第27話 胎動

「陛下……一大事でございます」

 青ざめた表情の第一秘書が、主たる魔王にそっと耳打ちする。

「……わかった……時期尚早だが、仕方あるまい……これも天の思し召しというやつだ。報告ありがとう。引き続き、見守りを頼んだよ……そうだ、手伝いを増やそうかな」

 知らせを直接聞いた魔王はいつものように穏やかな表情で言い、パチンと指を鳴らした。

 次の瞬間、二人の侍女が現われ王の前で畏まる。

「我が娘リアンの為に、力を尽くして欲しい……頼んだよ」

「はい、お任せください」

 三人揃って頭を下げたのだった。


「え……なに、この人達……」

 フィルの家を訪ねたフィルの姉フィジーが、その存在にたじたじとなった。

 フィルには三人の姉がいる。フィジーはフィルと九歳離れた一番下の姉だった。

「この二人は、私の国の侍女だ」

 リアンはにこにこと笑ってフィジーに説明する。

 その後ろには二人の娘が立っていた。気配を隠しているが、魔族の者だ。

「あ、そうなんだ……二人も侍女がつくなんて、ほんとにお姫様なんだね」

 フィジーは自身の二人の子を連れて、週に一度リアンが一人で過ごす村外れの家を訪れていた。

 フィジーもその上の姉フィヨルも、リアンが魔王の一人娘であることを知っている。

 一番上の姉フィーナが、怒り心頭に伝えに来たからだ。

 フィルがリアンを実家に連れてきた時、フィーナは家を飛び出してすぐに実妹二人の元に駆け込み、怒り叫んだ。

『私は絶対に認めないからね!』

 久々に見たよね……フィーナ姉さんの鬼の形相……

 フィジーはもう三年ほど前の当時のことを、今も色鮮やかに思い出せる。

 フィーナが怒らせると怖い存在であり、一種のトラウマになっているのはフィルだけではないのだ。

「フィルには知らせたんでしょう? 任期が終わるまで、まだ時間があるから大変なんじゃない? えっと……あと二年だっけ?」

 フィジーは、穏やかに晴れ渡る澄んだ青空を見上げた。

「あと、約一年半くらいかな」

 その隣で清々しい空気を吸い込みながら、リアンは答える。

 その視線は、楽しそうに笑いながら追いかけっこをしているフィジーの二人の子供に向けられていた。

「まあ、母さんたちは大喜びしてたけどね……フィーナ姉さんは渋い表情してたなあ」

 フィジーは微かに眉根を寄せた。

 今のところ、三人いる姉の内フィジーだけがリアンとフィルの実家との仲介役になっている。

 フィーナはリアンを認めていないし、そんなフィーナの機嫌を損ねたくないフィヨルは、リアンに近づこうとしなかった。

「まあ、私がしたことで私の印象が悪くなっているのだから、それは仕方がない」

 笑みを絶やさぬまま、リアンは淡々と言った。

「まあ、そうね……」

 フィジーは引きつった笑みを浮かべる。

 フィーナは昔、リアンが彼女の夫を誑かそうとしたことを未だに根に持っているのだ。

「一度失っている信用を得るのがとても難しいのは、私も知っている。それなのに、フィジーは私に親切にしてくれるから、心強いよ……ありがとう」

 リアンは隣のフィジーを見て、しみじみと言った。

「うん……まあ、母さんから頼まれてるっていうのもあるけど、私も姉二人から厳しくされてきたから、フィルには同情してるとこがあってね……あいつは気づいてないと思うけどさ」

 ふと遠くを見ながらフィジーは言い、次いでリアンの黒い双眸をじっと見つめた。

「どんな子が生まれてくるのかしらね……今の姿、本当の姿じゃないんでしょう?」

 フィジーが魔族という存在に接するのは、リアンが初めてだ。

 だが魔族の姿は絵画等で広く世界中に知られており、フィジーは学校の図書で何度も見た。

 ヤギのような角が頭に生え、瞳は赤く、先の尖った尾を生やし、人間を堕落させる。

 その体は人間の二倍程大きく描かれ、その存在を前に人間は為す術もない。そんな絵画だった。

 それを見た当時のフィジーは恐ろしさのあまり目が釘付けになり、脳裏に深く刻まれたのだった。

 リアンは魔族だが、フィルはそうではないから生まれてくる子は純粋な魔族ではないけれど……

「まあな……魔族本来の姿は、今の格好とあまりに違いすぎてショックを受けるだろうから、この先もずっと本来の姿は披露するつもりはないよ。フィルやフィジーから怯えたように見られたら、私の方がショックだしな……子供らの外見は、実際に生まれてみないとわからない。だが、外見はいくらでも誤魔化せる……それに、外見だけじゃなくて他にも誤魔化さなきゃならない事があるかもしれない」

