手を差し伸べられた

 連れてこられた『アダムス金物店』は、どっしりとした、古い建物だった。ペンキがはげかかっていたり、カーテンが色褪せているけれど、落ち着きと、手入れが行き届いたお店だ。


「ただいまー」


 フィンが店の扉を開けるとカランと明るい音が響く。


「はい、おかえり。あら、ジェシカちゃん!」


「違う。親戚だって」


 外との明るさの差で何も見えず、しばらく店の中で瞬きしていると、大柄な女性が近寄ってきていた。


「はじめ、まして。アリス・ケリーと申します」


「あらあら、ご丁寧に。デイジー・アダムスです。この店の大女将ってとこね」


 会釈をして見上げると、女性はニコニコと自己紹介をしてくれた。オオオカミ。フィンの母親なのだろう。目元がよく似ている。


「この子、アリスがケリーさんの店にいたんだ。聞いたら、ケリーさん達に店の手伝いを頼まれて来たって」


「そういうことね。それにしてもジェシカちゃんにそっくりだこと。もう少しで昼になるから、それまで待っていてくれるかしら? フィンはアリスちゃんを居間に連れて行って、お茶でも出してあげてちょうだい」


「ああ」


 もう一度ぺこりと会釈をしてフィンの後についていく。店の奥の扉を抜けると、そこは廊下で、正面にも扉があった。しかしそちらには向かわず左に進む。すぐに扉があって、その先は台所だった。


「ソファに座ってて」


 台所の横は居間で、ソファやロッキングチェア、暖炉がある。


「暖炉だ」


 本物の暖炉なんて初めて見た。本物のロッキングチェアも。感心しているとフィンが黄緑色の液体の入ったグラスを持って、やってくる。


「暖炉なんて、どこの家にもあるだろ?」


「私の住んでいた地域にはなかったのよ」


「ずいぶん暖かいとこなんだな」


 そうじゃない。そうじゃないけど、説明できないので曖昧に頷く。

 受け取ったグラスは冷たくて、緑茶とは違う良い匂いがした。


「ハーブティー?」


 カモミールと、ミント? あとはわからないけど、そういう系。


「普通の茶だろ」


 フィンは、がぶがぶとお茶を飲んでいる。


「さてはあなた、食べ物に興味がない人ね?」


 そう言うと、フィンは目をそらした。


「あるかないかで言えば――ない寄りの――ない」


「ないんじゃない」


 つい笑ってしまう。若い男の子でそこまで食べることに興味がある子なんてそんなにいないと、私は勝手に思っている。肉が好きとかそれくらい。だからそんなに気まずそうな顔をしなくてもいいのに。


「そんなに笑わなくてもいいだろ。ジェシカにばれると怒られるから、言いたくなかったんだよ」


「ジェシカが?」


「あの子は作ることにも食べることにも熱心だったから」


 懐かしむようにフィンが目を細めた。なるほど、あの子のことが、とても好きだったのね。


「だったら、ジェシカに教われば良かったのに」


「そうするつもりだったんだけどね」


 フィンの顔に暗い影が落ちた。つもりだった。けど、できなかった。できなかった理由は。

 しかし廊下からバタバタと足音が聞こえて、勢いよく台所の扉が開く。


「お待たせしたわね。ライアンとエドは?」


「兄貴と親父はまだ仕事中」


「あらそう。じゃあ先に食べ始めちゃいましょう」


 デイジーさんは手際よく食事の用意を始めた。めっちゃ見に行きたい。


「お手伝いさせてください」


「いいのよ、アリスちゃん。来たばかりで疲れているでしょう?」


 あっさりと断られてしまった。残念。むしろここの料理を教えてほしい。




 デイジーさんが出してくれた食事は美味しかった。丸くて薄くて硬い、黒いパンにハムっぽいものとチーズらしき物が挟まったサンドイッチ。それに何かの野菜のサラダ。たぶんニンジンとレタスと、そんな感じ。味付けは塩が濃いけど、男性陣のためにそうしているみたい。

 食べている途中でやってきた、大柄な二人の男性は滝のような汗をかいていた。


「――ジェシカじゃ、ねえな」


 私を見て、二人の内、年配の方が低く唸る。


「アリス・ケリーと申します。ケリー夫妻の手伝いで参りました。お昼ごはんをいただいています」


「どうも、入れ違いになっちゃったみたい」


 頭を下げる私を、デイジーさんが二人に紹介する。


「なるほどな。俺はエドワード・アダムス。アダムス金物店の店主だ。こいつはライアン。そこのフィンの兄貴で、ここの跡継ぎだ。で?」


 年配の男性、エドワードさんは大きな口でサンドイッチにかぶりつきながら言う。ライアンの方はチラッと私を見つつも、何も言わずに食事をしている。


「おまえさんは、どうするんだ。店はあの有様だが?」


「ご迷惑でなければ、なぜ店があのようになってしまったか教えていただけませんか?」


 一応ジェシカに話は聞いている。聞いているけれど、出来れば第三者の話も聞きたかった。ジェシカは強盗に襲われたと言っていたけれど、それ、お店を再開したらまた襲われるのでは?


