第5話 雛雀


 ——紅玉。


 稀有けうな美貌を持つ人は、夷狗に新たな名前を与えてくれた。

 その字が持つ意味は分からなくても「君に合う」と言われたら悪い気はしない。音として唇から発すれば、甘露に浸したように舌が甘く痺れた。その余韻に浸りながら、夷狗——紅玉は胸を流れる髪に触れる。


(龍帝さまは、この赤髪かみを褒めてくださった)


 嫌いなはずの髪色なのに、視界にもいれたくないものなのに、なぜか少しだけ愛おしく感じた。


(名前をつけてもらうということが、目を見て、私の意見を聞いてくれることが、こんなにも嬉しいものだなんて思わなかった)


 暖かさが増す胸を押さえながら、どうすれば、この恩を返せるのか考える。帰る家も場所もない。頼れる家族もいない。自然の中で生きる術も持たない自分が、どうすれば。


(料理は作ったことはない。それに、いらないと聞いたわ)


 この地では食事という概念はほぼない。神気に満ちた空間、暮らす民は飢えを感じない。なので、食事ととる必要はない、と歌流羅が教えてくれた。

 上位の者は娯楽のために口にしたりするが龍帝は無駄を嫌うそうで普段は食事はとらないらしい。


(掃除、ならまだできると思うけど)

 

 蛮族の血を継ぐ紅玉には、乳母以外の身の回りの世話をする従者は与えられなかった。そのため、己の房室を片付けたり、襦裙じゅくんを着る際は一人で行うしかなく、そういった身の回りの作業——特に掃除はもっとも得意な分野だ。

 だが、この地では不浄はすぐ浄化されるため、掃除の必要もないらしい。それに龍帝はたいそう綺麗好きのようで、趣味で集めた本や調度品は使用してもその場で放置せず、決まった場所へ戻している。


(どうすればいいのかな)


 迷惑をかける分、働いて恩返しがしたいがいい案が浮かばない。悩んでいると背後から妙な視線を感じた。

 姉兄のような悪意は感じられないが無意識に身構える。物心ついた時から死角から視線を感じた直後は罵声か物が飛んできたから癖になっていた。


(違うわ。ここは大丈夫。斎ではないのだから)


 一呼吸して、心を落ち着かせた紅玉は意を決して振り返る。

 窓枠に雀が一羽止まって、自分を見ていることに気が付き、目を見張った。


「……あなたは」


 紅玉が気付いたことが嬉しいのか雀は翼をはためかせる。ふくふくと膨らんだ姿は記憶で見たものとは少し小さい。恐らく、まだ雛鳥か大人になって間もない個体なのだろう。


「こんにちは。えっと、いい天気ですね」


 歌流羅はこの地に暮らす生物はどんなに小さな命でも意思があると言っていた。

 その言葉通り、雛雀は紅玉の言葉を理解した様子を見せた。


「今日から、ここでお世話になります。いこ——えっと、紅玉ともうします」


 新しい名前を口にするが慣れない。どこかむずがゆい気持ちになる。

 ほんのりと温かくなった胸を抑えて、紅玉は無意識にはにかんだ。


「あなたのお名前はなんていうのですか?」


 雛雀はつぶらな瞳を向けると小さくさえずった。

 答えてくれたのは分かったが、紅玉には雛雀の言葉が分からない。困ったように眉を寄せ、首を傾げる。


「すみません。私には、あなたの言葉が分からないのです」


 そっとまつ毛を伏せ、謝罪の言葉を口にする。不快な気持ちにさせたことを後悔した。最初から会釈だけで済ますべきだったのだ。

 すると、雛雀は小さな翼をはためかせ窓枠から紅玉の肩へと飛び移った。首筋に温かいなにかが触れる。雀の頭だと理解すると同時に耳にはチチチと可愛らしい歌声が届く。


「とても美しい歌声ですね」


 褒められたのが嬉しいのか一層と雛雀は歌を歌う。

 どうやら、紅玉のために歌ってくれるらしい。

 その気持ちが嬉しくて、紅玉はまぶたを閉じて、その歌声に耳を済ませた。





 しばらくすると歌声は止み、紅玉はゆっくりと瞼を持ち上げる。気付けば肩にあった温もりは無くなっており、周囲を見渡した。

 雛雀は窓枠にいた。紅玉と目が合うとぱたぱたと可愛らしい翼をはためかせ、空に舞い上がる。


「お歌をありがとうございます。また聞かせてください」


 雛雀は紅玉についてきて欲しそうにその場で旋回せんかいした。

 紅玉が「ついてきて、という意味でしょうか?」と問いかけると雛雀は大きくさえずる。


(どこかに行きたいところがあるのかしら?)


 歌流羅には龍帝の職務を邪魔しなければ、自由にしていいと言われている。雛雀がどこに向かいたいのか検討もつかないが、常世の民であるならば職務の妨げになることはしないはず、と紅玉は自分に言い聞かすと雛雀のあとを追いかけた。


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