第37話 結婚祝

「初めまして、ルイ君」

 棺を前にぼうっとしていたルイは、ゆっくりと声の主を振り返る。

「ほんと……リアンさんにそっくり……なんか、懐かしいな」

 にっこりと笑う銀色の髪に碧色の瞳をした男が、そこに立っていた。

 その手には、一輪の白い花が握られている。

「僕は、フィルの幼なじみでね……ジュールっていうんだ」

 男は手にした花をフィルの棺に納め、手を合わせた後でルイに名乗った。

 ルイは微かに笑みを浮かべ、男の碧眼を見つめた。

「はい……エンカさんから、ジュールさんのことは聞いています」

 エンカは自身が知るフィルの情報を、詳しくルイに教えてくれていた。

「そっか……フィルとは、話ができたかい?」

 ジュールは、優しい眼差しをルイに向ける。

「はい、一度だけでしたが……」

 フィルはルイたちと言葉を交わした数日後、意識を取り戻すことなくこの世を去った。

「そっか……あいつ、穏やかな表情かおしてたもんな……最期に、ずっと探していた君に会えて、フィルは本当に嬉しかったと思うよ」

 ジュールの言葉に、ルイの瞳に涙が滲む。

「僕も、父と話ができて嬉しかったです……小さい頃は、どうして僕なんか生んだんだ、って両親を恨んだこともあったんですけど」

 俯き、自分の手を見つめながら、ルイは言葉を紡いだ。

 ルイの手は、父であるフィルの手とよく似ている。

 それに気がついてからというもの、ルイは自身の手が以前より特別なものに思えていた。

「今はとても感謝しています……僕は、父さんと母さんの子供で良かった」

 言いながらルイは、背に感じたフィルの温もりを思い出していた。

「そうか……それを聞いて、安心したよ」

 ジュールはしみじみと言い、目を細めた。

「ルイ!」

 入口から、ルイの名を叫ぶ女の声が響く。

 ルイが顔を上げて視線を向けると、そこにはどこか父に似た女性が立っていた。

「生きていたんだね!」

 女性はフィルに真っ直ぐに駆け寄り、泣きながらルイを抱きしめた。

「彼女はフィジー……フィルのすぐ上のお姉さん、つまり君の伯母にあたる人だよ。リアンさんと一緒に、赤ん坊だった君を育てていたんだ」

 ジュールが、フィジーに代わって説明する。

「そうなんですか……」

 病でやせ細ってしまっていた父フィルと違い、抱きしめてくる伯母は血色もよく元気そうだ。

 なんとなくほっとしながら、ルイはその背にそっと手を当てる。

 同じ水の精霊を使うからだろうか、それとも血縁者だからだろうか……どことなく親しいものを、ルイはフィジーの力強いぬくもりの中に感じていた。

「突然、みんないなくなって……諦めていたんだよ、私達は」

 涙を拭い、ルイの顔を見つめながらフィジーは言った。

「だけど、フィルはやっぱり諦めなかった。村にいても、あんた達を思い出すだけで、辛くなるだけだからって、出て行って……」

 その当時の光景を、フィジーは思い出す。

「姉さん達は、親の葬式にも顔を出さないなんて、って怒っていてね……だから、ここに来たのは私だけなんだ……会えて嬉しいよ、ルイ」

 言い、フィジーはもう一度ルイを抱きしめた。

 離乳食を食べさせていた小さな赤子が、立派な青年になって、今、腕の中にいる。

 フィジーは、心の底から神に感謝していた。


「フィル」

 優しい声音で名を呼ばれ、フィルは瞼を開いた。

 その声には、聞き覚えがある。

 確か、ルイと共に生きると言ってくれた、恩人の声だ。

 フィルは、体が宙に浮いている状態だった。

 肉体を持たない状態、霊体だ。

 ふと下を見ると、家々の屋根がずらりと並んでいるのが見える。

「本来ならば、君のご先祖様が君を迎えに来るところなんだけれどね」

 フィルははっとして、眼下の景色から声の主の方へと視線を移した。

「あなたは……本当に、神なんですね」

 そこには、穏やかな笑みをたたえたカイルがいた。

 フィルと同じ幽体のように見える。

「そう、私は神だから、自分の体をいくらでも好きなように変えられるんだ。人の肉体のままでは、冥府の門まで行けないからね……さ、手を……」

 カイルに言われ、フィルはそっと手を差し出した。

 その手を取りじっと見つめたカイルは、にっこりと笑う。

「ルイの手とよく似ている。やはり親子だな」

 その言葉に、フィルは嬉しそうに微笑んだ。

「それにしても、本当にリアンに会えるんですか?」

 生前の体の重さやだるさ、痛みと決別したフィルがカイルに問う。

「まあ、かなり特例だよ。大丈夫、これは全て私の我儘だからね。君は、なにも気にしなくていい……そうだ、一つだけお願いがあってね……悪いんだが、冥府の門の前に着くまでは、目を閉じていて欲しいんだ」

