第9話
しかして時は来た。
頃合いは昼休み中盤。
本来なら放課後を狙いたかったのだが、委員会の担当決めで時間の予想が付き難いことと、協力者の希望があった為に時間をズラした。
幸いにも五時限目は移動教室で、理科実験室への移動がある。
場所の選定も終わっていた。
彼女は昼食を教室で摂る。
渡井のグループで、今日も和気藹々と弄られながらこじんまりした弁当箱をつついていた。
一応食堂へ出たり、外へ向かう可能性も考慮して幾つか腹案を用意していたのだが、まあその程度ならば無駄というより成功確率を向上させるコストと称するべきか。
場所は三階。別棟へ向かう連絡通路の中央。
昼休み半ばとあって人通りは少ない。
昼食を終え、余暇の過ごし方を各々定めた後に来る隙間の時間にて、自ら机上の青写真を蹴り飛ばそう。
ダン、と床を踏み鳴らして、俺は彼女を前に仁王立ちした。
「ぴぃっ!?」
ツインテールが兎の耳のようにまっすぐ立ち上がり、腰を引かせたウサ子が早くも臨戦態勢となる。
昨日の宣言もあって今朝からかなり警戒されていたらしいが、流石に食後とあって気持ちが緩んでいたのだろう。小食なのに食べることは好きらしく、弁当中はいつも幸せそうにしているからな。しかしこの時間、この場に立った時点で手遅れだ。タイミングは内部協力者によって調整されている。援軍は来ない。
加えて。
「ぴ!?」
逃げ出そうとしたウサ子が振り向いた姿勢のまま固まる。
長いお耳がぷるぷる震えているが、まあ仕方あるまい。
そこに立っているのは、
「だ、誰っ!?」
「あぁ、まあ、俺も何でここに立ってるのか分かってないトコあるからな」
イマイチやる気の無さそうなアキト先輩が眠そうな目をしながら立っている!
「ふ、ふふふふふふふ、はははははっ」
俺は今まで単独で彼女に相対していた。
しかし強者へ挑むにあたって独力に拘泥するなど愚かな事だ。
故に俺は今! なんかすごいパワーを持っているらしいアキト先輩に助力を請いっ、こうして君を前後から挟撃することに成功している!
人間は群れで行動する生き物だよ相原ウサ子!
今日こそ君を捕えてみせようではないか!
「い、一之瀬君!? 今日お休みだったんじゃ……? 風邪? 治ったの?」
「先ほど登校してきた所だ。因みに風邪というのは嘘だと言っておこう。ふふふ、狙い通りに不在と信じて油断していたようだな……!」
「う、嘘はいけないと思うよっ」
「それよりも優先すべき問題があるのだよ、相原ウサ子!」
「ウサ子じゃないよっ、宇佐美だよっ」
「失礼。つい勢い余った」
「勢いで名前間違えるのって失礼だと思うのっ」
「ククク……そのような些事に囚われていて良いのか? 一本道で前後を挟まれ逃げ場はない。個人の武勇など数の前には無力であることをここに証明してみせようではないか!」
この圧倒感、優越感、堪らないな!
一歩を踏み込めば一歩を下がってくる。しかしその向こうに居るのはアキト先輩だ。出会った当初からなんとなく曲者感を漂わせている彼の事だからそう簡単には突破はされまい。俺も警戒は十分にしている。今も無作為に踏み込むのではなく、彼女との間合いを慎重に計りつつ、周辺の状況を確認しているのだ。
ここは三階連絡通路。
左右は窓ガラス故に翼でもあれば飛び出せただろうが、生憎普通の人間にそんなものは生えていない。
精々一縷の望みに掛けて中庭の桜にでも飛び移ってみるか?
しかし桜の枝は非常に脆く、一部が折れてしまえば枝全体が壊死してしまう。彼女にどれほど自信があったとしてもそのような暴挙には及ぶまい。
更に一歩、踏み込んだ。
下がった彼女が手をやるのはやはり窓ガラス。
鍵は開いているようだな。ならば飛んでみるか?
