第40話 生まれ変わり
満天の星空が、まるで落ちてくるみたいだ。
草むらに寝転び、ルイはぼうっと星空を眺めている。
濃紺色の夜空にチカチカと瞬く星達は、ただひたすらに静かで美しく、ルイは抱えたもの全てを忘れた。
そこは村の小高い丘の上だった。
爽やかな夜風が、ルイの黒くて真っ直ぐな髪を揺らして通り過ぎる。
ルイは十日間ほど滞在したこの村を、明日の朝に出立する。
ふと知っている気配を隣に感じて、ルイは半身を起した。
「メアー……」
視線を向けた先には、ルイにそっくりな娘が座っている。
「久しぶり、ルイ」
メアーはにっこりとルイに微笑みかける。
ルイの胸に、言いしれない安堵感がこみ上げた。
「うん、久しぶりだねメアー……そっちの方は、もう落ち着いた?」
ルイの言う“そっち”とは、魔王が統べる国のことだ。
「えぇ……この間、王族の皆様方の前でご挨拶したところなの」
「そうなんだ……良かった、それを聞いて安心したよ……あっ、そうだこれ」
思い出し、ルイはポケットから白い布に包まれた水晶球を取り出した。
それは、以前カイルから受け取ったものだ。
しかしメアーは水晶球に手を触れようとせず、ルイの手のひらの上にあるそれを黙って見つめている。
「その水晶球……中に母さまの力が入っているんでしょう?」
問うメアーの表情は、少し暗い。
母の力、母の存在。
やはりそれに触れるのは、辛いのかもしれない。
ルイは水晶球の包を解かず、そのまま元のようにポケットにしまい込んだ。
「さすがメアー、よくわかったね」
「その水晶球の偽物を、この間ハルクが壊していたのよ」
それはルイ達がスイールとスモレイに襲われた時、カイルがスイールに掴ませたものだ。
「ハルクって誰?」
聞き覚えのない名前に、ルイは首を傾げる。
「ハルクは母さまの従兄弟なの。お祖父さまの妹の次男で、もちろん魔族なんだけど王族を嫌っていてね」
「へぇ……そんな人がいるんだ」
「訳あって、私が二十歳までになるまで、ずっと見守ってくれてた人なの。その水晶球を、特別な魔具に仕立て上げた人でもあるんだけど」
メアーの最後の説明に、ルイは眉根を寄せた。
「それは……」
良い人なのか、悪い人なのか、どっちなんだ?
ハルクの人となりの判断に困惑するルイを見て、メアーはくすりと笑った。
「それを作って欲しいってハルクに依頼したの、彼の実のお兄さんなんだけどね。私達の母さまに使ったことを、ハルクはものすごく怒っていたの」
「そうなんだ……それじゃあ、ハルクさんはいい人なんだね」
ルイはホッと胸を撫で下ろした。
「うん。無表情でなにを考えてるのかよくわからないけれど、とってもいい人よ。その水晶球はこちらにあると困るから、ルイが持っていて」
「うん……わかった」
ルイは頷き、ポケットの上からそっと手を添える。
「ルイは、父さまに会えた?」
メアーは星空に視線を移したルイに問う。
ルイはメアーを見つめて口を開こうとしたが、迷ったように視線を外し、口を閉じた。
草むらと風とが織りなすザワザワという音が、二人のしばしの沈黙を埋めていく。
メアーが見つめるルイの瞳には、深い悲しみの色が濃く映し出されている。
「父さまのことは、お祖父さまから聞いているわ……だから、大丈夫よ」
メアーはルイに微笑んで見せた。
優しい兄が自分を気遣って言葉を紡ぎ出せずにいるのが、メアーには手に取るようにわかる。
「そっか……うん、会って話をしたよ。ごめんね、メアーも話をしたかったよね」
ようやくルイはメアーを見、目を細める。
「そうね……でも、大丈夫よ」
メアーはにっこりと笑う。
「ルイの背中に、父さまの意識が残っているもの」
そう言うと、メアーはルイの背後に回って膝をつき、そっとルイの背に手を当てる。
あたたかい……父さま……
感じたのは、果てしなく湧き上がる泉。
そのあたたかな流れは、父フィルの子を想う深い愛情だった。