 言われ、フィルは頷くと瞼を閉じた。

 それを確認すると、カイルの姿が一変する。

「よし……じゃあ、行くよ! 着いたら声をかけるからね!」

 楽しそうに笑うカイルは、虹色に光り輝いた。

 フィルの幽体は、ぐんぐん引っ張られ風を切っていく。

 どのくらいの時が経っただろうか?

 空気が変わった……どこだ、ここは……

 フィルは瞼を閉じたまま、微かに眉根を寄せる。

 フィルが空気の変化に気がついたのは、かびたような湿った匂いと苔の匂いがその鼻孔に届いたからだ。

 それに、ひやりとした冷たい空気が肌を刺す。

「着地するよ、まだ目は閉じていてね」

 カイルの言葉が頭に響いたかと思うと、フィルの足の裏にゴツゴツとした感触が生まれる。

 ここは、死後の魂が訪れる世界だ。

 フィルは直感でそう感じていた。

 冷たい空気中で、繋いでいるカイルの手のぬくもりだけが、まるで灯火のようにあたたかい。

「足元が悪いから、ここからはゆっくりと進むよ」

 わんわんと響くカイルの声が、周りの壁に反響してのものだとわかる。

 何度もつまづきながら歩いた後、カイルはふと足を止めた。

「ここまでくれば、いいかな?」

 カイルは呟き、その姿は金髪碧眼のものに変わる。

「目を開けていいよ」

 カイルの言葉に、フィルはゆっくりと瞼を開いた。

 死後の世界とは、いったいどんな所なのか……

 フィルのぼんやりとした視界が、次第にはっきりとしていく。

「これは……門……」

 あたりは薄暗く、湿った空気が満ちていた。

 そしてフィルの目の前には、高さ十メートル程の大きな青銅色の扉がある。

 その門を守るかのように、左右には一人ずつ人影があった。

 人影の主は、人の容姿をしていない。

 背丈は三メートル近く、筋肉は鍛えられて盛り上がり、その形相は恐ろしさを感じさせるものだ。

 鋭く光る金色の瞳はきりりと眦が釣り上がり、大きく裂けた口からは、野犬のように尖った黄色い牙が見えた。

 体の色は赤と青とにはっきりと分かれている。

「やあ、ちょっと君達の王に用事があって来たんだけれど、ここ、通してくれるかな?」

 カイルはにこやかに二人の門番に向って言った。

「なんだ……また来たのか……」

 腹に響くような、低く迫力のある声がこだました。

 その声は、赤い色の体をした門番のものだ。

 その声音には若干呆れたようなものが含まれている。

「おや、私を覚えてくれているとは、ありがたいねぇ」

 カイルは倍の背丈がある異形の者に対し、少しも怯まない。

「お前が来た後は、いつも我が主の機嫌が悪くなる……だから覚えているのだ」

 青い色の体をした門番が忌々しげに言った。

「いや、今回はそうならないよ……いや、そうとも限らないかな……うーん、どっちだろう?」

 カイルは顎に手を当て、うーんと考え込んだ。

「まあ、どっちにしても、通してもらうまでここにいるから気にしないで」

 最終的ににこりと微笑んでカイルは言った。

「気にするな、と言われてもな……」

 ちらりと、赤い門番が青い門番と視線を交わす。

「……目障りだ」

 青い門番が渋面を浮かべ、低く呟いた。

 フィルは、カイルが二人の門番と話を終えるのをずっと待っていた。

 そして気配を感じてふと横を見ると、いつの間にかずらりと長い行列ができている。

 皆フィルと同じ幽体の状態で、門に向って並んでいた。

「気づいたかい?」

 カイルは真横にいるフィルにそっと囁いた。

「ここは冥府……現世での時間を過ごし終えた人間の魂が、審判を受ける場所さ」

「ここに、リアンが?」

 眉根を寄せたフィルがそう言った途端、二人の門番がぎらりと瞳を光らせフィルを見た。

「お前、あの娘の知り合いか?」

 赤い体の門番が問う。

「この人間は、リアンさんの夫だ」

 にっこりと笑って、カイルはフィルに代わって答えた。

