第8話


 「――――でさあ、折角の高校生活なんだから、出来るだけ楽しくしたいんだよねぇ」


 幼稚園への連絡を終えて戻ってくると、既に場が完成していた。

 机を四つ集めつつ、多少スペースを確保するべく周囲を押し広げている。

 別に各自の席で担当分を表へ纏めても良かった筈だが、おそらくは渡井の好みだろう。


「あーおかりー」

「あぁ」


 その渡井が手を振ってくる。

 隣にはツインテール少女ことウサ子がおり、対面にカツオ、俺の席は渡井の正面で、カツオの隣になるらしい。


「なにやってたの? トイレ?」

「いいや、電話だ」

「わ、渡井さん、はしたないよ」


 あけすけな発言にしれっと返す俺と、意外にも突っ込む相川ウサ子。あいや、宇佐美だったか。


「えー、こんくらい平気だって。ね、のせっちゃん?」

「同意を求められても困るが、気にするほどの事でもない」


 言いつつ席へ座ると、渡井がなにやら難しそうな顔をする。


「『同意を求められても困るが、気にするほどの事でもない』」


「何の真似だ」


 言うと溶けるみたいな笑みが来た。


「濃ゆいなぁ……!」


「ネタにされていることは理解した」


「いやだってのせっちゃん面白いんだもんっ。ツボにくるよ! しかも似合ってる! もう特濃だよっ、調整乳じゃなくて特濃ミルクだね!」


 何故牛乳についての話が出てきたのかは分からないが、そういえば休憩中にハーフサイズのパック牛乳を飲んでいるのを見かけたことがある。好きなのだろう。


 彼女は乳製品が胸部の肥大化に影響を与えるという科学的根拠に乏しい信仰を体現するかのような胸を張り、渾身のドヤ顔を決めている。


「それじゃあこっちが一之瀬くんの分ね。コレが第一希望の紙で、こっちが第二希望――――」

「任された」


 渡井の話をあっさりスルーして某カツオが仕事を割り振ってきたので俺も応じる。

 男子二人から流された彼女は隣のウサ子へ嘘泣きつきを始めたが、カツオの説明は淡々と続く。


「最終的にはクラウドにアップしたのを編集してソート出来る様にするから。一之瀬くん、アプリは何使ってる? クラスのグループ作ろうかってさっき話してたんだけど」

「アプリはあまり使っていないな。何を入れたらいい?」


 余計な噂話が付いて回るのを避けるべく、過去を切り離している俺の連絡帳は寂しいものだ。

 一応名前は幾つか残っているものの、アプリなどの登録は一度解除し、そのまま放置している。


 万一を考えて持たせてあるコハルの携帯と幼稚園、あとは探偵事務所と、精々が数件といった所か。


 俺はカツオの指示したアプリをダウンロードし、幾つかの操作を行った。

 既に三人で作っていたグループへも招待され、画面が途端に賑やかとなる。


「詳しいんだなカツオ」

「どっちかと言えばジンが慣れてないんだよ」


 気安く踏み込めばあっさり応じてくる。

 渡井との関係も長いのであれば、たしかにこういうのには慣れているか。


『なんだよソレ……っ、そんなのっ、だって、相手は自分の』


 置き去りにした言葉が不意に蘇ってきて、打ち込んでいた挨拶を誤送信してしまう。


「あ」

「ハイのせっちゃん初手ミスごちそうさまーっ」


 言葉通りのメッセージが即座に送信されてきて、まさかのタグ付けまでされてしまう。


「やり直しを要求するっ」

「駄目でーす! 人生にやり直しはありませーん!」

「ほんの少しっ、一分時間を戻せればそれでいい!」

「残念生まれ直してアインシュタインにラリアット食らわせてから出直してきてくださーい!」

「それでは本末転倒ではないかっ」


「もしくは1.21ジゴワットの電流浴びてタイムトラベルするしかないね」

「難易度が上がっている!」


 腹案を提示してきたカツオへ即座に突っ込みを入れる。


 いや、過去転生と落雷に合わせて車上部のアンカーを電線に引っ掛けるの、どっちが確率的に低いんだろうか。

 異世界転生は既に三件ほど確認されているが、世界間移動だけでなく時間移動が行われているかは現状不明だ。検証しようにもまた世界を渡ってしまう可能性はあるし、移動先の世界を固定化した上で、アインシュタインの生存期間へピンポイントで合わせて転生するとなれば難易度は更に上昇するだろう。しかもラリアットをするのであれば、彼が社会的地位を得た後では難しい。その上で多少の年齢を重ねていなければいけない。赤ん坊ではラリアットなど望むべくもないし、老人でも同じく。加えて再び転生してこの時間軸へ戻らなければならないとするなら……。


