第12話

「じゃ、ご飯できたら呼ぶから。ゆっくりしてて」

 そう言って夕ご飯の支度にとりかかった深愛に感謝しながら、僕は自分の部屋に入る。いまだに僕の心臓はドキドキと高い心拍数を保っていたので深呼吸して落ち着かせた。

「……よし」

 一息ついた僕は、部屋の中を調べることにした。調べることは元の世界と今のこの部屋にどんな違いがあるか、ということだ。それがわかればこの世界が僕の行動によってどう変わったのかを少しはわかるかも、と思ったから。何が起きてこうなったのか、わからないままでは恐ろしくてたまらなかった。

 もちろん元の世界とどう変わっているかなんてそう簡単には見分けがつかないだろうけれど、葵との会話で思い出した心当たりがあった。

「……」

 ぐるり、と自分の部屋を見渡す。ぱっと見では前の世界と変わりない。でも僕と葵が連絡を取り合っていた世界である以上、前の世界にはなかったものがあるはずだ。

「見つけた」

 探し物はさほど苦労することもなく見つかった。といってもそれは僕にとって見覚えのないものだったけれど。

 勉強机の三段目の引き出しには元々入っていた学校の書類の代わりに平たい箱が一つ入っていた。前の世界ではこんな箱を用意した記憶はないけれど、同じ場所に置いてあったものは覚えている。

 五年前、葵との別れ際にもらった手紙だ。転校先の住所が記された便箋一枚しかなったけれど、僕はそれを丁寧に保管していた。通ってきた過去が違っても、きっと僕は葵との手紙はここに入れると思ったが案の定だったようだ。

 小箱を開ける。中には予想通り、何通もの手紙が収納されていた。そのすべてが葵からのものだ。一番上の手紙が最新のもので、今年の三月に届いたもののようだった。内容は今年の四月から僕と同じ京駒高校に進学するというもの。文面的にそれまでは受験したことすら秘密だったようだ。その少し前の手紙でそれとなく志望校を聞き出すようなものがあったから、それで僕と同じ高校を受けたのかもしれない。

 一体どういうつもりでそんなことをしたのかは、わからないけれど。

 そこから僕は葵からの手紙をひとつひとつ、遡っていった。

 当然のことながら僕から葵に送った手紙はなかったから、僕がどんな手紙を送ったのかは葵の手紙から類推するしかなかったけれど、それでもだいたいの内容は把握できた。葵の手紙から得られた情報の内、重要なのは三点あった。

 ひとつ、葵に振られた後も険悪になったわけではなく、普通に文通をしていたこと。

 ふたつ、葵が自分の夢に向かって、一歩一歩進んでいることを伝えてくれていたこと。

 そして、みっつ。この世界の僕は葵に深愛と付き合ったことは告げていないこと。

 この世界の僕が何を考えてそう行動したのか確証はないけれど、それほど驚きはなかった。だって告白して振られた相手にどの面下げて「彼女出来た」なんて報告できるんだ。いやもしかしたらそんなこと気にしない肝っ玉太いやつはいるのかもしれないけれど、少なくとも僕には無理だ。だからたぶんこの世界の僕もそうだったんだろう。ちょっと過去は違うとはいえ自分のことだからそう的外れでもないと思う。

 ざっと手紙を読んで、いくつかある謎の内の一つが解けた。僕と葵が同じ高校に通っているという謎だ。

 おそらく何かしらのきっかけでこちらに戻ってくることになり、そうなった時に僕と一緒の高校に行ってもいいと思うくらいには関係が良好だったというだけのことだ。まさか僕のためだけに京駒高校を受験したってわけじゃないだろうけれど。

 僕は五年前(主観的にはつい昨日のことだけれど)手ひどい振られ方をしたことで、葵に完全に嫌われたと勘違いしてしまっていたけれど実際にはそうじゃなかったらしい。

 少し安心すると同時に、元の世界での葵の態度を思い出し陰鬱な気持ちになる。少なくとも別れ際はこの世界のそれよりはマシだったはずなのに、どうしてあんな風に怒っていたのだろうか。

 その謎は明らかにならないまま、僕は手紙を読み進めていく。そして五十四通目の手紙を読み終えると、最後の手紙、つまり最初に葵からもらった手紙が現れた。その手紙は前の世界で僕がもらったものと同一のもののはずで、もう一度確認する必要はないだろうからそのまましまおうとしたけれど。

「あれ?」

 封筒を持った感触に少し違和感があった。もちろん、同じ手紙とはいえ前の世界では何度も見返して擦り切れていたから、この世界のそれとは違っていても何の不思議もない。

 でもこの違和感は封筒の外観ではなく、中身に対して感じたものだった。

「……」

 封筒の中に指を入れて、中身を引き抜くと机の上にパサリと便箋が落ちた。それ自体は何もおかしなことじゃない。おかしなことは……その便箋が、二枚あったことだ。元の世界では、住所と「またね」とだけ記された便箋が一枚しか入っていなかったはず。

「一体どういうことなんだ……?」

 二枚の便箋を開き、机の上に並べる。一枚は住所が記されたもので、もう一枚は葵から僕宛の手紙だった。元の世界では受け取ったことのない、手紙。

「なんだよ、これ」

 僕の知らない手紙が入っていた、ということは確かに驚きだった。でもそれ以上に衝撃的だったのは――もう一枚の便箋に記された住所が、僕の知るそれとはまったく異なるものだったことだ。