 リアンは真面目な表情かおでフィジーの問に答えた。

「そっか……それもわかってて、フィルはあなたを受け入れたんだものね……ほんとすごいわ、あいつは」

 はあ、とフィジーはため息を吐いた。

「フィル、どんな顔してた? 直接伝えたんでしょう?」

「うん……少し困ったような顔してた……けど、嬉しいと言ってくれた……」

 フィジーの問いに、リアンはその時のフィルの表情かおを思い出し目を細めた。

 今まで見た中で、一番優しい笑みだった気がした。

 そして『傍にいられなくてすまない』と、再び謝っていた。

 フィルが謝るのは、リアンに対する深い想いがあるからだ。

 本当は傍にいたいが、いられなくてすまないと……

 そう思うと、リアンの胸に寂しさとじんわりとしたあたたかさが湧き上がる。

 フィルに会いたい……

「そっか……あいつは真面目で責任感強いから、いい父親になると思うよ……なにか私に協力できることがあったら、いつでも言ってね」

「うん、フィジーは立派な母親だから頼りにしてる。ありがとう」

「立派かどうかはわからないけどね……一応、子育て経験中だから」

 フィジーはリアンの言葉に苦笑する。

 リアンは微笑んで、フィルの家の周辺を元気よく駆け回るフィジーの二人の子供達を見つめたのだった。


「え……」

 夕食を共にとった後、フィルから話があると声をかけられ、事情を知らされたジュールは絶句した。

 目の前の真面目な幼馴染に言いたいことは、いくつもあった。

 局長の任期はまだ一年以上あり、子が生まれた後も務めは続く。

 それがどれほど心配なことか……自分と違って真面目な性格のフィルならば、尚の事だ。

「おめでとう、フィル。これも運命だね」

 色々な言葉を飲み込んで、ジュールは笑顔を浮かべた。

「……ありがとう……」

 言うフィルの笑みは、微妙なものだ。

「私はリアンの傍にいてやれないから、向こうに頼りっぱなしだ……正直、自分が情けない」

 大きなため息と共に、自責の言葉が口をついて出てくる。

 フィルの言う“向こう”とは、リアンの生家のことだ。

「そう言うなよ……精霊管理局ここの仕事だって、大事なんだからさ……それに、今回のことはそういった事も全て含めて、リアンさんが望んだことなんだろ?」

 勘の鋭いジュールは、真面目な表情かおで言い当てた。

「それはそうなんだが……」

 ジュールの言葉を受けても、フィルの表情は冴えない。

「フィル、そんなに自分を責めなくても、局長の任期はあと一年半位で終わるんだ……永遠に続くわけじゃない。郷里に帰ったら、思いっきり責任を負えばいいよ……大丈夫さ」

 ジュールは穏やかな笑みを浮かべて、フィルの肩を抱えた。

 大丈夫……か……

 フィルの脳裏に『心配いらない』と笑うリアンの顔が浮かぶ。

 心配だ……傍にいてやりたい……

 だが、どれほどリアンを心配しても、今の局長の仕事を放り出すわけにはいかない。

 線を引くところは、きちんと線を引かなければならないのだ。

 今はリアンの言葉と笑顔を信じるしかない。

 すまない、リアン……

 フィルは心を決め、深呼吸する。

「今は仕事に集中することにする……話を聞いてくれて助かった……ありがとう、ジュール」

 フィルは幼馴染に笑みを向けた。

「いいよ。また不安になったら、いつでも話せよ……無理すると、積もり積もって後から祟るからね」

 フィルの肩を抱えていた腕をおろしながら、ジュールはにっこりと笑う。

「エンカとノイにも、話をしておいた方がいいんじゃない? あと、シェールとシェーンにも」

「そうだな、折を見て近々話すことにするよ」

「うん……じゃあ、おやすみフィル……」

 良い夢を、とジュールは手を振った。

「あぁ……おやすみジュール」

 また明日、とフィルは背を向けた。

 ジュールはふと足を止めて振り返り、遠ざかっていく幼なじみの背を見つめる。

 ジュールはふっと手のひらの上で息を吹いた。

 風の精霊をその背に送ったのだ。

 清々しくあたたかい風を、少しでもフィルが感じるように……

 ジュールは心の中で、静かに祈っていたのだった。


「わあ、なんだか大きいね!」

 緋色の混じった黒い瞳を丸くしたエンカが、微かに頬を赤く染めた。

 昼食時の食堂である。

