第14話
翌日、休日なのをいいことに三度寝をかました結果、ベッドから抜け出したのは昼の一時を回った頃だった。
靄のかかった頭を抱えながらシャワーを浴びた後、朝飯兼昼飯としてそうめんを茹でているとスマホにラインの通知が来ていた。
「深愛からか」
今日の夏祭りについて集合場所や集合時間についてのリマインダーだった。まめなところは変わらないらしい。
ふと気になってラインの履歴を遡る。僕からのメッセージは僕自身とあまり変わりなかったが、深愛からのメッセージはなんというか、こう……「好き」って気持ちにあふれていて、具体的な内容に言及するのはちょっと恥ずかしいレベルだ。
世の中の恋人ってみんなこんなやり取りしてるんだろうか……。そんなことを考えながらそっとアプリを閉じた。
夕方まで元の世界とこの世界の違いやそれがなぜ起きたのかなど、いろいろと思考を巡らせていたが結局家に出る時間になるまで何も結論は出なかった。何かしら知っていそうなケレスはいないし、僕は限られた情報から真実を推察できる名探偵でもない。
わからないことを考えること自体もストレスだった僕は少し早めに家を出て、指定されていた時間の十分前に集合場所である最寄り駅に到着する。改札前でぼーっとしていると、ちらほらと浴衣姿の女性が駅に吸い込まれて行くのが目に入った。何組かはカップルだ。
当たり前だけれど、ほとんどの目的は夏祭りだろう。電車で二十分、そこから徒歩で十五分くらい行ったところにこの近辺では一番大きい神社があり、その夏祭りは地域の一大イベントだ。小さい頃両親に連れられて行った記憶があるが、楽しさよりも混雑に辟易した印象のほうが強い。
「お待たせ、翔ちゃん」
思い出に耽っていたところで深愛に呼ばれる声に現実に引き戻され、駅の喧騒が帰ってきて深愛の姿が焦点を結ぶ。
「いや、僕も今来たところ……」
そう応じようとした僕は、深愛の格好を認識して閉口する。
「……変、かな?」
深愛はすみれの花柄があしらわれた可愛らしい浴衣を身に纏っていた。
「変じゃ、ないよ。全然」
変なところなど、どこにもない。きっと百人の男子が見たら百人ともが同じ感想を抱くだろう。
「……」
元の世界ならば、きっと僕はこれ以上何も言わなかっただろう。ただの幼馴染にこんなことを言うのは気恥ずかしいし、周りに冷やかされるのも嫌だったから。
けれどこの世界で深愛は僕の彼女らしい。そうであるならばおめかししてきた女の子に掛けるべき言葉があるはずだ。……それを、この「僕」が言っていいのかはわからないけど。
深愛にはわからないであろう葛藤を抱えながらも、僕はそれを告げることにした。
「……可愛いよ」
その言葉を聞いた深愛は、パッと顔を輝かせ――
「ありがとっ!」
弾けるような笑顔でそう答えた。
満員とは言わないものの、それなりに混雑している電車にしばらく揺られ、ほどなくして目的地付近の駅に着く。そこで下車した人達は皆同じ方向に向かっていたので、その流れに乗るだけでお祭りをやっている神社に辿り着けた。
「……すご」
予想はしていたけれど、凄い人の数だ。鳥居から本殿まで伸びる長い道の両脇にはいろいろな屋台が立ち並んでいて、それぞれ大盛況のようだった。
あまり経験したことのない人混みに当てられて少し尻込みしていると、左腕が何かに絡め取られた。
「えいっ!」
そちらを見ると深愛が自分の両腕を僕の左腕に絡み付かせていた。
「はぐれたら大変だからさ、腕組んでいい?」
そう上目遣いで尋ねられた僕は、「う、うん」とどもりながら答えるしかなかった。
深愛の体の凹凸を左腕に感じて鼓動が速くなっていく。僕は、前の僕と同じだろうか。付き合って何年も経っているのに、こんなにドキドキしていておかしくないだろうか。
そんな風に童貞根性丸出しなことを考えると同時に、脳裏には葵のしかめ面がチラついた。じわり、と背中に汗が滲み――それがトリガーとなったのかグゥ、と腹の虫が鳴った。しまった、今日そうめんしか食ってなかった。
