第29話 玩具


「勝手なことを言うな」


 不機嫌な声が飛んできた。

 聞き馴染んだその声にいち早く反応した紅玉はすぐさま声の方角を見つめた。肩を大きく上下させた藍影が乱れた髪を手櫛で整えながら目尻を吊り上げて、白慈と玄琅を睨みつけている。

 感情がたかぶっているからか金眼は普段より煌々と輝いており、怒りが向けられていないことは分かっているが紅玉は恐ろしくなり、視線を膝へと移した。


「ち、違うんだ! 紅玉に怒っているわけじゃなくて……!」


 すぐさま駆け寄ってきた藍影は紅玉の手を握ると顔を覗き込む。幽玄な美が近づき、違う意味で心臓が凍りそうになった紅玉は先程よりも深く俯いた。

 紅玉としては恐怖よりも羞恥からくる行動だったのだが、藍影は勘違いしたらしく誰がみても傷付いた顔をした。

 その顔と、ついでに心も読んでいた玄琅はにんまり目と口を曲げると隣に座る紅玉の肩を抱き寄せた。


「怖いのう。白龍の元が嫌なら儂の元にくるか?」


 そっと紅玉の耳元に唇を寄せた玄琅は、藍影に向かって意味深な笑みを向ける。

 藍影は自分で遊ぶな! と睨みつけようとしてやめた。紅玉を怖がらせるのはよくない。後で赤斗にも協力してもらい、それ相応の罰を与えようと考えた。


「紅玉、こちらへ」


 紅玉の肩に回された手を払い落として、自分の元に引き寄せる。慣れない人間に囲まれた事で怯えていたのか見るからに肩の力を抜いた。

 自分がいるだけで安心されると嬉しい。藍影は唇をほころばす。


「もしかして、藍ちゃんったら走ってきたの?」


 白慈は呆れた眼差しを向けてきた。術を使わず入ってきたことへの呆れか、藍影の浮かれっぷりに対する呆れかは判断できない。


「……焦ると術が安定しないんだ」

「あたし達が花嫁ちゃんといることに、なんでそんなに焦る必要あるのかしら」


 ぷくっと白慈は頬を膨らませる。


「別に白慈なら、まだ……」


 正直に言えば不安ではあるが、


「玄琅がいることが一番不安だ。あることないこと吹き込んで、紅玉を玩具おもちゃにしかねない」


 ああ、と白慈と朱加が声をそろえる。見覚えがあり過ぎるため、否定できない。

 享楽主義の玄琅は面白いことがあれば首をつっこみ、もっと面白くするために掻き回す悪癖がある。彼が統治する現世は戦争が起きたと思えば、大災害が巻き起こり、飢饉ききんと病魔に襲われたと思えば、一転して平和そのものところころ変わる。変わりすぎて、放任主義な天帝が見過ごせずいましめるぐらいだ。それでも五十年と持たなかったが。


「こいつのがどうなったか知っているだろう。紅玉を同じ目に合わせたくはない」


 今まで、現世と常世の住人で玄琅の玩具お気に入りとなった者は何人かいるが、その大半が彼の破天荒な言動についていけず精神を病んでしまった。

 紅玉を特別視する藍影の気持ちを考えれば、確かに一緒にはいて欲しくない。この悪知恵が働く神格破綻者は気に入れば、壊れるまで遊び尽くすに決まっている。龍とは宝の番人。囲い込み、執着するのが気質だ。玄琅は特にその気質が顕著けんちょなので、執着する対象がいると弟子の花嫁であっても自分のものにするまで諦めず、囲い込もうとするのは目に見えている。


「白龍のことも不安がっているぞ」


 読心術で藍影の考えを読んだ玄琅が囁くが、白慈と朱加は冷たい目を向けるだけ。どう考えても玄琅の方が害があると判断されているし、自分達もそう思う。


「玄ちゃんはねぇ……」

「爺はなぁ……」


 白慈と朱加は目配せする。その瞳にはありありと侮蔑の色が浮かんでいた。


「おぬし等は心がないのか。そうやって爺をいじめるでない。老体を労れ」

「あんた、お気に入りでも飽きたら捨てるじゃん。俺が藍影の立場なら、絶対に二人きりは嫌だね」

「おお、酷い酷い。若造どもは歳上を尊敬する事ができないらしいな」

「尊敬できないもの。ねえ、玄ちゃん、今までのお気に入りちゃん達の名前って覚えてる?」


 白慈の問いかけに玄琅は腕を組んで首を傾げる。


「おい、こいつ絶対に覚えてないぜ」

「おぬし等と違って、九百年近く生きているのだから仕方なかろう」

「あたし達に老いなんてないじゃない。人間みたいに歳取ると物忘れが激しくなるわけじゃないし、玄ちゃんが興味ないだけでしょ」

「なにをいう。おぬし等も百年前の従者の名を覚えているのか?」 

「最初の従者ちゃんの名前はしっかり覚えてるわよ。声も顔も経歴もしっかりとね」

「俺はまだ従者いねーけど、親父の従者は覚えてるぜ」

「……」


 人を人とも思わない会話に胸を痛めたのか、会話が続くごとに紅玉が藍影の手を握りしめる。無意識での行動だったのだろう。大人しい彼女らしからぬ力強さに藍影はかすかに目を大きくさせた。

 それと同時に後悔した。いくら母親が人間であっても常世で生まれ、次期青龍帝として育てられた藍影と生粋の人間である紅玉では感性が異なっている。玄琅の行動は確かに不誠実だと思うが青龍帝の感性でいえば普通だ。統治国をどう統べようが、それはその国の龍帝が決める事。

 だが、人間である紅玉はどう捉えるだろうか? 自分の住む国がそんなくだらない理由で翻弄ほんろうされていると聞けば、いい気はしない。それどころか龍帝という存在に不信感を持ってもおかしくはない。


 選択を誤ったことに藍影は今、気がついた。このまま会話を続けると紅玉の不安を煽ってしまうだろうし、言い訳を連ねても、玄琅が茶々を入れて、白慈が首を突っ込むことは間違いない。

 とりあえず、この三人をすぐに帰してから紅玉と話そうと藍影は企む。


「ほら、君達はもう帰ってくれ。いつまで春国にいるつもりだ。仕事をしろ」


 藍影がせっつくと一番に朱加が立ち上がった。玄琅と白慈に引っ張られて嫌々参加させられたからか、その顔は嬉しそうだ。


「俺は帰る。今すぐ帰る。だから親父には言うなよ。悪いのは全部この爺さんだ。俺は嫌なのに無理やり連れてこられただけの被害者だ」


 息継ぎもなしに言い切ると朱加は術を発動させ、燃え盛る炎と共に姿を消した。

 続いて白慈が名残惜しそうに。玄琅が「また遊びにくるぞ」と不吉な言葉を残して去っていった。


 残された二人は気まずそうにお互いの顔を見合わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る