第22話
最初に聞こえたのは、ガシャンと言う金属音だった。覚醒したての朦朧とした意識の中、音源の方に目をやるとそこには僕の自転車が地面に横転していた。徐々に頭の回転数が上がって来て状況を理解する。
「戻って……来たのか?」
僕は塀にもたれて胡坐をかいた状態で意識を失っていたようだった。
のろのろと右ポケットからスマホを取り出し、時刻表示だけのシンプルな待ち受けを開く。
「金曜日の……夜十時」
どうやら今は、最初にタイムリープしたその直後らしかった。ゆっくりと立ち上がり、周りを確認する。ケレスの姿は、見当たらなかった。
とりあえず倒れた自転車を起こそうとスマホを仕舞おうとしたとき、一枚の紙切れがゆらゆらと地面に落下した。
「ん?」
なにか右手に違和感があると思ったら、スマホと一緒に紙切れを握っていたらしい。拾い上げて内容を確認するが弱々しい街灯の明かりのせいでよく見えない。顔に近づけて目を凝らすとようやくわかった。
葵のマネージャー、佐藤美代さんの名刺だ。
「そうか、こんなものもらってたな」
そこにはメールアドレスと電話番号が記載されていて、連絡を取ることは出来そうに見えた。とは言えマネージャーからの覚えは悪かったはずで、門前払いされる可能性の方が高いだろう。まあでも。
「ダメで元々。失敗しても当たり前、成功したら男前」
何かのドラマで聞いたそんな言葉を口ずさみ、僕はスマホに葵に会いたい旨のメッセージを入力して送信ボタンを押す。
別に通信状況が悪いわけでもなかったけれど、僕は電波を探すかのように空に向かってスマホを高く掲げた。そうすれば、星が願いを拾い上げてくれそうな気がしたから。
帰宅した後もう遠い昔に買ったように感じられるチキンカツ弁当を食べて、歯を磨き、風呂に入って就寝した。それはいつも気だるげに感じていた日常のルーティンだったのに、なぜか新鮮なことのように感じられた。
翌朝、スマホのアラームにより朝の八時に起こされる。霞むまぶたをこすりながらのそのそとベッドを出て制服に着替え、身支度を整える。
当然この世界では深愛が起こしに来たりはしないし、葵が隣に寝ていたりもしない。いつも通りの土曜の朝。
朝食の準備をしながらなんとなくスマホをチェックすると一件のメールの通知がある。まさかな、と思いつつメールを開くとそれは葵のマネージャーの佐藤さんからだった。
「まじで?」
内容を要約すると今日の十一時に事務所に来れば対応が可能だということだった。事務所の所在地も一緒に添付されており、だいたい家から一時間程度で行ける距離だった。
正直無視される可能性すら考えていたので、返信があるどころか許可が出るとは驚きだった。それに葵も昨日の今日で会う気になるのだろうか……?
