第1話 白羽の矢
龍が守護する
女系継承のこの国では今ある問題が起きていた。
「ここにひとつの
玉座にもたれた女帝は豊かな黒髪に指を絡ませつつ、下座に座る子供の顔を一人ひとり見つめ、最後に
中心に炎が揺らめくこの水晶は斎帝国の国宝とも言える代物。落としても、火に焚べても
「お前達は初めて見るだろう。
「お母様、そんなことは誰だって知っている常識ですわ」
だから早く本題に入れ、と次期女帝である第一皇女が急かした。
その馴れ馴れしい言葉遣いに周囲は息を殺して、存在感を薄くする。
「お前はほんにせっかちだな。
女帝は愛おしそうに両目を細めた。彼女にとって、目に入れても痛くないほど溺愛してる第一皇女の強気な態度は愛らしいものでしかないのだろう。
「だって、時間の無駄ですもの」
「時間の無駄でも知らぬものがいよう」
末席に座り、できる限り体を小さくさせていた夷狗はその言葉に肩を跳ねさせ、恐る恐る顔をあげた。姉兄の視線が突き刺さり、すぐさま膝に視線を戻す。どこからともなく、忍び笑いが聞こえた。
「ああ、確かにお
第一皇女と女帝は夷狗のことを狗と呼ぶ。夷狗の記憶が正しければ、生まれて十五年間、一度として本名で呼ばれたことはない。
「わたくしが教えてさしあげましょうか?」
知らないもなにも、最低限の教育はもちろんのこと、この国の常識すら教えられていない。何が知らないのか、知っているのかすら夷狗は分からない。
姉の言葉に愛想笑いを返そうとして、すぐにやめる。夷狗が人間らしい言動をすれば、母の逆鱗に触れるのは今までで何度も経験してきたので無言で頷き返すだけに留めた。
「お前はほんに優しい子だな。こんな狗を気にかけるなど」
「次期女帝ですもの。これぐらい当然ですわ」
秋嵐は誇らしげに胸を張ると宝玉を指差した。
「今のうちにその目に焼き付けておくことね。これは本来ならお狗さんが一生お目にかかれないものなのだから」
夷狗は小さく頷いた。声は発せなくても聞いているという意思表示をする。
「この世界はふたつに隔てられているの。ひとつは私達が生きる
——天帝は混沌から生まれたと伝えられている。
自我が芽生えた天帝は、まず大地を作り、そこに降り立った。草木を生やし、水を生み出し、己そっくりの土形を四体創った。
土形は月日が経つにつれて自我が芽生え、次第に歩くようになる。その様子を見た天帝はさらに土形を増やし、この世を豊かにした。
けれど、数百年が経った時、ある問題が起きる。
土形が増え過ぎたのだ。困り果てた天帝は最初に創った四体にどうすべきか問いかけた。
「もう一つの世界を創造してはどうでしょうか?」
一体目の言葉に天帝は「それでは統治ができぬ」と首を振った。
「我らが天帝様の代わりに統治をいたします」
二体目の提案に天帝は考え込む。
「ご安心を。二つの世界は合わせ鏡。決して切り離すことはできません」
「あなた様はこの世界を治め、我ら四体がもう一つの世界を治めましょう」
残る二体の進言に、天帝は頷いた。
そうして、この世界は二つに分けられることとなり、常世は天帝を頂点に、その補佐として四体の土形——龍帝が君臨した。
多くの土形は現世に送られ、その地で生を全うした後に魂は常世へと招かれ転生までの一時、そこで過ごすという。
「この宝玉は龍帝と意思疎通をするための
そう言って鼻で笑うと、母親に視線を向ける。
「今回はどのような案件ですの? わたくし達を呼び出すなんて只事ではないわね」
「龍帝がお亡くなりになられたそうだ」
女帝の言葉に集めたれた人間は息を止めた。
「龍帝はまだお若いと聞いていましたが、いったいなぜ?」
静寂を切り開いたのは辺境の国に婿入りした第三皇子だ。つい先日、母の命で帰城したばかりなのもあってかその面には疲労の色が濃く刻まれている。
「分からぬ。龍の寿命は妾達とは違う」
女帝は頭痛がするのか眉間を揉みながら答えた。
「お亡くなりになられた龍帝が即位したのは百年も昔。確かに龍にしては酷く短命ではある」
龍は千年を生きると云われている。
「血の盟約を知っているな?」
「新たな龍帝が即位する際に花嫁を一人送るのでしょう?」
「ああ、秋嵐。やはりお前は賢い子だ」
女帝は赤い唇を持ち上げた。
「龍帝は斎帝国を守護する代わりに一つの条件を出した。龍帝の代替わりの度に花嫁を一人送ること。ただ、花嫁など体のいい言葉に過ぎぬ」
「実際は龍帝に食べられちゃうのでしょう? わたくしは嫌よ。そんな豚みたいな最期は」
秋嵐の言葉に薔薇を思わせる派手な美貌が哀愁に憂う。
「秋嵐、
女帝は子の名前を呼びながら一人ひとりと目を合わせ、
「——麗杏、
夷狗以外の十人の名を口にすると今にも泣き出すのではないかと思えるほど、顔を歪ませた。
「お主達は妾が腹を痛めて産んだ子。妾とて、可愛い
この先の言葉がどうでるか、理解した夷狗は俯くと拳を硬く握りしめた。
「安心しろ。花嫁として、狗を送るつもりだ」
やはり、白羽の矢は自分にたった。
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