「とりあえず、理論確立の為に近隣の商業施設を複数爆破する必要があるかもしれんな」


「濃ゆいなぁ……!」

「どういう理屈でテロリズムに至ったのかは分からないけど、高校入学早々にクラスメイトが犯罪者か」


「つ、通報っ、通報しなきゃっ」


 あたふたと声を発したアイハラに全員の視線が集中する。


「ぴぃっ!?」


 全員、無言で見た。

 超見た。

 瞬きも忘れて見て、一切動かなかった。


「えっ、あの、じょ、冗談っぽいんだけど、い、一之瀬くんっていつも本気っぽいっていうか、冗談みたいな本気っぽいっていうか、だから、あのぉ…………ぴぃ」


 ともあれようやく全員声が出たので、目を回したアイハラを余所に俺達三人は朗らかに笑って作業を始めた。


    ※   ※   ※


 前世でも似たようなことがあった。

 現国王を排し、第一王子を僻地へ追いやって玉座を得んとする悪巧みの最中、蝋燭一本を囲んだ俺と、ウィルとエリクの三人で。


『東部は概ね此方に下りましょう。北部は、アウグス家の影響が強いのであの家を落せば纏まるものと。コレも根回しは済ませておりますが最後の一押しが欲しい所です』


 宰相エリクザラートの集めた情報を元に、最終的な決定は俺が下す。

 東方での戦乱が迫る渦中、天然の要害に守られたスィヴェールとはいえ、中央や西部に比べればその二方面は危機感が強く、説得にはそう苦労しなかった。


『もうじき南部での収穫祭に伴う、例年通りの儀式が行われる予定です。王も、第一王子もそちらへ出席する予定ですし、主だった家臣団も同行する事が決定しています。北部へ脚を伸ばすのなら、その間が適切でしょう』


 騎士団長ウィリアムは王の護衛も担当している。

 最も注視し、暗躍を知られる訳にはいかない相手を間近で監視出来る上に、行動の殆どを把握出来たのはあまりにも大きい。


 今もそうだ。


 意図的に用意した場ではなく、日常警備の穴を利用した時間を用いた秘密会議。

 迂闊に書面でやりとりすることの出来ない内容だけに、人目に付かず集まって直接会話出来る機会というのは極めて大きい。


『今年も小麦の実りは減少しています。穂一つ一つに付いた麦も少なく小さい。今はまだ倉庫の備蓄を放出することでなんとかなっておりますが、来年再来年と減少を続けるのでしたら、遠からず財政は傾きます』


『既に穀倉地帯を要する国々も小麦の値上げを始めているそうだな。従来の契約に対しても変更を求められており、民間では諍いが起きていると』


『はい。いずれ国家間の軋轢は増し、北方の小国家群で戦端が開かれるのは時間の問題でしょう』


 当時は何故そうも収穫が減り続けるのかはっきりと理解していなかったが、アレが星の寒冷化という奴なのだろうか。

 確かに夏場は涼しい日が続いていたし、春や秋とされる時期でも厚着をしている事の方が多かった。年嵩の者などは昔の暑さを引き合いに出して、あれこれと涼を得る方法を語って聞かせてくることにも覚えがある。俺にとってはこんなものかと思う日々も、長い時間を掛けて変化していったのかも知れない。

 貴族の殆どは避暑地に行く手間が省けたと笑っていたが、既に民間では細かい被害が出ていた頃だ。


『飢饉における最大の問題は、主食となる麦の値段が上がりすぎること。消費量に生産量が一部地域内で追いつかなくなることはあるだろうが、周辺から供給してやれば地域内すべてが死滅するようなことは滅多に起きない、んだったな』


『その通りでございます。しかしスィヴェールでは歴史的にも王の権力が緩やかで、民間の力が強い。以前ご提案頂いた、麦を一定金額で強制的に買い上げ、一定金額で供給するという方策を打ち出した所で素直には従わないでしょう』