「なんだ、それを早く言え……今、使いを呼ぶ」

 青い体の門番が、腰に提げた鈴を鳴らした。

「良かった、話がスムーズに進みそうだ」

 カイルは口元に、にやりとした笑みを浮かべる。

 リアンの名を口にした途端、門番の雰囲気が変わったのはなぜなのか。

 フィルは腑に落ちないまま、使いが現れるのを待った。

「お呼びですか?」

 やがて、大きな門の脇にある小さな扉から、小さな人影が現われる。

 小さな門は三メートル程の高さだ。

 人影は門番をそのまま小さくしたような容姿をしており、その身の丈はフィルの半分ほどしかない。

 その小さな者に、青い門番はこっそりと耳打ちした。

「えっ……では、これでやっと……」

 小さな者は、ほっと安堵のため息を吐いた。

「早く、案内してやれ」

「わかりました。どうぞ、こちらへ」

 門番に急かされ、小さな者はカイルとフィルを小さな門に手招きした。

「行こう、フィル」

 カイルの言葉に頷くフィルの胸には、少しの緊張と期待とが複雑に混じり合っていたのだった。


「よし、また勝ったな!」

 ふふん、と女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 黒くて大きな瞳はきらきらと輝き、艷やかで真っ直ぐな黒髪は腰まであった。

「あああ! なぜじゃ、なぜ勝てんのじゃ!」

 バン、と大きな手が盤を叩き、その上にあった駒が一斉に四方に飛び散る。

 冥府の王は、身の丈五メートルほどの巨体の持ち主だ。

「冥王様ぁ……お仕事が滞ってますぅ……」

 山のような書類があちこちに転がり、十名程の冥府の王に仕える事務官達は、困ったように右往左往している。

「ほら、早く仕事に戻れ」

 妖艶な流し目を送りながら、女はシッシッと手を払った。

「ぐぬぬ……くそう……」

 冥王は大きな体を揺らしながら、仕事用の椅子に戻ろうとする。

「冥王様、お客人です!」

 そこへ、小間使いの者が息を切らして飛び込んでくる。

「あぁ? 今忙しいから、対応できん……だいたい、そんな約束してな……あ、お前は! 夢の!」

 小間使いの後ろから現れた男を見るやいなや、王が血相を変えて叫んだ。

「やあ、久しぶり! 冥府の王」

 カイルは楽しそうに笑いながら、王に向って手を振る。

「何しに来たんだ、この忙しいのに!」

 王は眉間に皺を寄せて叫ぶ。

「いやなに、忙しくなっている原因を取り除きに来たんですよ、私は」

「フィル!」

 その時、甲高い女の叫び声がその場に響いた。

 驚いた王が視線を向けると、その先に立ち尽くす女の表情がみるみると変わっていくのが見えた。

 女の表情は、喜びに満ち溢れ、今にも泣き出しそうだ。

 あんな表情、見たことない……

 呆然とする王の横を駆け抜けて、女はフィルの胸に飛び込んだ。

「おい! 誰だ、そいつは!」

 王が、途端に苛立ちをあらわにする。

「彼は、リアンさんの夫ですよ」

「な、なに! なんで、お前が直接連れてきたんだ、ルール違反だろうが!」

 王はカイルにがなった。

「いや、二人に結婚祝いをね、どうしても渡したくて……それが済んだら、すぐに帰りますよ」

 カイルは王をなだめるように言った。

 フィルは腕の中でじっとしているリアンの黒い双眸を見つめた。

 約二十年もの間、ずっと探し続けてきた大切な存在だ。

「リアン……すまなかった……お前達を守れなくて……ずっと、ずっと……私は、謝りたかった」

 リアンは罪悪感で溢れる明るい水色の瞳に、哀しそうな表情になった。

 そしてフィルの頬に手を添え、微笑を浮かべる。

「フィル……お前は何一つ悪くない。私にもお前にも、どうにもできないことだったんだ。それに、謝らなければならないのは私の方だ……こうなってしまった経緯を皆に黙っていてくれと、じぃに頼んだのは私なのだから……心配かけて、本当にすまなかった」