まあ喧騒で掻き消されただろうと思い、聞こえてないことを確認するために深愛の様子を伺う。
「どうせ昼過ぎまで寝てて、起きてからも大したもの食べてなかったんでしょ」
クスクスと笑いながらそんなことを言う深愛。バレてる上に的確に真実を言い当てられてる……。
「何か食べ物買おっか」
七時前で少し早いかもしれないが、まあいいだろう。
「そうだね」
深愛の提案を実行すべく、人の流れに乗ってゆっくりと歩きながらどんな屋台があるか物色する。
そのうちのひとつ、牛串八百円の文字列を見て「高いなあ」と内心で呟く。お祭り価格なんだろうけど、八百円もあれば学食でラーメン二杯は食える。
深愛はどう考えてるだろうかと様子を伺おうと隣に目をやる。
「たかっ」
思いっきり声に出していた。
「おい」
屋台に立っている強面のおじさんにジロッと睨まれる。そりゃ自分の売ってるものを目の前で高いだのなんだの言われたら気分は良くないだろう。
「あはは……」
僕と深愛は愛想笑いで誤魔化しながら少しだけスピードを上げて牛串の屋台から離れる。雑踏で目線が切れたことを確認してから、僕は右肘で深愛の脇腹を突いた。
「きゃっ」
「流石に目の前で『たかっ』はやばいって」
「だってさあ、お肉もいいの使ってなかったしあたしなら百円とかで作れちゃうよ」
「そりゃ原価だけで言ったらそうかもしれないけどさ……」
経費とか人件費とかあるだろ……あとみかじめ料とか。
「でも翔ちゃんもそう思わなかった?」
「いや、それはまあ」
原価がいくらとかまでは考えていなかったけれど、確かに高いとは思った。
「やっぱり! 似た者同士だね」
「……僕は声に出してないから」
「ごめんって、もう野暮なこと言わないからさ」
「そうしてくれ」
行く先々で怖いおじさんたちに睨まれていたら心臓が持たない。
「どうせなら普段食べれないものがいいよね……あ、あれとかどう?」
そう言って深愛が指差したのはわたあめのお店だった。ちょうど店の前に立っている家族が注文したらしく、円筒型の機械に竹串を突っ込んでわたあめが生成されていく様子を肩車された女の子が興味深そうに眺めている。
「わたあめか、あれも原価安そうだけどいいの?」
「あれは家で作れないからいーの」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
わたあめ一つ五百円か……。バイト禁止で月額五千円のお小遣いをやりくりしている身としては厳しいものがある。残念なことにこの世界の僕の懐事情は、昨日確認した限り元の世界と同じか、少し悪いくらいだった。
ただいくら鈍感な僕でもここでケチるような男がダサいことくらいはわかる。
「じゃあ、買うか」
「うんっ!」
列の最後尾に二人で並ぶ。とは言っても三組目だったからそう待つことにはならなそうだが。
「お待ち!」
わたがし屋に立っているのはおじいさんとおじさんの中間くらいの愛想良い人で、寿司屋の大将のような掛け声と共にわたあめを父親の頭上の女の子に差し出す。
「ふわふわだ!」
目をキラキラさせながら父親の肩の上でわたあめを頬張る女の子。父親は頭にわたあめのカケラが降り注ぐのも気にせず、母親と二人でニコニコとしている。
それを見た深愛はぽつりと呟く。
「なんか、いいね。ああいうの」
「……うん」
普段、「特別」ということにこだわっている僕でも、あのなんでもないような家族が「いい」と思ったのは嘘偽らざる本音だった。
あの三人家族が雑踏に消えた後、すぐに順番が回ってきた。
「いらっしゃい!」
財布を取り出しながら注文しようと口を開く。
「わたがし二つ……」
「一つで!」
僕の注文を遮る深愛。屋台のおじさんはチラッと僕の様子を伺った後、何も言わないのを確認すると「あいよ!」と応え、わたがし機を稼働させ始めた。
