第3話 食事
カイルと名乗った男は、天上での暮らしに飽きた神だと言う。
初めて会ったその日、カイルの虹色に輝く瞳を見た瞬間、ルイは彼が人ではないと悟った。
しかしそれはあくまで自称だから、カイルの本当の素性が神であるかどうかは疑わしい。
「神で納得できなきゃ、悪魔でも魔法使いでもアヤカシでも、なんでもいいよ」
しかし、時折投げかけていたルイの探るような視線を受けても、カイルは一向に気にしていない様子だった。
このような男から運命の人だと言われたルイは心中複雑だ。
いくら整った顔立ちのカイルから、どんなに人懐っこい笑顔を向けられても、ルイは警戒心を完全に解くことができない。
そんなルイも、カイル同様純粋な人ではない。
ルイは両親の顔も素性も知らなかったが、カイルに言わせるとルイは魔族と人間との混血らしかった。
しかも、魔族についてはどうやら高貴な身分の人物らしい。
「僕が大人だったら、働いて生きていけたのになぁ……」
ルイはベッドの中でぼんやりと呟く。
ルイは正確な年齢を自身で把握していなかったが、まだ十歳に満たない子供だ。人間社会で働いて自立できる年齢ではない。
ぐうぅ、とルイの腹部から空腹を知らせる音が鳴り、ルイは憂鬱な表情ではぁとため息を吐いた。
「君がお腹を空かすのは、体がそれを要求しているからだ。まあ、食べなくても死にはしないんだけど、成長期だからね、まだ」
カイルは笑顔でルイに言った。
カイルが言う、この“まだ”という部分。
それはルイにかけられた呪いに起因する。
「不老不死かぁ……」
ルイは抱えた膝に顔を埋めた。
カイルの言うことが事実なら、あと十年ほどで現在のこの死なない体に、老いないという特徴がプラスされるらしかった。
ルイはその段階になると食事をとる必要がなくなる、ということなのだろう。
今まで食うや食わずの生活に苦しんできたルイにとっては、大きな苦しみが減るのは良いことのようにも思えたが。
「……そうなったら、本当にバケモノだよな……」
傷ついてもすぐに治っていく自身の体を気味悪いと思っているルイは、重いため息を吐いた。
「……あの人は悲観するなって言ったけど……」
ルイはこの先の自分の歩む道がどうなってしまうのか、どう生きていきたいのか、どれだけ考えても答えを出せずにいた。
「これからは、空腹との戦いじゃなくて、鍛えることに精を出そう!」
二度目の食事を運び込みながら、カイルは笑顔でルイに言った。
少し遅めの昼食である。
「鍛える?」
未だベッドの上のルイは、カイルの言葉に首を傾げた。
そのサイドテーブルに、カイルはミルクとパン、肉と野菜のクリームスープを次々と並べていく。
「わあ、美味しそう」
ルイは小さな鼻をひくつかせた。
スープから漂う、温かな湯気と優しい煮込み野菜の香り。
その横にあるパンは、したくもない盗みをしてなんとか手に入れていたパンより美味しそうに見える。
「おかわりあるから、たんとお食べ」
にこりと笑ってカイルは鍋を示した。
こんなに美味しい食べ物が、おかわり自由!
ルイは幸福感にうっとりと酔いしれた。
ひとまずの空腹をしのげたとはいえ、これまでの栄養事情からルイの体はかなりやせ細っている。
「大事なのは、まずは栄養バランスのとれた食事を続けること。体の基礎がしっかりしていないと、鍛えても怪我するのがオチだ……食べながら聞いて」
どうぞ、と言われるまで食事に手をつけないルイに、カイルは言った。
「鍛える、って……どんな事するの?」
おずおずとスープの皿を手に取り、スプーンで口に運びながらルイは言った。
スープは甘い野菜の味と、まろやかな調味料で優しい味付けになっている。
「おいしい……」
「基礎的な体力をつけた後で、体術とか、剣術とかかな……」
ゆっくりと味わうように食事を採るルイを穏やかな表情で見つめながら、カイルは言った。
「そんなの、僕にできるかな」
いかにも柔らかそうに見えるパンに手を伸ばしながら、ルイは不安気に言った。
その横には見慣れない小さな白い塊と、赤いペースト状のもの、バターナイフが置いてある。
「やりたいとか上手くなりたいという気持ちさえあれば、大丈夫さ。あとは、目的をしっかり定める事かな。何のために鍛えるのか、強くなる必要がなぜあるのか……パンにはね、バターやジャムが合うんだよ。使った事があるかな? バターナイフ」
カイルの問いに、ルイは頭を左右に振った。