下に自販機などの足場が無いことは確認済みだ。二階程度ならともかく、三階の高度から飛び降りれば骨折は不可避、いかに身軽な彼女だとしてもなあ。
「ほ、ほら一之瀬君、きのう、昨日お話したよねっ!? いっぱい、はなしたよ!? というかなんでこんなことするの!?」
時間稼ぎだろうか。
思いつつも勝者の余裕で以って応じることにした。
俺は問われた内容をしばし思案し、
「特に理由は無い」
「無いの!?」
「敢えて言うなれば半分くらいは趣味だ」
「人を追い詰めて囲い込むのが趣味なの!?」
「もう半分は毎度逃げられてちょっと悔しかったからだ」
「負け惜しみ!?」
ぴぃっ、と悲鳴をあげるウサ子。
踏み出す俺。
周囲へ視線を巡らせ活路を探すも、流石にこれだけ用意周到に状況を作られれば彼女とて逃げられはしないだろう。
彼女は二階の女子トイレで事後報告を待っている筈なので、後で礼を言いに行かねばなるまいな。
「はははははっ、思っていたより気分が良いな。さあ逃げられるのならば逃げるが良い。君がこの状況でどのようにして踊るのか、堪能させて貰うとしよう」
「言ってること最悪だよっ、なんか漫画の悪役みたいだよっ」
「勝利の為ならば悪に染まることも辞さない」
「なにが君をそこまでさせるのっ」
再び悲鳴が上がり、俺はゆっくり近寄っていく。
そうする俺に習ってアキト先輩も距離を縮めて、囲いを小さくしていった。
油断はすまい。こうしていても、脇を抜かれる危険は常にある。彼女は只者ではないのだ。傑出した個人を叩くにはまず物量。そして環境を整え、地形へ追い込んで能力を封じる。そこまでやって初めて、彼女のような者を討ち取れる。
全く苦労させられたよ、ウサ子。
しかし君の脱兎の如き逃走を見送るのも今日までだ。
絶望を知ったらしい彼女はガクリと腰を落とし、顔を俯かせている。
観念したか。
最後は呆気無いものだ。
詰め切った状況というのは冷静にミス無く進行するのが寛容、こうなるのは見えていたとはいえ、物悲しくもある。
俺はウサ子の前に立った。
なんだこれ、という顔をしているアキト先輩が一応は警戒しつつ背後を取ってくれているが、ふと見知らぬ女生徒が彼の向こう、連絡通路の入り口付近を駆け抜けていった。つい視線が釣られる。何故か、妙な胸騒ぎを覚えながら。
「おい」
アキト先輩の声。
しまった、相原の事が意識から外れて、
「っ!?」
一瞬の隙を彼女は見逃さなかった。
いやむしろタイミングを計っていた。
観念して身を縮めていたのは、飛び出しに向けての溜めだ。わかってはいた。だがしかし、この状況でどう動く、どう打開する、相原、君は――――!!
「なに!?」
彼女は一目散に横合いの窓ガラスに飛びつき、開け放つ。
窓枠に脚を掛けた所で思わず問い掛ける。
「どうするつもりだ! 桜の枝などどうなっても良いと言うつもりか!?」
「この状況でなんか常識的なこと言われるの凄く嫌なんだけど――――」
「おい、いいのか。そこの柱」
不意にアキト先輩が割り込んでくる。
顎に手をやり、状況を伺っているのか。
いや、柱?