『ではやはり、素直にさせる手段を取らざるを得ないか』

『その為の人員も囲い込みを行っております』

 ウィルの言葉に頷きを返すも、僅かばかりの弱音を溢さずにはいられなかった。

『父上に……提案は』

『王はお優しく、民を信じるお方でありますから』

『そうか』


 時が迫り、手段を選んでいられないのであれば、誰かがやらなければならない。

 もっと優しい、人を信じる方法を取る手もあっただろう。

 けれど俺は、俺自らの決断によって二人を説得する手を放棄して、問答の余地を含まない手段で以って実行することに決めたのだ。


 あれだけの愛情を受けながら、受け取った温もりを自らかなぐり捨てて。


『南部には……王子のお母上の生家がございましたな』


 貴重な時間を消費するにはあまりにも場違いな切り出しをエリクはした。


『なにかあるのか。母上の実家は所詮茶人の大家だという話だが』


 交渉の切り口としては使えても、後ろ盾にはならないとし、余計な横槍を排除する為にも今回は一切考慮しない事としていた。


『いえ、瑣末なことではありますが、私はあの地域で取れる茶葉が大変好みでしてな。王の護衛として南部に顔を出すのであれば、ウィリアム殿に用立てて頂ければと思ったのですよ』

『そうか……いや、そうか。そうだな、道中に時間を作って購入しておこう』

『ははは。ありがたい。良い茶は薬用としても用いられます。冷えるこの先、温まる手段は持っておいて悪くはないでしょう。そういえば王子も、あそこの茶葉はお好きでしたな』


『あぁ、だが』


『個人的に、少量の購入をするだけです。はは、王子からのご用命とあれば一袋とはいきませんからな。戻ってきたら改めて、茶を酌み交わしましょう。お母上の、故郷の味です。少々目立つことにはなりますが、我々が公然と会う理由としてはまあ、無くはないのではありませんか?』

