第3話 幸せの証明

 怒り狂う天使から逃げつつ、自宅へとたどり着いた俺は、膝に手をつき、ひどく息を荒らげていた。


「……はぁ、はぁ、はぁ……。お、お前、速すぎだろ……」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、……天使舐めんなクソが。よぉーし! 俄然やる気出てきたわよ! このクソ生意気を、簡単に幸せにしてなるものか!!」

「おーおー、そう思ってくれたんなら都合がいい……、ひぃ……」


 顔をあげると、そこには俺の愛しのマイホームがあった。


「み、見ろ、幸せポイントいちぃ~。……マイホームがある」

「あなたの家じゃないでしょ!?」

「っぐ! そ、そうだけど……」


 ぐうの音も出ねえほどの正論だ……。


「た、確かにそうかもな? で、でもこれだって幸せの破片の一つであることに変わりはないだろ?」

「う、う~ん……」

「ま、とりま中入ろうぜ!」

「分かったわ」


 重々しい扉をゆっくりと開けて、「ただいまー」と一言。


 天使はまるで評論家かと思えるぐらいの鋭い眼光で俺の家を見回した。


 辺りはすっかり暗かったが、まだ六時頃。晩御飯をまだ食べていない。


 さぁ~て、幸せポイント二だ!!


 俺は天使の腕を強引に引っ張ってダイニングへと向かった。


 そして俺は机の上に置かれた千円札と二百円を指さして言った。


「どうだ! 晩飯に千二百円を自由に使えるという幸福!」

「…………」


 天使は特に反応を示すことは無く、黙ってお札に触れた。


「え、これ食えんの?」

「ちっげぇよ!! これで飯を買えるんだよ!!」

「ふ~ん……」


 天使はまた再びあたりを見渡す。そんなに見渡して、一体何になるというのだろうか?


 まさか部屋に置いてあるもので幸福度が測れるなんてことも無いだろうに……。


 と、しばらくジトっとした目を周囲に向けていると、何かに気付いたのか母さんの寝室に向かった。


「……これ」


 天使が指さしたのは、仏壇の中に置かれていた俺の母親の写真だった。


 写真の中では満面の笑みを浮かべて、まさか病気にかかって亡くなったとは思えない程だった。


「ん? あぁ……。それ、母さんな? 俺が小さいときに死んでしまって、俺もあんまり記憶ないんだよ……」

「ベッドが一つだけど、何でお父さんと一緒じゃないの?」

「親父は小説家で、仕事部屋で寝ちゃうことが多いから、もう仕事場で寝ようってことになったらしい」


 天使は特段興味なさそうに、「ふ~ん……」と呟くと、仏壇の前に置かれたみかんをぱくりと一口。皮も剝かずにそのまま喰らった。


「お前、呪われろ……」

「これすっぱ!! ミカンの中でも結構すっぱい方ね」

「何、味のレビューをしてんだ! お前ふざけんなよ!? ちゃんと弁償してもらうからな!!」

「わ、分かってるわよ……。あまりに熟れていたからちょっと一口行こうと思っただけじゃない……」


 それが大問題なんだよ!


 普通のミカンならいざ知らず、お供え物を……。


 いや、でもよかったぜ。こんなモラルもクソもない奴に飛ばされた世界なんて、どうせクソに決まってる。


 そうでなくても、それは結局眉唾物。偽物だと分かっていると、その幸福だって冷めるに決まっている。


 天使は口元に付着したミカンのカスをとりながら、ベッドに腰かけた。そして、思い出したように言った。


「あ! そう言えば彼女いるの?」

「…………いねぇけど」

「ぷっぎゃああああああ!! ぷぴぷぷぷ!! か、彼女もいないのに……ぱぁぁ! 俺は幸福ですって!!」

「あ、やっぱお前倫理ないんだな」


 天使ってもっとかわいくて、優しくて、慈愛に満ちてるものだと思ってたんだけどな……。


 期待外れも甚だしい。


 俺が呆れた目を向けていると、突然俺の腕を引っ張り、ベッドに押し倒してきた。


「な、何のつもりだ……」

「知ってる? 天使の中には、転生者に求められて彼女や嫁になることはざらじゃないの。なんせ、天使だし。つ・ま・り……。あなたが求めてくれるなら、ご奉仕も辞さないというわけ」

「…………」


 ほう……。なるほどな?


 確かに、性欲を満たすことは幸せの断片だろう。


 だが、なんでだろう……?


 まーったく、そそられない。


「…………て、てかやめろ!! お前、今俺の事抑えてる手って、さっき汗まみれだった手じゃねえか!!」

「ざけんじゃないわよ! いつまで引きずるのよそのこと!? あれは手汗じゃなくてお湯だって言ってるでしょ!? なにあれなにあれ! あれが汗だって言うんだったらなにあれぇ! 多汗症にもほどがあるわよ!!」

「うるせぇ! 感覚的には十分汗だっただろうが!」


 必死になって拘束を解き、一歩下がると、天使はこちらに猛獣のような目を光らせて、足を大股に開き、今にも飛び掛かって来そうだった。


 その時、玄関の方で扉の開く音がした。


 恐らく親父だ。


「お、おかえり……」

「…………」


 特に返事もなくまた扉の開く音がした。音の軽さから、仕事部屋に入ったのはすぐにわかった。


「……で? どうすんだ? お前ってこっちにいるんだろ? どこで寝泊まりするんだ?」

「もちろんここ……」


 俺は静かに天使の腕を掴み、窓を開けて外にぶん投げた。


「じょああああああ!!」

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