 フィルとジュールは仕事である精霊の森での天使の対応がずれ込み、今は不在だった。

「フィルから話を聞いていたが……予定日はいつだい?」

 優しげなブラウンの瞳を細めてリアンの突き出た腹を見、ノイが訊ねる。

「いつだろう……とりあえず、今は六ヶ月くらいなはずだが」

「六ヶ月?」

 リアンの言葉に、エンカとノイが同時に素っ頓狂な声を上げた。

「いやあ……もうすぐ生まれそうに見えるけどねぇ……」

 しげしげとリアンの大きな腹を見つめ、エンカは呟いた。

「もしかして、二人いるんじゃないのか?」

 ノイが閃いたような表情で言う。

「うん、多分ノイの言う通りだと思う」

「わあ! 双子ちゃんか!」

 エンカはわくわくしたような表情を浮かべた。

「すごいなあ、いいなあ……いきなり二人の子持ちかあ……」

 エンカはうっとりと想像する。

「エンカ、双子ってのは母体にも子供にも、より負担がかかるんだぞ」

 そんなエンカにノイは現実を口にする。

「えっ、そうなの?」

 エンカはきょとんとする。

「おや、ノイは詳しいんだな」

 リアンは、意外だといった表情を浮かべにこりと笑った。

「ああ、妹……ノルは双子なんだ」

「ノルって、土担当の副長だっけ? ああ、どうりでノイに似てるわけだ」

 管理局に顔を出すようになってから数年が経過しているというのに、リアンは今までそれに気がつかなかった。

「モカも、おっとりしていてノイに似ているがな」

 モカとは土担当の書紀をしている少女である。

「あぁ、モカは従姉妹だよ。だから、なんとなく似ているのかな?」

「私が思うに、担当ごとに皆どこか性格が似ているような気がする……エンカのところもそうだ」

「エンヴィーとリューのこと? エンヴィーは私の妹だから似ているのはわかるけど……あ、いや、リューのエネルギッシュなところは似てるか」

 ふむ、と顎に手を当てエンカは考えてみた。

「フィルのとこもなんとなくわかるけど、ジュールのとこはあまり統一感を感じないな」

「まあ、風の精霊自体が自由気ままだから、っていうのがあるのかもね……と、噂をすれば、だ」

 ノイが、森から戻ってきたフィルとジュールに気がついた。

「あ、リアンさんだ」

 ジュールが三人の姿に見つけ、声を上げた。

「フィル!」

 リアンはフィルに、はち切れんばかりの笑顔で手を振った。

「さあて、お邪魔虫は退散しますかね……お昼ごはん、お昼ごはん、と……」

 ジュールは気を利かせて、昼食を取りに受け渡し場所に向かう。

「リアン、体調はどうだ? なにか変わったことはないか?」

 矢継ぎ早に問うフィルに、リアンは首を左右に振る。そして、そっとフィルの手を取り、己の腹に手を添えさせた。

「……動いてる……」

 フィルは呟き、目を見開いた。

 確かな胎動が、その手に伝わってくる。

 途端に、なにかあたたかなものがフィルの胸に沸き起こった。

「二人いるからなかなかに重たいが、これも命の重みだと思うとなかなかに感慨深い。お前に味わわせてやれないのが残念だ」

 リアンはいたずらっ子のように笑う。

「いや、もう十分だ……ありがとう、ここまで移動するのも大変だろう? あまり無理するな……次の休暇も、もうすぐだし」

「ああ、今日はエンカやノイにも見せたかったから来たんだ。ジュールには、こないだの休暇の時に会ったからな……これから食事だろう? 午後の仕事も頑張れ」

 にこっと笑って、リアンは言った。

「あぁ……ありがとう、リアン……気をつけてな」

 心配そうに言うフィルの言葉に頷き、リアンは姿を消す。

「フィルの分のお昼ごはん、持って来ておいたよ」

 その背に向かって、ジュールは明るい声で言った。

 フィルが振り返ると、二人分の昼食がテーブルに並んでいる。

「ありがとう、ジュール」

「さっ、ちゃんと食べて午後もしっかり働こう!」

 ジュールの言葉に頷き、テーブルにつきながらフィルは先程手に感じた胎動を思い出していた。

 幸せそうな顔しちゃって……

 緩んだ表情を自覚していない、真面目な幼なじみの様に、ジュールは密かに笑いをこらえていたのだった。

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