第11話 目覚め


 ふるり、とまつ毛が震えた。次にゆっくりと瞼が持ち上がり、灰色水晶の瞳が顔をのぞかせる。

 神気の過剰摂取により倒れた紅玉は、あれから三日経ってから目を覚ました。


「体調はどうですか?」


 無理に起きようとするので制しながら歌流羅は問いかける。


「その身を蝕む神気は別のものに移しましたが、まだ本調子ではなさそうですね」


 紅玉は自分が置かれた状況を理解できていないようで褥に横たわりながら視線を彷徨わせ、顔を青くさせた。きっと、倒れたことで歌流羅達の手を煩わせたことを危惧しているのだろう。


「花嫁御前のせいございませんわ」


 安心させるべく、また嫌味のつもりで「では」を強調すると背後で誰かが身じろぎする気配がする。藍影だ。紅玉が起きたことを神気の揺れで察して飛んできたのは簡単に想像がつき、歌流羅は済ました表情だが内心は呆れ果てた。


(心配ならばお顔を見せればいいのに)


 会いにこないのは後ろめたい気持ちがあるからだ。

 その気持ちも分かるが、いつまで経っても原因が謝罪にこない状況もいかがなものだろうか。歌流羅は内心で舌打ちすると気配の元へ素早く近寄った。


「あらあら、こちらにいらっしゃったのですね。呼びに行こうと思っていましたのに」


 偶然を装って大袈裟に声をかけると細い肩が面白いぐらい飛び跳ねた。

 藍影は口元に手を持っていき、黙っていてくれと合図を送る。それに従う可愛らしい性格はしてない歌流羅はそそくさと紅玉の元に戻り、またもや大袈裟に言葉を発した。


「青龍帝がお見舞いに来ましたわ」


 え、と紅玉は口を開いて固まる。

 歌流羅はいっそうと笑みを深くさせた。


「花嫁御前が眠っていた三日間、とても、すっごく心配なされていましたの」

「す、すみません」

「いえいえ、花嫁御前が謝ることではございません。全ては青龍帝せいでございます」


 背後の気配は一向に姿を見せない。この三日間、心配のしすぎで仕事にも集中できず、毎夜ここへ来ていた癖に、なぜ会わないのか。痺れを切らした歌流羅は再度、藍影に近付くとその腕を掴み、無理やり引っ張り出した。


「えっと、具合はどうだ?」


 まるで今来ましたと言わんばかりの言動に歌流羅は小さく笑う。藍影には睨まれたが幼少期から世話をしてる相手なので怖くはない。歌流羅にとって、藍影は子供や妹のような存在だ。


「では、わたくしは戻ります。青龍帝、花嫁御前のことをよろしくお願いいたします」


 藍影の静止を無視して、歌流羅は文字通り水が崩れるように消え去った。

 残された二人の間には微妙な空気が流れる。


「ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」


 先に空気を切り裂いたのは紅玉だ。臥台の上で居住まいを正すと、藍影に向かって深くこうべを下げる。おろした赤い髪が敷布の上に花を咲かせた。


「私、迷惑ばかりかけて……」

「いや、迷惑だなんて」


 藍影は頬をかく。


「禁域も、食べ物もこちらの不手際だ。君が気にする必要はない」


 藍影は頭をさげたままの紅玉に近付くと骨だけの肩に手を置いた。反射なのか、恐怖なのか肩が強ばる。更に悪くなる顔色に藍影は自分の表情を思い出した。


(怒っているように見えたか)


 怖がらせないように優しく笑みを浮かべると紅玉の緊張も解けつつあるようだ。


「私は怒ってはいない。いや、怒ってはいるが、それは自分自身に対してで君ではない」

「すみません」

「謝る必要はない。まだ体もしんどいだろう? もうしばらく眠っていなさい」


 肩を押して褥に横たえると紅玉はおずおずとだが反抗せずに従ってくれた。ふすまを肩までかけて、乱れた髪を軽く整えながら、藍影は嫣然えんぜんと微笑む。


「今の君の仕事は眠ることだ」

「……よろしいのでしょうか?」

「ああ、私が許そう」


 神々しい美貌に見惚れていた紅玉の唇に何かが触れた。


「——おやすみ。よい夢を」


 自分の身に起きたことを理解できず呆然とする紅玉に対し、藍影は満足そうに頷くと踵を返し、扉へと向かって歩き出した。

 遠くなる背中を見送りながら、紅玉は唇に触れた。柔らかく、冷たいその感覚は今まで感じたことがない。これからも感じることのないはずの感触だ。


(なぜ、私なんかに……)


 口付けとは好いた者同士で行うもの。龍帝は自分なんかを好きになるわけがない。


(歌流羅様が神気を移したと言っていたわ。きっとそれよ)


 これは医療行為に過ぎない、と何度も言い聞かせる。自分はいつか現世に返される身なのだから、勘違いしてはいけない。


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