第一章:ようこそ異世界へ

廃墟にて

「んん?」


 まぶしくて、目が覚めた。

 寝ぼけた頭で、何があったのかを思い出そうとする。あれよ、自称女神――ジェシカ?


「そうだ、体だ。あとお店」


 ゆっくりと目を開けると見覚えのない部屋だった。というか、あまりにボロボロで部屋と言うより廃墟では。状況がつかめないけど、とりあえず起き上がる。


「廃墟、よね?」


 立ち上がって見回した室内は、まごうことのない廃墟だった。小学校の教室くらいの広さの室内は木の残骸がばらまかれていて、足の踏み場もないくらい。


「ひどい有様ね。あれ?」


 私の声、なんか高くなってる? 背も低いし。改めて足下を見ると、見慣れない服と靴。


「この服、さっきの、ジェシカの?」


 膝丈のワンピースは、自称女神のジェシカが着ていたものでは? ジェシカが言っていた『わたしの体を貸してあげる』って、そういうこと?


「じゃあ、ここがお店? 廃墟じゃないの」


 大きな窓がついた壁が三方にあり、暗くはないけど、そのせいで悲惨な有様が浮かび上がっている。窓ガラスはすべて割れて、粉々の破片が床にばらまかれ、カーテンはズタズタに裂かれていた。壁も傷だらけだし、机だか椅子だったらしい木片が床に飛び散っている。

 なぜだか一部分だけ残骸が避けられて、通路のようになっている箇所があった。外につながっているらしい扉から、反対側の壁まで、まっすぐ通れるようになっている。


 いきなり外に出るのは怖いので、扉と反対側へ向かう。そちらには窓がなく、バーのようなカウンターが設けられていた。

 カウンターの中に入ってみると、その中も木やガラスの残骸でいっぱいだった。陶器のようなかけらは食器だろうか。カウンターの向かいの壁には食器棚らしい大きい棚があって、中は空。かろうじて棚板は残っているけど、棚の戸のガラスが粉々だ。カウンターの内側の引き出しも、引っこ抜かれて割られていた。


「こちらにも部屋があるのかしら」


 カウンターの入り口近い壁に扉が付いていた。取っ手をひねって押すと、ギイギイと嫌な音を立てて扉が開く。


「うっわ、ほこりっぽい」


 厨房だろうか? 細長い部屋で、こちらはあまり荒らされていない。窓も割られておらず、入ったら埃が舞い上がった。

 口元を押さえつつ、奥へ進む。やはり厨房らしい。広いシンクが二つ並んでいて、その奥には調理スペース。さらに奥にはコンロが四口。コンロの下には大型のオーブンが二つ。


「いいなあ」


 料理、したいなあ。

 胸がうずいた。

 そうだ。だって私は元々料理が好きだった。結婚する前はあんなに楽しかったのに、結婚して、子供が生まれて慌ただしく過ごす中で、いつしか、料理はただの作業に成り果ててしまった。夫と子を死なせない程度の、栄養の提供でしかなかった。



「おいしいもの、作りたいな」


 ぽつりと言葉が漏れる。おいしいものを作って、誰かに美味しいと言われたい。そう思うことを、ここでは我慢しなくていいのだろうか。


『え? ママのごはん? いつもどおりだよ?』


『おいしいかって? 普通じゃない?』


 そう言われたのはいつのことか。もう覚えてないし、思い出したくもない。私の作るごはんは、どう頑張ったって彼らにはいつもどおりの普通でしかありえなかった。


「でも、ここなら」


 少なくとも、外に食べに来てお金を払う以上、お金を払うだけの価値があると見なされるはずだ。


「それに、お世辞でもおいしいとか、ごちそうさまくらい言うでしょ」


 たぶん。楽観的な希望。願い。だれか、おいしいって言って。そしたらまた、私は料理を好きになれる。そう、なれたらいいな。

 頭を振って切り替える。とにもかくにも、この埃だらけで荒れ放題の店内を、どうにか飲食店へと仕立て上げないといけないのだ。



 ふと窓ガラスに映った自分が目に入った。


「日本人じゃ、ない」


 そりゃそうだ。だって自称女神はジェシカ・ケリーと名乗った。どう考えても日本人ではない。なぜだか言葉が通じていたものだから、気づかなかった。

 言葉が通じていたのは、ジェシカの言っていた神様的力によるものだろうか。神様的力ってなにかしら。


 ガラスに映る少女は十代後半くらい。長い金髪はさらさらだ。さすがに目の色まではわからないので、どこかでちゃんと鏡が見たい。たぶん先ほどのジェシカと同じ色なのだろうけど。


「てことは、ここも日本じゃない?」


 じゃあ、どこだろう? 場所によっては米がない?無理だわ? 白米と醤油、あと味噌と出汁もお願いします。




 ここで考え込んでいても仕方ない。いったん外に出て場所を確認しよう。そもそも現代じゃない可能性もあるのよねえ。そんな話、ドラ○もんになかった?

 今いる厨房の奥にも扉はあるけど、埃が積もっていてたどり着ける気がしない。元いた部屋に戻る。窓から見えるのは木漏れ日と明るい木々の緑ばかり。この店が町中にあるのかどうかもわからない。


「人の声が聞こえないから、町中ってことはなさそうだけど」


 ときおり鳥の声と、何かを打つような高い音。聞こえるのはそれくらい。森の中だったり、山の中だったりするのだろうか。


「いや、そんな人里離れた場所に店作らないでしょ」


 独りごちて扉へ向かって歩き出したとき、扉が開き、やわらかな風が室内へと吹き込んだ。

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