『王子がいずれ王国へ齎す利益を思えば、この程度のことは贅沢にも入りますまい』


『……わかったよ。感謝する』


『感激の至りでございます』

『主君の喜びこそ我が望みでありますれば』


 やがて麦の収穫量が落ちていくと、貴重な農地を無駄に出来ないと茶畑の多くが潰され、麦に植え替えられた。

 土の質も違えば環境も異なり、十分な麦が生産できたとは言い難かったが、それでもやらざるを得ない程に、王国は追い詰められていた。


 容易くは手に入らなくなった高級茶葉はいずれ、勢力を拡大してきた新興国家より嫁入りしてきた女にも振舞われることになる。


    ※   ※   ※


 渡井は終始ご機嫌で俺を弄ったり、ウサ子を弄ったり、カツオを弄ったりしていた。

 彼女が居ると場が明るくなる。

 とにかく喋り続けるし、今回の手管からも分かるように時折知性を感じさせる所もある。

 本能だけで行動する者なら時折やらかすこともあるだろうが、彼女の場合は意外にもそういう部分は回避する。

 過去に経験でもあったのか、なんて性悪としては考えてしまうのだが、詮索するほどのことでもないな。


「でさー、文化祭ってどうしても出だしスローなとこあるじゃん? 勿体無いよねぇ、最初から全力フルスタート切りたくない?」


 話は二学期にまで及び、作業が終わった後も、クラス委員長として各種行事への方針を語っていた。


「雰囲気作りが大切だと思うのよねえ。青春愉しいっ、もっともっと愉しいが欲しいぜって感じにさ。ねえウサ子?」

「ウサ子じゃないよ、宇佐美だよ。でもやりたくない人も居るだろうから、無理言っても駄目じゃない? 部活とか、あるよね」

「だよねぇ。そこはそことして、よしやるぞおってなる人を沢山作っておきたいのよ」


 入学当初は確かに浮付いているが、これも一ヶ月二ヶ月もすれば日常となり、落ち着いてくるのだろう。

 グループが完成し、相互の動きが鈍れば、状況は沈殿し滞る。

 過剰な攪拌かくはんはストレスにもなるから、余程上手くやらなければ彼女がやり玉にあがってしまう危険もある。


 体調不良な生徒会長のように。


 ついつい漏れた吐息に、渡井の目が向く。

 彼女は何も言わなかった。

 ウサ子の弄りにご執心なのかも知れない。

 気遣われた、と思っても良いのかも知れないが。


 そうして時計を確認して、多少の名残惜しさを感じながらも俺は切り出すことにした。


「すまないが、この後用事があるのでここで失礼する」


「そっか。手伝ってくれてありがとね、のせっちゃん」

「また明日な、ジン」

「い……一之瀬くん、また明日」


「あぁ」


 鞄を手に立ち上がり、ふと対角に座るウサ子へ目が向いた。

 別れの挨拶をしていただけに彼女も流石に俺を見ている。


 目が合って、熟考し、悩み、眉が寄る。


「ぉー…………!」

「渡井さん……」


 右方面からの熱視線を感じつつも、やはり、と決断した。


「またあした。いや……ふふふ」


「妖しい笑みだ……!」

「渡井さん」


 俺は眼鏡キャラの冷たい眼光を受けてたじろぐ渡井を感じつつ、改めて相原へ向き直った。


「ぴぃっ!?」


 眼光に温度があるのなら、俺のそれは火を放つほどのものであったことだろう。

 行動の意味や意義についてもそうだが、二度三度と取り逃した獲物を追い詰める、その事実に多少の高揚を得てもいたのだ。


 故に宣言する。


 堂々と、挑戦状を叩き付けた。


「相原ウサ子」

「うっ、宇佐美ですっ」

「君を、明日こそは捕まえてみせる。覚悟しておくがいい」

「………………ぴ?」


 みるみる赤くなるツインテール少女を置いて、俺は残る二人のクラスメイトへも改めて別れを告げると、待たせてしまった妹を迎えるべく幼稚園へ向かった。


 話をするだけならあの場でも良かった。

 なら何故無駄に宣言をし、警戒させ、場を改めるのか。


 色々とあるんだよ、色々とな。


    ※   ※   ※


 教室を出てから下駄箱へ向かう途中、担任のゆるふわ教師を見かけた。

 彼女は分厚いファイルを手に廊下から中庭を見詰めており、何かあるのかと覗いてみたが尾の長い鳥が数羽地面を啄んでいるだけで、生徒の姿は無かった。

 敢えて特記するのであればすっかり花びらの落ちた桜の木があることか。

 入学式では盛大に舞い散っていた桜も、一週間以上も経過すれば緑が混じり、薄桃色はまばらに残っているばかり。もう少ししたら完全に花びらを落として、木の幹などの知識や意識が薄い者からすればその他の木と見分けが付かなくなるだろう。


 桜は咲いていてこそ特別に扱われるが、葉桜となってしまえば周囲に埋没し、目を向ける者は少なくなる。


 未だ陽は高く、体験入部の始まった為か喧騒が残る校舎の片隅で、一人時が止まった様に立っている彼女が気になって足を止めた。

 それからごく普通に歩を進めながら視線だけを向ける。

 直接見るのではなく、視界の端へ捉えて認識する方法はエリクに鍛えられたのだったか。

 目線は多くの意味を語る。

 王ともなれば、容易く咳一つ、視線一つ晒してはならないのだと。

 力が大き過ぎるが故に、受け取る側も些細な事一つを過剰なほどの意味で受け取り、あるいは曝されてしまう。

 また目にはその者の性質が大きく反映されるとも言う。己の底を見抜かれた王ほど権威を損なうものはない。偉ぶっていればいいというものでもないが、畏れを失した権力など倒れるが定め。食糧危機を前にした王権ともなれば尚更だ。


 実際には緩さのあるスィヴェール国内でのことより、成り上がりのクソヤンキー国家との交渉へ向けての特訓だったが、こういう技能は肉体が違っても案外使えるものなのだなとズレた事を考えつつ、見る。


 彼女は巾着を取り出し、そこから何かを摘んで中庭の地面へ放った。


 目敏い小鳥がそれを見付けて集まり、おそらくは餌を啄んでいく。


 一羽が餌を無視して窓越しに身を晒していた担任の下へ飛び、伸ばした手の上へ留まる。

 彼女は何か呟いたようだった。


 見て取れたのはそこまで。


 下駄箱へ向かう道の途中、廊下を横切る合間に集められる情報などたかが知れている。


 歩を緩めると、鳥の鳴き声がして遠ざかっていくのが分かった。


 止めた。

 踵を返し、職員室へ通じる廊下へ戻っていく。


「先生」


「ん……あぁ、一之瀬くんじゃないですか。クラス委員のお仕事終わったんですか? ご苦労様です」


「先生」


「はい」


 巾着を仕舞いこむ彼女の手元は見ないまま、その視線を捉える。


「一つ、報告しておくことと、お願いがあります」


 そうして俺の日常は崩れていく。

 これまでを踏襲する日々は、少なくとも明日、続けられない。


 先がどうなるかは分からないけれど。


「いいですよぉ? 先生が可愛い生徒のお話をしっかり聞いてあげましょう」


 ふざけて言う彼女の目には、とても深くて多層的な、けれど何かを隠すような色が含まれていたように、感じられた。




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