メアーの眦からあたたかな雫がこぼれ落ちる。
「私達……幸せね、ルイ」
その背に額をつけ、メアーはそっと呟いた。
「父さまと母さまに、こんなにも愛されているんだもの」
「うん……僕もそう思うよ、メアー……」
背にメアーのぬくもりを感じながら、ルイはポケットの中の水晶球に触れる。
不老不死となったこの肉体こそが、母の願いの結晶なのだ。
生きよう。生きて……もう一度、父と母に会いたい。
「ねぇメアー……生まれ変わりって、信じる?」
先日のカイルとのやり取りを頭に浮かべながら、ルイはメアーに問いかけた。
「魔族を人間に変えた?」
ルイは素っ頓狂な声をあげた。
カイルは冥府から戻ってきて、そこで起きたことをつぶさにルイに話して聞かせたのだ。
母リアンの魂を、魔族のものから人間のものに変えたと。
「そんなことできるの?」
ルイは信じられない、と眉根を寄せる。
「いやなに、魂を構成してる仕組みをね、少しいじくるだけなんだ。簡単だよ」
あっけらかんとカイルは言い、いつものようににこにこと笑った。
さすがは神というところか……
「いや、言うのは簡単だけどさ……そんなの絶対に真似できないから」
それはともかく、とルイは思考を切り替える。
「母さん、きっとすごく喜んだだろうね」
母は冥府で、いつか来る父をずっと待っていたのだから。
同時に聞いたカイルの話を思い出し、ルイは相好を崩した。
「うん、とても喜んでくれたよ。私も、お祝いを贈った甲斐があったというものだ。それからね、サービスで鎖と錠前もつけてあげたんだよ」
「鎖と錠前?」
カイルは笑顔で、真顔で首を傾げるルイに青銅色の鍵を示した。
「これが錠前を解錠する鍵さ。まあ、元々あの二人は運命の糸で結ばれていたけど、それをさらに強くしたっていうイメージかな」
「そ、そうなんだ?」
ルイはカイルの手の中にある青銅色の鍵を、じっと見つめた。
その特別な鍵は、アンティークな香り漂うちょっと洒落たチャームのようにしか見えない。
「これであの二人が生まれ変わった後、どんなに離れた場所で生まれ育ったとしても、必ず二人は結ばれるんだ。必ずね!」
カイルは嬉しそうに“必ず”の部分を強調して言った。
「ねぇカイル……もし僕が父さんと母さんの生まれ変わりの人に会ったら、それがわかると思う?」
「いや……中身はともかく、外側がどうなるかわからないから、たとえ巡り会えたとしてもルイは気づかないんじゃないかな?」
「うーん、やっぱりそうかあ……」
ルイは残念そうにため息を吐きながら、肩を落とした。
「まあでも、父さんと母さんが幸せなら、それでいいか……」
「ルイ……もしかしたら、この鍵があの二人に気がつくきっかけになるかもしれないから、これは君に預けるよ」
はい、とカイルはルイに鍵を手渡した。
「えっ……いいの?」
ルイは手のひらの中にある鍵をぎゅっと握りしめ、カイルを凝視する。
「うん、むしろそうあるべきだと思う。君は、あの二人の大切な子供なのだからね」
カイルはにっこりと笑う。
「うん……ありがとう、カイル……」
ルイはその言葉を噛み締めながら、鍵を握りしめた手を胸に祈った。
いつか父と母に会えますように、と……
あれから、どのくらいの時が流れただろうか。
「もう時が経ちすぎて、数えるも面倒になったよね……」
あーあ、とルイはため息を吐き、ぼんやりと高い天井を見上げた。
カイルから青銅色の鍵を受け取った日から、数百年の時が経っていたが、不老不死の肉体を持つルイの姿はその当時のままだ。
「んー、ざっと三百年は経ってるかな?」
ルイと同じく不老不死の肉体を持つカイルが、にこにこと笑いながら言った。
「この焼き菓子、美味しいわ……あの店のオーナー、また腕を上げたわね」
テーブルの上のクッキーをつまみながら、優雅にお茶を楽しんでいるのはメアーだ。
「どれどれ……おお、本当だ……この独特のスパイスがいいね!」
