第20話 あと七日
「見るからに落ち込んでおりますわね」
面倒くさそうに吐き出された言葉が降ってくる。いつもなら軽く反論するのだが今はその元気すらない。藍影は机に突っ伏した体勢のまま、微かに顔を動かし、歌流羅を見上げた。想像した通り、その顔には呆れたと書いてある。
「落ち込みたくもなる」
昨日、藍影は紅玉に想いを伝えた。赤斗に背を押され、後悔しないようにするためだ。紅玉は自分を受け入れてくれると心の何処かで信じていた。
しかし、返ってきた言葉は「……ごめんなさい」たったそれだけ。
「私の何がいけなかったんだ……」
「全てでしょうね」
腹心の言葉が藍影の胸を穿つ。
藍影はじわりと両目に熱がこもるのを自覚した。
「まあまあ、泣かないでくださいませ」
歌流羅が目元に手巾を当ててくれる。
(小さい頃もこうして慰めてくれたっけ)
と、過去に現実逃避をしていると頭部に軽い衝撃が走った。
「これはもう終わりでよろしいですか?」
歌流羅は書類の束を藍影の目前につきだした。
先程の衝撃はこれだったのか、と藍影は後頭部を擦りながら姿勢を正す。忘れていたが今は職務中だ。この場には腹心だけだとしても、だらけた姿は見せられない。
「終わりだ。黄帝にまわしてくれてかまわない」
歌流羅は「承知しました」と言うと書類の束をぺらぺらとめくり、中身を確認し始める。
「なにか問題があったか?」
「いいえ、完璧でございますわ」
「では次を」
何もしないままでは藍影の心は暗く沈んだまま。何かに没頭して、忘れてしまいたいと次の仕事を催促すると歌流羅は眉間を抑えて、深いため息をつく。
「一月後のお仕事も終わられて、まだするのですか?」
「死亡する人間は決まっているんだ。赤斗は半年後の仕事も終わらせているぞ」
人間の死亡時期は天命によってあらかじめ決まっていた。四龍帝は黄帝から授かった木簡により、統治下で誰がいつ何で亡くなるかを把握することが可能なので、こうして先の仕事を終わらせることができる。
「でしたら休憩してもよろしいのでは?」
「休憩はしない。したら、気分が……」
「まあまあ、情けない。青龍帝とあろうお方が人間の娘の一言でここまで落ち込むだなんて」
返す言葉もでない。藍影は再度、机に突っ伏した。
「花嫁御前は謝罪の言葉しか口にしていないのですよね?」
「……ああ、ごめんなさいと言われた」
「理由はお聞きしました?」
「……七日後に、現世に帰るから、と」
「あらあら、それは早急な。赤龍帝の倅になにか言われたのでしょうか」
「朱加が元凶か……」
藍影は舌打ちする。帰ってきてから様子が可笑しいと思っていた。朱加とどういう会話をしたか聞いてもうまい具合にはぐらかされた。
幼馴染とはいえ、今は藍影の方が立場は上だ。どう落とし前をつけてやろうか、と黙々と考えに耽っていると歌流羅によって、無理やり顔を持ち上げられた。
「赤龍帝の倅に問い詰めるより、まず先にすることがございますわ」
赤子に問いかけるように優しい口調だが、その目は優しさの欠片もない。
「花嫁御前とお話しましょうか」
「あと七日しかないのだぞ」
「七日もございますわ。今日明日、帰るわけではございません」
「……どうすればいい?」
藍影は恋愛とは一切関わらず生きてきた。どう行動すればいいのか分からない。
「市井に遊びに行かれては? 約束なさっておりましたよね?」
約束はしたが朱加に攫われたことで水に流れてしまった。
(紅玉も楽しみにしていたようだし、嫌ではないよな……)
不安になりながらも「大丈夫」と自分に言い聞かせていると歌流羅が目元をゆるめ、優しい顔つきになる。
「青龍帝は自分の心が赴くままに行動しすぎたのです。花嫁御前と会話をし、親睦を深めることも大切ですわ」
ああ、と藍影は頷く。腹心としても優秀な部下は姉としても優しく藍影を導いてくれる。
師匠と部下に背を押された藍影は立ち上がると拳を握った。
「今から誘って行ってくる」
「それは早いです。準備もございますし、今日は誘うだけにして、市井に行くのは明日にしましょうか」
きっぱりと言い切られ、撃沈した藍影は拳を解いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。