第11話 再会

「お帰り、ルイ」

 いつものように穏やかな笑顔で、カイルはルイを出迎えた。

 朝の日課にしている、ランニングから帰って来たのだ。

「うん、ただいま」

 首にかけたタオルで汗を拭くルイは、少年から青年に成長していた。

 背も手足も伸び、身長は一八〇センチあるカイルより頭一つ小さい位だ。

 ルイはカイルに拾われてすぐに家庭教師から教育を受け、同時に体術や剣術などの稽古もつけていた。

 それは今から十年以上前の話だ。

 それらは全て、カイルからの提案だった。

 もし人間から襲われた時に、自身で対処できるようにである。

 ルイは不死の体を持っているから、自身は傷を負っても死ぬことはないが、周囲の人間はそうではない。

 カイルは出会った時にルイが持っていた、四大精霊銃をも使いこなせるようにルイに仕込もうとした。

 それは五年ほど前の話だ。ルイは当時十五歳位だった。

「この銃を使いこなすのに、一番大事なポイントは想像力さ。それを養うのに役に立つのが、これ」

 カイルが笑顔で指し示したのが、本の山だった。

「これ……全部読むの?」

 ルイは冷や汗を浮かべてカイルを見た。

「結果をイメージするのが大事だって……確か、そう教わったような気がするなぁ」

 ルイはカイルから受け取った銃を手に、使い方を学んだ当時を思い出していた。

「んー……でも、やっぱりこれはあまり使いたくないな……」

 ルイは眉根を寄せる。

 ルイはカイルと出会う前、暴力をふるう大人の手から逃れるために何度か銃を使っていた。

 あれから何年経っても使用した時の光景が忘れられないのは、その殺傷力の高さ故だ。

 パンッという乾いた音、流れる赤い血、痛みに歪む顔……

 嫌な記憶だが、忘れてしまうのはそれこそ危険な気がした。

「他人を傷つけることに慣れないのは、大事なことだよ」

 カイルはゆったりとした口調で言った。

「うん、そうだよね……これ、また預かっててくれないかな? 普通の拳銃みたいに、弾丸が必要ないのは便利なところなんだけどね」

 ルイは苦笑いを浮かべて銃をカイルに差し出した。

「そうか……わかった、じゃあこれは引き続き私が預かるよ」

 カイルは頷き、銃をジャケットの内ポケットにしまった。

「でも、この本はオススメだよ!」

 再び本の山を示すカイルの笑顔に、ルイはタジタジとなった。

「カイルのオススメ、恋愛ものが多いんだよね……僕は冒険ものが好きなんだけど」

 山積みとなった本の内、一番上の本のページをペラペラとめくりルイはため息を吐いた。

「なにを言ってるんだルイ、愛こそ全ての原点であり原動力だよ!」

 カイルはにっこりと笑って熱弁する。

「君とて恋するお年頃になったらわかるさ! そういえば、もうそろそろじゃない?」

「な、なに言ってるのさ!」

 ルイは探るようなカイルの視線に、さっと頬を赤く染める。

「おやあ? 怪しいなあ、ルイ君」

 カイルはにやにやと笑う。

「あ、そうだ図書館行ってこようっと!」

 ルイは逃げるようにその場を後にした。

「……結局、あの銃はあれから出番がなかったね……」

 カイルは過去を思い出しながら、そっと内ポケットを探る。

 そこにはカイルから見れば年若い神が作った、四大精霊銃があった。

 時が経つのは早いものだ……

「ルイ……もうじき、時が満ちるよ」

 すれ違いざまに、カイルは汗を拭くルイに言った。

「え?」

 ルイはカイルを振り返り、きょとんとした。

「忘れてたかい、もしかして?」

 カイルはルイのその様に、思わず苦笑する。

「あ……う、うん……」

 ルイは頷き、思い詰めたような表情で俯いた。

 あまりに穏やかな日々を送りすぎていて、ルイは自身が背負っているものを忘れるほどだった。

「まあ、それはそれで私は嬉しいけれどね……どんな運命を背負っていても、人生を謳歌する権利はあるからね」

 けれど、とカイルは続ける。

「念の為確認しておこうか……時が満ちると起きるだろうことをね」

 ルイは黙ったまま、カイルの言葉を噛みしめる。

「君にかけられた呪いの一つが目覚める。それは今は封印されている特別な能力だ。母方の血に寄れば魔力、父方に寄れば精霊操術力と呼ばれるものだ」

 カイルは淡々と言い、にこりと笑った。

「どっちがでるか楽しみだねぇ、ルイ?」

 その明るい声にルイはがくりと肩を落とした。

「楽しみじゃないよ、そんなこと……ていうか、わかるもんなの、そのタイミングって」

 ルイは大きく息を吐いて気を取り直し、卓上の水差しから注いだコップの水をグイッと飲み干した。

「わかるさ!」

 つかつかとカイルはルイに近づき、ルイの黒い瞳をジッと覗き込んだ。

 ルイはたまらず視線を逸らす。

「身長の伸びが止まっているのがその証拠さ! そのうち腹が減らなくなるよ、ある日突然ね!」

「う、うん……あ……」

 コロコロ、とルイの腹の虫が鳴き始める。

「なんて、タイミングのいい」

 カイルは思わずくすくすと笑った。

「あ、朝ごはん食べてこよう……カイルは、もう食べた?」

 ルイは少し恥ずかしそうに微かに頬を染め、ダイニングへと足を向ける。

「あぁ、先に頂いたよ……ルイ……私は、君が魔族の血に目覚めようとも一向に気にしないし、態度を変える気もないよ」

 背にかかるカイルの穏やかな口調に、ルイは立ち止まった。

「だから、怖がったり、不安にならなくていいんだよ……」