「私も桜は大好きなので、傷付けるつもりはないよ」
見れば、彼女が飛び出そうとしている窓は連絡通路を支える柱のすぐ近くだ。しかし柱? 一体なにが。
「そこの柱には、屋上の雨水を排水するパイプが取り付けられてるからな」
「まさか!?」
相原は一切の躊躇無く飛び出し、柱側面にある排水パイプを掴み、滑り落ちていった。
後ろ髪を追いかける暇も無い。器用に勢いを殺し、着地の際には壁を蹴って転がり更なる逃走の一助とする抜け目の無さ。
俺は窓から身を乗り出して彼女の使用した排水パイプを見る。
「真似てみるか?」
「いえ、本来こんなものは人を支える強度にはなっていない筈。彼女の身軽さと天性のバランス感覚、あらゆる部分を総合して成し遂げられた業でしょう」
脱出経路の確認はしていた。
待ち構える有利から最初は鍵を一つ一つ締めてもあったが、昼休みは人の往来が激しく、クラスメイトに見付かり彼女へ伝わるリスクを避けて常時監視は出来なかった。ちょっと窓を開けて中庭の友人へ声を掛ける程度のことは確かに起こり得る。しかし逃げる術が無いのだから問題は無いだろうと、甘い判断を下した俺自身の敗北か。アキト先輩に代理で監視をしてもらう手もあったが……客将への遠慮が的確な配置のミスを誘発することもある。
学ばねばならないな。
口惜しくはあるが、未だ相手の方が上手だったというだけだ。
再起の機会は存在する。
次こそは。
「それで」
幾分力の抜けた様子のアキト先輩が逃げていく相原の後ろ姿を覗き込む。
「言われてやってはみたけどさ、これってどういう状況な訳?」
※ ※ ※
説明の為と言って、俺はアキト先輩を屋上へ案内した。
整えられた植え込みが目に優しく、並ぶベンチにはまばらな人の姿がある。
僅かな異音、自販機の可動音を聞きながら人目を避ける片隅へ至ると、ようやく振り返って言葉を発する。
「まずは急な協力要請に応えて頂き、感謝します」
「無関係な……いや、後輩から頼まれたしな」
ぽりぽりと適当な様子で返すアキト先輩は一度はこちらの言葉を待ったが、少しして俺が待っていることに気付いて問いを投げ掛けてきた。
「いいのか」
「構いません」
初めて会った時から変わらない、年不相応な貫禄を備えた一つ年上らしい先輩は、今の言葉を肩一つ竦めて消化すると屋上の柵へ寄りかかった。ちょうど、騒がしかった一団が屋上から出て行くのを見る。
「悪かったな、言っておけば良かった」
視線は空へ。
もう終わった話だというのに、謝られてしまうから、ついついウサ子の逃走経路について思い浮かべてしまう。
くすり、と笑って。
「いえ、状況確認と情報の共有は作戦立案者が負うべき責です。ああも見事に逃げられたのは痛恨でしたが、半ば余興でしたので」
「まさか本当に排水パイプ伝って逃げるとは思わなかったな。何者だ、あの子」
俺はビシリと振り向いた。
「やはりアキト先輩も只者ではないと思いますか」
「只者が躊躇無く三階から飛び降りるかよ」
改めて彼女への評価を上方修正し、けれどやはり不足かと思いつつ現状を保留した。
「それで」
彼は、
「改めて聞くが、もう無関係な先輩後輩とは呼べなくなってきてるが、いいのか」
「はい」
本題への入り口へ踏み入る前へ、前提確認を行っておこう。
情報の共有は大切だと味わったばかりだしな。
「まず、俺は今後も先輩に与するわけではないことは最初に明示しておきます。あくまで中立、可能ならば平穏な生活を送りたいと考えていますので」
「そうか」
落胆するでもなく、責めるでもなく、淡々と応じてくる。
「ただし、今回先輩は俺の個人的な要請に応えてくれた。その恩には報いるべきだろうとも考えています」
「必要ない。そもそも何かあれば頼れって言ったのはこっちだからな」
「しかし極めて個人的な、趣味とも呼べる行為の手伝いを頼んだのです」
「相手も言ってたが随分な趣味だな」
俺はふっと笑って彼女の背中を思い浮かべる。
日常とは退屈との戦いだ。その中でほんの些細な緊張感を得るくらいは悪くない。彼女はただのクラスメイトで、既に連絡先を交換し合った友人でもある。
「今回の事で先輩には俺に多少の作戦立案能力がある事などを示せればと思ったのですが、生憎と相手が上手でしたね。しかし、俺が多少なりとも価値のある人間であることはご理解頂けたかと思います」
「……はあ」
「故にこそ言いましょう。俺には、先輩の抱える問題を多少なりとも改善させる用意があります。恩には報いを。手伝って貰ったのですから仕方無い」
「いや、要らんと――――」
「午前中、ハルナ先輩に会って来ました。見舞いには果物盛り合わせが良いと聞いたのですが、生憎と資金的な問題もあって缶詰めにしましたが」
