Case:2 白髪の紳士 1


 その人が来店したのは、穏やかな昼下がりだった。空は多少雲が出ていたが、晴天と言えるくらい明るかった。


 カラン、カラン、と来店を知らせる音が聞こえて、ぼくとアカネさんはそれぞれ読んでいた本を閉じた。お客様が来ないと暇だから、ほぼ読書タイムになっている。


 ぼくは立ち上がり、お客様を出迎えに行く。


「ようこそ、“記憶メモリア館”へ」


 歓迎の言葉を口にすると、お客様はぼくの存在に気付き、シルクハットを取り一礼してからぼくに視線を向ける。ぼくがにこりと微笑むと、白髪の男性――身なりからして貴族だろう――が、目尻を下げて綻ぶように笑みを浮かべた。


「ここはお店なのですかな?」

「はい。ここは“記憶”を扱う場所です」

「……記憶を扱う……?」


 不思議そうに目を丸くする白髪の男性……いや、紳士は、なにかを考えるように「ふむ」と呟いた。


「それはまた、不思議なものを取り扱うお店ですな?」

「ここにいらっしゃるお客様は、大体の方がそうおっしゃいますね。こちらへどうぞ、歓迎いたします、お客様」


 アカネさんの元へと案内すると、アカネさんはすでに立ち上がっていて、お客様を見るとにこりと微笑んだ。


「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」


 アカネさんに座るようにうながされた紳士は、ゆっくりと椅子に腰を掛けた。ぼくは簡易キッチンに向かおうとしたが、すぐに足を止め、彼に近付いた。


「紅茶とコーヒーはどちらがお好みでしょうか?」

「……それでは、コーヒーを」

「かしこまりました」


 紳士は少し悩んでいたが、すぐにぼくのほうを見ると朗らかにコーヒーを注文した。


「フェリックス、コーヒーならあのロールケーキがあるから、出してくれない?」

「わかりました、アカネさん」


 コーヒーによく合うロールケーキを買っていたので、この機会にお客様と一緒に味わおうということだろう。ぼくは小さく一礼してから、簡易キッチンに向かった。


 細口のドリップポットに水を入れ、火にかける。棚の中から目当てのものを取り出した。


 三杯分のコーヒー豆を用意して、コーヒーミルで挽く。香ばしいコーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐる。この匂いはとても良いと思う。挽いたコーヒーをコーヒーフィルターに入れているとちょうど沸騰したようだ。


 火をとめて、少し待つ。ほんの少し温度を下げて、お湯を少量注ぎ蒸らす。約二十秒、静かに待ち、くるくると円をえがくようにお湯を注ぎ、コーヒーが出来上がった。


 あ、カップとソーサーを温めるのを忘れていた。……と、思ったら、温まったカップとソーサーがコトンと用意された。その音に驚いて肩を跳ねさせてしまい、フォローはありがたいが、なかなか慣れないものだな、と苦笑を浮かべた。


 冷蔵庫からアカネさんの言っていたロールケーキを取り出す。ちょうど、三切れ入っていた。……アカネさんは、お客様がいらっしゃることを予想していたのだろうか?


 ケーキ用のお皿にロールケーキを乗せ、フォークとスプーンも用意した。ロールケーキは真っ白なホイップクリームとキウイやパインなどの果物が入っていた。


 三人分のコーヒーとロールケーキをトレイに乗せて、アカネさんとお客様の元へ向かう。もちろん、ミルクと角砂糖も用意した。


「お待たせしました」

「ああ、ありがとう。いただくよ」


 紳士だな、と思った。お客様の近くにロールケーキとコーヒー、フォークとスプーンを置いた。


「ミルクとお砂糖は使いますか?」

「いや……。あ、待ってくれ。……いただいても良いかな?」

「はい。こちらをどうぞ」


 ミルクピッチャーと角砂糖を近くに置くと、「すまないね」と声を掛けてくれた。


 アカネさんにも同じように用意し、最後に自分の分もテーブルに並べてから椅子に座る。それを見届けてから、紳士はコーヒーに手を伸ばした。こくり、と一口飲んでからハッとしたようにソーサーにカップを戻し、ミルクと角砂糖をひとつ入れ、スプーンでかき混ぜる。


「とても素晴らしい風味だね」

「ありがとうございます。……苦かったですか?」

「いや。いつもはミルクも砂糖も入れないんだ。だが、今日は妻が好んでいた飲み方をしようと思ってね……」


 かき混ぜていた手を止めて、眉を下げる紳士にアカネさんが反応した。


「奥様は甘いコーヒーがお好きだったのですね」

「ああ。もう亡くなってから十年は経つのだが、朝のコーヒーをこんな風に飲んでいて……」


 懐かしむように目元を細める彼。十年前に亡くなられたという奥様を思い浮かべているのだろうか。


「情けない話、私も老いてね。妻との大切な記憶が思い出せなくなってきたんだ。だから、妻の好きだったものを積極的に取り入れようと思ってね……」


 そういうと、スプーンを置いて再びカップを持ち、コーヒーを飲んだ。


 きっと彼は、奥様のことを心から愛していたのだろう。こぼれていく記憶を必死に引き留めようとしているように見えた。


「――なるほど」


 アカネさんがぽつりと呟く。ぱくりと一口サイズに切り分けたロールケーキを食べて、コーヒーを飲んでから、真っ直ぐなまなざしを紳士に向けた。


「――あなたの大切な“記憶”を探し当てましょう」


 不敵に微笑むアカネさんに、紳士は驚いたように目を丸くした。

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