その対面でにこにこと笑ってコーヒーを口にしているのは、ルイとメアーの祖父でもある前魔王だ。
「今日は珍しく、二人とも予定なしなんだね?」
ルイがすっかり王の品格を身につけたメアーに問う。
「いいえ……スケジュールに余裕はないけれど、今日はなんだか胸騒ぎがしたから、ハルクに全て任せてきたの」
にこりと微笑んで、メアーは答えた。
顔の造りは双子の兄であるルイに瓜二つなのだが、メアーの笑みは不思議な程魅惑的なものだ。
なんでだろう……やっぱり母さんの血が濃いからなのかな……
「そうなんだ……」
ルイは微妙な胸のときめきを角に追いやり、メアーから紹介された時のハルクの姿を思い出していた。
背が高く、すらりとした体格にひたすら冷たい印象。
冷たい印象といえばメアーの教育係の初老の男も同じだったが、ハルクの方がさらに冷たかった。極寒というイメージだ。
あの人と夫婦でいられるなんて、メアーはすごいな……
ルイはつい感心してしまう。
この三百年の間に、メアーはハルクと正式に婚姻関係を結び、王位を継いでいた。
「今日はお客様がいらっしゃるのでしょう? 確か、五本柱の女性の方」
優雅に紅茶を口に運びながら、メアーは思い出したように言った。
過密なスケジュールを無理して空け、ここに来た理由はおそらくそれなのだ。
「うん、そうなんだよ……会わせたい人がいるから、連れてくるって言われてさ……そろそろ、約束の時間なんだけど」
言い、ルイは腕時計を見た。
時刻は彼女と交わした約束の時刻、十五時を示している。
リンゴーン……
「おや、来たんじゃないか?」
その時聞こえてきた玄関の呼び鈴に、わくわくした表情のカイルがルイに言った。
「うん! 僕は出迎えに行ってくるから、カイルにお茶の準備を頼んでもいいかな?」
ルイは椅子に掛けていた上着を羽織りながら、カイルを振り返る。
「うん、いいよ……行っておいで」
穏やかな笑みを浮かべ、カイルは頷いた。
「ありがとう、じゃあ行ってくるね」
ルイはにこりと微笑み、玄関へと向かう。
「はあーい、今、開けます!」
再び鳴る呼び鈴に、ルイは叫びながらドアを開けた。
ルイは立ち尽くし、息を呑む。
そこには、小柄な女性とすらりとした長身の男性が立っている。
「おかしいな……なんでだろう?」
女性の方は、既に見知った仲だ。この島国の五本柱を共に担っている人物で、火の精霊を使う。
ところが、どうしたことか今日はまるで印象が違って見えた。
「どうしたんだ?」
女性が、少し困惑したように動かないルイを見る。
「ごめん……よくわからないけど、涙が勝手に……」
ごしごしと瞼を擦るルイの袖から、ぽとりとなにかが落ち、床に当たってチャリンと音を立てた。
「何か落ちましたよ……」
女性の隣に立つ男性が気づき、それを拾おうと身を屈める。
それは、青銅色の鍵だった。
『この鍵があの二人に気がつくきっかけになるかもしれないから、これは君に預けるよ』
あの日、そう言われてカイルから受け取ったものだ。
「ありがとうございます」
男性から鍵を受け取りながら、ルイははにかんだような笑みを向ける。
「あなたは、水の精霊を使う方ですね」
初対面のルイからの指摘に、男性は驚いたような素振りを見せた。
「わかるんですか……さすが、五本柱の方ですね」
男性は紳士的な笑みを浮かべた。
その彫りの深い整った顔立ちは、男性がこの島の民ではないことを示している。
「僕も、水の精霊を使うんです……どうぞ、お入りください」
「お邪魔します」
二人は声を揃えて言い、屋敷に足を踏み入れた。
高鳴る胸を抑え切れず、ルイは早足でメアー達の待つ部屋へと向かう。
「メアー! 父さんと母さんを見つけたよ!」
喜びに満ち溢れた
魔王の孫と夢の国の住人 鹿嶋 雲丹 @uni888
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