どちらにせよ会ってくれるのであれば幸運ではあった。ただ問題は今日は午前中授業があるということで、この時間に事務所に行くには学校をさぼる必要があった。
「今更だろ」
体感では三日学校をさぼっているけれど、この世界でならまだ一回目だ。悪くてもオガセンからげんこつ食らうだけで済むだろう。
九時半頃に家を出て事務所の最寄り駅から地図アプリに案内されるがままに歩いていたら、旧事務所に向かっていたみたいで冷や汗をかく。早めに出た自分の判断に感謝しながら正しい事務所に向かっていると、スモークガラスが一面に張られているビルが見えてきた。
扉の前には背の高い女性が腕を組んで待ち構えている。……胃が痛い。
「あ」
うわっ、目が合った。佐藤さんはずんずんとこちらに歩いて来て……両手を握ってきた。
「君だよね、鉄翔也くん。あの日は夕日でよく顔が見えなかったけど案外イケメンじゃない。どう? ウチくる?」
会って早々いきなりグイグイ来るその姿が自分の予想と違って面食らったが、なんとか外面を取り繕って返事をする。
「えっと、初めまして鉄翔也です。スカウトは遠慮しときます……というか女性限定ですよね、この事務所」
「ちゃんと下調べしてるんだ。そういうところも成功しそうだけどな。まあいいや、ついておいで」
佐藤さんはそう言いながら事務所の扉をカードキーで開く。顔パスだから、とのことで特に事務手続きもなく中に入っていったけど、正直受付の人の好奇の目線が痛い。
でもそれ以上に気になることが佐藤さんの態度だった。正直、どんな罵声を浴びせられるかと思っていたがなぜか佐藤さんは僕に好意的に見えた。恐る恐るその真意を尋ねる。
「自分で連絡取ってこんなこと聞くのもあれですけど……なんで会わせてくれるんですか?」
「二人の間に何があったのか知らないけど、あの後めぐみの機嫌が露骨に悪くなったのよ」
佐藤さんは顔をしかめながら疲れた様子でそう答える。それならなおのこと疑問が深まる。
「……それだと逆に会ってくれない気がしますけど」
「あ、めぐみの許可は取ってないわよ?」
「は⁉」
「あの子がオッケー出すわけないじゃない。……めぐみはこういうモヤモヤは早々に解消しとかないと後々こじらせるタイプなの、君にはわからない?」
「まあ、なんとなくは」
引きずるタイプなのはまあわかる。でも……たぶん佐藤さんは僕よりもよっぽど葵のことを理解しているのだろうな、となんとなく思った。こういう強引なタイプの方が葵の面倒を見るのに向いてるのかとも。
そうこうしているうちに会議室に辿り着く。ガチャと佐藤さんがドアを開け、後ろに続いて中に入るとイライラした様子の葵がそこにはいた。僕の顔を見るなり、その表情は驚きに変わり佐藤さんに向けて叫ぶ。
「ちょっ、美代さん! ハメたの⁉」
「あんたがぶーたれてるのが悪いんでしょうが! さっさとケリつけなさい」
佐藤さんは葵にそう言い返すと会議室のドアをバンッと締めながら出て行った。……二人きりにしていいのかよ、いやこっちとしてはありがたいが。
「……」
「……」
腕と足を組んでイライラしながら座っている葵と会議室に入った直後のまま棒立ちで固まっている僕との間にしばし沈黙が下りる。今までの僕ならきっとこの沈黙を破ることを恐れただろう。……いや、今も正直怖いけど。でも、前に進むためには行動しなければ変わらない。
だから僕は沈黙を破って言わなければならない言葉を口にした。
「ごめん」
「……何に謝ってるの」
葵の語気は強かったが、話を聞く体勢にはなってくれているみたいだ。少し安心して僕は言葉を続ける。
「葵に手紙を送らなかったことだよ」
「どうして、送らなかったの。私は……ずっと待っていたのに」
「それは……」
手紙に書かれていた住所が間違っていたのは本当だ。でも葵が言ってたように、葵は間違えていないというのも本当。
なら、手紙をすり替えた誰かがいるはずだ。
World1.01では手紙は入れ替わっていなかった。僕と葵は連絡を取り続けていて、友達として良好な関係を築いていた。この世界と元の世界の一番大きな違いは、僕と深愛が付き合っていたこと。
World1.02でわかったこともある。それは深愛が僕と葵の公園での会話を聞いていたことだ。
それならばおそらくWorld1.0でも同様に、五年前のあの日、あの場所に深愛はいたということになる。タイムリープ前の状況には影響を与えられない以上、どの世界でもあの前後に深愛はあの場所にいたはずだから。
World1.0において、あの時僕と葵は他愛ない会話をして別れただけだ。普通だったら何かのトリガーにはなり得ない、ただの会話。でも、深愛なら。僕があの時に何をしようとしていたか、わかったかもしれない。
