Case3:軍服の青年 4


「それは良かったです」


 そう言ったのは本心だ。そして、ぼくが食べ終わるのと同時に、カシャン、と音が聞こえた。どうやら、このゲストルームから出られるようになったみたいだ。


「さて、それではアカネさんと話しましょう」

「ここのオーナーと言っていたか。女性がオーナーとは、珍しいな」

「そうですか? ぼくがここにお世話になる前から、アカネさんがオーナーだったようですが……」


 ぼくがこの店にお世話になることに決まったときに、アカネさんはどんなことを言っていたか記憶が朧気おぼろげだ。


「洗い物をしてから、でいいか?」


 ちらりと簡易キッチンに置かれた皿たちを見て、青年はそう言った。その申し出は少し意外で、目をまたたかせると彼は「一宿一飯の恩義ってよく言うだろ?」と微笑んだ。


「それでは、お願いしますね」

「おう」


 袖を捲って早速洗い物を始めた青年を見て、なぜか既視感があった。なぜ、そう感じたのだろうか。彼の言う通り、ぼくは彼の知り合いなのか……? 


 いや、今はそれを考えている場合ではないだろう。頭を軽く横に振って、考えを吹き飛ばす。


 すべてを洗い終わり、タオルで手を拭いた青年がこちらを見た。小さくうなずき、ぼくはドアノブに触れてドアを開く。


 カチャリ、とあまりにも軽い音を立てながら、ドアは開いた。そして、目の前にはアカネさんが立っていて驚いた。


「おはよう、フェリックス。お客様も。よく眠れましたか?」

「おはようございます、アカネさん」

「揺れない場所で寝るのは久しぶりだったぜ」


 スタスタと青年がゲストルームから店内に足を進める。彼が出たあとすぐに、ぼくも出て扉を閉めた。


「早速ですけれど、“記憶の扉”が開いています。向かいますか?」

「そこ通らなきゃ帰れないんだろ? 行くに決まってる」


 後頭部に手を置いて、青年はそう言った。ちらり、とぼくを見る。


「こいつも来るのか?」

「どちらでも。お客様が拒むのでしたら、私だけがお供します」

「そういうことも出来るのですか?」


 ここに来て二年、ずっと“記憶の扉”に入っていた。だから、てっきり今回も一緒に行くのかと思ったのだ。


 アカネさんはちらりとぼくを見て、それからなにかを察したように青年に視線を向けた。


「……決めるのはお客様ですわ」


 にこり、と微笑みを浮かべるアカネさんに、青年は「ふぅん」と口にした。そして、ぼくをじっと見てから、肩をすくめる。


「じゃ、留守番しててくれ。オレの記憶にはたぶん、お前がいる。そして、その記憶はあまり良いものじゃないだろうからな」


「そうなのですか?」

「すっかりと記憶を失っている、って言うのがなによりの証拠だろうよ。人の記憶は忘れたいことを封じられるって聞いたことあるしな」


 今度は腰に手を当てて、やれやれとばかりに息を吐く青年に、アカネさんはくすりと笑い、「そうですね」と肯定する。


「それじゃあ、フェリックス。お留守番よろしくね」

「はい、お気をつけて」


 “記憶の扉”に近付くと、強制的にぼくも行くことになるだろうから、ぼくの役目はここで終わりということだ。


 青年はぽんとぼくの肩に触れてから、「飯、ごちそうさん」と言ってアカネさんと一緒に“記憶の扉”に向かう。心配そうに、アカネさんがぼくを見たから、安心させるように微笑み、「行ってらっしゃいませ」と頭を下げた。


 彼らが“記憶の扉”に入ったのか、気配が消えるまでずっと頭を下げたままにした。完全に人の気配が消えたことを確認すると、ぼくはゆっくりと息を吐く。思いのほか、緊張していたのかもしれない。


 青年が触れた肩に手を置く。その体温が懐かしいような気はしたが、あまり気にしないことにした。


「とりあえず――アカネさんが帰って来るまで、掃除でもしようかな?」


 店内にひとり残されたぼくは、辺りを見渡してぽつりと言葉をこぼした。返事がないのはわかっている。……けれど、なんだか言葉にしたかった。それから、ぼくはひたすらに店内の掃除をして、アカネさんが返ってくる頃には掃除疲れでぐったりとしていた。


「あらまぁ、大掃除でもしたの?」


 驚いたように目を丸くしながらぼくに問いかけるアカネさんに、ぼくは弾かれたように顔を上げて彼女を見る。


「……おかえりなさい」

「ただいま。お客様もお帰りになったわ。……それと、確かにあなたに似た人を見たから、報告しておくわね」

「ぼくだという確証はありましたか?」


 アカネさんはすっと目元を細めてぼくを見た。そして、肩をすくめる。


「さぁねぇ。わたしはここに来てからのあなたしか知らないし」


 そう言って眉を下げる彼女に、ぼくは、ああ、変な質問をしてしまったと内心慌てた。


「お客様があなたのことを気にしていたのも、納得は出来たけどね」


 そんなにぼくに似ていたのだろうか、青年の知っている彼は。


「それにしても、軍人って大変なのねぇ……。考えてみれば、軍人の仕事ってよく知らなかったわ」


 頬に手を添えてしみじみと呟くアカネさんに、ぼくは首を傾げた。


「軍人の仕事?」

「ええ。お客様は海軍だったみたいよ。船の上でも訓練って行われるのね。……というか、よくあんなことがあって生きていたわね……」


 感嘆するように息を吐き、そっと手を伸ばしてぼくの頭を撫でた。


 あんなこと、とは……一体なにを見てきたのだろう?


「とりあえず――今日は買ってきたものを食べようか。食事は楽しよ?」

「……はい」


 確かに待っている間に掃除をノンストップでしていたから、なかなかに身体は疲労を訴えている。


 これで料理と片付けも、と思うと……。アカネさんの案に乗ったほうが良いだろう。


「久しぶりに各世界のテイクアウトパーティーってことで」


 パチン、とアカネさんが指を鳴らすと、パッといろいろな食べ物がテーブルに並んだ。


「これが出来るのが、この店の良いところよねぇ」

「店内のテーブルに出して良かったのですか?」

「どうせ今日はもうお客様はいらっしゃらないわよ。さ、食べてゆっくり休みましょ」


 その日は、アカネさんが用意してくれた食事を摂って、自室に戻ってゆっくりと休んだ。


 アカネさんがぼくを見る目が、なぜか生温かった……。

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