第17話
目が覚めた時、最初に感じたのは右頬に感じる柔らかさだった。なんだろう、これは。そう思って左手をその柔らかさに添える。
「きゃっ」
なにやら、頭上から短い悲鳴が聞こえた。段々とぼやけた視界が焦点を結んできて、今の自分がどういう状況かを理解する。
どうやら小五の深愛に膝枕をされて、その太ももを撫でているらしい。
「うわっ!」
慌てて跳ね起きる。深愛を見ると頬を赤く染めて恥ずかしそうにしていた。
「さすがに、まだそういうのは早いと思う……」
「なにが⁉」
実際の精神年齢を考えるとちょっとシャレになってない。流石に小五の深愛に邪な気持ちを抱くほど歪んでるつもりはない。
「ちょっと寝ぼけてて、わざとじゃないんだ」
「そっか……」
なんでちょっと残念そうなんだ……?
「眠いならまた私の膝で寝ていいよ?」
「じゃあお言葉に甘えて……って違う違う」
非常に自然な誘いに危うく乗りそうになったけど、僕は深愛の膝枕を堪能するためにタイムリープしてきたわけじゃない。確かにちょっと寝心地は良かったけど。
僕は隣に座るキョトンとした深愛の方に体を向け、呼びかける。
「なあ、深愛」
「なぁに、翔ちゃん」
じっと僕の目をのぞき込んできた深愛のくりっとした瞳に、思わず目を逸らす。正直、めちゃくちゃ言いづらい。
けれどあーだこーだと悩んでいるほどの余裕がこの世界にはないことは、一度目のタイムリープで理解していた。
僕を見つめて微笑みを湛えた深愛を、今度こそ真っすぐ見つめ返す。深く、大きく息を吸って僕は覚悟を決めた。
「ごめん、深愛。僕は深愛とは付き合えない。……好きな人が、いるから」
正面から頭を下げ、一息でそう告げる。僕の言葉を聞いた深愛は、鈍い僕にもはっきりわかるくらい動揺している。
「どうして……さっき付き合ってくれるって……」
「ごめん、さっきはぼーっとしてたんだ」
我ながら告白を断る理由として史上最低だと思うが、事実なのだから言い繕うことすらできない。
「そんな……」
ショックで顔が青白くなった深愛は震える声で僕に問いかける。
「……好きな人って、栗原さんのこと?」
この頃の僕が仲良くしている女の子なんて、深愛じゃなくてもクラスメイトなら誰でも知ってる。深愛がその答えに行き着くのも至極自然な流れだった。
「……そうだよ」
隠しても仕方がないし、ちゃんと答えることで深愛を納得させられるなら、と素直に答える。当時の僕なら恥ずかしがって誤魔化しただろうが、今の僕はそんなことよりももっと大事にすべきことがあった。
けれど深愛は納得がいかない様子で顔を赤くする。
「あたし、翔ちゃんのためなら何でもするよ?」
深愛は僕の体に縋り付くようにして想いを紡ぐ。
「料理だって勉強するし、ちょっとくらいなら太もも触って良いし!」
「いやだからさっきのはわざとじゃ……」
「栗原さんみたいに特別な女の子がいいなら、特別になれるように頑張る。あんな綺麗にはなれないけど、違う特別になら!」
必死に足掻く深愛の姿に僕の心臓は強く、強く痛む。けれど。
「……ごめん」
僕に取れる選択肢は謝罪だけだった。それが僕に出来る最大限の誠意だった。
涙に目を腫らしながら、顔を真っ赤に染め上げた深愛は一際大きい声で叫ぶ。
「なんで翔ちゃんは翔ちゃんのことを振った栗原さんにそんなに執着するの⁉︎」
その叫びの残響が消えかかって、ようやく深愛は自分が致命的なミスをしたことに気づいてはっと息を呑む。
「深愛……聞いてたの?」
見られていたとは思っていたけれど、それだけでなく僕たちの会話もしっかり聞かれていたらしい。深愛は五秒ほど挙動不審に僕から目を逸らしていたが――
「〜〜〜〜っ!」
最後には声にならない声を上げ、僕に背を向け公園の外に向かって駆け出していた。
「深愛っ!」
思わず伸ばした手は、深愛のスカートを掴む寸前で空を切る。呆然とした僕は深愛が公園の出口を通過するまでただ突っ立ってしまう。