「母さん」


 呼ばれたデイジーさんは頷いた。


「はいはい。ケリーさんのお店はね、食堂をしていたのよ」


 その店はとても繁盛していた。店の名前は『銀枝亭・シルバーブランチ』。言葉の意味をケリー夫妻は教えてくれなかったと言う。

 銀枝亭は開店当初からとても繁盛していた。昼も夜も人がいっぱいで、アダムス一家はほとんど入れなかったと。

 しかし銀枝亭の繁盛も長くは続かず。ある夜、強盗が押し入り夫婦は殺され一人娘のジェシカは行方不明、店は荒らされた。その後はフィンが暇を見つけては片付けに行っているものの、それもなかなか進まず、ということだ。


「いくつか、うかがっても?」


 デイジーさんが話し終えたところで、声を上げる。しかしエドワードさんとライアンが立ち上がった。


「俺らは仕事に戻る。どうするか決めたら教えな。出来る範疇で助けてやるから」


「ありがとうございます」


 頭を下げると、二人は食器を下げて出て行った。


「親切にしてくださるんですね。初対面なのに」


 誰に聞くともなしにつぶやく。デイジーさんとフィンは顔を見合わせた。


「あの人ね、気づけなかったことを後悔してるのよ。お隣なのに、助けに行けなかったってね。隣と言っても距離があるし、風の強い日だったから仕方のない部分もあるのだけれど。けど、ケリーさんたちには、よくしていただいていたから」


 それに、とデイジーさんは顔をほころばせる。


「この子は、ジェシカちゃんのためだったらなんだってしちゃう子だから。それこそ、本人がいなくってもね」


「そんなんじゃ、なくも、ないけど」


 フィンはすねたように頬を膨らませる。ついニコニコしてしまってにらまれた。


「アリスちゃんは、なにか聞きたい事があったんじゃない?」


「そうでした。なぜ、銀枝亭が狙われたのでしょうか」


 それがわからないと、また襲われる可能性がある。けどデイジーさんは首を横に振った。


「わからないわ。確かに繁盛はしていたけど、そこまで金目の物のあるお店ではないし」


「城の衛兵も調査をしていたが、結局理由はわからなかったはずだ。めちゃくちゃに荒らされて、金目の物がなくなっていたから物盗りじゃないかってことで、調査は終えている」


 フィンが目を伏せて言った。ずいぶん詳しいと思ったけど、理由によってはお隣であるアダムス金物店も危ないからと、教えてくれたらしい。


(城の衛兵? 王都ケニールって言っていたから、ここは王国で、城下町的な町の外れにあるお店なのかしらね)


 ここがどこであるかは、まだわからない。身の危険性もよくわからない。でも、私は心も体も、一度死んだ身であるわけで。


「めちゃくちゃに荒らされて、もう金目の物はない。であれば、また襲われることはないのかしら」


「どうだろう」


「それは、わからないわ」


 私の懸念に、二人は首を振る。フィンは私を真っ直ぐに見て言った。


「けど、君がジェシカの、ケリーさんたちの店を再開させたいと言うのなら、俺は手伝う」


 それが彼女の望みだろうからと、フィンは言う。


「私はやりたいです。銀枝亭。そのために、来たんです」


 なんかあの自称女神に踊らされている気もするけれど。でも私はそのために来た。また料理を好きになりたいし、誰かに美味しいと言ってもらいたい。


「なら、決まりね。あたしはこっちの店があるから、大したことはできないけど、銀枝亭の片付けが済むまで、アリスちゃんは家の空き部屋に寝泊まりするといいわ。家のことはある程度はしてもらうけど。まあ、すぐに人も増えるしね」


 デイジーさんが笑って言ってくれた。


「人が増える?」


「兄貴の婚約者が越してくるんだ。元々、俺がケリーさんとこに働きに行って、代わりに婚約者の人がうちの店に働きに来るってことになってたんだよ」


 それがケリー夫妻が亡くなったことで、いったん無しになっていたのだと。けどフィンが銀枝亭に行くのであれば、婚約者の話も再開するのだと。




 その日の午後はそのままアダムスさんのお家にお邪魔させてもらった。空き部屋をお借りして、私の寝床を用意してもらう。

 デイジーさんはお店に戻り、フィンにこの国の地理や情勢を教えてもらった。

 この国の名前は『レギスタ』。星の国レギスタ。ティルナノーグ島の東に位置し、ルグ王とデヒテラ王妃が治める、緑豊かな星の精霊の国。


「ちっとも知らないわ」


 マジで、どういうことなの。知らない名前ばかりで泣きそうになりながら、その日を終えた。

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