追憶のロストプロポーズ
立日月
プロローグ
僕の初恋の女の子は、転校生だった。小学四年生の夏休み明けなんていう、とっくのとうにクラス内の関係性が固まったタイミングにやってきて、クラスを引っ掻き回して一年で去っていった台風のような女の子。
腰のあたりまである長い黒髪をなびかせながら、背筋をピンと張って堂々と歩く姿はクラスメイトみんなが見とれるくらいだった。それくらい彼女――栗原葵の容姿は美しかったし、それ以上に彼女の所作はため息が出るくらい綺麗で、小学生らしからぬ魅力を僕の喉元に突き付けた。
「私、あなたたちと馴れ合うつもりないから」
でもそれと同時に傲岸不遜で、周りの人間を遠ざけるような言動を取っていた。今考えるとどこか無理をしていたようにも思えるけれど、小学生に過ぎない同級生たちにはそんなことを察する能力はなかった。
彼女の態度を見た周りの子たちはみんな彼女から距離を置こうとしたし、僕も最初はそうだった。でも隣の席になってしまった僕は、葵と絡まざるを得ない機会が多く、よく葵の辛辣な言葉に晒されたりした。
でもそうやって一緒にいると、葵は近寄りがたい完璧超人じゃないことがわかってきた。
「ま、迷ったわけじゃない。……ちょっと散歩してただけよ」
別教室への移動中、小学校内で迷子になったり。
「……わかんない」
実は勉強が全然できなかったり。
「あっ……押し忘れちゃった……」
体育のタイム測定でストップウォッチを押し忘れたり。
一緒に過ごすたびにポンコツなところが顔を出していた。……本人にポンコツじゃんって言ったら顔を真っ赤にされながら猫だまし食らったけど。
僕は葵と一緒に掃除当番になったとき、ずっと思っていたことを思い切って口に出してみた。
「栗原さんってさ、歩き方凄く綺麗だよね」
「え? そ、そう……?」
「うん。――みたい」
「……あんた、見る目あるわね」
僕が何気なく褒めたら少し嬉しそうにしていて、そこから葵はちょっとだけ丸くなって僕との他愛無い会話に付き合ってくれるようになった。
「うちのクラスの担任の先生、授業中騒いでる子たちを廊下に立たせたりしてて凄いよね」
「いろんな学校行ったけど今時あんな先生初めて見たわよ。まあうるさい奴らがいなくなるのはいいことだけど」
「あはは……あのさ、栗原さんはどうして他の子と仲良くしないの?」
ちゃんと話してみたらこんなに愛嬌ある女の子なのに、そう思って疑問を投げかけた僕に葵はいつもの仏頂面に戻り、口を開いた。
「私は、私の夢を探してる。学校の授業でなんとなく口にするような浅はかな夢じゃなく、人生を賭けるに値する本当の夢。人生一度きりなんだから本気でやりたいことをやらないと生きてる意味がないと思ってるから。まだ私はそれを見つけられてないけれど、だからこそ今人間関係に現を抜かしている暇はないの」
そうはっきり言った彼女の強さに、ただなんとなく日々を暮らしていただけの僕は憧憬を抱いた。そして僕自身、葵と出会う少し前のとある出来事から「夢」というものを見つけたいと漠然と考えていたからなおのこと彼女のその力強い瞳に惹かれた。だから葵のそばにいて彼女の行く末を見たいと強く願った。
でも葵はそんなことを簡単に許容してくれるような子じゃない。だから僕はちょっと意地悪することにした。
「……うちの担任の先生、熱血でしょ」
「何の話?」
「テストの成績が悪い子は居残りとか平気でさせるんだ」
「え」
葵の顔から血の気が引く。隣の席になった僕は葵の成績の悪さを知っていたから、それを利用させてもらう。幸い、科学者の父と作家の母の教育のおかげで小学校の勉強はそれなりにできた。
「勉強を教えてあげるから、『夢』を探すのを手伝わせてよ」
「……なにそれ。あなたにメリットあるの」
「僕も見つけたいと思って」
「何の話?」
「栗原さんが言ったんだろ、やりたいことない人生なんて生きる意味あるのかって」
「それは、そうだけど。そんなのあなた一人で見つけなさいよ」
「栗原さんは今まで探してたんでしょ? じゃあ栗原さんと一緒に探す方が効率がいいじゃないか」
そう言った僕に対し葵は心底嫌そうな顔をしたけれど、無言で五秒ほど損得勘定をした結果どうするのが自分にとって都合がいいのか判断がついたようだった。
「……わかった。じゃ、代わりにちゃんと勉強教えなさいよ。あと……」
「あと……?」
「苗字は嫌いだから名前で呼びなさい、『翔也』」
「了解、『葵』」
「よろしい」
契約を結んだ僕らは、それから毎日放課後に行動を共にした。宿題をこなした後、葵に連れられるままにいろいろなところに行った。
美術館、博物館、野球場、サッカースタジアム、お寺に劇場などなど、興味を持てそうと思ったところには葵はすぐ飛びついたし、興味が湧かなかったらすぐに帰った。葵は本当に熱しやすく冷めやすいタイプで、僕とはスピード感が全く違ったからついていくのは結構大変だった。
でも僕にとって葵と一緒にいる時間は、とても新鮮でかけがえのないものだった。一緒に笑ったり、泣いたり、文句を言ったり、歓声を上げたり。この日々が永遠に続けばいいと、僕はそう思っていた。それは葵の望むこととは、全く逆のことだったのに。
そして一年にちょっと足りないくらいの月日が経った、雨の日が長く続いていた春と夏の境目のある日。いつも通り教室で向かい合って勉強していた葵は、ノートに目をやったまま口を開いた。
「私、見つけた。やりたいこと」
それはあまりに突然で、びっくりしなかったと言えば嘘になるけど、それ以上にこれまでの騒がしい日々が終わることを理解した僕はさみしい気持ちになった。でもそう思っていることを悟られたら葵に嫌われるんじゃないか、と思った僕は心を落ち着けて言葉を返す。
「……そうなんだ。どんなこと?」
「教えない」
「……どうして」
葵は僕の疑問には答えず、グッと顔を近づけてきた。思わずのけぞりそうになるけど、ガシッと顔をつかまれて目線を強制的に合わされる。必然的に僕の視界のほとんどを彼女の瞳が占め、その色の深さに僕は心臓ごと吸い込まれるんじゃないかなんて思った。
しとしとと雨が地面に落ちる音だけが教室に鳴り響く中、吐息すら感じられる距離感で葵は僕にこう告げた。
「私……転校することになったの」
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