居場所を作る
「ほんとさー君はいったいどこから来たんだ?」
「よ、他所の世界かな」
アダムス金物店にお世話になった翌日。朝食と掃除の手伝いを終えた私とフィンは、再び廃墟と化した銀枝亭へ向かっていた。
あまりに物知らずな私にフィンは呆れかえっている。
「つーか、ティルナノーグの名前も知らずにどうやってここまで来たんだ」
「さあ? こう、神様的力で気づいたらあそこにいた」
「意味がわからない」
私もそう思う。
「逆に、だ。レギスタに来る前はどこにいたんだ」
「ニホンのトーキョー」
「知らないなあ」
どういうこった。二人で唸っているうちに銀枝亭へとたどり着いた。
「きみの物知らずは置いておいて。昨日、そこの瓦礫にいたんだよな? で、奥の厨房は見た?」
置いておかないでほしいけど、そこにかまっていると確かに拉致があかないので一旦聞き流す。
「見た」
「二階は?」
「二階? 厨房までしか見てないの」
「じゃあ、先に二階に行こう」
フィンは店の右手に回る。あぜ道と獣道の中間くらいの道が店に沿って続いていた。
店の端まで行くと扉があり、これが厨房につながってるのだと言う。そこには入らず、さらに裏へと回ると、木で作られた、頼りない階段があった。
「これ?」
大丈夫? 崩れない? そう聞きたくなるくらい、頼りなくてぼろけた階段だ。
「うん。まあ――大丈夫。行こう」
間があったのが怖いけど、フィンはすたすたと登って行ってしまった。階段はギシギシと悲鳴を上げている。
「早くおいでよ」
「怖いのよ」
「ジェシカは気にせず駆け上がってたけど」
女神を自称するくらいだからジェシカは図太いのかもしれないし、なにより馴れていたからでしょうが。鉄筋コンクリートマンション住まいの私には恐ろしい階段だ。
「揺らさないでね」
「揺れないから」
またもや呆れかえった様子のフィンに見守られつつ、きしみを上げる階段とどっこいどっこいの悲鳴を上げつつ、なんとか登り切った。
階段の上にはわずかな踊り場と二階にはいる扉がある。
「ジェシカがいなくなってから、ここに入るのは初めてなんだ」
フィンはそうつぶやく。彼の後ろにいる私には、どんな顔でそれを言ったのかはわからなかった。首を振ってから、フィンは扉をリズミカルに三回叩く。すると、ドアノブが光った。
「行こう」
「え、ちょ、今の、なに?」
当たり前のようにフィンは扉を開く。
「なにって、解錠? もしかして、光の精霊が戸口を守ってるって、知らない?」
「知らない。精霊がいることを、知らない」
フィンは口を開けてポカンとしている。だってニホンに妖精はいなかったのよ。
「そっかー。アリス、きみ、ほんとに別の世界から来たんじゃない?」
「そんな気がしてきた」
つまり、私はどうしたら? なにもかも、知らない世界で、私にいったいどうしろと。しかしフィンの切り替えは早かった。
「うん、それじゃあ、それも置いておこう。話が進まない。俺はまず、きみに二階の案内をする。次に、店を再開するに当たっての順番を一緒に考える。いいかな」
「はい、それでお願いします」
知らないことに引っかかっていては、なにも進まない。とにもかくにも、私は店を再開しなくてはいけないのだ。少なくとも、私はここの世界の人と会話が出来る。そして昨日見た感じ、食材も調理器具も見覚えがあって、普通に使うことが出来そう。
であれば、立ち止まっても仕方が無い。出来ることをしていかなくては。
頬を叩いて気合いを入れる。待ってくれているフィンに向かって歩き出した。
「ここが台所。隣がリビング」
「荒らされていないのね」
「妖精の守りがあるから、入れなかったんだろう」
案内された二階はケリー一家の住居スペースで、中はそれなりにきれいだった。数ヶ月、誰もいなかったから多少埃が積もっているし、衛兵が調査のために立ち入ったから多少物が出しっぱなしになっていたりはするけど、それくらい。
玄関から入って右手に廊下が延びていて、突き当たりは広い部屋。入って右側が台所、左側がリビング。廊下に戻っていくつかある途中の扉を開けていく。ケリー夫妻の寝室にトイレやシャワールーム、ランドリールーム。
「風呂は?」
「フロ?」
私の疑問にフィンが首をかしげる。
「浴槽、ないの? シャワーだけ?」
「ヨクソウ?」
やばい、完全に他所の国だ。いや、他所の世界? 風呂がないと無理なんだけど。
「大きい釜に温かいお湯を張って、そこに入るのよ」
説明が下手で申し訳ない。私の語彙では風呂を伝えられない。フィンは完全に首をかしげている。
「そういうのはないけど、なければ作ればいい」
「あなた、いいこと言うのね」
「うちの親父の口癖なんだ」