僕が、葵に告白しようとしていたことに。
そして二度目のタイムリープで教室に走った深愛が手紙を処分しようとした事実。
この世界において、深愛が時折見せる僕への罪悪感の発露。
これらを総合的に考えれば、一つの結論が出る。
葵から僕への手紙をすり替えたのは、深愛なんだろう。
そのことに気付いても僕は深愛に対して怒りや恨みの感情は湧かなかった。
だってきっと元の世界の深愛はそのことにずっと罪悪感を抱いていた。後悔していたんだろう、きっと。
普通の奴ならそんなこと歯牙にもかけずに振る舞って、いつしかその行為さえ忘れてしまうだろうに、あいつは真面目過ぎる。
それどころか手紙を触っていないはずのWorld1.01の深愛すら自分の行為を「ズル」と言っていた。僕が振られた直後に告白したことを、こっそり聞き耳を立てて横から盗っていった悪事だなんて思っていたのかもしれない。振られてるんだから何も悪くないのに。
「答えて、翔也」
沈黙する僕に対し、葵が答えを催促する。……ここに来るまでに、どう言うべきかは決めていた。
「僕が、手紙をなくしちゃったんだ。だから送り先がわからなかった。ごめん」
葵に告白する勇気も持てず、深愛の気持ちにも気づかない鈍感な僕に全責任があると思ったから。いくら情けない僕でも、深愛のせいにしてしまって自分に罪はないとは口が裂けても言えなかったから。だから僕は、嘘をついた。
「そう」
きっと葵にも僕が嘘をついていることはわかっているだろう。最初に再会した時に言った「住所が間違っていた」ということとも矛盾している。でもたぶん、葵にとってそこは問題じゃない。僕が自分が悪いと認めて謝れば、きっとそこに多少誤魔化しがあっても葵は気にしない。僕の知る栗原葵と言う女の子は、そういう人だ。
「なら……十分に反省するように」
僕の予想通り、葵はそれ以上問い詰めては来なかった。
「それで? 謝るためだけにここに来たの?」
その代わりに、僕がここに来た真意を問うてきた。
心臓は今までにないくらい鼓動しているし、手汗もすごい。けど……ここで躊躇う気持ちは、とっくに捨ててきている。
大きく息を吸い、僕はその言葉を口にした。
「葵、僕は五年前……君のことが好きだったんだよ」
一度目のタイムリープで口にした時のような違和感はない。これはタイムリープによる保証のある繰り返しじゃなくて、一度きりの再試行だ。それは恐ろしくもあったけれど、同時にこうしないと意味がなかったこともわかる。
「五年前に葵が花の宮小学校に転校してきたとき、僕は葵の真っすぐで、カッコいいところに憧れた。だからずっと葵と一緒にいたし、その時間は一生の宝物だ」
緊張でカラカラになっている喉を、息継ぎのタイミングに唾液で濡らす。
「五年前に最後に会った日、僕は本当は葵に告白しようと思ってたんだ。……勇気が出なくて、言えなかったけれど。だから連絡が取れなくなって本当に後悔した」
言葉を紡ぐたび、僕の未練が溶けていく。僕はこの時、本当の意味で五年前の未練を晴らせた。
「だから五年経ってしまったけど言わせてほしい。僕は葵のことが好きでした」
「……」
葵は僕の言葉を黙って聞いていた。その沈黙は何の興味もないというわけじゃなくて、僕の言葉を真摯に受け止めるためのもののようで、その深い色をした瞳はずっと僕の目を射抜き続けていた。
けれど葵には僕が言外に秘めていた言葉がわかっていたようだった。
なぜなら僕は、ずっと過去形で話している。まるで今はそうじゃないかというように。
「……今は、私よりももっと大事な子がいるんでしょ?」
「……うん。ずっと僕のそばで僕を見ていた子がいることに、気づいたんだ」
僕自身ずっと勘違いをしていた。僕が未練を抱いていたのは葵本人じゃない。葵に告白する勇気を持てなかった自分自身だ。
だから僕にとってこの告白は前に進むためにやらなければならないケジメだった。
でもそれは葵と今現在恋人同士になりたいということには直結しない。……僕を見つめ続けた女の子の想いを、知ってしまったから。
葵からは殴られても文句は言えないと思って覚悟してきたのだけれど、僕を見つめる葵の瞳に怒りの色はなかった。
葵は僕の言葉を聞き終わり、大きなため息をひとつついた。呆れたように僕を指さし、口を開く。
「どうせ、まだその子に告白もしてないんでしょ」
「えっ……うん」
その問いは予想外だ。
「私に告白するのにも五年かかったくらいなんだからまた引っ張り続けるんじゃないの? ……そうなるくらいならさっさとアタックしてきなさい。翔也は毎度毎度うじうじして好機を逃すタイプなんだから」
昔よく聞いた葵の罵倒に思わず口元が綻ぶ。……いや別にⅯだからとかじゃないよ?
