おいしいものを食べるために

「おいしいわねえ」


「お口にあってなによりです」


「うんうん、これこそアイリッシュシチューだ」


 先日のご夫婦がまた来店している。フィンの母親であるデイジーさんにもらったメモを元に作ったアイリッシュシチューはなかなか好評で、夜をメインに売り上げを伸ばしていた。


「ごちそうさまでした。次はギネスシチューもいただきたいわ」


「はい、ぜひいらしてください」


 食事を終えたご夫婦を見送り、食器を下げる。

 うれしいな、うれしいな。おいしいって言ってもらえるのも、最後の一滴まですくって食べてもらえるのも。次を楽しみにしてもらえるのも。なにもかもが、すごくうれしい。

 鼻歌交じりに洗い物をしていると精霊たちも集まってくる。


「ぬし、そのうた、なに?」


「ドラ○もんの昔のエンディング」


「うたって、うたって」


「あったまてっかてーか、さーえてピカピーカ」


 ――これ、精霊に教えていいのだろうか。ちょっと気になりつつも歌いながら片付けを済ませて振り返ると、後ろでフィンが笑いをかみ殺していた。


「ちょ、いたなら言ってよ」


「楽しそうだったからさ。それに僕には聞こえないし見えないけど、精霊もいたんだろう?」


「うん。みんなで歌ってた」


「邪魔はできないよ」


 ぐぬぬ。半笑いのフィンを睨みつつ、彼の持ってきた皿を受け取る。それはつまり私が一人でドラ○もんを熱唱していたってことじゃないか。割と普通に恥ずかしい。


「シチューはまだある?」


「ちょっと少なくなってきた。足す?」


「お願い。日が落ちたら、また一段と冷え込むみたいだから」


「はーい」


 今度は歌わずに支度をしようと思ったのに精霊たちに別の曲を強請られて結局歌ってしまった。


「じゃあ私の好きなの歌うわ。うんぱっぱね」


「わーい」


「うたって、うたって」




 アイリッシュシチューとギネスシチューは好評だった。寒いから温かいものを食べたいのは当然のことだ。

 それともう一つ。家庭内でアイリッシュシチューとギネスシチューの好みが分かれたときに食べに来てくれるお客さんが思ったよりもいたのだ。


「うちもそうですよ」


 月に何度か顔を出してくれる、牧場経営跡継ぎのアンがサラダをつつきながら言った。


「母さんは羊肉が好きだからアイリッシュシチューをよく作りますけど、父さんは牛肉派なんです。たまにギネスシチューも食べたいなーって小さい声で言ってますね」


「言うだけなんだ」


「自分で作ったりはしないですね。でもそうですね、自分で作ればいいんですよね。そう伝えておきます」


 アンは何かに納得したように頷く。


「別に作らなくても食べに来てくれたらいいよ」


「あなたも商売上手になってきましたね」


「ありがと。デザート食べる?」


「いちいち甘い物で釣らないでください。なにがあります? つまめるような焼き菓子があればいいんですけど」


 クッキーを何種類か渡すとアンは午後の仕事をしながらつまむと言って、紙ナプキンに包んで持って行った。




 ふと気づいたけど、テイクアウトできるといいのかしら。数ヶ月ここで生活をしてみて、どうもプラスチック製品はなさそうだ。だったら昔のお豆腐屋さんみたいな感じで、鍋とかボウルとかを持ってきてもらって、それにシチューやサラダを入れて持って帰ってもらう?

 営業を終えた夜にフィンに相談をすると、彼はすぐに考えてくれた。


「悪くないけど、シチューの減りが早くなるのは大丈夫? あとメニューを限定した方がいいかもね」


「シチューは作り足すのが難しくないから大丈夫。んーシチューと――デザートの焼き菓子系はどうかな。アンが持って帰ってつまみたいようなことを言ってたから」


「焼き菓子なら紙袋で持って帰ってもらえるね。うんうん。考えてみよう」


 あと、とフィンが言う。


「ボクスティはどう?」


「難しい」


 そう、ボクスティは難しかった。一言で言ってしまえばジャガイモのパンケーキなんだけど、実際に作るのには結構な手間がかかる。なんでかって? ジャガイモをすりおろさないといけないのだ。この世界にブレンダーなんて便利なものはない。


「すりおろすのが大変なんだよ~」


「そうだよね。うちじゃあ親父がやってるくらいだし」


「あ、じゃあ俺やりましょうか?」


 近くを掃除していたカイがぱっと顔を上げる。


「カイには掃除してほしいし、これ以上負担をかけたくない」


「負担なんてことないですよう。姐さんの試作したボクスティ、すっごいおいしかったからまた食べたいんです」


「え、僕食べてないけど」


「家で朝ごはんがわりに試作品を食べたのよ」


「おいしかったんで俺がほとんど食べちゃいました」


 てへっとカイが笑ってフィンが口をへの字にした。子供っぽいやりとりに吹き出すと、フィンはプイッとそっぽを向いてしまう。


「ともかく、ボクスティは量産できないんだね」


「うん」


「じゃあ出すのを諦めるか、売り方を考えなきゃ」


「はーい、考えます」


「僕の方でも考えておくから。じゃ、今日はこれでおしまい」




 どうしたものかしら。鍋の底をこすりながら考える。デイジーさんも作るのが大変だから、アダムスさんが手伝ってるって言ってた。毎週星の日だけって。あー、そういうのも、ありかしら?

 鍋にフライパン、それからおたまや菜箸。それらを洗って片付けたら次は床をこする。コンロや冷蔵庫も拭いて、ゴミ箱を外に出して。

 毎日じゃなくても、限定メニューみたいにしたらいいのかしらね。今だってエールやそれにあわせたつまみ系は夜だけなんだし、逆にサンドイッチなんかの軽食は昼だけなのだから。


「うん、それでやってみよう」


 働いた後の火照った体に、冷たい風が気持ちいい。冬目前の夜空は、星でいっぱいになっていた。



「たのしい?」


「うん。楽しいよ」


 話しかけてきた精霊に返事をする。キラキラと光るから光の精霊かと思ったけど、彼らはこんな夜遅くにはあまり出歩かない。


「あなたはだあれ?」


「わたしたちは、ほしのひかりをつぐもの」


「ほしのこえを、つたえるもの」


「星の精霊?」


 前にフィンが言っていた、予言をするという精霊。そうか、星だから夜に現れるんだ。


「あなたに、すてきなであいがありますように」


「いいこと、あるよ」


「なにせ、ぼくらはほしよりうまれるもの」


「そんなわたしたちの、こえをきけるのだから」


「そうなの? そっか。ありがと」


 あはは、うふふと笑って精霊たちはふんわりきらきら飛んで消える。

 素敵な出会いと良いことというのも予言なのかな。言祝いでもらったようないい気分で、私は厨房へと戻る。


 帰ったら風呂に入るんだ。それが楽しみで仕方ない。最初は戸惑っていたカイも一度入ったら魅了されたらしく毎日長風呂している。やはり風呂はなくてはならんのよ。うふふ。

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