのかは分からない。


 アーヴェンのようでいて、やはり違う俺を、いつか彼女が幻滅しないとどうして言い切れる。

 今の人生を夢幻のように語る霧島はとても不安定で、どう転んだっておかしくは無い。


 害が及ぶと分かっているのなら、近くに居続けることは無責任な甘えに他ならない。

 表の国家とは違い、異能社会に国境線は無く、嘘とハッタリを重ねただけの俺は自らを守り切る武力さえ不足している。

 あの子の日常を守っていけるだけの確信が俺には無かった。


 ならばもう離れるしかない。

 手元に置いて守れる保証が無いのなら、遠ざけておくほうがずっと安全だろう。


 コハルはきっと許してくれない。母に裏切られ、今また兄に裏切られたと思えば、あの子がどれほどの苦しみを抱え込むのか。それでも、必ず立ち上がれると信じている。


 加賀谷が言う。

 別れの言葉のように。


 未だ声を挙げられない誰かへ向けて。



「会議の開催は今からおよそ、八月の二十日を予定しています。場所はこの近くにある箕ノ原市公民館と致しましょう。本日より一週間、私は毎日十七時にこの場で参加者を待ちます。質問なども受け付けますよ。その後の連絡手段はいずれ通達致します。繰り返します――――』



 俺は思わず加賀谷を睨んでいた。

 だが彼女はどこ吹く風と話を続けている。


 言葉を挟むことは出来ない。


 通信を聞く組織全てに内部の亀裂を宣言するようなものだ。


 藤堂を見ると、彼女はまっすぐ俺を見返してくるだけ。

 つまり、奴も加賀谷と共謀している。


 二週間を、四ヶ月に。


 策謀の余地は、十分過ぎるほどにある。

 敵対者の存在が明らかである以上、そのような隙を晒すの愚行だ。


 お前達は俺が異能者に法を布くことを指示してくれていたのではないのか。


 藤堂。

 加賀谷。


 お前達は、何故。


 問い掛けに応じる声は無い。

 空は、どこまでも澄んだまま、俺達を見下ろしていた。




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