多少の間が空いた。
アキト先輩はやはりというか、こういう腹芸には慣れていないようで頭を掻いてあからさまに面倒くさそうな顔をする。
「……だったら分かるだろう」
「はい。お二人の続けている暗闘には危険が付き纏う。幸いにもお元気な様子でしたが、学校を休み、病院での療養を選ばざるを得ない負傷を背負うような、危険のある事へ首を突っ込もうとしています」
ここしばらく、俺はハルナ先輩に会っていなかった。
二人の家は近かった筈だ。
再現性などと語るまでも無く、あれだけ仲良くし、生死を共にしているのであれば登校を一緒にすることは多い筈。
なのにアキト先輩はここしばらくいつも一人で、今もそうだが妙に眠そうで。
無関係と言い張りながらもやたら声を掛けてくることに不信を抱きもした。
けれど状況の変化を一考すれば見えてくるものもある。
「俺は既に、何らかの注目を集めてしまっているのでしょう?」
返答はない。
構わず続けた。
「先輩達はそれを影ながら守ってくれていた。登校時など、声を掛けてきたのは示威行為でしょうか。警戒のあからさまなタイミングを狙うより、別の隙を狙う方が良いと思わせれば安全度は上がる。担任の先生から聞きましたが、先輩は新学期早々に授業を幾つもサボっているそうですね。当初は交代制で、ハルナ先輩が負傷してからは一人で……無関係で居たいと言った俺の意を汲んで、そう思っていられるように護衛をしてくれていた」
頭を掻いて視線が下向いた先輩の反応は推し量れない。
しかし良い。
正解なら既に得ている。
午前中、ひたすら脚を使って見付け出した入院先でハルナ先輩の姿を確認した。
後の事が妄想じみていようと、勘違いであっても、最早構わない。
否、即座の否定の無いことが証明とすら言えるだろう。
「あー…………勘違いだ」
一応言ってみた、といった様子の言葉など無視する。
「現状からの逃避を続けて前線を圧迫するなどあってはならない事です。危険は許容出来ない。けれど迫ってくるのならば正しく回避、あるいは堰き止める手段を知るべきではないかという判断です。そして俺には、現状を改善する為の手段に多少の心得があります」
盛大なため息が聞こえた。
幾らかゴネられた時に備えて説得の言葉を複数用意してきたのだが、流石にアキト先輩は無駄を悟ったようで、幾分目の覚めた様子でこちらを見てくる。
「なら相談くらいには乗ってもらうか」
「はい、喜んで」
「一つ聞くが、別にお前、戦えるって感じじゃないんだろ」
「護身術程度は可能に思いますが、以前見たハルナ先輩のような戦いは出来ません」
戦力にはならない。
迫る脅威に対して無力とも、足手纏いとも言えるのが事実。
それでも一つだけ確かに言えることがある。
「先輩」
「ん」
「戦争、戦闘行為とは目的達成の為に行われる政治的手段の一つです。武力による制圧と支配は極めて強力なカードでしょうが、ご承知の通りリスクがあります。まずは相手の戦略目標を知ることが寛容。そしてなにより、相手との交渉を行うパイプの確保が必須となります」
「殴り掛かってくる相手との連絡手段がそんなに重要か……?」
「当然です」
戦いは政治的手段の一つ。
ならば、その政策を通して目的を達成した後も戦闘を続けるのは無駄なコストにしかならない。
人間でしかない俺達は、時としてそのコストすら無視して暴走してしまうが、外部からの横槍は存外に冷静さを呼び起こすこともある。
俺がその一助となれればという判断も確かにあった。
「あらゆる政策に於ける最も重要な要素は、制御可能であることです。停止させる用意無くして戦争という政策を執り行うのは、水道を通しておきながら蛇口を作らず垂れ流しにするも同然。完全勝利や完全敗北など本来そう簡単には得られません。どの程度勝って、どの程度負けるか、という蛇口に捻り具合を見定める感覚が必要なのです」
その為にはまず現状確認。
敵情を知るにせよ、粉飾や誇示にコストを割くにせよ、相手とのホットラインを繋がなくては何も始められない。
交渉とは時間の掛かるものだ。
個人間の問題であれば即断も可能だろうが、それでさえ人や事情に拠ってくる。
戦闘がまだしばらく継続するとしても、まず言葉を交わしておくことは極めて重要で、必須とも言える事なのだ。
「具体的にどうするつもりだ」
「えぇ」
既に手は打ってある。
「相手との交戦したことのある場所全てにこちらの電話番号を記載した手紙を配備します。先日俺が襲われた場所には置き終えているので、後はアキト先輩の記憶力次第ですね」