「……そういう口悪いところは変わってないね」
「なによ、文句ある?」
「いや……ちょっと安心した。有名になって変わってたら嫌だなって」
「いやいや、私ちゃんと変わってるから。身長も伸びたし、綺麗になったし」
「でも中身は変わってないよ」
「子供っぽいってこと⁉」
「言ってない言ってない」
ああ、懐かしいな。こんな会話。この世界の葵は、やっぱり僕の知る葵と連続してるんだなと感じる。
ぷくーと膨れた葵は、て僕を追い返すように手をしっしっと振る。
「用は済んだでしょ。さっさと玉砕してきなさい!」
「玉砕前提かよ……まあ、でもありがとう」
葵なりの発破なんだろう。素直にお礼を言って僕は会議室から出ようとした。
「翔也」
葵の呼びかけに振り向く。
「ん?」
「またね」
「……うん、また」
五年前と同じように再会の約束をして、僕は会議室を後にした。胸の奥は夏の空のように澄み切っていた。
翔也が会議室を出て行ったあと、入れ替わりのようにマネージャーの美代さんが入ってきた。
「いいの?」
開口一番そう言った美代さんの意図がわからないわけじゃなかったけれど、とぼける。
「何が?」
「マネージャー何年やってると思ってんの。あなた、彼のこと好きでしょ」
まったく、なんでわかるんだか。……まあ何も言わなくても私のことを全部わかっているからこそずっと頼ってきたのだけど。
「……聞いてたの? 趣味悪」
「マネージャーは男関係も把握しておく義務があんの」
「プライバシー侵害じゃん」
「誤魔化さないの。未練たらたらで仕事のパフォーマンス落としたら許さないよ」
「……敵わないなあ」
私の周りをうろちょろする鬱陶しい奴。それが翔也と初めて会った頃の印象だったけれど。でもずっと一緒にいた一年間、あいつは孤独に凝り固まった私の心を融かしてくれた。
けれど……今の立場を投げ出して翔也を振り向かせにいくほどの熱は、私にはなかった。それくらい五年という断絶は長かった。
「いいんだよ、もう。私と翔也の道は一度交わったけど、今はすっかり離れちゃった。……ずっと寄り添ってた道には敵わない」
「ならいいんだけど。……この会議室は一時間くらい取ってあるから好きに使いなさい」
美代さんはそう言うと足早に部屋を出て行った。……ほんと、余計なお世話なんだから。
事務所の窓から外を見る。そこには遠ざかっていく翔也の背中があった。
「もし翔也との連絡が途切れてなかったら」
そういう世界を一瞬夢想する。この五年間もずっとやり取りをしていて、私と翔也が恋人同士で、モデルの仕事もうまくいっていて、なんていう私にとってとても都合のいい世界。
「……なんてね」
頭の中に浮かんだその世界をすぐにかき消す。たらればなんて、考えている暇は私にはないのだ。
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