第9話 神気
暁明の後を追い、一心不乱に
欄干には喧騒に導かれ、やってきた鳥や虫——春国の民が止まり、慌てふためく藍影の様子を信じられないといいたげに見守った。
その気持ちも分かるな、と主人の背を追いかけながら歌流羅は内心、何度も頷く。平常の藍影ならば、整えた髪や衣服が乱れるからと水を媒介に空間を行き来するはずだ。焦りからその考えは抜けているのだろう。どたばたと忙しなく動く様は事情を知っていても天変地異の前触れかと思ってしまう。
そうこうしているうちに紅玉にあてがった房室の前へたどり着く。歌流羅が静止する前に藍影は勢いよく扉を開けると中へ入っていった。
「紅玉、どこにいる?」
大きく肩で息をしながら藍影は周囲を見渡した。こじんまりした房室は
「無事か?」
紅玉は臥台にもたれるようにして気を失っていた。藍影が頬に触れても、暁明が手をつついても、微塵も動かない。顔色も死人のようである。
(これはまた面倒なことになりましたね)
藍影と暁明がどうにか起こそうともがく様を見ながら歌流羅は頬に手を当て、小首を傾げる。
「歌流羅! 突っ立っていないで医官を呼んでこい!」
「必要ございませんわ」
「これのどこか必要ないだ!」
語気荒くまくしたてる藍影に一瞥を投げると、歌流羅は紅玉へ近寄った。
額に張り付く赤髪を払い、目を凝らす。いつもなら仄かに漂う控えめな気が、今は濃く激しく渦巻いているのが見えた。
「神気の過剰摂取が原因ですもの」
あっ、と藍影は口を大きく開けた。歌流羅が言いたいことを理解して、またその原因となったのが自分だと察したようだ。
「青龍帝、なにか食べ物を与えましたか?」
「……飴や餅とか、少しだけだ」
やっぱり、と歌流羅の予想は当たった。
「わたくしが食べ物を与えないのは意地悪ではございませんわ」
藍影が気まずそうに視線をそらすので「心外です」と文句を言う。いくら人間嫌いとはいえ、虐げられてきた赤子同然の娘に意地悪はしない。きちんと世話はするつもりだ。
「青龍帝もご存知だと思いますが」
腹がたったのでわざとらしく強調すれば、藍影はますます視線をそらした。子供の時から変わらない癖を矯正するべきか、しないべきか考えつつ、現状を把握できていない暁明のためにも紅玉の身に起きたことを細かく説明してやる。
「常世の食べ物は、この地で育んできたため神気が宿っております。花嫁御前は現世の人間ですから、まずは神気に身を慣れさせることから始めないといけませんわ」
「しかし、ただの菓子だぞ?」
「ただの菓子ですか?」
「ああ、料理したものより含まれている神気は少ないはずだ」
「それがただのお菓子ならば、そのとおりです」
いやみったらしく繰り返せば、流石に藍影も制作者が誰かを思い出せたようで口元を抑えた。
「白龍帝からいただいたものですよね? お菓子作りに夢中になっておられるだとか」
そうだ、と藍影は頷く。他の四龍帝とは催事以外でも普段から交流を持つようにしており、特に西方の統治を任された白龍帝とは親しくしている。
彼女は生花や料理などの女性的な文化に興味があって、よく試しに作ったものを差し入れてくれた。藍影が紅玉に与えた菓子も白龍帝が手作りしたものだ。
「私のせいか……」
龍帝手ずから調理した菓子は、万病に効く仙桃と同じ濃度の神気に満ちている。その菓子を、現世と繋がりがある人間が食せば神気酔いを起こしてしまう。
現に藍影の
「ええ、青龍帝のせいですわね。花嫁御前は特に神気が乏しいため気をつけていましたのに」
「どうすれば」
「よろしいのかは、青龍帝が一番にご理解していると思います」
歌流羅は冷たく突っぱねた。神気を取り込みすぎた場合は他に移せばいい。常世の民なら誰しもが知っている方法も頭から抜けているようだ。
(花嫁御前は可哀想ですけれど、これもいい機会ですわ)
藍影が自ら考え、実行に移すまで歌流羅はじっと待つことにした。歌流羅にとっての最優先事項は花嫁御前の安否ではなく、青龍帝の補佐——成長を促すことだから。
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