第31話 手っ取り早く
カリカリ、と。不気味な程に筆が進む音が聞こえる。いつもならここいらで「紅玉は」と関係のない話を振ってくるであろう藍影は、珍しく何も言わずに書類と睨めっこを続けていた。
主人が真面目に仕事をしてくれるのは嬉しいが、少し気持ち悪いなと側で控えていた歌流羅は思った。
「青龍帝、何かございました?」
「……別に」
ややあって返って来た言葉は不機嫌そうで、誰が聞いても何かあったと分かる声色をしていた。また、紅玉に迫って失敗したのだろう、と歌流羅は当たりをつける。
「もしや、また振られました?」
「関係ない。お前には一寸たりとも関係ない」
「あらあら、また振られて不貞腐れているんですね」
「うるさい」
鋭い舌打ちが飛んでくる。いい歳なのに子供のような拗ね方に歌流羅は呆れて白んだ目を向けた。
藍影も自覚はあるようで、気まずそうに肩を揺するが謝罪の言葉を言うつもりはないらしく、書類仕事に集中し始めた。
それから暫くの間、筆が紙の上を滑る音だけが響いていた。
「……なぁ」
「ええ、どうかさないました?」
やがて藍影が書類から目を離さないまま口を開く。
「……紅玉に、どうしたら私の思いが伝わると思う?」
ようやく沈黙を破ったかと思えば、何ともな間抜けな台詞である。
歌流羅は眉根を寄せて、藍影をじっと見つめた。
「そんな事で悩んでいらしたんですか」
「そんな事だと?」
苛立ったように睨まれるが、気にしない。
「ええ、そんな事ですよ」
「私は真面目に聞いている」
「真剣だからこそ、そんな事で悩むんですよ」
歌流羅がそう言えば、藍影は言葉を詰まらせた。思い当たる節があるのだろう。
「やっぱりもう一度……」と立ち上がろうとするので、慌てて止める。これ以上、策もなく紅玉に突撃したらもっと擦れる。擦れたら藍影は落ち込む。悪循環だ。
「駄目です。今の青龍帝じゃ、また断られるだけですわ」
「……っ!」
はっきり告げれば、藍影は苦虫を噛み潰したような顔になる。自覚はあるらしい。
歌流羅は、再び椅子に座り直した藍影を一瞥すると一つ息を吐いてから口を開いた。
「いいですか、青龍帝。そもそも告白がまどろっこしいんですよ」
「……そうか?」
「ええ、そうです。好きだ、愛してる、ここで一緒に暮らそうだなんてありきたりですし、花嫁御前は妙に意思が強いので言葉だけじゃ伝わりませんわ。さっさと抱いてしまえばいいんですよ」
「だっ!? ……おまっ!」
さらりと言ってやれば、予想通りの反応が返ってくる。歌流羅は呆れた表情で首を横に振った。
「何を純情ぶってるんです? 言葉で伝えても駄目、触れても駄目、ならば手っ取り早く済ませてくださいませ。こんなくだらないやり取りはもう止めてください」
「お前、私に暴女って言ったの忘れたのか?!」
「声を荒げないでくださいませ。お互い想い合っているのは確実なのだから、手っ取り早く身体を重ねて、子供でも作ればいいんです。そうすれば現世に帰りたいなんて思わないでしょう?」
最低だとは分かっているが、じれったい二人がくっつくにはもう子供という繋がりを作らせるしかない。そして、一刻も早くこのようなもどかしいやり取りから歌流羅を開放して欲しい。
「……紅玉に、嫌われたりしないだろうか」
「知りませんよ。ご自分で考えてくださいませ」
うだうだと悩む藍影に、歌流羅は冷たい言葉を投げると、再び書類の内容を確認し始めた。つん、と態度も冷たくすれば藍影は不満げな表情を浮かべるが何も言わず、また筆を走らせる。
カリカリと筆が紙の上を滑る音が部屋に響く中、ふと「なあ」と小さく声を漏らす藍影に視線を向ける。
「……昨日、玄琅達を追い返した後、紅玉と少し話したんだ。その時、泣かせてしまって」
「……はあ」
紅玉はおどおどして、内向的な性格だが芯は強い。そんな彼女をどうやって泣かしたのだろうか。とうとう襲ったんですか? と口走りそうになったが堪える。ここで茶々を入れたら藍影は確実に拗ねる。
「白慈が、人間の女性は触れ合うのが好きなのだと言っていて」
「はあ」
「それを実行したんだ」
襲ったんだな、と歌流羅は遠い目をした。先程、抱いてしまえと言ったがいざ実行仕掛けたと聞いたら言葉が出てこない。
「……そしたら、泣かれて」
藍影の声を落とした。今にも泣きそうなその声色で、歌流羅は察した。やはり、今回も藍影の行動は失敗に終わったらしい。
まあ、知っていたが。
「手を握ったり、抱きしめたり、と色々試したんだがどれも彼女に伝わらなくて……。歌流羅の言う通りにしたほうがいいのだろうか? ……でも、想いが通じていないのに身体からは嫌だ」
「嫌と申されましても。青龍帝の行動は全て失敗しているではありませんか」
歌流羅は視線を落とし、書き上げた書類を纏めて一纏めにすると文机の上に置いた。そして再び藍影の方に視線を向けると口を開く。
「それか、洗脳します?」
買い物に行ってきます、とでも言うように軽く言うと藍影はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「記憶を作り変えるか感情を操るか。どちらも使えますよね?」
「心が伴っていないのは嫌だ」
「ならば、ご自分で考えてくださいませ」
「歌流羅はひどい。薄情者だ」
「あらあら、でしたら薄情者なりの提案をひとつ」
藍影は期待がこもる目を向けてくる。
歌流羅は目の前に書類を置くと、輝く金眼を見据えた。
「なぜ、花嫁御前が現世に行きたがるのか。なぜ、ここを離れなければいけないのか。それはどうしてなのかを考えてみては?」
ひとつではなく、みっつも提案したのは姉心とでもいうのだろうか。歌流羅は主人に厳しく接しても不幸にはなって欲しくはない。できることなら主人にはいつも幸せそうに笑っていて欲しいのだ。
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