カイルは頷き、パンを手に取り見本を見せる。
パンの表面を滑らかにすべる薄黄色のバターや、鮮やかで粘度のある赤いジャム。
それらを、ルイはぽおっと見つめていた。
「この赤いのはね、果実を砂糖で煮詰めたものに、少しの酸味を加えたものなんだ。甘くて美味しいよ」
にこりと笑って、カイルはバターとジャムを塗ったパンをルイに手渡した。
それを受け取り、ルイはそおっと一口齧る。
その瞬間、ルイの鼻孔に甘くてフルーティな香りが届き、甘味が唾液腺を刺激する。
「どう? 美味しい?」
「……すごい」
ルイから返ってきた言葉に、カイルは苦笑する。
「今まで、シンプルな味のものとしか出会って来なかったのかな……運動や勉強も、人生におけるバターやジャムみたいなものさ。固く考えずに、自身の考え方をより豊かにするものだと、捉えればいい」
カイルは持論を語ったが、当のルイは初めての味覚に感動するのに忙しく、それどころではなかった。
ルイは大切そうにパンを齧り続ける。
それでいい、とカイルは内心で思う。
これから色んな体験を積み、色んな感情を味わうといい。
ルイはサイドテーブルのミルクを飲み干し、はあと大きなため息を吐いた。
「口の周りが白くなってるよ」
カイルは微笑んで、そっとハンカチでそれを拭き取る。
ルイは、なんだか気はずかしくて、ほのかに頬を赤く染めた。
「ルイ、君は文字が読めるかい?」
今までに基礎的なものでも学ぶきっかけがあれば、文字を知っているかもしれない。
だが、そう考えたカイルの問いにルイは頭を左右に振った。
「オーケー、じゃあそこからスタートだ。数学もやろう! 知ることがたくさんあるなあ、これは楽しみだ!」
カイルは笑顔でうんうんと頷く。
「楽しみ? 僕がすることなのに、カイルは楽しみなの?」
カイルの感情が理解できずに、ルイは眉根を寄せて首を傾げる。
「あぁ、もう私は君の保護者という立場でいるからね。大切な子供が、これからどう成長していくのか、ワクワクするよ!」
カイルは言い、碧い瞳をきらきらと輝かせた。
「……ほんとに楽しそうだね……ごはんを食べさせてもらえるのは、ほんとうにありがたいと思うけど……僕に色々期待しても、無駄になるかもしれないよ」
自信なさげに、ルイは言う。
「大丈夫、心配いらないさ! どんな結果だろうと私は構わないし、むしろ結果より大事なのはプロセスだからね! 自分で考え、体験を積み重ねる事が大事なんだよ」
「……はあ、なんだかよくわからないけど……」
ルイは、カイルの言葉に困惑した表情を浮かべる。
「うん、君は安心してこの渦に巻き込まれるといいよ! ひとまずは、ゆっくりとお休み」
にっこりと笑い、カイルは空になった皿が載った銀色の盆を手に立ち上がった。
「うん……」
そう言われると、急にルイは眠気を感じてくる。
後ろ手に扉を閉め、カイルは口元に笑みを浮かべた。
「あ、カイルさん! どうです? 食事、ルイ君の口に合ったかしらね?」
金持ち商人の放蕩息子という肩書で生きるカイルの家には、数人のハウスキーパーがいた。
それはカイルが雇った、主に近隣に住む主婦達だ。
「うん、見ての通り完食だよ。いつもありがとう。また頼むね」
仮の姿とはいえカイルは長身でスタイルがよく、品の漂う容姿をしている。
顔の造りも美しい。その上、嫌味を感じさせない上等な服を選んで身につけるから、周囲からの印象がすこぶる良かった。
もちろん、ハウスキーパーに対する口調や物腰の柔らかさも、それに大きな影響を与えている。
そんな主に笑顔を向けられて、食事を作ったハウスキーパーは照れたように笑った。
「そう言われると、作り甲斐がありますよ」
「うん。そうだ、あとは家庭教師を探さないとだな……一週間は、気力体力回復の期間を設けて……」
「ルイ君の家庭教師ですか?」
「うん。誰か、いい人知っているかい?」
「そうですねぇ……思いあたる人がいないので、ちょっと周りにも聞いてみますよ……あ、お皿、洗うので預かりますね」
カイルから盆を受け取りながらハウスキーパーは言った。
「本当かい? それは助かるよ、そういったことの評判の良し悪しを、私は知らないからね」
「そうですね、ここは主婦のネットワークの力の見せどころですよ」
言い、ハウスキーパー兼主婦は満面に笑みを浮べたのだった。
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