 カイルは重ねて言う。

 本当に……この人は他人の心を読むのがうまいよな……

 ルイは上を向き、微かに潤む瞳を瞬かせた。

「そうだよね、僕は僕さ」

 振り返り、ルイはカイルに笑顔を向けた。

「うん、そうだとも」

 強くなったな……

 頷き、カイルは思う。

 ルイを迎えたばかりの頃、動物園で泣きじゃくるルイに『愛している』と伝えた事をカイルは思い出していた。

 今はもう、ルイの顔にあの頃の幼さは残っていない。

 つくづく、貴重な時間を共にしたものだと思う。

 見えなくなったルイの背に、かつて見たリアンの後ろ姿を思い出す。

 美しい漆黒の真っ直ぐな髪。すらりとした肢体。滲み出る凛とした空気。

 リアンのその特徴は全てルイに引き継がれている。

 リアン……私は、君の分まであの子に愛情を注げただろうか?

 カイルが一人残された部屋の書棚には、恐竜、宇宙、人体、動物の図鑑がある。

 初めて訪れた書店で、幼かったルイが瞳をきらきらと輝かせながら選んだものだ。

 カイルはなんとなくその背表紙をなぞり、目を細めて眺めていたのだった。


「今夜あたりかな……」

 自室の窓ガラス越しに夜空を眺め、カイルは呟く。

 夜空には雲が多く出ていたが、それでも月は時々冷たい顔をのぞかせた。

 カイルは静かに窓を開け、夜闇の空気を吸い込んだ。

 静まり返った夜の空気は、微かに重く感じられる。

「……綺麗な月だ……一番細長く、新しい月……新月か……」

 カイルは闇夜に浮かぶ月を見上げ、碧色の瞳を細めた。

 コンコン、とドアをノックする音が小さく響く。

 カイルは窓を閉めてカーテンをひくと、ノックされたドアに近付いた。

 カイルが静かにドアを開けると、そこには俯いたルイが立っていた。

 黙ったまま立ち尽くすルイの表情は、どこか不安気だった。

 幼い頃のルイを思い出すな……嵐の夜には、必ず来たっけ……

 ふと懐かしさを感じ、カイルは穏やかな笑みを浮かべた。

「……お入り」

 カイルはルイを部屋に招き入れ、ぱたりとドアを閉めた。

「眠れないのかい?」

 卓上のランプに明かりを灯しながら、カイルは問う。

「うん……ごめん……」

 ルイはドアの前で立ったまま下を向き、ぼそりと言った。

 部屋の明かりのスイッチを切りながら、カイルはクスリと笑う。

「謝らなくていいよ……おそらく、君の直感は正しい」

「ざわざわするんだ……なんか、胸が……ギュッとするっていうか……」

 ルイは言い、胸のあたりの布を鷲掴みにする。

 その表情は強張り、今にも泣き出しそうだった。

 夜空の雲が、細長い月を隠す。

 卓上のランプの炎が、微かに揺れた。

「無理もないさ……なんといっても、未知の体験なのだからね」

 カイルはルイに歩み寄り、そっとその体を抱きしめる。

「……くっ……」

 ルイは歯を食いしばり、カイルにしがみついた。

「大丈夫……私がついているからね……」

 目を伏せるカイルの穏やかな声音が、ルイの耳に優しく響く。

 そろそろか……

 カイルは空気の変化を感じ始めていた。

「ルイ……ゆっくり深呼吸して……落ち着くんだ……」

 雲の切れ間から、細長い月が顔を見せ始める。

「痛っ……」

 ルイの頭に激痛が走り、カイルの腕の中でその体が沈み込む。

 突如生まれた異変は、頭痛だけではなかった。

 体の芯がたぎるように燃え、今まで包んでいた何かがどろどろと溶け出すような、そんな感覚だ。

 ルイはカイルの腕の中で目を見開いた。

 様々な記憶……知識が、押し寄せる波のように脳内に広がってゆく。

 見たことのないはずの景色、会ったことがないはずの人物、頭に角が生えた異形の者……

「……メアー……」

 涙が一筋、ルイの青白い頬を伝った。

 ルイの体から力が抜け、床に両手両膝をつく。

 カイルはその傍らに座り込んだ。

 ルイの脳裏に浮かんでいるのは、ルイに瓜二つの娘だった。

 会ったことも聞いたこともないはずの、双子の妹だ。

「ぼ、僕はっ……どうしてっ……」

 ルイは完全に取り乱してカイルに縋りついた。

 双子の兄として生まれながら、その力を継承しなかった……妹に、王位継承という重責を負わせた……

 ルイは突然知ったその事実に打ちのめされた。

「ルイ……」

 しがみついてくるルイの体を、カイルは強く抱きしめる。

 どうしようもない悲しみに打ちひしがれるルイが、哀れで仕方がなかった。

「ごめん……ごめんね……」

 ルイは泣きながら謝っていた。

 胸を借りているカイルに謝っているのか、まだ見ぬ妹に謝っているのか、それはルイ本人にもわからなかった。

「君は悪くない……全ては、神の悪戯なのだから……」

 カイルはゆっくりとルイの耳元に囁く。

「真実を知る必要があるんだ……君達には……」

 カイルの言葉に、ルイははっとした。

 ルイの体に再び力が入る。

「来たね……ようこそ……」

 カイルが振り返った先の空間は真っ黒に歪み、まるでそこに穴が空いたかのようだった。

「これは……」

 目を瞠るルイの前で微笑むのは、背の半ばまである艷やかな黒髪と、魅惑的な黒い双眸を持つ美しく若い女だった。

 ルイに瓜二つである。

「……メアー……」

「……ルイ……」

 赤子の時に別れた双子の兄妹は、封印の解かれた今再び出会ったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る