「引っ掛かるか? ソレ」
「興味を引けることは確かでしょう。一応、ネット上へ誘導してパスワード入力をしなければ番号が分からないようになっていますから、俺をあの巨大狐で襲わせた者か、それを知る者でなければ掛けてくることは不可能です。相手が電話を嫌う可能性もあるので通信アプリのグループ招待など、複数の方法を提示してもいます。少々、この手の事に詳しいクラスメイトが居たので」
とはいえ俺もコレ一つで連絡が付くとは思っていない。
他にはアキト先輩の暗闘を映像で保存し、公開するぞと脅しつけるという手もある。
今日まであんな出来事が世にあるなど俺は知らなかったし、ネットで検索してみてもまことしやかなものしかない。少なくとも相手は、あの戦いを秘匿すべきものと考えている可能性が高い。
脅迫、興味、欲求、最初の連絡はどんな形になっても良い。
言葉を交わせさえすれば、その先に糸口を見い出すことは出来る。
「あぁ最初に確認しておくべきでしたが、アキト先輩の方で交戦を継続したい理由などはありますか? ハルナ先輩の仇討ち、と言われれば少々困ってしまいますが」
怨恨は戦いを暴走させる最たるものだ。
警戒しつつ問い掛けると、彼は瞑目して肩を竦めた。
「いや。無いなら無いで構わない。俺だって夜は街中徘徊してるよか寝てたいんだからな」
「……では、仮に相手との交渉が始まった場合、それを停戦交渉としてよろしいですね?」
目的を聞き出したり、相互に何らかの賠償が要求されたり、難航することは十分に考えられる。
だとしてもまずは交渉の席を設ける。
今後も暗闘が続くのだとしても、顔の見えない相手と延々先も見えずに戦い続けることは避けられる。
「なあ後輩」
「はい」
アキト先輩はすっかり目の覚めた瞳でこちらを見て、その深みのある色合いの奥から俺を覗く。
「お前は何者なんだ」
たった一言。
空いた間を埋める言葉も、挙動も無く、静かに俺の返事を待っている。
彼は余計な言葉は一つとして口にしなかった。
答えを引き出す為の話術をかなぐり捨て、ただの先輩として問い掛けていた。
俺はどんな表情をしたのだろう。
アキト先輩が意外そうに眉をあげ、頬を掻く。
人間でしかない俺は、人間らしく感情に引っ張られながら、答えを返そうとした。
鳴り響く携帯の着信音が、それを押し留めてしまったけれど。
※ ※ ※
画面に表示された番号を見て、登録もされておらず、過去諸所の事情で削除したものでもないことは分かった。
顔を上げ、アキト先輩へ視線を送る。
先ほど話したばかりだ、彼も予想が付いたのだろう。
まさかのタイミングとあって少々驚いている様子だが。
さて、アタリかハズレか。
俺はスピーカー状態にしてから通話ボタンを押した。
「はい」
反応は無い。
無言の間。
「パスワードが分かったんだな」
『はい……』
アキト先輩が身を乗り出してくるのが分かった。
若い女の声。
篭っているのか、マイクから遠いのか、個人を判別するのは難しい。
けれど仮にこれまで式神とやらとしか交戦したことがないのなら、値千金の情報と言えた。
「念の為に確認したい。貴女は、あの大きな狐を、その場に居た少年へ嗾けた人物なのか?」
またしても無言。
極力情報は明かさない方針か。
向こうとしても初めてのこと、緊張は十分に考えられるが。
「こちらには、貴女と交渉を行う用意がある。貴女が何の目的を持っていて、何故戦いという手段に出たのか、それを教えて貰えれば一定の協力はするつもりだ。あるいは現場を目撃していただけだとしても、今後もこの連絡先へ掛けてくれれば話に応じるつもりでいる。情報が欲しい。そして、こちらとしては無闇に戦いを継続するつもりはない。どう、だろうか」
ふっと視線をあげると、アキト先輩は何かを言いたそうにはしていたが、黙って俺に場を任せてくれていた。
戦い続けていた相手かもしれないとあって、下手に交渉口へ立たせれば何が起きるか分からない。
この手の交渉は当事者同士ではなく、その要望を聞いた第三者同士で行うのが理想。
実際に傷を負っているのであれば尚更だ。
急場とあって要望を十分に確認することは出来ていないが、冷静な彼をありがたく思いつつ、次の言葉を作ろうとしていた時だ。
『――――』
なにかが擦れるような音がした。
携帯を持ち替えたのかもしれない。
そして続いた音は、今までよりずっとはっきり、相手の声を伝えてきた。
『アナタは……』
若い、女の声で。
『貴方は、アーヴェン、なの?』
かつての俺の名を呼んだ。
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