第4話 選択

「人は見た目も、とても大事だ」

 昼寝から目覚めた後、ルイは風呂に連れて行かれ、あれよあれよという間に身ぎれいにされていった。

 風呂というものを知らなかったルイは、呆然と立ち尽くす。

「ほう、やっぱり品があるね、君は」

 清潔なタオルでルイの艷やかな黒髪を拭きながら、カイルは碧い瞳を細めた。

 髪や爪を整え、衣料店で仕入れた服を着せると、そこにはもうみすぼらしい子供はいなかった。

「……この服……」

 ルイは落ち着かない表情でそわそわした。

 真っ白で、肌触りの良いシャツ。伸びが良く、柄のセンスも派手過ぎない、ダークな色合いのチェックのズボン。もちろん、下着も真新しい清潔なものだ。

 こんな上等な服など、ルイは遥か遠くから眺めたことしかない。

 上等な服、美味しそうな食べ物、楽しそうにはしゃぐ両親と手をつなぐ子供達。

 ルイは、それをずっと羨ましいと思ってきた。

 だが、その日口にするパンにすら困るような自分には、縁のない遠い世界だ。

 そう信じて生きてきた自分が、その上等な服を着る日が来ようとは。

 信じられない……

「君が気を失っている間に、服を買いに行ったんだ。本当は君を連れて行くのが一番良かったけど……うん、やっぱりサイズ、少し大きいね。後で一緒に買い足しに行こう」

「……はぁ……」

 ルイは、どうにも居心地が悪かった。

『おやまあ……これは面白い……』

 カイルがルイと出会って、一番最初に口にした言葉が、ルイの頭から離れない。

「浮かない表情だねぇ」

 そんなルイを見て、カイルは顎に手をあてた。

「だ、だって……退屈だから……僕が、混血児だから……だから、面白がってやってるだけなんでしょ?」

 ルイは俯きながら言った。

 昼間、カイルは保護者の立場でいると言ったが、それはルイの腑に落ちなかった。

「そうか……君と出会って一番最初に、私が面白いだなんて言ったから、疑うのも当たり前だね。確かに、君に興味があるのは事実なんだが……実は、それだけじゃない事情があってね。まだ確認していないから、今は言えないんだが」

 カイルはしゃがみ込み、真面目な表情で涙が滲むルイの黒い瞳を覗き込んだ。

「今まで君は、食うや食わずの生活をしてきた。そのままの状態で歳を重ねて不老不死になるのと、体と精神の健康を維持し、学び鍛えた後に不老不死になるのと、どちらが良いと思う?」

「……え?」

 急な質問に、ルイはきょとんとして黙りこんだ。

 そんなルイに、カイルは優しく微笑む。

「簡単に言うとね、お腹が空いてるのと満腹なのでは、どちらが幸せを感じるかってことだよ」

「……そりゃ……お腹空くのは、嫌だよ……」

「そうだろう?」

 パッとカイルの表情が輝く。

「あのね、自分自身が幸せを感じることって、とても大事なことなんだ。体の中のエネルギーのめぐりが良くなるからね。えっと、わかりにくいかな……ルイは単純に、不幸なのと幸せなの、どっちがいいと思う?」

 再びカイルに問われ、ルイは今までの事を思い出した。

 空腹、恐怖、焦り、後悔、疲れる……負の感情のオンパレードだ。

「……逃げるのは疲れるから、もうしたくない」

 ボソリとルイは呟いた。

「そうだよね。うん、それがわかっているなら大丈夫だ」

 カイルは満面に笑みを浮かべた後、ふと真顔になる。

「それから、忘れちゃいけないあの銃のことだけど……」

 カイルの言葉に、ルイはハッとした。

「あれは、前にも言ったけど危険な代物だよ。君もわかっているとは思うが、あれを使えば子供でも簡単に他人を傷つけることができてしまう。うまくコントロールして、他人を傷つけないように利を得ることもできなくはないが、君にはまだそれは難しいだろう」

 それは、ルイ自身も感じていた。

 飢えに喘いでいたルイの元へ、天使が現れたのは一年程前の事だ。

 美しい黄金色の髪は、ゆるやかなウェーブを描き。

 その背には、汚れのない真っ白な翼が生えている。

 その表情は慈悲に溢れており、鈴をふるような心地よい声音で、甘い言葉を囁く。

 それが、四大精霊銃を造った神の使い、天使の特徴だ。

 ルイはその時、これで助かる……飢えずに済むと思った。

 水の精霊躁術力を持つ指南役の人間に、それとなく天使との契約を破るよう言われたが、ルイはそうしなかった。

 指南を受けた事で銃の危険性を知ったが、使うのは身に危険が迫った時だけ。それならば、持っていてもいいのではないか。

 そう思った。

 だが、実際に数回使用してみて感じたのは、次第に麻痺していく罪悪感と、降り積もっていく背徳感だった。

 心と体が悲鳴をあげ続けるのを、ルイはこれまでずっと仕方がないことだと思っていた。

 自分では、自分だけではどうすることもできない現実。

 それがここに来て逆転した。

 カイルの言う通り、この危険な銃を使わなくても済むのなら、もう二度と使いたくなかった。

 カイルはジャケットの内ポケットから、ルイから預かっている拳銃を取り出す。

「まあ、でもせっかく持ってるんだから、ゆくゆくは上手く使いこなすっていう手もあるけどね。ところで、君は何色のボタンを押していたのかな?」

 銃には、赤・青・黃・緑の四色のボタンがついている。

 カイルの問に、ルイは無言のまま青色のボタンを指し示した。

「なるほど、水ね……覚えておこう。さて……ルイ」

 スッとカイルは立ち上がり、銃を元のようにしまった。

「君は君自身が幸せになるために、これから様々な事を学ぶんだ。家庭教師の先生は、これから探すけど……その前に、服を買いに行こう。あ、ちなみに、君は金持ちの放蕩息子が気まぐれに引き取った孤児ってことにしてあるからね。そこのところは、よろしく頼むよ」

 ポン、とルイの真っ直ぐな黒髪に手を乗せ、カイルはにっこりと微笑んだのだった。

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