自分のやっていることを考えれば、僕は深愛を追うべきではないのだろう。
「……っ!」
でも虫の知らせと言うやつだろうか。ここで深愛を追いかけなければ僕は取り返しのつかないことになる気がして、自然と走り出していた。
幸いなことに深愛の背中はまだ見えていたが、なかなか距離が縮まらない。現代とは違い、小五の僕たちの間にはあまり身体能力の差がないようだった。
スタートが遅れたせいで、深愛との距離はかなりある。路地を曲がるタイミングで見失いそうになりながら追っていると、開けた通りに出た。
ここは……。
「花の宮小学校……?」
そこにあったのは、僕たちの母校だった。
昇降口に飛び込んだ僕の視界に、ギリギリ階段を駆け上がる深愛が入る。上履きを履く時間ももどかしくなった僕は、靴下のまま階段へと向かった。
階段は三階まで続いていたが、僕は途中で上るのをやめ、二階の廊下に飛び出した。深愛の姿は見えなかったけれど、ここまで来ればおおよそ目的地はわかっていた。おそらくは二階の、僕たちの通う教室だろう。
もう走る必要はない。ゆっくりと歩き、手前から三番目の教室の前で立ち止まる。ガラッと教室の引き戸を開いた。
そこには僕の席の前で一人佇んでいる深愛がいた。
「翔……ちゃん……」
お互い息は上がっていて、顔は紅潮している。そして、深愛の頬には涙の跡があった。
「深……愛……」
呼吸を整えながら、深愛を見つめる。よく見ると、深愛の手には何かが握られていた。
「来ないで……翔ちゃん……」
声を震わせながらその何かを後ろ手に隠し、僕に対して拒絶反応を見せる深愛。そんな深愛を見ると、胸が苦しくなる。
「深愛……僕は……」
そう声をかけようとするが、振った女の子に一体どんなことを言えばいいのか、恋愛経験に乏しい僕には皆目見当もつかなかった。
それでも、と一歩深愛に近づこうとしたその瞬間、ふっと地面がなくなったかのような感覚に陥った。
「ぐぇ」
カエルが潰れたような情けない声が漏れる。気づいた時には僕は教室の床に突っ伏していた。深愛が慌てて僕に駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫⁉︎ 翔ちゃん!」
しかし深愛の声もとても遠くに聞こえるくらい、僕の意識にモヤがかかり始めた。
「(まさか……)」
この感覚には、覚えがある。前の時と同様、タイムリープの終わりだ。
「(いつも、肝心な時に来やがって)」
そう悪態を突いてやりたいが、もううめき声すら自分の意思で出すことはできない。
「先生! 先生! 翔ちゃんが!」
深愛がそう叫ぶ声だけが真っ赤な教室に反響する中、抗い難いほど重たい瞼が落ちる。
閉じた視界が夕日で真っ白に染め上げられる中、僕の意識はその白い空間に吸い込まれていった。
一度目のタイムリープの時同様、僕は祖父がベッドに横たわる真っ白い病室の中にいた。
でも前回とは時間軸が異なる。これは、祖父の今際の際だ。本来は僕以外にも家族が一緒にいたはずだけれど、夢では僕と祖父の二人しかいなかった。
祖父は口元を動かしているが、命の火が燃え尽きる寸前の力ではほとんど音を発することができていない。聞き取るために、僕は口元まで耳を近づける。
「翔也……」
「何? おじいちゃん」
聴力も衰えた祖父が聞き取れるように、僕は大きな声で返事をする。
祖父は最後の力を振り絞り、言葉を紡ぐ。
「――――」
その言葉の直後、心電図がピーーッ! と命の終わりを告げた。その音と同時に僕の意識も覚醒に向かい始める。
祖父の最期の言葉。確かに僕は現実でそれを聞いたはずだったのに、なぜか夢の中では聞き取れなかった。
思い出すことも、できなかった。
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