 状況から考えて、この住所は正しいものなんだろう。だから元の世界と違ってこの世界では僕と葵は連絡を取り合えていた。これで謎は一つ解けた。でも同時に新しい謎が生まれてしまった。

 なぜ封筒の中身が変わっているのか、という謎だ。

 だって、葵から手紙を受け取ったのはタイムリープよりも前、僕が葵に告白するよりも前だ。僕が告白したからといって、葵が封筒の中身を変えるなんてことは時系列的にあり得ない。

 仮に差し変えられたとしても、動機が分からない。だって僕の告白に対し、葵は怒っていたはずだ。だから僕に住所を伝えるのが嫌になって虚偽の住所に差し替えた、というのなら理屈は通る。でも現実は真逆だ。僕が告白しなかった世界では僕と葵の繋がりは失われ、葵を怒らせてしまったこの世界ではなぜか同じ高校に通っている。

 動悸に苛まれながらもう一枚の便箋を開く。そこには、僕の知らない、でも僕の知る栗原葵からの手紙が記されていた。


 鉄翔也様へ


 あなたがこの手紙を読む頃には、私はこの街を去っているでしょう。

 ……これちょっと書いてみたかったんだけどなんか死亡フラグみたいね。次からは使うのやめるわ。

 何から書けばいいのかな。そうね、初めて会った時の翔也の印象でも書こうかな。と言っても別にいい印象じゃなくて、声は小さいし、なよなよしてるし、なんか自信なさげな奴だなって印象だった。

 そのくせ半ば脅迫みたいなことをしてきたから驚いたし、警戒もした。でも実際に一緒にいると勉強の教え方は上手いし、周りとの折り合いが悪い私の橋渡しをしてくれたりと、とても助かった。正直、私ばかり得をしてる気がして後ろめたかったりした。

 私はなんでもかんでも口に出してしまうから、そこを助けてくれた翔也には感謝してる。

 褒めてばかりだと私の性に合ってないから悪口も書いておく。

 翔也のよくないところは、考えてることをなかなか口に出してくれないところ。あなた、考えてることの一割くらいしか口に出してないでしょう。私は人の気持ちを察したりできないから翔也の考えていることを読み取るの、大変だった。

 次に会うときにはもっとあなたのことを話してくれるのを望んでる。


 またいつか、翔也と一緒に遊べたらなと思っています。


 栗原葵より


 PS 次はあなたの方から手紙を送ること。次も私からの手紙待ちなんて許さないから。


 便箋を机の上に置く。冷房を付けていなかったから僕の肌はじんわりと汗をかいていた。だいぶたくさんの文章を読んだから目が疲れていたので、軽く目元をマッサージして、眼精疲労を取る。

 当時の僕がこれを読んでどう思ったのかはわからない。でもこれは僕の知る小学五年生の栗原葵からの手紙で間違いなかった。言葉選びが下手で、でも話す内容に裏なんかなくて、まっすぐすぎる内容。

 この手紙を読んで、当時の僕が葵から嫌われていたわけじゃないことを知って安心するも、同時に暗澹たる気持ちになった。

 どうして、元の世界ではこの手紙を受け取ることができなかったのか。もし受け取っていれば……。

「受け取っていれば、どうだっていうんだ」

 この世界の僕は葵に告白したから今のような状況になっているが、それは告白できなかった僕が後悔を背負って過去を変えたからこそだ。

 もし何も知らない自分がこの手紙を受け取っていて葵との関係が途切れなかったとしても、きっとずるずると告白を先延ばしにして何も進展しなかっただろう。その場合、深愛とどういう関係になっているかはわからないけれど、そんな情けない男に深愛が告白するとも思えない。きっと元の世界の僕――つまりこの僕のことだが――と大して変わらない鉄翔也になっていただろう。

「……バカバカしい」

 結局のところ、僕はこの世界の僕が羨ましかったのだ。深愛という彼女がいて、葵とも友好な関係を築いている。正直予想外の世界ではあったけれど、それでも何も手に入れていない僕と比較して明らかに充実している人間だ。

 ……そこまで考えて、僕は我に返る。どうして、他人事のように考えているんだろうか。今この世界の鉄翔也なのは、僕だ。それならばこの立場は僕自身のもので、それを羨むというのはおかしな話だ。

 でも頭ではそう考えても、僕の心は何かが違うと叫んでいる。これは違う、何かが違う。確かに鉄翔也の人生ではあるけれど、「僕」のそれとは何かが決定的に違う、と。

 その何かとは何なのか、ということを自身の胸の内に問いかけてもしんと静まり返ったこの部屋のように返事はなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、一階から届いた深愛が夕食に呼ぶ声だった。

「翔ちゃん、ご飯だよ~」

 何秒、または何分自問自答していたかはわからなかったけれど、机上の置き時計を見るともう十九時近い。

「……飯、食うか」

 この世界がどうとか、自己の同一性がどうだとか、そんな大層なことを悩んでいても、お腹は空く。昼は上の空でまともにご飯を食べなかったからお腹と背中がくっつきそうだ。

 僕は机の上に広げた手紙たちを丁寧に箱に戻してから、部屋を出た。

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