第6話 鳥居の先


 雛雀を肩に乗せた紅玉は回廊を歩きながら周囲を見渡した。


(本当に私は常世に来たのね)


 常世は死の国だと姉から教え込まれていた紅玉は、この世界は闇に包まれており、重々しい雰囲気が漂う恐ろしいところと思っていた。

 だが、実際は違った。


(信じられないわ。生きていることが)


 龍帝と彼女の腹心、二人の好意によって、この風光明媚ふうこうめいびという言葉がぴったりの世界で生きることを許されたことが、まだ信じられない。都合のよい夢でも見ていて、本当はとっくの昔に死んでしまったのでは? と不安が湧いてくる。


「……私は、ここにいていいのかしら」


 紅玉の独り言に雛雀がチチッと反応を示す。慰めているつもりか、ぐいぐいと頭を紅玉の首に押し付けてきた。

 その行動にじわりと目頭が熱くなる。祖国では与えられない優しさに何度も触れたせいか涙で視界が霞む。目尻から涙が溢れる前に紅玉は袖で拭った。


「ふふっ、あなたは優しいのですね。ありがとう」


 更に雛雀が頭を押し付けてくるので、安心させるべく明るい声を発した。

 しばらくすると長く続いた回廊も終わりが見え始めた。なだらかな弧を描く廊橋の手前で紅玉は歩を止める。


「……ここ、ですか?」


 廊橋の先には青空よりも色濃い紺碧こんぺき鳥居とりいがあった。


(なにかしら、これは……)


 飛び込んできた光景が信じられなくて紅玉は我が目を疑った。鳥居の内側には苔に覆われた大地と薄紅に染まる世界が広がっていた。


「これは龍帝さまのお力なの?」


 その場から少し横にずれて観察するが鳥居の奥は凪いだ水面が広がるのみ。大地と桜並木は広がってはいない。

 進むべきか迷っていると雛雀が肩から飛び出し、鳥居をくぐり抜ける。


「あっ、待って……!」


 その後を追い、鳥居を抜けた紅玉は驚いた。鳥居を境に潮の匂いは消え去り、桜の甘やかな香りに包まれた。


「あ、あの! ここって入っていいところですか?」


 紅玉は先を行く雛雀に問いかけた。桜並木が連なる先にはなだらかな丘があり、その上には齢数千年はあろうかという巨樹が荘厳な姿で紅玉を見下ろしている。太いみきにはしめ縄が巻かれており、常識に疎い紅玉でもこの巨樹が神聖なものであることは分かった。

 雛雀はつぶらな瞳に紅玉を映すとしめ縄に止まり、こちらに来るように催促する。

 恐る恐る近づきながら紅玉は空を見上げた。


「すごいわ」


 視界を埋め尽くすのは薄紅の世界だ。幾重にも重なり、伸びた枝が空を覆い隠している。時折、吹く香風こうふうに撫でられた枝がしなり、ざわざわと音が響き渡り、その拍子に数百枚はあろう花びらが雨の如く、降り注いだ。

 祖国では決して見ることができない風景を記憶に焼き付けていると雛雀の元へたどり着いた。


 うながされるままに紅玉が巨樹に指先を伸ばした瞬間、


「それに触れるな」


 冷たい声が背後から投げかけられ、紅玉は小さく肩を跳ね上げさせた。恐る恐る振り返ると龍帝が怒りが滲む形相を浮かべていた。

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