 言い、リアンは再びフィルの胸に顔を埋める。

 大好きな人。ここにやってくるのを、今か今かと待ち焦がれていた人。

「ここに来る直前、ルイに会ったんだ」

 そっとリアンの華奢な体を抱きしめながら、フィルは静かに言った。

 リアンの脳裏に、まだ生後六ヶ月だったルイに呪いをかけた日の光景が蘇る。

 罪悪感をその瞳に浮かべたのは、今度はリアンの番だった。

「そうか、ルイに会ったのか……フィル、すまない……私はルイの体に、呪いをかけてしまったんだ……不老不死という……なにがなんでも、ルイに生きて欲しくて……本当なら、人間として生きていくはずだったのに」

 ああ、そうか、それでルイは……

 合点のいったフィルは、穏やかな笑みを俯くリアンに向けた。

「大丈夫だ、リアン。私をここに連れてきてくれたカイルさんが、ずっとルイと一緒にいてくれると言ってくれたから」

「カイル?」

 リアンはフィルの顔を見上げた後、冥府の王と共にこちらを見ている人物に視線を向けた。

 背が高く、穏やかな雰囲気を纏った金髪碧眼の男。

 あの男、見覚えがある。

「確か、前に一度会ったな……いつだったか……」

 リアンはフィルから離れてカイルの方に向き直り、じっとその碧眼を見つめた。

「えぇ、あなたの乙女心に感動しましたよ、あの時は……水色のワンピースがとてもよくお似合いでした」

 カイルはにこりと微笑む。

 水色のワンピース、噴水、天から降りた神……

 リアンの中でピースが一つに繋がる。

「あぁ、お前はあの時の物好きな神だな! 自分から住処を出て来た……」

「そうですよ、覚えていてくれたんですね」

「まあな……それはそうと、ルイのこと、感謝する」

 キリッとした笑みを浮かべ、リアンは言った。

「いいえ、こちらこそ……あんなに純粋でかわいい子と、未来永劫共に歩んでいけるかと思うと、感謝するのは私の方です」

「いい子だろ……私とフィルの子だからな」

 誇らしげに、リアンは微笑んだ。

「メアーは、順調にじぃが教育してくれているし」

 腕組みをし、リアンはニヤリと笑った。

「メアーの事、知っているのか?」

 フィルがリアンの背に訊ねる。

 唯一会えていない娘、メアー。ルイは元気にしていると言っていたが。

「あぁ、じぃが、たまにここを訪ねてくれて、その度に状況を伝えてくれるからな」

 心配そうな表情のフィルに、リアンは笑って見せたが、ふとその額が曇る。

「メアーは私と違って、非常に真面目で勤勉だと……性格はフィルに似たようで一安心だと、笑っておったわ、じぃめが……」

「あぁ、良かった……」

 フィルは心の底から安堵のため息を吐いた。

「では、そろそろ私からの結婚祝いを渡そうかな。冥府の王が、苛ついてるしね」

 言いながら、カイルはリアンとフィルに近づいた。

「結婚祝い?」

 リアンは、首を傾げる。

「リアン、あなたを人間に変えます」

「えっ……」

 リアンは目を丸くした。

「そんなこと……できるのか?」

 頬を赤らめ、リアンは問う。

「できるんですよ……私は、けっこう長生きしてる方の神なのでね……そうすれば、あなた達二人はいくらでもやり直せる……人間として」

 カイルの答えに、リアンの黒い双眸が潤んだ。

 フィルは、人間の輪廻転生の輪に入る。だが、魔族のリアンはそうはいかない。

 ここでフィルを待ち、会えたとしてもその先の道を共に歩むことはできないと、リアンはずっと覚悟していたのだ。

「私は、あなたとフィルが本来歩むはずだった道を、きちんと歩んでもらいたいと願っているんです……ああ、ついでに二人を結ぶ糸も強化しますよ」

 にっこりと笑ったカイルの手には、鎖と錠前が握られていた。

「カイル……ありがとう……」

 リアンは満面に笑みを浮かべ、カイルを見つめる。

「今度こそ、末永くお幸せに」

 その美しい双眸を優しく見つめ返し、カイルは微笑んだのだった。

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