Case:2 白髪の紳士 2


「記憶を、探し当てる?」

「はい。ここは記憶を扱う店ですから」


 フォークを置いて、自分の胸元に手を置き、首を小さく縦に動かす。紳士は、ぼくのほうをちらりと見た。同じことを口にしたからだろう。


「アカネさんはここのオーナーです。彼女に任せれば、きっと思い出したい記憶を、見つけられますよ」


 こういうお客様に対して、アカネさんはとても友好的だ。人の記憶は薄れていくものだが、完全に忘れるわけではない。だからこそ、ここの“記憶の扉”は開くのだと言っていた。


 ぼくのように記憶を失った場合を除いて、だが。アカネさんも記憶喪失の人がこの店の前で倒れているとは思わなかったらしく、一瞬言葉を失っていたのを覚えている。記憶がない人がこの店を訪れたのは、開店以来初めてのことだったらしい。


 そんなことを思い出しながら、ぼくもコーヒーとロールケーキをいただく。上品な甘さのクリームに、甘酸っぱい果物たちがとても合っていて、コーヒーを飲むことで口の中がさっぱりとする。


「……その記憶は、私が求めているもの、になりますかな?」

「大体のお客様はそうですね。求める記憶は人それぞれ違いますけれども、心の『芯』に触れることは間違いないかと」


 ぼくはふと、エメラルドの瞳の少女を思い出した。彼女の記憶は彼女が見たい記憶ではなかっただろう。だが、彼女が素直になれるきっかけを作った……とは思う。


 自分の性格を偽ったままの生活は、つらいものだろうから。彼女が素直になり、自分の性格と向き合いながら前へ進んでいくことを応援している。


「……それは、楽しみですな」


 ふっと紳士が表情をほころばせた。アカネさんは「そうですね」と肯定しながらも、再びフォークを持ちロールケーキを食べる。


 ぼくらが食べ終わるのと同時に、“記憶の扉”が開いたようだ。アカネさんがぴくりと肩を揺らし、コーヒーを飲み終えてから立ち上がった。


「“記憶の扉”が開いたようです。早速向かいますか?」

「……そうだね」


 アカネさんの言葉に、紳士も立ち上がった。そして、アカネさんが先導するように歩き出す。紳士はそれに続き、ぼくもついていく。


「――随分と大きな扉だ」

「お客様の“記憶”そのものですから。さあ、扉を開けてください」


 そう言ってアカネさんは紳士の横に移動した。そっと扉に触れてぐっと扉を開く紳士の目は、童心に帰ったかのように輝いていた。


 音を立てて、扉が開く。


 ――真っ白な光がぼくらを包み込み――


 次の瞬間には、別の場所にいた。


『ねえ、あなた、本当に……』

『ああ、地元の人が言っていたのだから、間違いないだろう。寒いだろうが、もう少し耐えてくれ』


 もこもこに着込んだ男女ふたり。恐らく白髪の紳士と、奥様だろう。とはいえ、この頃はまだ白髪ではなかったようだ。ふたりは寒そうにしながらも、空を見上げていた。


「――ああ……」


 紳士が思わずというように声を出す。その声は震えていた。


『――あっ!』


 奥様の短い歓喜の声が聞こえた。夜で暗闇が広がる中、空にはオーロラが見えた。まるで、彼らを祝福するかのように。


『きれい……』

『ああ、私も実物を見るのは初めてだよ。君と一緒に見ることができるなんて、とても幸運だ』


 紳士は奥様のことを本当に愛していたのだろう。オーロラよりも、オーロラを見て目を輝かせている奥様をじっと見ていた。


 そして、それは現在の彼も同じであった。奥様のことを見て、切なそうに目元を細めていた。


「綺麗な奥様ですね」


 アカネさんが紳士にそう声を掛けた。紳士はアカネさんに視線を一瞬だけ向け、すぐに奥様のほうに視線を戻した。


「ええ、とても綺麗で優しく……自慢の妻でした」

「オーロラもすごく綺麗です。こんな風に、おふたりで思い出を紡いでいったのですね」


 紳士はうなずいた。そして、少し目頭を押さえ、ゆっくりと深呼吸をした。


「この時の妻の表情がとても綺麗で……忘れたくないと思っていたのに、どんどんと薄れていき……。彼女はあんな顔で、オーロラを見ていたのか……」


 愛しそうに、切なそうに、奥様の表情を忘れてなるものかとばかりに熱い視線を送る紳士に、アカネさんが微笑んだ。


『――もう、あなたったら。私ではなく、オーロラを見てくださいな』


 自分を見ていることに気付いた奥様が、紳士に顔を向けると、空を指した。


 紳士は眉を下げて笑い、『ごめんごめん』と奥様の頭に手を伸ばして、そっと頬を包み込むように手を添えた。


『――ああ、やはりオーロラよりも君のほうが美しいよ』

『……ふふっ。なにそれ』


 奥様は思わずというように笑い出した。それを信じていないと思ったのか、紳士は言葉を続ける。


『本当だよ。君の美しさは見た目だけじゃない。心までもが美しい』

『そう思ってくれるのは嬉しいけれど、照れちゃうわ』


 本当に愛し合っていたんだな、と感じた。このふたりの間には深い絆があって、こうい

う夫婦もいるんだな、と思った。


 ぼくがこの仕事に就いてから、いろいろな人の“記憶”を見てきたが、ここまで夫婦仲がよいところを見たことがない。


『ねえ、あなた。覚えている? 私と結婚したときのこと』

『覚えているとも。やっと君と結婚できると思うと、舞い上がってしまいそうだったよ』

『――私もよ。……あのね、言っていなかったのだけど……』

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