「二人でひとつを分け合って食べればいろんなもの食べれるじゃない?」
「賢いな」
「なんかちょっとバカにしてない?」
「そんなことないよ」
「ほんとかなあ」
むうっとした顔で疑惑の目を向けてくる深愛。凄んでいるつもりなのかもしれないが、可愛さが勝ってしまってる。
深愛が可愛いという事実は客観的には理解していたけれど、いざそれが自分に向けられると……思っていた以上に破壊力がある。
「……そう言えば、お腹減ったから食べ物買うって話だったのにわたあめじゃお腹膨れないね」
「あっ」
そうだった。普段見慣れない食べ物がいっぱいあって僕自身テンションが上がっていたらしい。空腹を思い出した途端、倦怠感が襲ってくる。
「まあ、屋台はいっぱいあるから。この後買えばいいか」
「付き合いますよ」
「そりゃどうも」
そんなことを言っている間に屋台のおじさんはわたあめ機でできた積乱雲のような白い塊を引き上げる。
「わたあめお待ち!」
「あ、どうも」
おじさんに五百円を渡し、わたあめを受け取る。……結構デカいな、これ。
屋台から離れてすぐ深愛が端の方をもぎ取り、口に含む。それを見て僕もわたあめにかぶりついた。普段食べ慣れない強烈な甘さが口の中いっぱいに広がる。
「んーっ、罪の味がするっ」
「まあ砂糖の塊だしね」
「明日以降は節制しないと」
「別に太ってるわけじゃないし、ちょっとくらい気にしないよ」
「女の子は気にするの」
そんな軽口を言い合いながら、二人でわたあめをむしりながら屋台を見て回る。イカ焼きにベビーカステラ、焼きそばなど様々な匂いが漂ってきて食欲をそそってくる。
そうやって少し歩いていると深愛の足が止まる。
「ねえ、翔ちゃん。あれ見える?」
深愛の指差した先には「金魚すくい」の文字が掲げられた屋台があった。
「金魚すくいがどうかしたの?」
「去年金魚すくいした時に全然すくえなくて来年はリベンジだー、って言ってたの思い出した」
「……そうだったね」
残念ながら僕にはその記憶がないので、そう相槌を打つくらいしかできない。けれど深愛は気にした様子もなく、金魚すくいの方をじっと見つめる。
「――よし、リベンジしよ」
深愛は僕と組んでる腕をそのままに進路を金魚すくいの屋台に取った。
えっ、あの……。
「ちょっ、飯は⁉」
「食べ物買っちゃったら遊びにくいじゃない? 後でね」
「僕腹ペコなんだけど!」
「あたしが満足したら食べてもいいよー」
想像以上の推進力で左腕を引っ張られながら、金魚すくいの屋台に引きずられていく。……もう少しちゃんと昼ごはん食べておけばよかった。
金魚すくい、射的、ヨーヨー釣り、型抜きと遊び尽してようやく満足した深愛の許しを得て、僕たちは休憩スペースで夕食を取ることにする。もう八時になろうかという時刻だった。
並んで座って道中買った焼きそばやとうもろこし焼きを食べていると、「ひゅ~」という風を切り裂く音が耳に届いた。なんだろう、と考えている間もなく「ドン」という衝撃音が心臓を揺らす。驚いて周りを見回すと、皆一様に空を見上げていた。
「あっ」
隣に座る深愛もまた、同じように目線を上にあげていた。それに釣られて僕も夜空を視界に入れる。
「あ……花火」
そこには、大輪の菊が静かな夏の夜空に満開の花を咲かせていた。続けて真っ赤な牡丹が添えられ、黄金の柳が垂れ下がり、無数の蜂が漆黒の空に飛び回る。
「普段からお花はたくさん見てるけど――花火も、綺麗だね」
その言葉とともにそっと、僕の右手に深愛の左手が重ねられる。
「……うん」
僕は、深愛の手を振り払ったりせずにじっと彼女の熱を感じる。それは僕の求めている「熱」とは違うものだったけれど、ずっと感じていたい心地良さがあった。
天上には、たくさんの花々が一瞬の煌めきを残し続けていた。
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