「素晴らしいお父様だわ。あとでお願いしてみよう」
一日汗水垂らして働いて、その後は風呂! 風呂無しでは生きていけない。あと醤油と味噌と米。
最後にと、一番玄関に近い扉に向かう。けれどフィンは扉を開けなかった。
「フィン?」
「ここは、きみが開けて」
聞き返そうかとも思ったけど、フィンがちょっと泣きそうな顔だったのでやめておいた。だってここはきっと、彼女の部屋だ。
「おじゃましまーす」
本人は不在といえど、他所様の部屋なので軽く扉を叩いて、声をかけてお邪魔する。
「かわいい、部屋ね」
扉の先はかわいらしく、そして片付いていた。
(あの子の部屋とは大違いね)
床に物が落ちていないし、ベッドに衣類が積まれていない。彩世の部屋と比べて、なんて綺麗な部屋だろう。
ジェシカの部屋は、入って正面に物書き机。その右手にベッド。ベッドの上には大きな窓。ベッドの手前にはクローゼットと本棚。家具は白く塗られていて、リネン類は淡いピンク色。多少埃をかぶってはいるものの、すっきりと片付けられていた。
机に近づくと、ボロボロになった本とノートらしい紙の束が置いてあった。
「これ――読めないけど、料理の本?」
「読めない?」
またもやフィンが困惑の声を出す。
「読めないです。英語みたいだけど、ちょっと違う? 北欧系の文字にも見えるけど、私にはわからない」
「そうか」
フィンはそれだけ言って部屋を出て行く。私も廊下へと向かった。
「それで、だ。きみはどの部屋に寝泊まりする?」
「こちらに住むということ?」
「だって、きみはこの店の店主だろう」
「そうなる、わね」
体はジェシカだし、ジェシカの部屋かしらね。フィンが気にしないのであれば。
「ジェシカの部屋を借りていいかしら」
「それは俺が決めることじゃない」
「それじゃあ、ジェシカの部屋を借ります」
「ああ」
それから二人でリビングに戻る。先ほどは触れなかったカーテンを開けて、一緒に窓も全開にする。光と風が舞い込んで、ふわりと埃が踊る。
テーブルやソファの埃を軽くはたいて、二人で腰を下ろした。フィンはどこからか、メモ帳とペンを持ってきた。ペンはガラスペン? 一緒にインクも持っている。
「やることはいろいろある。あるけど、まずは、掃除だ。二人でやれば早く終わる。かもしれない」
「頑張りましょう」
あの荒れ狂った店はもちろん、二階だって埃を払わなくてはいけない。
「あと、きみに少なくともこの国で生きていくのに困らないくらいの常識を教えないといけない」
「ほんと申し訳ない」
フィンは、私に教えようと思うことを書き出した。
「覚えてほしいのは文字の読み書きと、地理と、精霊の種類と食材だな」
「あれ、食材がわからないって言ったっけ?」
「それは、俺がそんな気がしただけ。だって、きみは食事のたびに食べ物をしげしげと眺めてるじゃないか」
そんなに見てたかなあ。見てたわ。たぶん、にんじん?見た目はにんじんっぽいけど、味がちょっと違ったり、同じような気がするけど、本当にそうかはわからない。にんじんに限らず、なんであれ、ね。
「あなた、人のことよく見てるのね。助かるわ」
そう言うとフィンは目を丸くした。
「ジロジロ見られてて気持ち悪いとかじゃなく?」
「そこまで言わないわ。それに私はこの世界の何を知っていて、何を知らないかもわからないのよ。だから、第三者がそれを拾ってくれるのは助かるの」
フィンはふうん、と言って目をそらした。それからメモ帳の違うページを開いて、またなにか書いている。
「こっちは、店でやること。掃除と、調度品の用意と調理器具の用意。あとなにを出すか決めないといけないけど、それはきみが何を用意できるかによるから、調理場がちゃんと使えるようになってから考えよう。それにこの世界の主な食事とかもわからないだろ?」
「はい、なーんにもわかりません」
「素直でよろしい。そのあたりは俺より母さんの方が詳しいから、休みの日とかに聞いてくれ」
フィンはメモを持って立ち上がった。書いたページをちぎって、残りはペンとインクと一緒に片付ける。
「とりあえず、昼飯にしよう」
あのおっかない階段をなんとか降りて、アダムス金物店に戻る。今度こそとデイジーさんが昼を用意するのを手伝い、今日もサンドイッチをいただいた。
今日のサンドイッチは塩漬け肉と葉物野菜で、とてもおいしかった。ハーブも入っていそうだ。
午後はひたすら一階の掃除。というか片付け。木片を外に出すだけで、夜になってしまった。
夕ごはんの後は文字の読み書きを教わって、その日はおしまい。
それから一週間ほど、片付けと勉強に費やした。
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